2010/07/27 - 2010/07/29
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kokonoさん
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生涯学習セミナーで古文書を選んでしまい・・
有田町内の歴史から調べようと思い立ちました
江戸時代から始まる「焼物の街」
どのくらいの資料が集まるやら・・
◆歴史民俗資料館
http://www.arita.or.jp/aritaware/miru/bijyutukan/rekimin/rekimin.html
◆李参平
http://toso-lesanpei.com/histry/index.html
経済不況は有田郷陶磁器産業にも大きく影響しています
倒産する商社、自殺者も多いと聞きます
江戸時代から繰り返される不況の波、
その度に辛苦を味わう土地の人達
昨年より2町合併で町の収支を計っていますが・・
未だに、徴税に喘いでいる有田の陶磁器界・・
講義を受けている古文書の中にもそれらしき風潮があるやもと・・老眼をしばたたき聞き入っています アハハ。
☆追加掲載写真4枚です(9月9日)
館長、尾崎女史のご厚意によるものです(ありがとうございます)
チェンマイ和尚、ご判読くだされい
講釈は我輩が、2.3年後にいたす予定ですが・・ 笑い
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
-
歴史民俗資料館前に建設明細書がありました
入館料金は100円でした -
館内正面です
登窯の模型が中央に陳列されていました
照明は薄暗いです -
奥の陳列は古き時代の窯業の様子と
窯業用具類がありました -
右側陳列です
-
江戸時代の有田焼
木札・古文書・陶片などが・・ -
古文書・絵皿
江戸時代の有田焼
有田を中心とした磁器生産が発展した理由は・・
・原料となる陶石などに恵まれた
・海外貿易港だった長崎に近かった
・生産工程を分業化するシステムを作った
・それぞれの藩が磁器生産を重要な財源と認め
地場産業としての保護・管理に努めた
と記してありました -
原料・顔料・磁器色絵付など
近世から近代へ
・佐賀藩にとって重要な財源であっため
厳しい管理と保護もされていました
しかし、幕藩体制崩壊し近世から近代へと
時代が変わり産業として自立し
新しい時代に適応してゆかなければならなくなった
・技術面・生産や流通のシステム面において
有田窯業は近代化を迫られた
・その一方で伝統産業としての自負もありました
そのバランスかんかくを問われながらの近代化
への道程だそうです -
ウィーン万国博覧会伝習生の写真
明治6年(1873)日本政府は西洋の
近代工業技術を習得するために
26名の伝習性を送り込んだそうです -
施文技法の移り変わり
一般的な絵付け技法は
手描き技法と印刷技法だそうです
江戸時代にも印刷技法が、流行ったそうです
明治時代に入ると印刷技法が格段に普及して
型紙摺り技法や銅版摺り技法などの
技術の導入がはかられたそうです。 -
表紙写真です
泉山石場風景写真です
採石中止になった時代でしょうか ?? -
現在の石場風景です
-
小雨模様でしたが
韓国からの観光客さんたちが来ました -
皆さん若い人たちです
解説の言葉で韓国からだと判りました
若いのに勉学熱心でしたよ♪ -
解説の意味は私には判りませんが・・
石場の削られた山肌を
如何様に説明してるんだろうかなぁ〜 -
その場所に陶工之碑があります
有田焼創業350年を記念し先人陶工たちの
足跡を偲んで建立されたそうです
碑の材料は「とんばい」と地元産の石が用いられているそうです -
ふり返って観れば
古代噴火の山容が谷底の町並みを観ていました -
磁石場右手風景です
陶石が発見されたのは17世紀初頭だそうです
石英粗面岩でセリサイトを主成分とし、鉄分の少ない白色をしているそうです
この陶石によって、有田で日本初の磁器が焼かれたそうです
江戸時代に「土場」と呼ばれ、皿山代官所が厳しく管理したそうです
当時の採掘方法は、鶴嘴などを使う人力によるものだったそうです
約400年の間に山を1つ削り取り、更に掘り下げた結果、まだ埋蔵量はあるといわれながらも・・
天草陶石の使用が多くなって、今日では殆ど採掘されなくなったそうです
余談ですが、
15代柿右衛門さん??は
この陶石を使って新しい作品を生み出そうと思案しているんではないかと 小耳に挟んだことがあります
事実無根の事柄です 信用しないでください 笑い
新作品の誕生を願う心境から添付してみました
関係者には悪しからずご容赦ください。
-
石場入口にあるトンバイ塀の看板です
-
石場神社
起源は明確ではないそうです
【肥前陶磁史考】(昭和11年版)
「元石場各坑内に祀りありしを文久年間勤番所脇の丘山に合祇せるものの如し」
しかし安政6年、慶応4年に描かれた有田郷の絵図の中にはその姿をみることはできないそうです
明治13年に陶山神社が改築されたとき「仮殿として
石場神社に鎮座した」とありますので・・
この時点では社殿があったものと想われるそうです
毎年11月になると山の神への奉納相撲が行われるそうです -
石場神社境内左手にある高麗神
陶祖 李参平以来、朝鮮半島とのつながりが深かった
有田地方には高麗の名が残っているそうです
数多くある高麗神は朝鮮半島より渡来した陶工やその子孫によって勧請されたものといわれています
建立年代は明確ではないそうですが
享保16年「皿山雀」という古文書の中に名前が出てくるそうです -
石場神社境内右手に在る 李参平公之像
-
神社の後山は陶石場になっています
山肌に祠がありました -
拡大してみましたが仏像のようです
-
こちらは、李参平公之像 拡大です
坐像の容は似ていますが・・ -
境内にある狛犬さんです
年代不明です
狛犬探求家のA姫様お教えてください -
左右1対です
陶山神社の磁器製よりは年代が古いと想います -
境内付近や石場付近の木々を剪定していました
年に3回ほど行うそうです -
石場の近くには有田石場相撲場があります
明治39年から、泉山磁石場の山神に奉納されるもので、当時は11月15と16日の2日間行われたそうです
詳細は下記の Web に掲載されてます
http://www.town.arita.lg.jp/index2.php?q=174&p=11536 -
泉山石場より少しだけ街中へ下ったところにある巨木
樹齢は1000年の大公孫樹です
県下随一の巨木だそうです
文政11年の大火で有田の町は焼けつくされたが
隣接する池田家は難を免れて焼け残った
唯一の木造建造物だそうです
昭和54年に町の木に定められた -
秋の気候には見事な黄色に染まります♪
・・が、しかし 落葉整理は大変ですよ
毎日、毎日降り注ぎますからねっ 笑い -
家屋の周りには【トンバイ塀】が・・
・泉山口屋番所
江戸時代、佐賀藩は皿山を管理するために
皿山代官所を設置したそうです
初代皿山代官として正保4年に山本神右衛門が着任
組織下である口屋番所は5ケ所に設置されたそうです
有田皿山の中心地の東西出入口に位置しており
有田焼の技術の漏洩・原料や製品の不正取引に目を光らせていたそうですよ
安政6年の「松浦群有田郷図」に描かれている建物の姿だそうです
「トンバイ塀」の詳細は下記にあります
http://www.marugotoarita.jp/i-mode/shiseki/tonbai.htm -
通りの向かい筋には
古賀峯一 元帥海軍大将 生誕の地 碑があります
詳細は下記 Web にあります
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/ren-koga.htm -
有田町献納海軍機の展示写真です
古賀峯一が連合艦隊指令著官に
就任した際に集められた献納金で
造られたそうです -
展示のポストです
有田の窯業試験場で試作された
ポストだそうです -
磁気製風呂桶
大正15年、特別大演習が佐賀練兵場で行われ
その折に、大正天皇が使用される予定の品と
言い伝えられているが・・
製造元はフメイ
尚、天皇は病床にあり参列せず
有田町には同年11月、侍従差遺として
海江田子爵一行が訪れたそうです -
弓野人形です
明治15年に弓野の地で製作した土人形で、製造法は粘土を成形素焼きし、染料で丁寧に彩色して仕上げる
詳細は下記にあります
http://www.saga-brand.com/sagabrand/craft/001.html -
異人館です
明治9年に建てられ、外国人の宿泊・接待所として利用されたそうです
昭和初期の道路拡幅のため当初の姿は損なわれているそうです -
平成22年の異人館です
ミタメそんなに変化していませんねぇ〜 -
向かい側の 「磁製川深」社屋です
看板画きが右始ですけど
平成22年の写真ですよ 笑い -
辻常喜家
文政の大火後、安政年間に再興それた辻窯元の家だそうです
苗字帯刀、門構えを許されていた辻家は
禁裏御用達の上質品を生産していたこともあり
座敷・床棚構えも立派だそうです -
辻精磁社と表札にあるけんど・・
この屋敷だろうかなぁ〜
なんだか違うような気もする
再度、調べようっと・・ -
2階式円筒型石炭窯の煙突だそうですよ
ウィーン万博伝習生の納富介次郎が
有田工業学校で焼かせた石炭窯を後に改良した煙突だそうです
石炭窯の関連は下記にあります
http://www47.tok2.com/home/yakimono/onna-sarayama/23.htm -
現在も使用されている ??
窯焼のレンガ煙突です
山徳窯 -
龍山窯
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フジマキ窯
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猿川八幡神社です
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狛犬さんです
-
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本殿です
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猿川です
昭和23年集中豪雨により大谷池堤防が決壊し
20数戸の民家を押し流し、23人の犠牲者が
でたそうです -
青木 龍山 展示館風景です
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展示場入り口です
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内庭を覗いてみました
風変わりな、石灯楼が2基ありましたよ
有田町生まれ 本名は久重(ひさしげ)
多摩美術大学日本画科卒
漆黒の天目釉を中心とした作陶で知られる異色の作家
1926年8月18日 - 2008年4月23日
佐賀で初めての文化勲章受章者となる
以上は Web 記載を記しました。 -
木札 5枚 表です
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木札 5枚 裏です
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木札 2枚 表です
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木札 2枚 裏です
ジン和尚へヒントです
☆ 金銀に関連していますよ マジです。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 迷子さん 2010/08/31 23:53:16
- 焼き物の里でやんすね!
- 凄く内容充実で入館料が100円!
さすが、焼き物の里で御座いますね。
土の見学会?にもご参加される方々もおられ
皆様、熱心で頭が下がりますだ。
思えば・・・・・
人類と焼き物は長い歴史があるでやんすね〜。
土を焼いたら硬くなる
土を捏ねれば形が出来る
土から便利な容器が作れる
これを最初に気付いた人って何処の誰なんだろーっ!
文字の発明と同じく凄いことでやんすね〜。
- kokonoさん からの返信 2010/09/02 14:23:06
- RE: 焼き物の里でやんすね!『ご来店ありがとうございます♪』
- 今時、ワンコインで入場できる資料館は珍しいですよねぇ〜 笑い
しかもですね (今回は掲載してませんが)
有田郷古窯遺跡から発掘された陶磁片などが整理展示してあるんですよ
若いぴちぴちギャルさんたちが 別棟で陶片を整理したり
年代考査したり データーを作成したりしていましたよ パソコン使用のデーター処理でした
韓国からの見学旅行者さまにはお話を伺えませんでしたが・・
あちらの若い方たちも 有田郷の陶磁器には関心が深いように想えましたね
迷子さんは土になる前の 奇石を探求されていらっしゃる これは、えらいこっちぁ〜
こちとらは、土から粘土 陶石から陶土 えらい時代ちがいの話しだす 笑い
と言う事は 我輩のほうが思考年代は新しいって訳ですよねっ
カブトムシは、?〜?億年前 風呂場のワラジー諸君も同年代 奇石は数え切れないほどの昔・・
Webの急速なる発達で 現代人類は異様に探究心をソソラレル羽目に・・
挙句にはトラブルに遭遇する 処置に困れば探索する 結果として望みは・・
前進もよし、ゆっくり歩調でねっ
ウサギと亀の物語なんちゃつて 笑い
後ろを振り返るのもよし、じんわりとねっ
人生の後期には そんな遊びも楽しいんではないんかなぁ〜
しかしながら あまりにも遠い昔は単純で味気が少ないよねっ
少しくらい塩味の利いた 石や土や木などが色気があると 思考の転換期に至りつつあります
台風7号も九州地方を回避され 朝鮮半島に上陸とか 今夜半には北国へ熱帯性低気圧と変身しお邪魔虫とか・・
マイゴさん地では 予期せぬ天からの恵みがもたらされるかもよ 苦笑い
ありがたいコメントを頂き感謝です。
ココノより ご返信です
-
- ginさん 2010/08/15 19:07:43
- 究学心
- 今晩は、ココノさん。
『生涯学習』いい言葉ですね。
私のモットーにしたいくらいですが、生来の怠け者、現実にはほどとおいです。
有田だけでなく佐賀の焼き物の歴史もさぐってゆくと奥がふかいですね。
ところで、隠し財宝の古文書の解読はすすんでいますか(笑)。
私も一新奮発して何か学習したいですねぇ、でもせいぜい卑猥文書の学習セミナーくらいですね、卑猥文書も女性と同じでさぐってゆくと奥がふかいかも・・・。
手始めは『四畳半襖の下張り』あたりから・・・(爆笑)。
それでは学習し直して後日参上いたします。
チェンマイの生臭坊主。
- kokonoさん からの返信 2010/08/19 11:09:49
- RE: 究学心 『ご謙遜は恐れ入ります』
- 肥前の焼き物は磁器製品でニッポン一位になり挙句には他を凌いで世界にも・・
多寡だか焼物が350年の歴史で発展したことは諸氏の努力と勉学があったことだと推測します
生涯学習の言葉とはちがった心意気があったんでしょうねぇ〜
私〆は海外雄飛が夢だったため、仕事と遊びができる仕事に従事し 幸いながら満足した第一人生でした
リタイアした人生に、はたと困惑の末
ご案内の老人クラブでは物足りない 土地柄焼き物の手習いでもと
考えついたのが 有田町生涯学習の陶芸教室なんですよ
幸いなことに4トラさん旅行記に掲載できるので
休学心を奮い起こし励んでいますが・・一向に進展なしの学習ですトホホ
次なるは古文書にと はかない夢を託して挑戦するも
チンプンカンプンの筆文字ばかり 下張りの絵は古伊万里人形や呉須の三人唐子が多々なんですよぅ ショボン
古文書仲間でも もう少し色気のある講義文書があったらなぁ〜 と囁きあっていますよ アハハ
チェンマイにワイ古文書ありましたらぜひともご案内願います
解読はジン和尚にお任せして 私〆が講義しますよってね
古文書学習途中のココノよりご返信です。
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