2010/07 - 2010/07
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霞町さん
ポーランドからチェコへ出国です。かつてオーストリア・ハプスブルク帝国支配下にあったプラハへ移動しますが…暑くて塩辛かったよー!
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- スカンジナビア航空
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-
ポーランドを出て、チェコへ向かいます!
さて。
クラクフとプラハ間の列車移動について、少し体験談を書いておきます(2010年7月7日現在)。
8時間あまり乗車することになるので、この路線だけは日本で指定席予約を入れておきました。(HISの窓口を利用しました)
夜行列車については、やはり女の一人旅ということで、避けることにしました。そこで昼間の列車を予約。
詳しい時刻表は、チェコ国鉄のサイトで調べられます。
私の行ったときは昼間の直通列車はない、とのことで、まずはクラクフからカトヴィツェまで普通列車に乗り、カトヴィツェからEC110「Praha」号に乗車するスケジュールになりました。朝9時半ごろ出発し、午後5時台にプラハ到着です。プラハ号でプラハに行くとは、なんてわかりやすい。
カトヴィツェまでの普通列車は、まったく普通の列車でした。少し年季の入った列車ではありましたが。地元の人々が普通に乗っては降りていきます。
ECについて。長時間の乗車なので1等車を予約しましたが、空いている上にクーラーが効いていて、非常に快適でした。後に数回2等車に乗る機会がありましたが、夏の2等は非常に混んでいる上にクーラーの効きが極めて悪かった。しかも、ポーランドのTLKと違って窓が開かない!暑い!命の危険を感じる…!!
というわけで、2時間以上EC(特に夏の)に乗る場合は1等車がお勧めだと思います!!!
で、ともかく「プラハ」号1等車は快適、かつ、安全でした。ただ、なぜか25分遅れの運行に。その後乗ったどの特急も10分程度遅れました。
写真は食堂車でのお昼ごはんです。 -
見ていると、食堂車は1等車と2等車の境目にあることが多いようです。仕切り代わりに使われているのか?
で、日本では見かけなくなった憧れの食堂車!でランチだワーイ!
大混雑を勝手に予想していましたが、12時半くらいに行っても私を含めて2人しかお客はいません。席に座ると、恰幅の良いウエイターさんがニコニコしつつメニューを持ってきてくれます。
「プラハ」号の食堂車はチェコ鉄道の運営によることがメニューに記してあります。初めてのチェコ料理!居心地の良いソファに座れて、高まる期待。
2500円くらいだろうとこれまた勝手に考えていましたが、本日のメニューが8.5ユーロ。日本人にとってはお手ごろです。また、支払いは列車の通過する国の全ての通貨(「プラハ」号ではズウォティ、コルナ、ユーロ)が使え、おつりもその通貨で返してくれました。
チップは1割くらいが相場らしい(とガイドブックにあった)。
写真が本日のメニュー。ハンガリー風のグラーシュ(スープ)、チーズのフライ(チェコでよく見る料理)、コーヒー。一口食べて、
…塩辛い…。塩加減の感覚が、ポーランドと激変しています。
でも、大変優雅な時間が過ごせて非常に満足。
いい気分でプラハに着きましたが、向かった宿ではダブルブッキングが発生。予約金10パーセントを前払いしていたにもかかわらず。
下手くそな英語で必死に話し、別の宿の手配と宿泊料5パーセント引きの条件を引き出しましたが、自分の身にこんなことが起こるとは、びっくりです。 -
翌日からプラハ観光開始。
まずは、途中でムハ美術館に寄ったり、両替店を探しつつヴァーツラフ広場へ。かの「プラハの春」「ビロード革命」の舞台です。
しかし、ここに至るまでに散々歩き回り、広場までが延々と続く緩やかな上り道、そして異常な暑さ。今思い返せば日射病気味になっていたのか、この写真を撮った直後に疲れてその場にへたり込み、30分くらいぼんやりしてしまいました。
これはまずいと自覚して、この日はそのまま宿に帰ってさっさと寝てしまったのを記憶しています。 -
気を取り直して、翌日はプラハ城へ。
地下鉄駅から旧登城道を登っていきます。強烈な日差しと白亜の道、壁、深い影が差して、まるで南欧のようだと思いました。こうした場所ではあまり難しいことは考えなくなって、挙句に思考停止していきます。
昔、この道を登った王たち―ボヘミアそして神聖ローマ帝国の支配者達も、白い道の照り返しを受けるうちに思考停止してしまったんだろうか。いやそれはないだろう(今年の暑さが異常なだけです、きっと)。
思考停止状態でチケットを買い、中を順々に見ていきます。他にはアジア系の観光客がたくさんいて、元気に大きな声で笑いながらぞろぞろと歩いていきます。でも、だれも日本人ではありませんでした。プラハですら、日本人をとんと見かけません。よくわからない言葉の大声だけが記憶に残っています。
また疲れて、正門向かって左側の柵の前に腰を下ろして休んでいました。そのうち人が集まってきます。そういえば、正午の衛兵交代があるのでした。どうやらこの位置が特等席!のようです。変なときには運のいい旅行。 -
正午の衛兵交代は音楽つき、15分はかかる大イベントです。
薄い青色の夏服で、サングラスをかけています。汗を全然かいていないのは何故だろう。 -
交代し、盛大なファンファーレが鳴り響いて、終了。
衛兵交代はどこの国で見ても楽しいものです。見終わったときは元気になっていました!
プラハ城内の軍事歴史博物館(火薬塔の中)では、プラハ城の衛兵をはじめ、戦前や社会主義時代の装備や軍服が展示されています。衛兵交代の後に行くと、とても興味深く見ることができました。 -
同じくプラハ城内。これが、かの「プラハ投擲事件」の現場となった窓、だそうです。
下を見下ろすと、確かになかなかの高さです。ただ、投げ落とされた人は偶然にも助かったとか。
つまり、ここから三十年戦争が始まり、神聖ローマ帝国の有名無実化へ至ったわけです。そしてプラハの全盛期も終わります。いろいろなものが終わった場所。
この後カレル橋・王の道と定番観光コースをたどりましたが、何しろ観光客が多いしカレル橋は大工事中だし(ゆえに写真を撮る気になれない)、暑い暑い暑すぎる!どうして観光シーズンに工事をするのか…!
そういえばストラホフ修道院も「黄金小路」も工事中でしたし!
しかも、本当にクーラーのない国です。当然といえば当然なのですが。耐え難い。
そうして歩いていると、あちらこちらの教会でコンサートのチラシを配っています。もらっていると結構な量になりました。夜はその中の一つに入って、涼しくすごしました。 -
その日の食事。牛肉のグラーシュ、クネドリーキ付き。なんだかもう一度、チェコでグラーシュをきちんと食べてみたかった。(グラーシュはハンガリー由来らしいのですが、チェコではどこでも見かけます)
クネドリーキは、味のない蒸しパン。
グラーシュは、これまた塩辛い。こんな勢いで塩分を採って大丈夫でしょうか。
プラハでは、大体どこで食事しても塩がきつかったと記憶しています。 -
観光客の混雑にうんざりした(と宿の同室のアメリカ人に言ったら、「あなたも観光客でしょ!」と笑われました^q^)ので、街を外れ、マラー・ストラナへ。
この地域に入ったとたん、人の流れがぴたり、と途絶えました。延々と続く石畳の坂道、南欧を思わせる強烈な日差し。迷路のようで、進んでいるのが後退しているのか、方向感覚もあいまいになってきます。ただ、見上げればいつも聳え立つプラハ城を目安に、一日中さまよい歩きました。
さて、ところで現在はいつの時代なのか、もわからなくなるような、古い街並み。ボヘミアの、オーストリアの、各時代の人、チェコ人もオーストリア人も旅行者たちも、同様に歩き回ったのでしょう。時間軸が混線したような感覚。
一番プラハらしさを感じられました。どの有名な観光名所よりも。
写真はペトシーン公園からカレル橋方面へ降りていく坂道。(公園内の「鏡の迷路」はすごかったよ!鏡に囲まれて感覚が狂うのが面白い) -
マラー・ストラナを下っていくと、大使館街に出たようです。各国さまざまに雰囲気が違って面白い。
写真は、左がイタリア大使館、右は(逆光でわかりにくいのですが)ドイツ大使館。仲良く向かい合って、マラー・ストラナの高台に建っています。
プラハ城正門前から街を見下ろすと、このドイツ大使館の掲げる連邦旗だけが妙に目立ちます。あまりに目立つので、ここがドイツかと一瞬錯覚しそうなくらいに。
金曜午後だったためか、両方ともさっさと閉館していました。 -
さらに坂を下っていくと、街並みに恐ろしくそぐわないものを発見…。
…米国大使館です。
プラハの街で、星条旗はひどく浮き上がって見えます。
金曜夜のパーティーでもするのか、内部からは英語の陽気な曲が聞こえてきます。アメリカはどこでもアメリカ流です。 -
さらに坂を下り、カレル橋に近い、比較的便利な場所に、ありました!日本大使館です!
こちらは妙に街に溶け込んで、不自然なほどひっそり静まりかえり、なぜか現地職員らしき人々が忙しく出入りしています。
日本大使館のお隣は、どういう関係なのか、デンマーク大使館があった、と記憶しています。 -
翌日は少し時間があったので、ヴァルドシュテイン宮殿へ。世界史ではヴァレンシュタイン将軍として習ったはずの、かの三十年戦争の名将です。
私の行ったときは土・日の朝10時からのみ、宮殿内部を公開していました。しかも無料です!ガイドブックにもあまり載らない穴場だと思います。週末にプラハを訪れる方は是非行ってみてくださいね!
この宮殿は、権勢を誇ったヴァルドシュテイン将軍が、プラハ城と張り合って建設した、ということです。
たしかに内部は絢爛豪華、驚きの空間が広がっています(しかも無料です!!)。
写真は将軍自身の姿だといわれています。宮殿と将軍の末路、三十年戦争の最後を思うと、これまた複雑な気分になります。 -
ところで、プラハで私が食べた限りにおいては、どうもパンがパサパサしていた…。
写真はある日の昼食。市民会館1階で、内部見学のガイドツアーの出発を待つ間に採ったものです。
日本ならさしずめ、銀座の名門カフェのような感覚の場所なのだろう、豪華なアール・ヌーヴォーの内装。それらを眺めつつサンドイッチを注文したのですが、バゲットはやはりパサパサしていました。
さて、なんだか暑くて塩辛くて工事中だった印象ばかりの強いプラハを出発し、次はドレスデンへ移動です。
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