2010/05/27 - 2010/05/27
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5月24日(月)から6月2日(水)までの10日間の日程で、シリア、ヨルダンに出かけました。パルミラ2泊→ダマスカス1泊→アンマン1泊→死海1泊→ ペトラ2泊の7泊10日です。
5月27日(木)午後は2006年に世界遺産に登録されたクラック・デ・シュヴァリエ(Krak des Chevaliers)を観光し、天空の城にふさわしい天真爛漫な地元の子どもたちに出会いました。
クラック・デ・シュヴァリエ(Krak des Chevaliers)は、標高約650mの丘の上に築かれた難攻不落の城砦で、かの有名なイスラムの英雄サラディーンでさえ、この砦を一目見るなり、この攻略を諦めたといわれているほど堅牢さを誇るお城です。ここはもともと11世紀にホムスの王が築いた砦であったが、12世紀になって十字軍の聖ヨハネ騎士団が要塞化し、その後大幅な増改築が行われたそうです。
映画『アラビアのロレンス』で有名になったトーマス・エドワード・ロレンスは、この城を「十字軍の城の中では世界で最も素晴らしい」と評しました。
クラック・デ・シュヴァリエ(Krak des Chevaliers)を観光した後は、ダマスカス(Damascus)に向かい、ホテルで夕食をいただいた後、夜のダマスカス(Damascus)の町を散策しました。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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クラック・デ・シュヴァリエ(Krak des Chevaliers)を観光する前に、すぐそばのレストラン(Restaurant des Chevaliers)で昼食をいただきました。
レストラン内でクラック・デ・シュバリエのガイドブックやお土産も売っていました。
クラック・デ・シュバリエのガイドブック(A5、本文は24ページ)の各国語版を売っていたので、フランス語版を2$で購入し、観光に備えました(残念ながら日本語版はありません)。 -
レバノン風のMezze(メゼ、前菜になるおつまみのような小料理)がドッカーンと出てきました。
キュウリやトマトがそのまま切らずに出てくるのもレバノン風だそうです。太陽の光をいっぱい浴びてできた野菜は、どれも新鮮で、濃い味がしました。
Pita (ピタ、中近東の薄いパン)にHommos(フムス、ヒヨコマメのペースト)をはさんで食べると美味しかったです。
この後、写真は撮っていませんが、地鶏のグリルが出てきて、今回の旅行中で最も美味しく、感激した食事でした。 -
フレッシュ・レモン(ミント入り)は3$で、とっても美味しかったです。
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食後のデザートとして、バナナとプラムが出てきました。
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クラック・デ・シュヴァリエ(Krak des Chevaliers)の入口の階段。
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小さな石がアーチ状に組み合わされている天井。
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内部は通路や階段が迷路のように入り組んでいて、“ガイド付きツアーでないと迷子になってしまうなぁ”と思いました。
内部には順路等の表示がないので、ガイドブック&地図を頼りに自分で見学する場合は、ゆったりと焦らず回れる時間的余裕が必要です。 -
現在では、内堀は一部だけしか見られません。かつては砦全体に堀がめぐらされいたのですが、3度の地震(1157年、1169年、1200年)によりかなりの部分が埋まってしまったそうです。
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約60mの長さの馬小屋兼倉庫。砦内にいた約2,000頭の馬のうち、約250頭がこの部屋に繋がれていたそうです。天井には明かりとりのための小窓が開いていて、厚さ8mの壁には馬を繋ぐための穴が開けられてました。
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クラック・デ・シュバリエは二重の城壁に守られた難攻不落の城であり、1163年にヌールッディーン(Nour Eddin Mahmoud)、1188年のアンタキヤやエルサレムを落としたサラディーン(Saladin)による包囲にも耐えました。
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外壁は周囲約600m、最大厚さ9m。
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突き出した内塔の先から見下ろすと、住居が立ち並ぶ低い丘が見えました。
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城内で見つけた花。
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外側の城壁の上を北に向かって歩いていくと、北西の角に「王女の塔(Tower of Princess)」がありました。
この塔はアーチが3重になっていて、上部に石落としがあります。
「王女の塔」の中にレストラン“Princess Tower Restaurant”があります。 -
直径約2m位の円形の窪みには、かつて風車が建っていて、ここで粉を引いていたそうです。この下に穀物倉庫があります。
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外壁の上からは周囲の街を眺望できました。この地域は雨に恵まれおり、シリアの穀倉地帯となっています。なだらかな丘の斜面が農地になっていました。
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巨大な蟻が激しく行き来していました。
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床に幾つもの穴が開いていますが、ここにワインやオリーブオイルなどを貯蔵していたそうです。
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テーブルの足だけが残っている兵士のダイニングルーム。
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パンなどが焼かれていたオーブン。内部をネズミが走っていました。
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綺麗なアーチ天井。
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廊下の壁やアーチ天井が美しく、進んでは振り返って写真を撮影しました。
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クラック・デ・シュバリエのゴシック式回廊のアーチ天井。十字軍時代、城内はゴシック式で統一されたそうです。
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現地ガイドのフセインさんが、ミンバル(説教壇)に向かってコーランを謳いあげてくださいました。
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礼拝堂の後陣と礼拝堂。12世紀後半、教会として造られましたが、イスラム教徒に支配された13世紀にモスクに改造されたそうです。教会の祭壇は東側に設けられますが、モスクのミフラーブはメッカの方に造られます。壁の所々に、フレスコ画の跡が残されていました。
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内壁内部の北端にある「王女の塔」の屋上で、地元の小学生に会いました。というより、「こんにちは!」と言っただけで、わぁ〜っと集まって来ました。
「英語を話せるの?」とアラビア語で尋ねたら、『アラビア語と英語とフランス語を小学校(もちろん公立)で習っています。日本のことを学校で習うので、よく知っています。あれがアンチレバノン山脈で・・・』と目を輝かせて教えてくれました。
フランス語もすごく上手で、驚きました。アラビア語と英語とフランス語に共通点はないので、勉強が大変だろうと思うのですが・・・。
やはり、教育の影響が大きく、広島や長崎のことを知っている人ばかりです。アメリカに原爆を落とされてもすぐに復興し、技術面が特に素晴らしい、経済大国として、憧れの気持ちで日本を見ている人も多いです。 -
ここで、現地の小学生たちがアンチレバノン山脈(Anti Lebanon Mountains)、アラビア語でエシシャルキ山脈(Jebel esh Sharqi)の方向を教えてくれました。
アンチレバノン山脈は、レバノンとシリアの国境となっている山脈で、最高峰は南部にあるヘルモン山(Mt. Hermon)、アラビア語でシャイク山(Jebel esh Sheikh)の2,814mです。 -
井戸です。
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帰りに少し離れたレストランの近くでバスを停めていただき、クラック・デ・シュバリエの全景を撮影することができました。
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路傍でイチゴや野菜を売っているお店をチラホラ見かけました。鮮やかな色のイチゴが大箱に詰められて並んでいて、バスを停めて、現地ガイドのフセインさんが数箱イチゴを買って積み込んでいました。
うち1箱分はミネラルウォーターで洗い、車内で私たちに試食させてくださいました。 -
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集合住宅用の貯水タンク。
シリアでは、ほとんどの戸建の屋上に赤い貯水タンクが置かれていました。 -
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ダマスカスまで23kmの標識がありました。
右隅の“LEBANON ATTAL”はベイルートのツーリスト・オフィスを指しているのだと思います。
Association of Travel and Tourist Agents in Lebanon (ATTAL)
467 Malab Salam Street, Achrafieh, Salam Bldg., Beirut, LEBANON
Telephone: 961 - 1 324322 & 200176 Fax: 961 - 1 324322 & 200176
E-mail: lebtravl@inco.com.lb -
ダマスカスの中心街の「5月29日通り」に続く「アル・ジャビリ通り」の突き当たりに、ヒジャーズ駅があります。
1917年のオスマン帝国時代に、サウジアラビアのメディナを結ぶ鉄道として建設され、ヒジャーズ駅はその始発駅として造られました。
ヒジャーズ鉄道は第一次世界大戦中、オスマン帝国軍の重要な兵站・物資供給ルートとみなされ、アラブの反乱で立ち上がったアラブ人との戦いで何度も破壊され、特にトーマス・エドワード・ロレンス(アラビアのロレンス)に率いられたゲリラ部隊が鉄道を襲い破壊し続けました。
現在でもそのほとんどの区間は廃線となっていて、この駅も現在は駅としては利用されておらず、展示館となっています。
ヨルダンのアブドゥッラー2世就任以来、ヨルダンとシリアの関係が改善し、両国を結ぶ鉄道に対する興味が蘇りつつあるそうです。ダマスカス側の始発駅として、5kmほど離れた郊外のカダム駅から列車は出発しています。 -
ダマスカスでは自転車屋さんを沢山見かけました。
市内交通としては、セルビスと呼ばれる乗り合いワゴンが様々なルートで走っており、10シリアポンドで簡単に移動することができます。ですが、車の価格が市民の手が届くほどに落ち着いたために、多くの市民が車を所有しています。夕方になるとダマスカスの町は車の大渋滞で、大気汚染や騒音が問題になっているようです。
少し前の原油価格の高騰が原因なのか、ダマスカス市内では環境に優しい自転車が見直されています。イスラムの女性が自転車に乗る習慣はないので、男性や子どもの手軽な乗り物として自転車が広まっているようです。 -
ダマスカス(Damascus)の郊外(市内中心部から約15km、空港から約15km)のSafir Sayida Zainab Hotel Damascus(Saiyda Zainab Main St, Damascus)のロビー。客室数155。
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Safir Sayida Zainab Hotelの客室。
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Safir Sayida Zainab Hotelの客室に用意されていたウェルカムセット(ミネラル・ウォーター、コーヒー&ティーセット、チョコレートムース、お菓子、フルーツ)。
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Safir Sayida Zainab Hotelでいただいた夕食の前菜。
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夕食のメインディッシュはカバーブ、コフタ、シカーブ、ポテト。
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夕食後、20時20分頃からホテル近辺のスーク(市場)めぐりに出かけました。
女性を撮影できないので、説明だけになりますが、家族連れ、女性だけのグループ、子どもが大勢ショッピングを楽しんでいて、活気が満ちていました。夜22時ぐらいまで営業しているのでしょうか。お店によってはもっと開いているような気がしました。 -
ダマスカスには、モスクが本当にたくさんあります。添乗員のYさんから聞いた話では、「シリア国内に約5,000のモスクがあり、うち815はダマスカス市内にあります。」とのことです。
ミナレット(礼拝を呼びかけるための高い塔)を目印にモスクを見つけることができます。 -
ホテルの近くにモスクがあれば、夜もライトアップされた綺麗なモスクを簡単に見に行けると喜んでばかりはいられなかったです。
朝5時頃大音量のアザーンで叩き起こされました。朝が苦手な私には辛いことでした。 -
ダマスカスのスーク内には婦人服のお店が沢山ありました。
現地の女性を撮影しないように工夫したつもりが、お一人だけ写ってしまいました。最初はもっと若い、マネキンと見分けがつかない女性が大勢で熱心に物色していらっしゃって、お店の奥に入って行きました。
こちらでは、黒い服で、目以外は隠した女性がほとんどです。私も、手と顔以外はすべて隠れる服装で、髪は帽子で隠して過ごしていました。
日本では相手の目を見て話すのがエチケットですが、イスラーム国では、女性が男性の目を見たり、笑顔を向けたりすることが、エチケット違反になり、大きな誤解を招くので、現地に行かれる場合は、十分注意してください。 -
イラン産のサフランを買うために入った香辛料のお店。
サフランは店の奥に保管されているので、「ハル アインダクン ザフラン?(サフランはありますか?)」と尋ねて、男性店員の方に取りに行っていただきました。
待っている間、店主と近所の方が話をしているテーブルの傍の椅子に座るよう勧められ、写真もOKと許可をいただいたので、撮らせていただきました。
ちなみに、英語は数字もほとんど通じず、値段は紙に書いていただきました。(汗) -
先ほどの香辛料を買ったお店の出入り口には、アレッポ石鹸が山積みにされていました。
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スークで見かけたシャーイ(紅茶)売り。
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ダマスカスの旅行社。遅くまで営業していました。
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アンティークのお店。
この日は木曜日で、翌日の金曜日は、安息日のためスーク(商店街)がお休みということもあり、夜遅くまで大変な賑わいでした。
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