2010/05/27 - 2010/05/27
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5月24日(月)から6月2日(水)までの10日間の日程で、シリア、ヨルダンに出かけました。パルミラ2泊→ダマスカス1泊→アンマン1泊→死海1泊→ ペトラ2泊の7泊10日です。
5月27日(木)午前中はハマ(Hama)の水車、大モスク、アン・ノウリ・モスクを観光しました。
ハマ(ハマー、Hama、 アラビア語: حماة、「要塞」の意)は、シリア(シリア・アラブ共和国)西部のオロンテス川中流にある都市で、ハマー県の県都です。人口は410,000人を数え、ダマスカス、アレッポ、ホムス、ラタキアに次ぐシリア第5の都市にあたります。
シリアの農業および工業の中心地で、オロンテス川(Orontes River)沿いに広がる古い街には合わせて16台の大型水車(ノーリア)があり、かつて、川床が低く水面も低いオロンテス川から、用水路や農地へ灌漑を行うために水車が使われていましたが、現在ではもっぱら観光用として、庭園に水を供給するために使われています。水車の歴史は紀元前1100年頃までに遡るとされています。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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パルミラで2泊したSemiramis Hotel Palmyra(セミラミス ホテル パルミラ)の外観。
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パルミラからハマに向かう途中、砂漠のど真ん中に建設中の建物を発見しました。近年、イランやシリアとの関係を強化しているカタール(Qatar)の王様の別荘だそうです。
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天然ガス発電所。煙突から炎が上がっているのが見えました。
シリアは以前は水力発電だけで足りていたのですが、近頃は天然ガスや石油が見つかり、火力発電に切り替えているそうです。 -
7時30分にホテルを出発し、途中、8時52分頃トイレ休憩を取ったレストラン。
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道路沿いに、アサド大統領とお兄さん(個人)と父親の3人の看板を見つけて、自分で指を指しながら、1枚撮影しました。一瞬のシャッターチャンスでした。
アサド大統領は眼科医になるため、ロンドン大学に留学していましたたが、1994年1月に兄(バーセル)が事故死したため、ロンドン大学における留学を中断し、帰国(29歳)し、大統領職を継いだ異色の経歴の持ち主です。
ちなみに弟(マーヘル、マジド)も病死していて、現在は姉(ブシュラー)がいるだけです。 -
シリアの住宅は、木材がないためか、ほぼすべて石やレンガ造りで、家族数の増加にあわせた建て増しを前提とするため、完成していても屋根の上に柱を残した状態で暮らしています。
ワンフロアの面積は広く、大きな住宅が多かったです。
また、地震がないのか、基礎や柱が少ない住宅が多かったです。 -
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撮影できないので、説明だけになりますが、軍人を乗せたのバスがよく走っていました。バスから手を振ると、ニコニコしてこちらを見ている愛想の良さそうな軍人さんが多かったです。
シリアはバース党一党支配で、強い軍政を敷いていて(対イスラエル)、観光地以外の街中では、至るところで銃を持った軍隊、警官(制服、私服)を見かけました。 -
走っている道路の両脇にはユーカリの木が植えられていて、場所によっては強風で曲がっていました。
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ハマ(Hama)の街に入ってきました。日本車も沢山走っていました。
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ハマ(Hama)には16の木製水車があって、中世の頃は、利水、灌漑用に使われていて、裏側には古い水道施設があったそうです。
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ハマの街には、オロンテス川が街の中心を蛇行し、そのほとりにいくつもの巨大な水車が回っていて、ハマを代表する風景になっています。
「ギィーッ、ギィーッ、ギィーッ、ガタン」と重い音を軋ませて、水車が回っていました。 -
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ハマ(Hama)の人たちの服装も変化に富んでいて、見ていて楽しかったです。
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1982年2月に、スンニ派社会の中心であったハマ(Hama)の街でムスリム同胞団による反政府暴動が発生し、シリアは大統領親衛隊、特殊部隊、空軍を動員してこれを強硬に鎮圧し、ムスリム同胞団ばかりでなく一般市民の多くが逮捕・拷問・処刑され、歴史的建造物やモスクを含むハマ市街そのものが大規模な空爆で破壊され、20万人弱の人口のうち1万数千人が犠牲になり、そのほとんどが一般市民だったそうです(ハマ事件)。
現在の穏やかな街の様子からは想像もつかないことですが、シリアの他の街と違って、ハマにはアサド政権をよろしく思わない市民が多いとのことです。 -
旧市街の南東400mのところにある大モスク(Grand Mosque)。
ダマスカスのウマイヤド・モスクと同じように元はキリスト教の教会だったものが、イスラム教のモスクに転用されたそうです。
968年のビザンチン軍の再征服の際に建物がかなり破壊され、1982年のハマ事件で、ムスリム同胞団の動乱による爆撃により完全に破壊され、その後新たに再建されたそうです。 -
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ハマ(Hama)にもテル(tell)と呼ばれる人工の丘がありました。
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この旅行で唯一曇った日でした。
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1172年にイスラム軍司令官で、サラディーン(Saladin)の叔父であるムスリムの軍司令官ヌレディン(Nureddin)によって建てられたアン・ノウリ・モスク(An Nouri Mosque)。ミナレットは黒の玄武岩と黄色の石灰岩でできていて、3つの水車(ノリア)があります。
サラディーン(Saladin)はもともとクルド人の騎士。 -
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"Le Jardin"というアン・ノウリ・モスクと水車が見えるレストランでトイレ休憩(10:55〜11:04)を取りました。
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