ストラトフォードアポンエイボン旅行記(ブログ) 一覧に戻る
休みにはShakespeare Country Tourに参加。<br />日帰りの1日ツアーで?17.00 当時のレートで<br />約¥6,800ほど。<br />ストラトフォード・アポン・エイボンの途中には<br />Oxfordにそして帰りにはCotswoldsに寄り道。<br />そして翌週にはもちろんまたビジネス。ロンドン<br />市内の会社。一方イングランド西部のベイジング<br />ストークへの日帰り出張と続く。<br />写真はシェークスピア子孫の住居とタウンホール。<br />(この記録をUPしてから10年にもなります。<br />Title を32年前のEnglandの旅から修正しましたー<br />2019年5月)<br />(そして当時その元となった私のHome Pageは<br />以下です http://travelingmaki.kilo.jp/stratford1978.html )<br />

40年前のEnglandの旅 (4) Stratford-upon-Avon & Basingstoke

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1978/06/18 - 1978/06/22

105位(同エリア148件中)

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YOSHITO

YOSHITOさん

休みにはShakespeare Country Tourに参加。
日帰りの1日ツアーで?17.00 当時のレートで
約¥6,800ほど。
ストラトフォード・アポン・エイボンの途中には
Oxfordにそして帰りにはCotswoldsに寄り道。
そして翌週にはもちろんまたビジネス。ロンドン
市内の会社。一方イングランド西部のベイジング
ストークへの日帰り出張と続く。
写真はシェークスピア子孫の住居とタウンホール。
(この記録をUPしてから10年にもなります。
Title を32年前のEnglandの旅から修正しましたー
2019年5月)
(そして当時その元となった私のHome Pageは
以下です http://travelingmaki.kilo.jp/stratford1978.html )

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  • およそロンドンを少し出ると車窓からWindsor<br />Castleが見えた。実際訪れたのはこの時<br />から16年後になる。

    およそロンドンを少し出ると車窓からWindsor
    Castleが見えた。実際訪れたのはこの時
    から16年後になる。

  • ロンドン市内から北西に150キロの<br />Stratfordーupon-Avonに向う。<br /><br />

    ロンドン市内から北西に150キロの
    Stratfordーupon-Avonに向う。

  • ロンドンを離れて20分も行かない内に<br />緑の絨毯。そしてのんびりとその草を食む<br />牛達の姿。私にとってはこれもまた一種の<br />カルチャーショック。

    ロンドンを離れて20分も行かない内に
    緑の絨毯。そしてのんびりとその草を食む
    牛達の姿。私にとってはこれもまた一種の
    カルチャーショック。

  • 当時の私には家並が途切れる事の無い東京<br />とその郊外の関係しかイメージ出来なかった。<br />それが都心から少し走っただけで一変した景色。<br />ほとんどメルヘンの世界に変っていた。

    当時の私には家並が途切れる事の無い東京
    とその郊外の関係しかイメージ出来なかった。
    それが都心から少し走っただけで一変した景色。
    ほとんどメルヘンの世界に変っていた。

  • バスはオックスフォード・シェアに入っ<br />てきた。この川はテムズ川の上流だろうか。

    バスはオックスフォード・シェアに入っ
    てきた。この川はテムズ川の上流だろうか。

  • これもバスの車窓からのスナップ。

    これもバスの車窓からのスナップ。

  • オックスフォード市内。

    オックスフォード市内。

  • オックスフォードのCoffee Shoppe

    オックスフォードのCoffee Shoppe

  • 何カレッジだったか覚えていない。

    何カレッジだったか覚えていない。

  • 立ち寄ったパブでのスナップ。<br />ピンボケ写真。

    立ち寄ったパブでのスナップ。
    ピンボケ写真。

  • オックスフォードのあと途中下車したの<br />はウッドストックのブレナム宮殿。<br />しかし門は閉ざされていた。

    オックスフォードのあと途中下車したの
    はウッドストックのブレナム宮殿。
    しかし門は閉ざされていた。

  • 門扉の間からシャッターを切っていた。<br />ウッドストックを再び訪れ宮殿に入った<br />のは実に23年後の一人ドライブの折だった。

    門扉の間からシャッターを切っていた。
    ウッドストックを再び訪れ宮殿に入った
    のは実に23年後の一人ドライブの折だった。

  • ブレナム宮殿からすぐ近くの小さな教会。<br />実はここにはブレナム宮殿の主でもあった<br />チャーチルが眠っている。

    ブレナム宮殿からすぐ近くの小さな教会。
    実はここにはブレナム宮殿の主でもあった
    チャーチルが眠っている。

  • 墓碑銘にはWinstone Leonard Spencer <br />Churchill 1874-1965 と刻まれている。<br />イギリスの偉大なる政治家の墓は実に<br />シンプルであった。

    墓碑銘にはWinstone Leonard Spencer 
    Churchill 1874-1965 と刻まれている。
    イギリスの偉大なる政治家の墓は実に
    シンプルであった。

  • ウッドストックから50キロも走った<br />だろうか。やっとストラトフォード・アポ<br />ン・エイボンに着いた。<br />お昼は17世紀シェークスピアと同時代の建<br />物と言われるシェークスピア・ホテルで頂<br />く。天井はとても低い木造家屋であるが<br />400年の重い歴史を感じる。

    ウッドストックから50キロも走った
    だろうか。やっとストラトフォード・アポ
    ン・エイボンに着いた。
    お昼は17世紀シェークスピアと同時代の建
    物と言われるシェークスピア・ホテルで頂
    く。天井はとても低い木造家屋であるが
    400年の重い歴史を感じる。

  • ストラトフォード・アポン・エイボン<br />のタウン・ホール。

    ストラトフォード・アポン・エイボン
    のタウン・ホール。

  • シェークスピア夫人のアン・ハサウエーの<br />実家。屋内の写真は暗くて厳しい。

    シェークスピア夫人のアン・ハサウエーの
    実家。屋内の写真は暗くて厳しい。

  • ストラトフォード・アポン・エイボン<br />市内風景。

    ストラトフォード・アポン・エイボン
    市内風景。

  • 右の女性はガイドのMrs.Thomas Fujii

    右の女性はガイドのMrs.Thomas Fujii

  • シェークスピア生家の前で。<br />ツアーで一緒だった大阪の信国さん一家。<br />JALの現役スタッフの娘さんが嫁ぐ日を控<br />えてご家族での英国旅行と伺った。<br />以来32年日本でお会いする機会はないが<br />年賀状は続いている。<br />私はこの数年前に神戸勤務から東京に戻っ<br />たばかりだった。

    シェークスピア生家の前で。
    ツアーで一緒だった大阪の信国さん一家。
    JALの現役スタッフの娘さんが嫁ぐ日を控
    えてご家族での英国旅行と伺った。
    以来32年日本でお会いする機会はないが
    年賀状は続いている。
    私はこの数年前に神戸勤務から東京に戻っ
    たばかりだった。

  • シェークスピア生家の正面入口前で。<br />これから丁度20年後に再訪した時はこの<br />正面入口は閉ざされていた。

    シェークスピア生家の正面入口前で。
    これから丁度20年後に再訪した時はこの
    正面入口は閉ざされていた。

  • シェクスピア演劇の常設館である<br />Royal Shakespear Theater

    シェクスピア演劇の常設館である
    Royal Shakespear Theater

  • 劇場前の広場で寛ぐ人々。

    劇場前の広場で寛ぐ人々。

  • 市内を流れるエイボン川。

    市内を流れるエイボン川。

  • ロンドンへの帰途に途中下車したコッツウ<br />ォルズの村で。この藁葺きの家が何処の村<br />であったか残念ながら覚えていない。

    ロンドンへの帰途に途中下車したコッツウ
    ォルズの村で。この藁葺きの家が何処の村
    であったか残念ながら覚えていない。

  • 翌週からはまたビジネスに戻る。<br />ロンドン市内のアメリカのUniversity<br />Microfilm International社の英国<br />支社を訪ねる。<br />Mr.Mcloughlin マックラハリン部長<br />に面談。彼はこの時が初対面であった<br />がその数年後東京で再会した折には<br />オランダの出版社の部長の名刺を受け<br />取った。

    翌週からはまたビジネスに戻る。
    ロンドン市内のアメリカのUniversity
    Microfilm International社の英国
    支社を訪ねる。
    Mr.Mcloughlin マックラハリン部長
    に面談。彼はこの時が初対面であった
    がその数年後東京で再会した折には
    オランダの出版社の部長の名刺を受け
    取った。

  • 朝9時 Taylor & Francis社のスタン<br />レー・ルイス社長が私の泊るヒルトン・<br />ホテルに自ら運転する車で迎に来てくれた。<br />私は彼とは前年東京でお会いしていた。<br />当時ロンドン・オフィスとは別に本社はロ<br />ンドンから7,80キロ西のBasingstokeに<br />あった。<br />写真は本社で私と打ち合わせ中のルイス氏。

    朝9時 Taylor & Francis社のスタン
    レー・ルイス社長が私の泊るヒルトン・
    ホテルに自ら運転する車で迎に来てくれた。
    私は彼とは前年東京でお会いしていた。
    当時ロンドン・オフィスとは別に本社はロ
    ンドンから7,80キロ西のBasingstokeに
    あった。
    写真は本社で私と打ち合わせ中のルイス氏。

  • ベージングストークは英国南部のハンプシ<br />ャー州にある。近年はIBMやエクソンとハ<br />イテク企業が集っている街だが当時は静か<br />な田舎町と言って良かった。<br /><br />テイラー&フランシス社は18世紀末創業の<br />英国でも屈指の学術出版社であった。<br />丁度前年1977年には同社の会長ネヴィル・モットー博士<br />(前ケンブリッジ大学教授)はノーベル物理学賞を受賞されていた。

    ベージングストークは英国南部のハンプシ
    ャー州にある。近年はIBMやエクソンとハ
    イテク企業が集っている街だが当時は静か
    な田舎町と言って良かった。

    テイラー&フランシス社は18世紀末創業の
    英国でも屈指の学術出版社であった。
    丁度前年1977年には同社の会長ネヴィル・モットー博士
    (前ケンブリッジ大学教授)はノーベル物理学賞を受賞されていた。

  • 本社では主だった役員とスタッフを集めて<br />私に紹介してくれた。その中の一人<br />Production Director Mr.Sibley<br />午後には彼が印刷の現場を案内してくれた。<br />本社ビルの裏には大きな印刷工場があった。<br />彼の英語は酷いコクニー訛りで、ただでさえ<br />よく判らなかった私にはまるでドイツ語でも<br />聞いている感じだった。しかし彼は好漢だ<br />った。<br /><br />二年後この田舎町に再訪した折にも彼にお会<br />いしているが、後年アムステルダム出張中に<br />客死したと言う訃報に接した。

    本社では主だった役員とスタッフを集めて
    私に紹介してくれた。その中の一人
    Production Director Mr.Sibley
    午後には彼が印刷の現場を案内してくれた。
    本社ビルの裏には大きな印刷工場があった。
    彼の英語は酷いコクニー訛りで、ただでさえ
    よく判らなかった私にはまるでドイツ語でも
    聞いている感じだった。しかし彼は好漢だ
    った。

    二年後この田舎町に再訪した折にも彼にお会
    いしているが、後年アムステルダム出張中に
    客死したと言う訃報に接した。

  • 帰りはルイス氏が駅まで見送ってくれ<br />Waterlooまでの切符をさりげなく私に<br />手渡してくれた。<br />後年彼を箱根に案内する機会があった。

    帰りはルイス氏が駅まで見送ってくれ
    Waterlooまでの切符をさりげなく私に
    手渡してくれた。
    後年彼を箱根に案内する機会があった。

  • ロンドンのウオータールー駅を後年訪れた<br />時にはパリへのユーロスター鉄道のターミ<br />ナル駅。しかし最近それはセント・パンク<br />ラス駅に移ったと聞く。<br />ロンドン・アイへ行く時の最寄駅であるの<br />は変らない。

    ロンドンのウオータールー駅を後年訪れた
    時にはパリへのユーロスター鉄道のターミ
    ナル駅。しかし最近それはセント・パンク
    ラス駅に移ったと聞く。
    ロンドン・アイへ行く時の最寄駅であるの
    は変らない。

  • ロンドンから帰国の段になってトラブルが<br />発生した。それは当時では特に珍しい事態<br />ではなかったがJALの帰国便がストにぶつ<br />かった。<br />急遽PAN AM パンアメリカン航空に振替え。<br />当時日英間を日英国以外の航空会社が飛んで<br />いたのは如何にPAN AMが世界最大の翼であ<br />ったかと言う証左でもある。<br /><br />マンハッタンに巨大な本社ビルを構えていた<br />パンナムが1991年末にはまさかの倒産に見舞<br />われる。それは80年代にはいって航空業界の<br />規制緩和による価格競争、そして直接のきっ<br />かけはスコットランド上空での爆破事故の<br />発生。<br />

    ロンドンから帰国の段になってトラブルが
    発生した。それは当時では特に珍しい事態
    ではなかったがJALの帰国便がストにぶつ
    かった。
    急遽PAN AM パンアメリカン航空に振替え。
    当時日英間を日英国以外の航空会社が飛んで
    いたのは如何にPAN AMが世界最大の翼であ
    ったかと言う証左でもある。

    マンハッタンに巨大な本社ビルを構えていた
    パンナムが1991年末にはまさかの倒産に見舞
    われる。それは80年代にはいって航空業界の
    規制緩和による価格競争、そして直接のきっ
    かけはスコットランド上空での爆破事故の
    発生。

  • しかしこの振替えが曲者だった。南回りで<br />あった。当時北周りはアンカレッジが唯一<br />の寄航であったがロンドンを飛び立って<br />フランクフルトー>テヘランー>バンコッ<br />クー>香港ー>成田と飛んだ。

    しかしこの振替えが曲者だった。南回りで
    あった。当時北周りはアンカレッジが唯一
    の寄航であったがロンドンを飛び立って
    フランクフルトー>テヘランー>バンコッ
    クー>香港ー>成田と飛んだ。

  • これもイランのテヘラン・メハラバード空<br />港。奥の壁にはバーレビ国王の写真が掲げ<br />られていた。実はこの半年後にはイラン革<br />命がおきて国王は追放されている。

    これもイランのテヘラン・メハラバード空
    港。奥の壁にはバーレビ国王の写真が掲げ
    られていた。実はこの半年後にはイラン革
    命がおきて国王は追放されている。

  • やっとタイまで辿り着いた。何しろ私はこの<br />時が始めての海外旅行である。無事仕事を終<br />えたと言う安堵感や達成感こそあったが慣れ<br />ない外国でビジネスをやる事の難しさや苦労<br />は充分味わっていた。

    やっとタイまで辿り着いた。何しろ私はこの
    時が始めての海外旅行である。無事仕事を終
    えたと言う安堵感や達成感こそあったが慣れ
    ない外国でビジネスをやる事の難しさや苦労
    は充分味わっていた。

  • バンコク空港。飛行機の整備の名目で実に<br />3時間も機内に閉じ込められた。<br />私は飛行機では寝れないので既に疲労困憊。<br />その上行きのJALのスチュワーデスと違って<br />パンナムのごついおばさんのきつい英語は<br />余計応えた。<br />唯一若さと好奇心が疲れた私の心身を日本<br />まで支えてくれた。

    バンコク空港。飛行機の整備の名目で実に
    3時間も機内に閉じ込められた。
    私は飛行機では寝れないので既に疲労困憊。
    その上行きのJALのスチュワーデスと違って
    パンナムのごついおばさんのきつい英語は
    余計応えた。
    唯一若さと好奇心が疲れた私の心身を日本
    まで支えてくれた。

  • 香港に到着。勿論香港の旧啓徳空港。<br />この空港は1998年に廃港になり別の地<br />に香港国際空港がオープンしている。<br />跡地は2013年には大型客船のターミナ<br />ルが完成するという。

    香港に到着。勿論香港の旧啓徳空港。
    この空港は1998年に廃港になり別の地
    に香港国際空港がオープンしている。
    跡地は2013年には大型客船のターミナ
    ルが完成するという。

  • 実際に観光で香港を訪ねる機会があった<br />のはこれから7年後である。

    実際に観光で香港を訪ねる機会があった
    のはこれから7年後である。

  • 香港の免税店。<br />沢山の日本人がいた。

    香港の免税店。
    沢山の日本人がいた。

  • ここも香港の免税店。<br /><br />香港を発って10日ぶりに着いた成田空港は<br />もう深夜に近かった。ロンドンを発ってか<br />ら既に29時間が過ぎていた。<br />私は空港からタクシーを飛ばして当時住んで<br />いた立川の自宅に着いたのは既に1時を回っ<br />ていた。<br />翌朝は土産物も持参で新宿の本社に出社して<br />いた。

    ここも香港の免税店。

    香港を発って10日ぶりに着いた成田空港は
    もう深夜に近かった。ロンドンを発ってか
    ら既に29時間が過ぎていた。
    私は空港からタクシーを飛ばして当時住んで
    いた立川の自宅に着いたのは既に1時を回っ
    ていた。
    翌朝は土産物も持参で新宿の本社に出社して
    いた。

  • 初めての英国旅行からはや40余年。光陰矢の如し。<br />Londonには8度ほど訪れる機会があり、2冊の英国旅行紀と<br />写真の個展を開いた。<br />現在はこの書斎で趣味のDVD制作を続けている。<br />しかしこの旅でお会いした英国人、日本人の何人かは既にない。<br />何と残酷な時の流れ!<br />      2019年5月     合掌   牧義人

    初めての英国旅行からはや40余年。光陰矢の如し。
    Londonには8度ほど訪れる機会があり、2冊の英国旅行紀と
    写真の個展を開いた。
    現在はこの書斎で趣味のDVD制作を続けている。
    しかしこの旅でお会いした英国人、日本人の何人かは既にない。
    何と残酷な時の流れ!
          2019年5月     合掌   牧義人

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