2010/03/20 - 2010/03/20
243位(同エリア1201件中)
みにくまさん
彦根城の城下町にある、昔の町並みを残した道「夢京橋キャッスルロード」。
前回の旅行の時はこの道を歩かなかったので、今回はしっかりと見てきました。
その後でお城の方を見たら、彦根城博物館の前に人だかりが。
何かと思って近づいて行ったら、ひこにゃんがいました!
私たちはひこにゃんを見るのは初めてだったので、嬉しかったです。
その後はお気に入りの店で、おだんごをたべるのであった。
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彦根城中堀
今日は彦根城まで来ましたが、天守の方には向かわず、夢京橋キャッスルロードへ行きます。
天守は前回の旅行でたっぷり見てきたので、今回は時間も限られていることだし、いいかな〜と。
彦根城の旅行記は↓(写真枚数119枚、とても重いので注意!)
◎ 国宝 「彦根城」
2009/09/19
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10379501/ -
夢京橋キャッスルロード
彦根城中堀にかかる京橋の正面にまっすぐ広がる通りが「夢京橋キャッスルロード」です。 -
夢京橋キャッスルロード
◎ 夢京橋キャッスルロードの歴史
城下町の伝統を継承した格子窓、袖壁、白壁、軒庇が続く町並み……古くて新しいOLDNEW TOWNが「夢京橋キャッスルロード」です。
現在の夢京橋キャッスルロードがある彦根市本町は、慶長8年(1603年)彦根城築城とともに城下町の町割りがこの本町から始められたという歴史ある町でした。 -
夢京橋キャッスルロード
道路幅6メートル、当時の風情を残しながら現代に至ったこの町は、世の中の近代化と効率化に取り残され、昭和60年(1985年)都市計画道路本町線の街路整備を実施することになり、この通りの風情を壊すことなく伝統的な町並みを再生することにより、活性化を図ることになりました。 -
夢京橋キャッスルロード
このまちづくりの特徴は住民主導で行われ、歴史と伝統を今に活かし、建物の形態と色彩を新しい時代にマッチした城下町づくりにあったと言えます。
平成11年(1999年)にすべての整備を終えて生まれ変わった「夢京橋キャッスルロード」。古くて新しい町へぜひ足を運んでみてください。
(夢京橋キャッスルロード公式HPより) -
夢京橋キャッスルロード
さすがに国宝彦根城下。
この通りにはけっこうたくさんの観光客の方がいました。
みんな明日の「全国古式砲術鉄砲サミット in 彦根」を見に集まっているのかな?なんて考えたり。 -
浄土宗 宗安寺
◎ 幕末彦根の左右を決めた寺
本尊は淀殿の念持仏
宗安寺(そうあんじ)の始まりは群馬県高崎市の安国寺に由来しており、徳川四天王の武将といわれる井伊直政公が深く関わっている。
直政公は1590年に神奈川県の小田原征伐などの戦いで功績をあげ、同年の徳川家康公の関東入国とともに上野箕輪城十二万石を与えられた。その際、正室の両親の供養のために荒廃していた安国寺を復興した。
そして、直政公は1600年の関が原の戦いでの勲功を称えられて石田三成公の近江佐和山城の城主に。そこで安国寺も付近にと城のそばに高崎安国寺を分離させて建立。正室両親の戒名を一字ずつとって宗安寺と改名した(住持成誉典応上人が開山上人となっている)。
江戸幕府が開かれた1603年、彦根に城を移し、宗安寺も現在の位置に移築された。 -
浄土宗 宗安寺
宗安寺は井伊家の強大な保護を受け、家康公死去後、同じ浄土宗ということで家康公の位牌奉安所となり、藩主自ら参拝にくるようになった。
また当時、城下町のほぼ中心に位置していた宗安寺は隆盛をきわめ、1695年には僧侶35人・寺男11人・塔頭四庵・末寺八ヵ寺を有し、本山クラスまでになった。
ところが、1701年の彦根大火で佐和山城正門だった赤門(現存)を残して全焼。翌年に長浜城付属御殿をもらい受け、本堂とした。
その後も彦根藩の集会所の役割や藩士の会合、朝鮮通信使の宿、幕末には彦根藩が幕府側か朝廷側のいずれにつくかの会議所などとして使われ、彦根の左右を決める所となっていた。
本尊は大坂夏の陣で井伊家臣が大坂城の仏間から拝持した淀殿の念持仏と言われているもので、修復の際、「文永七年(1270)……佛子阿澄」と記された写経や写仏が体内から多数発見され、県の文化財に指定されている。
また、家康公の位牌を祀る権現堂や先の朝鮮通信使の肖像画(市の文化財)など寺宝も数多い。 -
赤門礎石
宗安寺赤門は石田三成公(1560〜1600)の佐和山城表門を移築したと伝えられ、馬に乗って駆け込めるように敷居がない。
元禄時代の彦根大火にも焼けずに残ったが、平成8年に道路拡幅のため、およそ390年ぶりに移動、この礎石は移動前のものである。 -
浄土宗 宗安寺
境内
「イメメン武将、木村重成の生涯を講談」
私たちが行った時、ちょうどこの講談をしている時間でしたが、境内はひっそりとしており、実際にやっていたのかどうか不明です。 -
鬼瓦 天明4年(1784)作
宗安寺本堂は彦根大火で焼失の後、長浜城御殿を拝領し、元禄15年(1702)に再建された。
この鬼瓦は長年風雨にさらされ、今般平成9年(1997)平成の大改修大屋根工事において、大役を終えて降ろされたものである。
高さ 2.6m
横幅 2.5m
現在の鬼瓦も同じ大きさのもの。
三ツ葉葵の紋は、棟の中央に上げられていた、旧避雷針を支えていたものである。 -
鬼瓦 天明4年(1784)作
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本堂
1702年に長浜城御殿を移築したもの。
本尊の阿弥陀如来は、元和元年5月、大坂夏の陣に従軍した藤内氏が持ち帰った、淀君が拝礼したとされる霊仏。
(藤内氏って誰??) -
夢京橋キャッスルロード
宗安寺前から城の方を見たところです。 -
自転車タクシー
表門から
キャッスルロードまで 500円
4番町スクエアまで 600円
駅まで 1000円
(定員2名) -
彦根藩善利組組屋敷(ひこねはんせりぐみくみやしき)
彦根の城下町の建設は、今から約400年前、彦根城の建築と同時に進められました。
彦根藩の足軽衆の組屋敷は、城を守る役割を果たすため、城下町の一番外側に置かれたもので、ここ善利組の他、中藪組、大雲寺組、切通上下組などがありました。
善利組は、元和3年(1617)に外濠と芦川に挟まれた東西約750m、南北約300mの地域に置かれ、天保7年(1836)のご城下惣絵図によれば、約700戸を数え、最も大きな組でした。
町なかの通りは、幅1間半(約2.7m)と狭く、また「どんつき(行き止まり)」や「くいちがい」があって見通しが悪く、防御の役割を果たしていました。
屋敷は通りに面して木戸門と堀を構え、母屋は切妻造り、桟瓦葺(波形の瓦・江戸時代に発明され普及した)で、小規模ながら武家屋敷の体裁をとる、彦根藩の足軽組屋敷の特徴を示す構成となっていました。
明治以降、時代の流れとともに多くの足軽屋敷の建物が建て替えられるなどその様相は変わってきましたが、現在もこの芦橋2丁目を中心とする地区は地割りがそのまま残され、また当時の建物が数十棟残り、昔の面影を偲ぶことができます。 -
彦根本町 つぶら餅 分福茶屋
夢京橋キャッスルロードを歩いていたら、つぶら餅というのを見つけました。
何だか餅というよりもタコ焼きみたいな見た目で、どんな味がするんだろうーと思い、1個だけ食べてみました。 -
彦根本町 つぶら餅 分福茶屋
つぶら餅って、あまり聞いたことのない食べ物ですが、近江米の米粉で作ったもちの中につぶあんを詰め込んで、タコ焼きみたいに焼いた食べ物です。
一番外がカリッとしてて、中はモッチリ、真中にはつぶあんが入っています。
出来立てを貰ったので、とっても熱々で、ハフハフしながら食べました。
熱さばかりが印象に残っていて、味はあまり覚えていません(^_^;) -
彦根城内堀
あまりにもお腹が空いたので餅を食べてしまいましたが、実はこの後、お気に入りの店に行って団子を食べる予定なのです。 -
表門橋
内堀沿いをてくてくと歩いて、表門の方へ向かっています。
この辺りに来たところでふと気付く。
表門橋の向うに見えるのは彦根城博物館(表御殿)ですが、そこで何か人が集まっている雰囲気があったのです。 -
桜の木
まだ蕾にもなっていないです。
桜が咲くにはまだ早いですね。 -
彦根城博物館(表御殿)
人が集まっていたところに行ってみると、なんとひこにゃんが登場していました。
さすがひこにゃん、いまでも変わらぬ絶大な人気を示すかのように、たくさんの人を集めています。 -
ひこにゃん
前回の彦根旅行では、タイミングが合わず、ひこにゃんには会えずじまいだったので、今回はとてもラッキーでした。
ショーの時間とかをチェックしていたわけではなく、たまたまショーの時に近くを通りかかっただけなので(*^_^*) -
ひこにゃん
しばらくひこにゃんのパフォーマンスを見ることにします。 -
ひこにゃん
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ひこにゃん
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ひこにゃん
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ひこにゃん
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ひこにゃん
★ トップ写真 ★
とりあえず、一番アップになってる写真で(^_^;) -
ひこにゃん
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ひこにゃん
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ひこにゃん
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ひこにゃん
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ひこにゃん
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ひこにゃん
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ひこにゃん
それにしてもたくさんの人。 -
ひこにゃん
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ひこにゃん
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ひこにゃん
私たちが見ていた時間は約6分くらいですが、本当はもっと長い時間パフォーマンスをしていたみたいです。
そういえば周囲の声を聞いたのですが、最近のひこにゃんは、ちょっと色が黒ずんできたと(^_^;)
確かにちょっと黒っぽく見えました。
旅行記に載せた写真は、あまり汚れが目立たないように白っぽく補正してあります。 -
佐和口多門櫓 重要文化財
彦根城博物館でひこにゃんを見た後は、佐和口の方へ回ります。
櫓の左端には2階2重の櫓が立っていますが、右端は不自然に途切れ、石垣のみの空き地が広がっています。ここにはかつて、2階2重の櫓門が桝形を見下ろすように架かっていましたが、明治初年に解体されてしまいました。空き地はその名残りです。
この空き地の写真を前回撮り忘れたので、今回はしっかりと撮っておきました。 -
さわ泉
佐和口を出て、まっすぐいろは松沿いに歩いて行くと、すぐに見つかります。
ここには前回の旅行の時、3回も通ってお気に入りになりました。
七輪で焼いて作ってくれるおだんごがとっても美味しいんです。
前回の旅行記は↓
★ 彦根城下 和菓子屋さんの絶品だんご 「さわ泉」
2009/09/19
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10379142/ -
さわ泉
席に着くとちょっとしたお菓子を持ってきてくれます。
酒々饅頭(ささまんじゅう)。
酒粕を使った饅頭だそうで、口に入れるとほのかにお酒の香りがしてなかなか美味しいです。 -
生醤油・みたらし
季節によっていろいろなお団子がメニューに並ぶそうですが、本当に美味しいのはこの2種類。
この2種だけは、注文を受けてから七輪で焼いて持ってきてくれるのです。 -
みたらし
美味しさの秘密はもち米にあり?
普通、街中で売られているみたらし団子に使われているもち米に比べて、10倍も値段の張る上等なものを使っているのだそうで、とことん素材にこだわりぬいたご主人自慢の一品です。 -
生醤油
何といっても焼きたての香ばしさが味わえるのが良い。
団子はとろけるような柔らかさで、醤油味との相性が抜群。
ちなみに団子は1本130円です。 -
梅ジュース
さっぱりした飲み物が欲しかったので注文してみました。
この梅ジュースって、前の時もメニューにあったかな〜・・・。ちょっと覚えていないですが、もしかしたら新作か、春限定ジュースかも? -
彦根城
彦根城を撮影するのに、絶好のポイント。
もう少し後なら、桜が咲いてすごく綺麗だったはず。
◎ おしまい
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この旅行記へのコメント (2)
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- おさえんこさん 2012/04/19 20:48:50
- 絶品おだんご
- こんにちは。
はじめまして。
GWに彦根に行く予定で、おだんごのクチコミから
みにくまさんの旅行記に辿り着きました。
さわ泉さんの絶品おだんごに目が釘付けになり、
もう頭の中はおだんごで一杯で、
彦根の一番の目的がおだんごになってしまいました(*^^*)。
彦根城とか夢京橋キャッスルロードも参考になり、
お陰様でGWがすごく楽しみになりました。
また訪問させてもらいます。
おさえんこ
- みにくまさん からの返信 2012/04/19 21:50:35
- RE: 絶品おだんご
おさえんこさん、はじめまして。
彦根の旅行記をみていただき、ありがとうございます。
こちらのさわ泉さんは城の入口付近にあるお店なのですが、店主が本当に気さくな方で、気持ちよくお菓子をいただけます。
お団子は普通のものより少し高いような気がするかもしれませんが、味は折り紙つきなので、一度お試しください。
GWでしたら一番賑やかな時ですね。
彦根城ではひこにゃんが歓迎してくれると思いますので、
是非会ってきてください。
では〜(^o^)/
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