2010/05/04 - 2010/05/04
1103位(同エリア1707件中)
夢見草さん
みどりの日で入園が無料になった小石川後楽園へ。
新緑に囲まれた日本庭園を散策しました。
所要時間:約1時間(1400mコース)
費用:0円(普段の入場料は、一般300円)
庭園概要:
江戸時代初期に回遊式築山泉水庭の大名庭園です。
現在は、国の特別史跡及び特別名勝に指定されています。
この二重指定を受けているのは、都立庭園では浜離宮と後楽園のみです。
水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が、中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造り、二代藩主の光圀が改修しました。
光圀は、明の儒学者の意見をとり入れて「後楽園」と名づけました。
随所に中国の風物を取り入れ、各地の景勝を模した景観が表現されています。
-
小石川後楽園を代表する樹木のシダレザクラ。
-
-
3月のシダレザクラの様子。
-
小廬山。
ブンゴザサで覆われた築山。
中国の景勝地・廬山に似ていることから江戸の儒学者・林羅山が命名しました。 -
涵徳亭。
-
大堰川に架かる渡月橋(とげつきょう)。
京都嵐山の「渡月橋」の名をとっています。 -
中国の名勝地西湖を模した西湖(さいこ)の堤。
-
大堰川(おおいがわ)。
京都の嵐山の下を流れる大堰川にちなんでいます。
3代将軍家光がしばしば来園し、大泉水の設計と共に助言したと言われています。 -
屏風岩。
家光が、この近くの松の枝に手ぬぐいを掛け、河原の石に腰をおろしたそうです。 -
-
渡月橋を振り返った眺め。
-
大堰川の沢渡り。
-
清水観音堂跡。
京都清水寺を写した観音堂は、関東大震災で消失しました。 -
通天橋(つうてんきょう)。
京都の東山東福寺の「通天橋」にならった橋。 -
得仁堂(とくじんどう)。
光圀が建てた園内で最古の建物。
史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置しました。 -
光圀があつくもてなした明の儒学者・朱舜水が設計したと言われる円月橋。
水面に映る様子が満月のように見えるので、この名がつけられました。 -
丸屋。
-
一つ松。
近江の琵琶湖を模した大泉水に対し、琵琶湖の唐崎の一つ松にちなんでいます。 -
大泉水。
後楽園の中心的景観です。
昔はこの池で舟遊びをしたと言われています。後楽園駅 駅
-
-
白糸の滝。
-
園内には、紅葉林以外にも、カエデが沢山あります。
-
藤棚の向こうには、文京区シビックセンターと後楽園遊園地のジェットコースターが見えます。
-
京都の愛宕山の坂にならって作られた愛宕坂(あたござか)。
石段は47段あります。 -
八卦堂跡。
光圀が将軍家光に謁見した際に「文昌星」像を頂戴ました。
後に光圀は文学を好むようになり、文昌星を思い起こし八卦堂を造りその像を安置したそうです。 -
藤棚の下には、カキツバタが咲いていました。
-
梅林。
-
神田上水跡。
-
不老水。
この井戸が旱魃にも水が枯れず、洪水にもあふれ出すことがなかったことから、不老水と呼ばれます。 -
丸八屋。
-
赤門。
塀のすぐ向こう側に見える壁は、隣接する東京ドームのゲートです。東京ドーム 名所・史跡
-
松原。
-
異形灯籠。
-
池に浮かぶ小島は、蓬莱島。
-
瘞鷂碑(えいようひ)。
7代治紀は、将軍家から賜った鷹を大切にしていました。
鷹は治紀が没した4年後に亡くなったため、8代斉脩がこれを哀しみ碑を建てました。 -
舟着。
-
唐門跡。
内庭から後園に入る門で、戦災で焼失しました。 -
内庭の眺め。
水戸藩の書院の庭としてあった所で、昔は唐門を境に、大泉水のある「後園」と分かれていました。
昔の姿をそのままとどめていると言われています。 -
内庭の池。
-
-
白雲台跡。
ここに登ると、僅かに白雲の行き交う様子が見えたという高台。 -
島は亀の形をしている蓬莱島。
大きな鏡石は、庭師の徳大寺佐兵衛にちなんで、「徳大寺石」と名づけられました。 -
ヒメウツギ
-
中国風の石畳み、延段。
-
カエデの林、紅葉林。
-
竜田川の流れ。
-
駐歩泉(ちゅうほせん)。
9代斉昭が、西行堂側の流れを西行の和歌にちなんで命名し、自ら筆をとって碑を建てました。 -
西行堂跡。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
48