2010/05/04 - 2010/05/04
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sintabiさん
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寒風沢島は 江戸時代(伊達藩)は「塩竈港」の外港として繁栄し、艀(はしけ)で運ばれた年貢米を千石船に積み替え、ここから江戸の品川港まで運ばれた。そのため、船乗りを相手にした遊郭が作られ、客を放したくない為に荒天を祈る遊女の想いが込められた「しばり地蔵」などが有る。
※【日本人として始めて世界一周した津太夫と左平】の故郷の島。
※【造艦の碑】伊達藩が安政2年(1856)ここで日本で初めての
洋式軍艦が建造された。
※「戊辰戦争」時には、江戸を脱出した「榎本武揚」の率いる「幕府艦隊」が石浜(いしはま)に一時投錨したが、仙台藩無条件降伏の報に接し「会津戦争」を逃れた「土方歳三」などの残存兵と共に、ここから「箱館五稜郭」へと向かった。
『浦戸諸島は寒風沢島を含めて、幕末・維新への歴史が残る島々なのです』
朴島 浦戸諸島めぐり①
http://4travel.jp/traveler/sin_tabi/album/10454583/
桂島と石浜 浦戸諸島めぐり②
http://4travel.jp/traveler/sin_tabi/album/10455630/
野々島 市浦戸諸島めぐり③
http://4travel.jp/traveler/sin_tabi/album/10455628/
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 船
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渡船で野々島から目の前の「寒風沢島」に渡りました
寒風沢島桟橋
乗って来た渡船と先ほどまで居た「野々島」の渡船付近。 -
寒風沢島(さぶさわじま) -
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「延命地蔵菩薩」(松林寺)
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延命地蔵菩薩(松林寺)
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松林寺
これも六地蔵なのでしょうね -
「化粧地蔵」(松林寺)
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六地蔵
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「文左衛門新田」
ここから又 桟橋方面へと戻ります -
造艦の碑へ向かう途中に大きな案内板が(左側)
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【世界一周し故郷寒風沢に帰還した
津太夫と左平】
との 見出しから始まる書き出しです。 -
若宮丸と津太夫・左平達の漂流民の足跡
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この画像は以前見に行ったマリンゲート塩釜でのパネル展にて
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次に造艦の碑へと向かう
造艦の碑(左)とその付近
道路を挟み写真を撮ってる私の背中方向は海です -
【造艦の碑】
伊達藩が建造した開成丸の記念碑(造艦の碑)
安政2年(1856)ここで日本で初めての洋式軍艦が建造された
船は全長33,33m 幅7,58m 高さ31,82m 2本マスト 洋式大砲を備えた日本最初の洋式軍船としてこの付近で建造された。 -
日和山展望台への道(右の細道を上ります)
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日和山展望台
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日和山展望台 「縛り地蔵」
昔、港が栄えていたころ、島には遊郭が有り、遊女たちが男たちの船出を止めようと、お地蔵さまを荒縄で縛って逆風祈願をしたと伝えられている。 -
日和山展望台からの眺め
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日和山展望台からの眺め
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日和山展望台からの眺め
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日和山展望台からの眺め
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日和山展望台を後にして次の目標へと進む
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砲台跡へと向かうが時間の都合(帰りの船の時間)で残念!途中引き返す。
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寒風沢島桟橋の近くの待合所の脇に有った
「十二支方角石」
これは新しいのでレプリカ(複製品)です。そう云えば日和山展望台に本物の「十二支方角石」が有ると手元のガイドに載ってるが見逃してきたようです。 -
待合所の入り口近くの看板
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寒風沢島桟橋の名物?(地元のTV局でも何度か取り上げられました)
向かい側の野々島に渡りたい時はこのポールの赤い旗を揚げます、野々島にから渡船が即、迎えに来てくれます
※(渡船利用は無料です) -
迎えに来た渡船に乗り向かいの野々島に向かう島めぐりのお客さん
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赤い旗のポールに渡船の説明が有りました
先程の渡船が出発しました。 -
渡船が野々島に向かってます
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我々の乗る市営汽船が朴島から戻って来ました。
この船に乗り 野々島(向かいとは別の桟橋)⇒石浜⇒桂島⇒で塩釜マリンゲート桟橋に帰ります。 -
左が野々島 右が寒風沢島
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