2010/04/25 - 2010/04/25
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みにくまさん
今年は平城遷都1300年となる記念の年。
年初から急ピッチでメイン会場となる平城宮跡の整備が続けられてきましたが、4月24日、いよいよオープニングセレモニーが行われ、大極殿をはじめ各施設が公開されました。
私たちも去年から少しずつ奈良の文化財を回ってきており、平城宮跡の様子も何度か見に来ており、楽しみにしていました。
なるべく早く見に来たいと思っていたのですが、オープン初日はあまり天気が良さそうではなかったので、2日目に来ました。
◎ 平城遷都1300年祭
会期 平成22年1月1日~12月31日
平城宮跡 4月24日~11月7日
会場 平城宮跡(主会場)、奈良県内各地
★ 平城遷都1300年祭 ~平成人よ、未来に伝えたいことは何ですか~ 「平城宮跡」 2回目
2010/05/30
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10465756/
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平城京歴史館/遣唐使船復元展示
平城宮跡にやってきました。
前回来たのは1月30日なので、約3カ月ぶり。当時はまだこの辺りは工事をしていて、船の形も外から眺めることはできませんでした。
平城宮跡のマップでいうと一番南側、朱雀門近くのこの場所から、順番に北上する形で見て行こうと思いました。 -
平城京歴史館/遣唐使船復元展示
遣唐使船の諸元
全長 30m
全幅 9.6m
排水量 300トン
積載荷重 150トン -
平城京歴史館/遣唐使船復元展示
◎ 復元にあたって
遣唐使の資料は公式記録として残っていますが、その往復に使用した「船」に関してはほとんど資料がなく、どの位の大きさかを示す数字は残っていません。
大きさを推定する手掛かりとして、奈良時代の資料に約600人を4隻の船で派遣したとの記録があります。船の大きさが同じだったとすれば1隻あたり150人、航行中は何人かは起きているでしょうから、約100人が寝るために必要な面積を考えると、船の長さは25m〜30m、幅は長さの1/3〜1/4程度として7〜10mとなります。この大きさであれば、150人分の水と食料や荷物などを積むのに十分な容積でしょう。 -
平城京歴史館/遣唐使船復元展示
遣唐使船として教科書などに出ている絵は、大部分が「吉備大臣入唐絵詞」という絵巻物の絵ですが、この遣唐使船を描いた最も古い絵巻物は、最後の遣唐使派遣から400年程あとになって描かれた絵です。
その頃には宋の商人が博多に来ていましたから、宋の船を参考に描いた可能性があります。しかし、実際に唐に派遣されていた時代の船の資料はありませんから、確かな根拠もなしに見慣れた船と違う船を造るのは避けて、「吉備大臣入唐絵詞」と同じに見えるような船を造ってあります。 -
平城京歴史館/遣唐使船復元展示
初期の遣唐使船はともかく、奈良時代の遣唐使船は2本の帆柱に網代帆を上げていたのは間違いないでしょう。なお「続日本紀」に百済船の建造の記録がありますので、当時の百済船は優秀だったのでしょうが、それがどんな船だったのかも、残念ながら資料が残っていません。 -
平城京歴史館/遣唐使船復元展示
碇
碇は船が風や海流などで流されないようにするために海底に沈めるものです。ただ重いだけでは海底を滑ってしまいますから、又木などの海底に食い込むような形の木に石を結びつけて碇にしました。
現在では碇は鉄製が常識ですが、鉄は非常に高価だったので、中国では宋の時代になって鉄錨を使い始めており、日本では室町時代の頃から普及し始めました。
鉄の錨が普及し始めても木碇は近世まで使われ続け、元寇の際に台風で沈没した元の船の碇ではないかと言われる細長い碇石が北九州で発見されています。
重い碇は轆轤(ろくろ:巻上器)を使って甲板に持ち上げていました。
※ この文章は現地に置いてあった説明文をそのまま書き写したものですが、ちょっと面白いことが分かりました。
碇と錨、両方とも”いかり”なわけですが、この説明文を書いているうちに、なぜ2種類の使われ方をしているかが分かりました↓
碇=木製(石)
錨=鉄製 -
平城京歴史館/遣唐使船復元展示
★ 平城京歴史館の入館には、入場整理券が必要です
◎ 整理券配布について
配布場所 平城京歴史館対岸部(エントランス広場)
配布時間 午前 8時50分配布開始 (9時00分〜13時40分入場分)
午後 13時00分配布開始 (14時00分〜16時40分入場分)
夕方 16時00分配布開始 (17時00分〜18時40分入場分)
※整理券配布は定員になり次第終了します。 -
平城京歴史館/遣唐使船復元展示
この時11時半くらいですが、もう午前中の整理券配布は終わっていました。8時50分からの配布で、いつ終わったのか分かりませんが、けっこう早めに配り終わってしまったかも。
歴史館を見たくても見られない人が、歴史館前で続出していました(私もその一人)。
入口前で3時間待ちとかになるよりはずっとましですが、どうしても歴史館に入りたい場合は、整理券配布時間にあわせて訪問するのが良いでしょう。
配布時間をよく見ると、朝は8時50分配布〜9時入場と、10分間の待機時間ですが、午後と夕方は1時間も待機時間があることも注目。
整理券をもらった後、一旦別の場所を観光して、入場時間内に戻ってくるというのが一番良いかもしれません。
尚、遣唐使船の上部に乗り込むのも、歴史館からになっているので、中に入れないことには、船の上にも行けません。 -
朱雀門
平城宮の正門・朱雀門。その前では外国使節の送迎を行ったり、大勢の人達が集まって歌垣などを行ったりし、正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもありました。
朱雀門の左右には高さ5.5mの築地がめぐり、130haの広さの宮城を取り囲んでいました。 -
朱雀門
世界遺産 古都奈良の文化財 平城宮跡
ここから朱雀門を狙うのは定番かと思っていたのですが、今回はこの石碑の周りが自転車置き場になってしまっており、ちょっと見栄えがよろしくなく、この石碑を見に来ている人も少なかったです。 -
朱雀門広場で
あおによし 寧楽の都は 咲く花の
薫ふがごとく 今盛りなり 小野老
作者、小野老(おゆ)は大伴旅人が太宰府の長官だったころにその下にいた次官クラスの役人です。旅人もそうでしたが、花の都奈良から地方への転勤、天離る鄙への都落ちは、やはり相当ショックだったようです。
「太宰府だなんていってみたところで、所詮は九州の田舎だ。やはり奈良の都でなくっちゃ。奈良はよかったなあ…都は大きいし、美人も多いし…」 -
二条大路
二条大路は、幅約35mで朱雀大路に次ぐ規模を持ち、平城宮南辺を東西に通る。
平城宮の正門の朱雀門、南面東門の壬生門、南面西門の若犬養門は、この大路に面して開いていた。
前回来た時は真冬だったので木も寂しげだったのですが、今日は緑色がとても綺麗です。 -
朱雀門
朱雀(すざく)とは四神(四獣)の一つで、南を守る中国の伝説上の鳥をいう。
◎四神(四獣)
四神(しじん)は、中国・朝鮮・日本において、天の四方の方角を司ると伝統的に信じられてきた霊獣である。四獣(しじゅう)ともいう。
東の青竜・南の朱雀・西の白虎・北の玄武。 -
朱雀門
今回の1300年祭にあわせ、復元された第一次大極殿が柱の間から見られます。 -
第一次大極殿(だいごくでん)
手前の広場は、以前は何も無いただの空き地だったのですが、綺麗に花壇が並ぶなど、整備されていました。
大極殿の読み方は”だいごくでん”です。 -
第一次大極殿
雲ひとつないとてもいい天気。
ただいい天気というだけでなく、写真に撮った時に綺麗に青色が出る、本当に良い天気。 -
第一次大極殿
この花壇のひとつひとつには、 -
平城遷都1300年祭 ”夢と未来”
辰市小学校
全てに子供たちの夢が書かれていました。 -
平城遷都1300年祭 ”夢と未来”
大安寺小学校 -
ハーフルトラム
南門広場の周囲には、このようなトラム=路面電車が走っていました。
この電車を利用できるのは、身体の不自由な方や歩行の困難な方、高齢者など、いろいろ条件があります。 -
ハーフルトラム
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ハーフルトラム
ハーフルトラムと近鉄電車と朱雀門 -
第一次大極殿と南門広場
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第一次大極殿
2001年の復元工事開始より、9年の歳月をかけ完成しました。
この内部も公開しているようなので、それを目指して徐々に近づくように歩いています。 -
第一次大極殿
平城遷都1300年祭の2日目の日曜日、しかも快晴ということで、かなりたくさんの見学者が訪れています。 -
第一次大極殿正殿を取り巻く廻廊
この回廊も1月の時点では工事の着手もされていませんでした。
日本の建築技術が凄いのか、あっという間に完成してしまうんですねー。
工期が正確というのも、日本のお家芸かもしれません。 -
衛士隊の再現
交代式 13:00〜
ほんのちょっとだけ時間が合わなかったために、今回の交代式を見られませんでした。
こちらは次回、平城京歴史館と一緒にリベンジしたいと思います。 -
大極殿院南門
大極殿への入口です。
ここ大極殿院南門をはじめとする門には、常に警護役である「兵衛」や「衛士」が配置され、昼夜を問わず人の出入りを管理していました。 -
大極殿院南門
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第一次大極殿・前庭
朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」。天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていました。
正面 約44m
側面 約20m
高さ 約27m
直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿であり、その建物は奈良時代の中頃に、一時都とした恭仁(くに)宮に移築され、山城国の国分寺金堂になりました。 -
第一次大極殿・前庭
◎ 復原について
大極殿復原に際して大きなハードルだったのが、当時の設計図や参考になるような絵画などが残っていないことでした。そのため、発掘調査で判明している基壇や恭仁宮の大極殿(国分寺金堂)の跡に残る礎石の状態などから大極殿の大きさ、形を推定しました。わずかに残る文献や法隆寺金堂、薬師寺東塔など、同時代の寺院建築も参考にされています。 -
第一次大極殿・前庭
◎ 千人万華
第一次大極殿の完成披露を祝い、1000人のみなさまが心を込めて植え付けた祝祭の花壇です。
植物は、古代の色をイメージした色彩の花を使用しています。 -
第一次大極殿・前庭
★ トップ写真 ★
他にもいろいろ候補があったものの、やっぱり今回は大極殿が映ったものにしました。 -
第一次大極殿・前庭
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第一次大極殿
実はここには大極殿跡が2ヶ所あり、もう一つは740年に平城京から恭仁京に都が移り、難波京、紫香楽京と転々とし745年に平城京に再び戻ってきた時、元の場所とは別の場所に建てられました。
これら二つは第一次大極殿、第二次大極殿と区別されています。
復元されているのは第一次大極殿の方で、第二次大極殿跡には基壇と柱跡が復元されています。 -
第一次大極殿
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第一次大極殿
「大極殿」の扁額
正面中央には、大極殿正殿の名称「大極殿」を記した扁額(へんがく)が掲げられている。
大きさは高さ約2.6メートル。
色彩は「紺丹緑紫」を基本としている。 -
第一次大極殿
火焔宝珠?
現代に残っている火焔宝珠とはやや形状が異なるが、呼び方はこれで正しいと思われます。 -
第一次大極殿
鴟尾(しび)
これは、大極殿内に同じものが展示してありましたので、後ほど詳細を。 -
第一次大極殿
斜め前方から。
大極殿の拝観は、建物の右手から入って左手に抜ける感じになります。
写真にもちょっと映っていますが、拝観希望者がズラッと並んでいます。 -
第一次大極殿
こんな感じ。
ぐるっと列は続いていますが、流れはまぁまぁ早いので、この位置からだったら15分程度で中に入れるのではないでしょうか。 -
第一次大極殿
右手後方から。
車椅子の方も拝観できるように、スロープが設けられています。 -
第一次大極殿内
正面に見えるのは高御座(たかみくら)と呼ばれる玉座です。 -
第一次大極殿内
壁には十二支と四神が描かれているようです。
天井の造りは身舎天井板とその周囲の支輪板。
これらの板には蓮の花をモチーフとした彩色画が描かれています。 -
第一次大極殿内
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第一次大極殿内
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第一次大極殿内
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第一次大極殿内
高御座外観模型
高御座は、国家儀式の際に天皇が着座した玉座です。
奈良時代の高御座の構造や意匠に関する記録は無く、詳細は不明です。
ここに展示した高御座の模型は、大極殿の機能や広さを体感できるように、大正天皇の即位の際に作られた高御座(京都御所に現存)を基本に、各種文献資料を参照して製作した実物大のイメージ模型です。
細部の衣装や文様は、正倉院宝物などを参考に創作しました。 -
第一次大極殿内
高御座外観模型 -
第一次大極殿内
高御座外観模型 -
第一次大極殿内
高御座外観模型 -
第一次大極殿より
こちらから見た朱雀門方向です。
この装金具の名前は調べてくるのを忘れました。
中の玉は、黄色だけでなくいろいろな色のものがありました。 -
第一次大極殿内
鴟尾(しび)
屋根の一番上(大棟)の両端につける鴟尾。
鴟尾は平城宮大極殿でも恭仁宮大極殿でも出土していませんが、当時、格の高い建物には通常、鴟尾をのせていたので、元々無かったとは考えにくく、金属製だったため、溶かされて再利用されたために残らなかったと考えられます。
高さは平安宮大極殿のために作ったと想定されている鴟尾を元に、約2メートルと考えました。 -
第一次大極殿内
鴟尾(しび)
これ、東大寺大仏殿にも飾られていました↓
http://4travel.jp/traveler/minikuma/pict/18003996/ -
第一次大極殿内
鴟尾(しび) -
第一次大極殿内
第一次大極殿内の屋根には、約10万枚の瓦が葺かれています。瓦は、耐久性に優れた屋根葺き材であると同時に、格式の高い建物の象徴でした。
今回の瓦製作では、発掘調査で出土した大極殿の黒味を帯びた瓦の色合いを出すために、鉄分の多い黒い粘土の水溶液を表面に塗り、約1100度の温度で2日間かけて焼成しました。 -
第一次大極殿内
第一次大極殿は様々な種類の飾金具で飾られていたと考えられています。
古代の飾金具は、装飾という目的以外に、木材の腐食の予防や建物の補強という実用的な面もありました。
各所に取り付けられた飾金具が光り輝く様子は、大極殿の荘厳さを一層引き立たせるものでした。 -
第一次大極殿
飾金具
これは名前が分かりません。
釘隠しのようですが、これほど連続で並んでいるのを見たことがありません。
大極殿内の展示ブースには、それぞれの飾金具などについて、名称が書いてあったのですが、写真に撮ってくるのを忘れました。
(このあたりは、次回の宿題にします) -
第一次大極殿
飾金具 木口金物(二重高欄架木) -
第一次大極殿
飾金具
先ほどもありましたが、ここにあったのは青色の玉です。
このように高欄の上にズラッと飾られていました。 -
第一次大極殿
トップ写真候補だったお気に入りの一枚。
目立たないところにひっそりと咲いていた菜の花と、大極殿のツーショット。
春らしい爽やかな感じの写真です。 -
第一次大極殿
誰もが思いもよらないところに、実にいい撮影スポットが隠されています。
この位置からの撮影は、大極殿から周囲を見回した時にピンときました。
もう少し風が穏やかなら、綺麗に水面に大極殿が映ったでしょう。 -
第一次大極殿
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平城宮跡資料館
平城宮跡の西端、佐伯門近くにある資料館です。
こちらは特に人が並ぶことなく、スムーズに拝観できました。
奈良文化財研究所によるこれまでの発掘調査・研究の成果をもとに、土器や瓦、木簡をはじめ、建物模型や航空写真、発掘のジオラマ模型などで平城宮を分かりやすく展示しています。
1300年祭の開催に合わせ、展示等が一新されます。
開館時間 (5/9まで)9:00〜17:30
5/10からは、平日16:30まで
入館料 無料 -
平城宮跡資料館
瓦の研究室
瓦の形や文様などから、瓦の年代や作り方、生産地と供給地の関係などを研究しています。
※ 写真撮影について
この資料館の中では基本的に写真撮影はOKですが、フラッシュは禁止です。 -
平城宮跡資料館
土器の研究室
破片を接合して復元し、土器の年代や構成、製作方法や生産地などを調べています。 -
平城宮跡資料館
木簡の研究室
平城宮・京は、全国の木簡の一大出土地です。
この研究室では木簡の分類と解読を行っています。 -
平城宮跡資料館
木簡の研究室
※ 写真に映っている展示品は、レプリカです。 -
平城宮跡資料館
寝室
御床と言われる古代のベッドの上に畳を敷き、さらに敷布団(褥:じょく)と掛け布団(覆:ふく)が付属していました。 -
平城宮跡資料館
食卓
正倉院に残る檜方几と呼ばれる小型の机を、各自の食器を乗せたものとして復元しました。 -
平城宮跡資料館
役所の復原(←※復元ではない)
ある役所の様子を復原しています。
役所では机と椅子が並び、役人たちが日々書類の作成などの仕事に励んでいます。
紙の書類だけでなく、木の札(木簡)も使用されました。字を書くための墨・筆・硯に加え、紙を切ったり木の札に書いた字を削って訂正するための小刀も、役人の重要な文房具です。
書類は大型の棚に整理され、櫃と呼ばれる箱に収納し保管されていました。
※ 復元と復原の違い
文化財(建造物)の分野で、失われた建物を当時のように再現することを「復元」、改修等で形が変わっていたものを当初の姿に戻すことを「復原」(あるいは推測に基づく場合は復元、旧部材や文献等が残っており根拠が確かな場合を復原)と使いわけることがある。 -
平城宮跡資料館
大極殿院模型
大極殿のある東西177m、南北319mの長方形の敷地を大極殿院と呼び、回廊で囲まれていました。
大極殿は北側の一段高くなったところに建ち、その前には大形の旗(幡)が並べられ、役人が列をなして儀式を行いました。 -
平城宮跡資料館
大極殿院模型 -
平城宮跡資料館
宮の造営 -
平城宮跡資料館
隼人の盾
隼人は南九州の人々で、宮門の警備につきました。
儀式の際はこの盾と槍を持って門前に整列し、独特の発声法で邪気を払ったとされています。 -
平城宮跡資料館
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平城宮跡資料館
食
平城宮内では約7000人の役人が働いており、彼らの食事を用意する役所もありました。
発掘調査で、様々な食器や台所用品が見つかっています。
食器は、皇族や貴族は漆塗りで、それ以外の人々は土師器や須恵器などの土器を使いました。木製の箸やしゃもじも見つかっています。 -
平城宮跡資料館前の桜
資料館の近くにこんな綺麗に桜が咲いていました。
もう桜は終わったと脳が勝手に決め付けていたので、これを見た瞬間は、かなり驚きました。 -
平城宮跡資料館前の桜
良く見ると葉っぱの緑も目立ちますが、それでも十分に綺麗。 -
平城宮跡資料館前の桜
八重桜もありました。
小さめの花でこちらももう半分くらいしか咲いていませんが、それでもやっぱり綺麗。
遠くに見えるのは大極殿です。 -
平城宮跡資料館前の桜
◎ おしまい
ここはかなり広いので、一日で回るのはかなり大変。
平城京歴史館は、整理券が無いと館内に入ることもできないので注意が必要です。もう少し落ち着いてくればスムーズに拝観できるようになるかもしれません。
今回見られなかった施設・イベント
・平城京歴史館/遣唐使船の2階
・遺構展示館
・エントランス広場(サッと通り抜けただけ)
・衛士隊の再現 9:00〜、13:00〜、16:10〜
・あおによしパレード 11:00〜、14:30〜
(東院庭園広場へは、前回行っているので今回は行きませんでした)
平城遷都1300年祭のメイン会場ということで、1日に数万人が訪れるのですが、それに対して食事ができる場所がとても少ないです。
一応エントランス広場にフードコートがありますが、それほど大きくなくて、食べ物のバリエーションが少ない。お昼時とかだと、それでも行列ができていたりするのではないでしょうか。
そもそも大極殿とかにいたら、エントランス広場に来るまでにかなり歩かなければなりません。
食事をするのにかなり不便だな〜というのが印象で、私は何も食べずに帰りました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 義臣さん 2010/04/26 15:08:33
- 有難うございました
- 有難うございました
朱雀門 大極殿と工事中から見てきましたが
今回の完成はまで見ていません
お陰様で充分見せて頂きました
有難うございます
義臣
工事中の大極殿です
http://4travel.jp/traveler/jiiji/album/10050708/
- みにくまさん からの返信 2010/04/26 17:21:33
- RE: 有難うございました
義臣さん、こんにちは〜。
大極殿は工事途中に一回見ましたが、その後のわずかな期間で回廊と門まで完成してしまい、さすがと思いました。
工事現場の公開があったんですね〜。
間近で見る屋根とか、すごい迫力。
私も見てみたかったです。
では〜(^O^)/
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