2010/03/13 - 2010/03/13
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ソフィさん
2010年3月13日(土)
国鉄発祥の地汐留のビル街を通り過ぎると、懐かしいJR新橋駅が見えて来た。
1948〜1950年、東京から神奈川県を抜けて熱海の先、丹那トンネルの出口まで、この区間の鉄道施設の保守は、東京南管理局施設部長として私の責任だった。
毎日人の命を預かる責任の重大さに生きがいを感じながら、刻々無事に過ぎつつある一時間、一日に感謝し続けていた。
数年前ヨーロッパ行の飛行機の中で「鉄道員(ぽっぽや)」と言う映画を見た。
この映画は、日本の有名作家の原作を、名優たちが演じると言う触れ込みで、大きな期待感を持っていたが、実にがっかりした。
そこに演じられる責任感は私の実感したものとは真摯さにおいてほど遠く、このような小説や映画の出現に、社会の「劣化」「退化」を感じたものだ。
だいたい「ぽっぽや」なる言葉の語感には、人命を預かるには軽すぎる、いうなれば侮蔑感さえ感じられる。
私の知っているフランス人やドイツ人の鉄道員は、社会を支える重要な一員としてしっかりと足の地についた責任感や誇りを持っていて、接しているとほのかに漂う使命感の重さが素晴らしい。
私は「命がけで鉄道を守ろう」とする、当時の国鉄の心意気やチームワークが好きだった。
「命がけ」と言うキャッチフレーズは、昔は至る所で目立ち、若者の心をとらえた。
インターハイ競技でも「死ぬ気で頑張れ」と言われたものだ。
戦場に出かける軍人たちは、文字通り命がけだった。
つい先日ある女の方から「戦争では国のために本当に命を捨てようとしたのですか」と訊かれ、「私は十歳の半ばだったが、もうそのように考えようとしていました」と答えると、びっくりしておられた。
ギリシャ旅行では、国旗の模様である9本の横線に、「自由か死か」の意味が秘められていることを知り、驚く。
強い祖国愛と平和とが、どのように両立できるのか。
「命がけ」という言葉があまり見られなくなった今の社会で、国鉄時代の責任感の厳しさを、懐かしく思い出す。
最近では、トップから新人まで、「使命感」なる言葉も、あまり聞かれなくなった。
寂しいことと思う。
このような想いが反芻されるのは、旅行の効用だろう。
写真は「ソフィーさんのマイページ」(訪問54カ国、文章1,590件 写真6,770枚)、
http://4travel.jp/traveler/katase/
スイスの写真が美しい「片瀬貴文さんのマイページ」(文章625件 写真2,400枚)
http://4travel.jp/traveler/takafumi/
ブログの作成日順に並んでいる「片瀬貴文の記録」(文章1,650件)
http://blog.alc.co.jp/d/2001114
(片瀬貴文)
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