2000/07/08 - 2000/07/08
335位(同エリア465件中)
早島 潮さん
2000年7月8日の旅日記http://4travel.jp/traveler/u-hayashima/album/10058078/より以下を抜粋
ホテルで朝食を済ませてから暫く町中を散策し、再びアパー・テームズ・ローイング・クラブの建物の近くへ集まり借用する艇の到着を待った。待つこと久しく午後3時にやっと艇が到着した。
見るとエイトの尖端部分には小さなゴルフボール大の丸い穴が開いているし、舵なしフォアの尖端は折れている。どうも運搬中にトレーラーに積み込んだ艇の後ろ端を何かにぶっけてしまったらしい。そのため艇の到着が遅れてしまったのであろう。早速艇を下ろして組み立て、損傷のなかった舵手付きフォアを浮かべて練習をした。
鶴見川ではエイトでの練習が多かったので、フォア艇での練習は必ずしも十分であったとは言えない。案の定オールが合わなくてバランスを崩し思うように艇速がでない。それでも何回か練習しているうちに呼吸も合って、バランスも取れてスピードがでるようになった。
エイトの方も穴の開いた部分にテープを張って、何とか水の入らぬように補修が終わった。エイトの方は時間がなくて浮かべることはできなかった。フォアを陸に上げてオールを張り、風で引っ繰り返らないようにしておいてから今日の練習と艇の整備を完了した。
この日はオックスフォード大学ボート部OBの人々から夕食の招待を受けているのでホテルへ帰り、スクールカラーである濃青の揃いのブレザーにネクタイをして彼らが迎えにきてくれるのを待った。やがてリンゼイ、ラザフォード、ドナルド・ショー、グリーンの四氏が揃いの濃青のブレザーを身に纏って迎えにきてくれた。オックスフォード大学のスクールカラーも濃青なのである。彼らは昭和34年にオックスフォード大学の学生エイト・クルーとして来日し、日本の幾つかの大学ボート部と艇を並べた時のメンバーである。実に41年振りの再会であった。当時のオ大クルーのメンバー表から彼らの消息を辿り、まずリンゼイを探し出して彼を窓口にして今回の訪英となったのである。
彼らの先導で由緒ある名門のクラブハウス「リアンダークラブ」へ赴き、ビールやウイスキーで交歓した後、ディナーを御馳走になった。
その後、日本から持参した41年前のレースの模様を録画したスポーツ・ニュースのテープやTシャツ、当時の写真の複製等を土産として贈呈した。東西の大学生として共に戦ったオァズ・マン達が41年振りに再会して杯を酌み交わしながら、初老の顔貌の中にも紅顔の美少年の面影を見いだしては談笑する、とても楽しく素晴らしい感動的な一刻であった。来訪したオ大クルーの内二人は鬼籍に入っていると知り,時の流れの速さとともに人生の儚さを感じてちょっぴり感傷的になったりもした。
翌朝コース川畔へ行って艇のリギングの整備を行いエイト、フォア共にそれぞれで練習をした。練習中にアメリカのチーム、カルバー・クルーと交歓することもできた。このクルーは平均年齢75歳のアメリカからきた海軍士官学校時代に結成されたクルーであるが1943年以来57年間一緒に漕いでいるという。今回は仲間の内に物故者がでたのでボートのメッカ、ヘンリー・オン・テームズに散骨するため遺族と現存クルーの家族を引き連れて参加したのだという。我々のことを「ヘイ、ベービー」と言ってからかう、よく統制のとれた元気で陽気なオジイチャンパワーであった
その次の朝8時40分の出漕で小生の乗った舵手付きフォア艇はシェークスピアの生まれ故郷からやってきたストラトフォード・アポン・エイボン・クルーと対戦したが、基礎体力と練習量の差は如何ともなしがたく大差で敗退してしまった。スタート後の僅か十本程で相手の姿は視界から消えていた。
12時50分からの出漕でエイトはリー・クルーと対戦したがこれも大差で敗退してしまった。今回の遠征では勝負にこだわることなく、憧れのヘンリー・オン・テームズで漕いでローイング人生に思い出を残したいという素朴な動機から実現した計画であったため、全員事故もなく完漕して達成感に浸ることができたのはオァーズマンの冥利に尽きると言えるだろう。
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