2003/03/26 - 2003/04/06
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16世紀中頃から19世紀にかけて、1200万?2000万人ともいわれる黒人たちがアフリカからアメリカ大陸に連れていかれました。
その黒人奴隷貿易の拠点であった島、セネガルのゴレ島を私は訪れました。
セネガルの世界的ミュージシャン、ユッスー・ンドゥールのライブレポートもご紹介。
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セネガル・マリの旅
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2003年3月、西アフリカ、セネガルの首都ダカールを訪れました。
途中、隣国マリのバマコへと向かったのを挟んで、9日間ダカールに滞在しました。
ダカールへのアクセスはフランスのパリから。
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旅行記事まとめ|旅マップ・写真ギャラリー
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- 高速・路線バス 船 タクシー
-
3月26日(水)
パリ発ダカール行きのEural Airには東洋人は私ひとりだった。
当然だが黒人が多い。
機体は7:55分にパリを飛び立ち、サハラ砂漠を抜けセネガルの首都ダカールへと向かった。
空から見たダカールの町は、白っぽく乾いた印象。
さすがに暑そうだ。
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セネガルの首都「ダカール」観光|マルシェや博物館を訪れ、金曜礼拝に遭遇する
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パスポートチェックの時、空港の係員が金をくれと言ってくる。
荷物を取りに向かうと、ポーターが勝手に荷物を運ぼうとする。
両替やバスを探そうとする時も、いろいろな人間がまとわりついてくる。
取りあえず、彼らを逆に利用してバスの乗り場を教えてもらう、バスに乗り込んで市内へと向かった。 -
バスは乾いた街を走っていく。
建物に色はないが、街を歩く人々の服装はカラフルである。
通りを行き交う車はボロく、街は空港と同じようにガランとしていて、あまり活気は感じられない。
私は中心街で降り、チュニジア人の経営する宿「A Louver Chambre Meublee(トリプルルーム、トイレシャワー共同 10,000CFA 2,124円)にチェックインした。 -
3月27日(木)
朝、日本大使館に行き、係員にセネガルと隣国マリについて、マラリアについて情報を教えてもらう。
バックパッカー風情に対しても、とても丁寧な対応で、マラリアの予防薬を無料でくれ、治療薬の処方箋も出してくれた。
そこからタクシーでマリ大使館へ。
フランス語のみのため、悪戦苦闘したが、なんとかビザを申請。午後2時の受け取りとのこと。 -
昼間は中心街に戻り、食堂でヤッサというごはんの上に玉ねぎとレモンで煮たチキンや魚を載せた国民食を食べる。
なかなかおいしい。
コーラと併せて、1,700CFA(400円弱)
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セネガルの首都「ダカール」観光|マルシェや博物館を訪れ、金曜礼拝に遭遇する
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午後は、CD屋の客引きに呼びこまれ、ユッスー・ンドゥールのCDを購入した。
しかし、後で聴くと、音飛びがひどい不良品で最悪。
マリビザを受け取りに行った後、イファン・ミュゼ(博物館)を訪れた。
イファン・ミュゼは1階に地域の各民族の仮面や彫刻、装飾品などが展示され、2階には奴隷貿易に関する展示があった。
仮面や木彫りは民族ごとに特徴があり、その個性的なデザインは見ていて飽きることがない。
面白い。
奴隷貿易の展示では、壁に架けられた地元の子供たちが描いたらしい奴隷貿易に関する絵が印象的だった。 -
3月28日(金)
朝、駅へ行き、列車の予約をしようとしたが、土曜発の列車は今は運行しておらず、水曜まで待たなくてはならないという。
結局列車は諦め、飛行機を探すため旅行代理店を回る。
ある代理店で、189,500CFAのダカール?バマコ往復のチケットを見つけ、予約することにした。
高いが仕方ない。 -
午後、私は道端で出会った男と道を歩いていた。
すると、突然周りの人々が道に御座を敷き座り始めた。
男が「そろそろ礼拝の時間だ」と言う。
金曜礼拝である。
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セネガルの首都「ダカール」観光|マルシェや博物館を訪れ、金曜礼拝に遭遇する
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しばらくすると、道は人で埋まり車も全て停車した。
モスクのスピーカーからアラビア語の呼びかけが聞こえてくる。
「アッラーフ、アクバル……」
人々は呼びかけに応じ、立ち上がり、中腰になり、跪く。
私も彼らに倣ってお祈りの真似ごとをした。 -
宿のマネージャーはチュニジア人。
その彼にマリへ行くので蚊帳が欲しいのだと言うと、一緒に買い物を手伝ってくれると言ってくれた。
マリはマラリアの発生地であり、蚊帳は必需品なのだ。
マネージャーといくつかの店を廻り、3軒目で具合がいい蚊帳を見つけた。
店主は相当な額を吹っかけてきたようだが、マネージャーが交渉してくれ4,000CFA(812円)で購入することができた。
感謝である。 -
3月29日(土)
この日は、ゴレ島(世界遺産)を訪問した。
港へ行き、10:00発の船を待つ。
船は、20分ほどで島に到着した。
ゴレ島は、かつて奴隷貿易の拠点だったという悲劇の島。
けれども、現在は静かな観光地となっている。
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黒人奴隷の積み出し港だった島「ゴレ島」(アフリカ黒人の悲劇の歴史)【セネガル】
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島に着くと、まず、北にある円形の博物館を見学した。
この博物館に何が展示されていたかは覚えていないが、敷地内には砲台の跡などがゴロゴロと残っていた。 -
島はのどかである。
広場では、強い日差しの下で子供たちがサッカーをしていた。
島の人影は疎らだが、寂しげな印象はない。 -
バオバブの木もそこかしこに生えている。
-
イチオシ
博物館を見学した後、島の高台の上にあるフォートを目指した。
その道すがら、ド派手な男と出会う。
彼の名はマサール。
彼は、格闘家のアーネスト・ホーストに雰囲気が似た男で、島中に知り合いが居た。
画家だそうである。
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黒人奴隷の積み出し港だった島「ゴレ島」(アフリカ黒人の悲劇の歴史)【セネガル】
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丘の上のフォートを見学した後、マサールと共に奴隷の家に行った。
16世紀、新大陸を征服したヨーロッパ人たちは、現地でヨーロッパ市場向けの広大な農場経営に乗り出した。
農場での労働力として当初は現地のインディオを使役していたのだが、そのうち疫病や虐殺などでその数が激減していってしまったのだ。
そこで彼らは、アフリカから黒人たちを連れてこようと考えた。 -
16世紀中頃からはじまる、いわゆる「三角貿易」。
ヨーロッパ産の綿布や酒、鉄砲などをまずアフリカ西海岸へ運び、そこで黒人奴隷と交換する。
次にアメリカ大陸へと渡り、今度は奴隷たちを砂糖や綿花、タバコなど現地で栽培された原材料と交換する。
そして、それらの原材料をヨーロッパへと運び、商品にして世界中に売る。
この奴隷貿易によってヨーロッパ諸国は莫大な利益を得たと言われている。
一説によると新大陸に連れて行かれた黒人奴隷の数は1200万?2000万人だそうだ。
(写真は、奴隷が連れ出されたとされる、帰らずの扉)
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黒人奴隷の積み出し港だった島「ゴレ島」(アフリカ黒人の悲劇の歴史)【セネガル】
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アメリカ大陸への船旅は凄惨きわまるものだったそうで、航海中の死亡率は8%から25%、平均的には船上の捕虜6人のうち1人が死んだと言われる。
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イチオシ
現在のゴレ島は、画家や音楽家、小説家などが住むのんびりとした島だ。
300年以上経った現在、自分たちのルーツを求め、この島を訪れるアメリカ黒人が多いのだという。
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黒人奴隷の積み出し港だった島「ゴレ島」(アフリカ黒人の悲劇の歴史)【セネガル】
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島の浜辺で絵を描いた後、15:00発の船でダカールへと戻った。
今晩12:00、ユッスー・ンドゥールのライブを見に行く予定だ。
宿のマネージャーに、ユッスーのライブに行きたい旨を伝えると、マネージャーは、毎週金曜と土曜の夜中、ユッスー所有のライブハウス「クラブチョサン」でライブが行われるということを教えてくれたのである。 -
ユッスー・ンドゥール。
セネガルが生んだ世界的なミュージシャン。
彼は世界で最も知られたアフリカのミュージシャンの一人である。
けれども、セネガル人にとってのユッスーはミュージシャンという枠だけに留まらず、国民的な英雄、国を代表する偉人だと言ってもいいのかもしれない。
クラブ・チョサンへは、宿の女の子が車で乗せて行ってくれた。
11時半頃到着したが、クラブにはまだ誰もいない。
チケットを購入し(3,500CFA 710円)、ホールでコーラを飲みながら待つことにした。
しばらくするとパラパラと人が現れ始める。
私の隣のボックスには、ガタイのいい男とおしゃれな姉御風の女が座った。
12時過ぎ、前座の演奏が始まる。
その間も徐々に人が集まり始め、ユッスーが登場した午前2時頃には、ホールは人でいっぱいになっていた。 -
彼が登場した途端、会場の雰囲気がガラリと変わった。
ユッスーがその甲高い声を発しただけで、今まで静まり返っていたホールが一気に盛り上がったのである。
派手なパフォーマンスやダンスはほとんどないが、小刻みに肩を揺すったり手を上下したりする動きが妙にかっこよく、ドラムやパーカッションのリズムと共に凄いグルーヴ感を生み出していた。
それにしても、やっぱりユッスーの声は素晴らしいものだった。
凄い声量、CDと全く同じ。
美しく、そして、迫力がある。
その声は会場全ての人に有無を言わせないほど圧倒的な迫力だった。
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「ユッスー・ンドゥール」の歌を現地ダカールの「クラブ・チョサン」で聴く!
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4月3日(木)
バマコの灼熱地獄にやられた私は、いくらか涼しい(それでも暑い)ダカールに戻ってきた。
宿のマネージャーは、早々の戻りに、
「どうしたんだ?」
と聞いてきたが、暑さにやられたと言うと笑っていた。 -
4月4日(金)
パリへの出発は6日。
それまで、ゆっくりと過ごし、体調を整えることにする。
写真は、毎朝通っていたスタンド形式のパン屋。
ここでエスプレッソとクロワッサンなどを買って朝食とすることが多かった(5000CFA)。
昼間は、シュワルマ(1000CFA)やヤッサ(1150CFA)を食べた。
食のバリエーションが少ない。 -
イチオシ
4月5日(土)
市の中心のポンピドー大通りから15分ほど歩くと、紺碧の大西洋の海原が見えてくる。
夕方、私は海岸へ向かって歩いていった。
崖の上からぐるっと湾になった砂浜を見下ろすと、そこでは大勢の若者たちが運動をしていた。
腕立てや腹筋をする者、ランニングをする者。
躍動する黒い肉体が美しい。
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セネガルの首都「ダカール」の黄色の海岸で、大西洋に沈む夕陽を眺める
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崖の上ではサッカーが行われていた。
セネガル代表のユニフォームを着た少年たちがボールを蹴っている。
ワールドカップ・フランス大会で躍進したセネガル代表。将来のディウフなどがここにはいたのだろうか。
拳法の型の練習をしている青年もいた。
横で可愛い彼女がその姿を見守っていた。 -
空は茜色から紅色、紫色へと刻々と色を変えていき、どこまでも広がる海にそのグラデーションを映し出している。
アフリカとも明日でお別れだ。
さらば、アフリカ、激しく熱い、そして、優しい土地……。
真っ赤な太陽は水平線の向こうに沈み、辺りは次第に闇に包まれていく。
そして、黒い若者たちは闇の中、いつまでも運動をし続けていた。
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セネガルの首都「ダカール」の黄色の海岸で、大西洋に沈む夕陽を眺める
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