2003/01/31 - 2003/02/02
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香港の尖沙咀からフェリーで約1時間。私はマカオにやってきました。
旧正月を翌日に控えたマカオは、方々で赤と黄色の飾りつけが施され、街中が華やいだ印象でした。
↓ブログでも紹介しています。
http://search-ethnic.com/category/travel/china/hongkong
2003年1月、マカオを訪れました。
香港から到着し、2泊した後、珠海から広州へと抜けました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 タクシー
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1月31日(金)
香港の尖沙咀を出たフェリーは1時間ほどでマカオに到着した。
1月31日、マカオの街は華やかな装いに包まれていた。
明日は中国旧暦の正月、「旧正月」なのだ。
そのため宿探しには苦労した。どこも値上がりしているのである。
結局、少々高かったが、メインストリート沿いのホテルセントラル(トイレシャワー付きシングル 173パタカ 2,768円)に泊まることに決めた。
(写真は、メインストリートである「新馬路」) -
宿に荷を置いた後、街をうろつき始めた。
まず訪れたのが、マカオ観光の基点となる「セナド広場」。
モザイクの敷き詰められた地面、パステルカラーの建物が、かつての宗主国ポルトガルを感じさせる。
ここは世界遺産にも登録されている。
広場は旧正月の飾り付けがなされていた。
ここでいろいろなイベントなどが行われるのだ。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/macau -
昼飯に、広場近くの料理屋でカレー炒麺を食べる。
これも、インドのゴアも支配地に置いていたポルトガルによりもたらされたものかもしれない。
食後、街を見渡せる丘(モンテの砦)に登った。
眼下にマカオのシンボル、聖ポール天主堂跡(大三巴牌坊)が見える。
私は、天主堂跡に向かって坂道を下りはじめた。 -
イチオシ
1533年、ポルトガル人、ジョルジェ・アルバレスは中国南部に於いて海賊を退治した功績により、当時の明朝から、このマカオに於いて貿易を行うことを許された。
以後マカオは、中国や日本、東南アジアやヨーロッパとの貿易中継地として大いに栄えたという。 -
イエズス会がマカオに定住したのは1565年。
彼らはこの地でキリスト教の布教を精力的に行い、1602年には、当時東洋一であると謳われたこの聖堂を建設した。
建設には迫害を逃れた日本人キリシタンたちも従事したそうだ。 -
1762年、イエズス会はマカオを追われる。
その後、聖堂は市庁舎、そして、軍駐屯地として使用されたが、1835年、火事のためこの西正面ファサードを残して焼失してしまった。 -
マカオは1887年、ポルトガルの領土となる。
しかし、その頃既に、マカオの繁栄は過去のものとなっていた。
天然の良港を持つ香港が大英帝国の支配化の下、繁栄を謳歌していたからである。
マカオの貿易港としての地位は凋落してしまっていたのだ。 -
1987年、ポルトガルと中国がマカオ返還の共同声明に調印。1999年にマカオは中国に返還された。
現在マカオは特別行政区となり、返還後50年はポルトガル時代の制度が保全されることとなっている。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/sao-paulo -
2月1日(土)
昨晩は、体調が思わしくなかったため早いうちに眠ってしまい、新年のカウントダウンは聞けずじまいだった。
そのせいか、朝は早起きできた。
宿を出て元日早朝のマカオをぶらり歩く。 -
街を歩いていると、到る所から爆竹の音が聞こえてくる。
人々は家の軒先から街路に向かって爆竹を投げ込む。
新年を祝福しているのだ。
しかし、歩行者にとってはたまったものではない。
前触れのない爆竹の激しい音は、びっくりとさせられる。
私は恐る恐る通りを歩かねばならなかった。 -
聖オーガスチン教会。
この界隈は穏やかな風情に包まれていた。
聖オーガスチン教会はスペインのアウグスチノ会によって1586年に創建されたそうである。
午前中は、媽閣廟で人々の初詣の様子を見たり、マカオ一の高所にある灯台に登ったりした。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/macau -
カジノリスボア。
マカオに訪れたらカジノに行こうと思っていた。
そう。
「深夜特急」である。
沢木耕太郎氏と同じように、リスボアで大小をやるのだ。
そう決めていた。 -
カジノリスボアは、大勢の人の熱気でむせ返るようだった。
スロットマシンやルーレット、バカラやブラックジャックなど、様々なゲーム台に人が群がり、嬌声を上げている。
その周りには色っぽい衣装を身に纏ったコンパニオンたちがおり、台の中央では無表情にコインを集めるディーラーの姿があった。
金のない私は200HK$だけ(3200円)をコインに換えると、さっそく「大小」の台に向かった。 -
イチオシ
「大小」とは3つのサイコロの目の数を当てるゲームである。
3つの出目の合計3〜18のうち、4〜11が「小」。5〜17が「大」となる。
3つのサイコロが同じ目となる「ゾロ目」の場合は、親の総取りとなってしまうが、ゾロ目そのものに賭けることもできる。
また、他にも出目の合計を当てることもできる。
結局、2回勝負したが負けた。
沢木氏のように金をつぎ込む覚悟はなかった。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/macau -
マカオは居心地がよいので、もう少し居てもよかったが、中国に発つことに決めた。
翌2月2日、国境を越え、珠海から広州へとバスで向かった。
(写真は、夜のセナド広場)
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