1995/07/24 - 1995/08/01
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北風さん
東欧に入るまで、
正確にはロシア入国を考えるまで、
全くバルト3国なる言葉も知らなかった。
当然その中の LITHUANIA(リトアニア)という国なぞ全く興味も無かった。
しかし、ロシア入国の為にはこの国は最重要 KEY国 だった。
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旅日記
「Where is here ?」
リトアニアのビリニス行きの列車は、昨日、俺と4人の白人旅行者を、ワルシャワ駅のホームに残したまま、こっそりと出発していた。
もともと時刻表など当てにならない東欧で、いつ来るか判らない列車が突然背後に現れ、そそくさとドアを閉めて発車したのを眺めて、俺ができる事はインドで覚えた「無抵抗主義」を実行する事だけだった。
そして、気を取り直してワルシャワのホテルを後にした今日、どうにか無事に列車には乗る事ができた。
さすが友好関係にある国同士、ポーランドの出国も、リトアニアへの入国も、何事も無く終了。
最後の難関は、今日の移動に乗り継ぎがある事だけだった。 -
太陽がだいぶ西に傾いた頃、列車が停車し、乗客が俺を残して全員降り始める。
嫌な予感がした。
ホームに出て、駅員らしきおばちゃんを捕まえて、俺の最終目的地「ビリニス」の名を告げると、おばちゃんは首を横に振った。
「じゃあ、ここは何処なんだ?」と尋ねると、巻き舌を使ったアクセントで始まるそのややこしい駅名は俺の持っている地図には載っていなかった。
つまり、俺は乗り過ごしてしまったという、とんでもない現実に直面しているわけか!
あらためて駅の周りを見渡すと、まともな建物が一つも見えない。
日本の田舎の無人駅の周辺もこんな感じだった。
まてよ、と、いう事は・・
「今日のビリニス行きの次の列車は?」
「この街にホテルは?」
「両替できる所は?」
やはり、全ての質問は「No」で返答された。
ひざから力が抜ける。
落ち着いて現状を把握してみると、俺は使える金を1円も待たないで、名も知らぬ駅に一人立っているという事になる。
明日、列車が来ても、無一文で、チケットをどうやって買えばいいんだろうか?
呆然と立ち尽くす俺の内部で、腹が「グゥ」と鳴いた。
腹が減った。
飯でも食って考えようか?
・・だめだ、俺は無一文だった。 -
「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉は、世界共通らしい。
俺は今、たった一人で東ヨーロッパの片隅の、そのまた片隅の名も知れぬ田舎駅の待合室にいる。
いくら季節が夏でも、東欧の夜は寒い!寝袋の中からも、ベンチが次第に冷たくなっていくのがわかる。
ホテルのベッドが恋しかった。
が、しかし、俺は使える金を持ってなかった。
暖かいベッドも、腹一杯食える飯も、全ては代価を支払う事で得る事ができる。
そこいらの東欧のサラリーマンの平均月収ぐらいのドルは、財布の中に眠っているが、ここで使える金ではなかった。
日本でも田舎のおばあちゃんに、いきなりドルを両替してとお願いしても、ドル札を知らないおばあちゃんにはただの紙切れにしか見えないだろう。
状況は、ここでも同じだった。
両替できる銀行は、首都「ビリニス」にあるらしい。
金はある。それを両替すればいいだけだ。
ただし、両替するにはビリニスに行かなければならない。
行く為には列車のチケットを買う金が要った。
やめた!堂堂巡りだ。
今日の所は俺の負けだ。
朝日が昇る頃には、運が向いてくるかもしれない。
眠りにつこうと瞳を閉じると、心の声が響いてくる。
・・「けっこう、ピンチなのかもしれない」
朝7時、寝ぼけまなこの太陽は、まだこんな東欧の田舎町まで手が廻らないらしい。
ため息混じりの俺のあくびは、白く浮かび上がった。
ベンチの形に固まった背骨を、ギシギシきしませながら起き上がると、1番ホームに俺の「希望」が立っていた。
でかいバックパックを背負った白人の若者、あれは、俺と同じバックパッカーに間違いない。
こんな早朝に、現れるという事は、この街に滞在していたという事になる。
つまり、この国のお金を持っているに違いない。
いや、持っていてくれ!
荷作りもそこのけに待合室を飛び出し、俺の「希望」目がけて猛ダッシュをかける。
必死の形相で5ドル札を振りかざし、走り寄ってきた薄汚れた東洋人、それが彼の目に映った俺の姿だっただろう。
胡散臭げに俺を見つめる青い瞳の中には、迷いがあった。
しかし、今の俺は、イランで刑務所に入れられそうになったあの時と同じ心境だった。
俺には後が無かった。
あの時同様、自分の交渉力と説得力をありったけ振り絞る。
その朝、俺は一生分のツキを使い果たしたかもしれない。
その代償は、握り締めた手の平の中でしわくちゃになったリトアニアの紙幣だった。 -
旅日記
宿探し
一生分のツキをつぎ込んだ俺の列車が、昼過ぎにリトアニアの首都「ビリニス」に滑り込んだ。
うれしい!飛び上がりたいほどに!
人間やはりあきらめちゃだめだ!
なかなか大きい駅だった。
なんと駅前には、Y・Hの案内板まである。
なんて親切な街なんだ!それとも俺はまだツイているんだろうか?
それから、3時間、街角にまるでからかうように現れる、Y・Hへの矢印に誘われるまま、俺は街を4周する事になった。
どうしてもY・Hが見つからない。
まるで宝捜しゲームだ。
やはり、俺のツキは使い果たされたんだろうか?と考え始めた頃、それらしきビルが出現した。
(この街は俺をからかっているんだろうか?)
喜び勇んで中に入ると、
・・そこは事務所だった。
肝心のY・Hは、ここから歩いて1時間かかると言う。
もはや駅前の看板に抗議する元気も無い。
素直に駅前のホテルに泊まる事にした。
東欧で2000円も払っただけあって、ホテルはなかなか広かった。
部屋のテレビが壊れているのは、東欧だから仕方が無い。
スーパーらしき所で、でかい黒パンとチーズ、ハム、ビールを買い込み空きっ腹に詰め込む。
これで250円、安い! -
<ビリニスの中心、「ゲジミナス広場」にて>
「ゲジミノ・ツアー」、この名前だけをたどってここまで来た俺にとって、この広場の名前は、目的地がもうすぐだと知らせてくれた。
俺は、旧ソ連、現在ロシアに入国したかった。
しかし、その為にはVISAが必要だった。
俺のVISAは、ゲジミノ・ツアーという会社だけが発行できるらしかった。
さて、その会社はこのそばにあるはずだが。 -
旅日記
ロシアVISA
1995年8月の現在、東ヨーロッパ内で、日本人の俺がロシアVISAを入手する事は、白人に納豆を食わせるぐらい困難な事だった。
ロシアVISAには、ロシア政府のインビテーション(招待状)と、日本政府のレター(身元保証書)がいる。
それは、一人で放浪している俺にとって、「来るな!」と言っているのも同然の事だ。
旅を始めた頃の俺だったら、素直にあきらめていたかもしれない。
しかし、俺は既に知っていた。
物事には建前と本音がある事を。
法が定める事には必ず抜け道がある。
俺はまず、情報を入手する為に、ハンガリーの日本人宿「テレサの宿」に行った。
日本人宿には必ず、先人の旅人が書き残した「情報ノート」がある。
このノート、そこら辺のガイドブックなど足元に及ばない程の情報が書き記されている。
案の定、情報ノートには、ここリトアニアのビリニスにある「ゲジミノ・ツアー」という会社でのVISA入手方法が書かれていた。
モスクワの「赤の広場」を見るというゴールを目指し、始まったこのRPGゲームさながらの東欧の旅。
その山場が今日だ。
情報ノートに載っていた「ゲジミノ・ツアー」は、あの角を曲がった所にあるはずだ。
俺は、祈るような気持ちで角を曲がった。 -
俺は今から、「最高のガイドブックは?」と尋ねられたなら、絶対日本人宿にある情報ノートと答えるだろう。
ゲジミノ・ツアーは存在していた。
ガラス張りのオフィスには、貫禄のある小学校の校長先生みたいなおばちゃんまでいる。
実は、このおばちゃんが、ロシア政府に強力なコネを持っていた。
おばちゃんいわく、俺のロシアVISAは4日でできるらしい。
しかもたった30ドルで!
俺は、おばちゃんが望むなら1回ぐらいベッドを共にしてもいいとまで思った。
4日後、オフィスで俺はロシアVISAを受け取った。
なんと、ロシアVISAは、パスポートにスタンプされるわけではなく、別冊の冊子で渡された。
こんなVISAは見た事無かったが、長い間自由旅行を認めていなかった社会主義の総本山だから、VISAも特殊なのかもしれない。
いざ、モスクワへ!
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