ペシャワル旅行記(ブログ) 一覧に戻る
平成12年5月13日(土)<br />三日間フンザに滞在してから今日は長駆ペシャームまで449kmを約8時間かけての移動である。行きと同じ道を引き返す旅程だが、見聞が広くなっただけ同じ景色でも新たな発見がある。道中、ガイドのアジハル氏から聞いたパキスタン人の生活状況を記してみると<br />・生活費は平均的に一人月3000ルピー位必要で、都会地の4人家族だと家賃を入れて月15000ルピー程必要だという。<br />・学校の先生の初任給は月2000ルピーで、給料は安いと一般に言われている。   <br />・軍隊の初任給は兵隊で月1400ルピーだが、衣服や手当ての支給があり、将校の初任給は月4000ルピーでいろいろな福利厚生施設や手当ての支給があるので優遇されている。しかし、将校になるには競争率200倍程の士官学校へ入学し卒業しなければならない。<br />・兵役は徴兵制度ではなく志願兵制度であるが、一般に職が少ないので応募は非常に多い<br />・イスラム教徒が守らなければならない行いは五つあり、<br />それは・一日五回の祈り  ・喜捨  ・断食 ・巡礼 ・年長者への尊敬である。                          <br />平成12年5月14日(日)<br /> 昨夜はペシャームで宿泊した。朝早く起き出して出発までの時間を利用してペシャーム村の中を散歩した。バザールのある中心地までは時間がなくて行くことができなかったがカラコラワハイウエイ沿いの道を20分ばかり歩いて、吊り橋のあるところまで行った。途中ここでも道路傍にちらほらと村人が人待ち顔で佇んでいるのを目撃した。すると間もなく、けたたましいホーンを鳴らしてトラックが近づいてくると彼らは器用に飛び乗って車は走り去って行く。どこへ行くのかは定かでないが、多分職場へ出掛けたものと思われる。また道の両側に広がる田畑の畦道を少女が頭に水瓶を乗せて歩いているかと思えば少年がチャパティーの入った籠とミルクが入っていると思われる吊り手のついた容器をぶら下げて私の後をつけてくる。吊り橋の中央でインダス川の流れを撮影しているとその少年は物珍しそうにビデオカメラに視線を投げかけてくる。写してあげようかと言ってカメラを向けると「ノー」と拒絶し、慌てて駆けだしていった。橋の袂では毛布にくるまって野宿している若い男達が5人ほどいて、そのうちの一人は朝の光の中で読書していた。他の一人はメッカの方向に向かってしきりに体を折ったり起こしたりしながらお祈りをしていた。<br />午前中ハイウエイをタキシラへ向けてひたすら走行した。ここからは次第に山は途切れて平地に変わり、田畑が広がっている。そして山間地ではついぞ見かけたことのないオートバイが疾駆しているのを頻繁にみかけるようになる。また自転車に乗っている人も時々現れる。そして満艦飾のトラックの数が一段と増えて、人で鈴なりのスズキも行き交っている。都会地へ近づくにつれ次第に交通量は増えてくるが、まだまだ交通渋滞が起こるというほどではなく、車はすいすい走行できる。<br /><br /> やがてタキシラの町へ入った。博物館の近くでは道端の木の下で職人達が鑿を振るって挽き臼を作っている。傍らには荒削りした臼が積み重ねられていて反対側の店先には完成した臼や美しく塗装された壺が並べられている。<br /><br />ジュリア遺跡、シルカップ遺跡、タキシラ博物館の順序でガンダーラ文化の一端を見学した。<br /><br /> ジュリア遺跡はクシャナ王朝の時2世紀頃創建された僧院で4〜5世紀にかけて大々的な修理がなされたと考えられている。この遺跡は標高差80m位の小高い山の上にある。遺構は塔院部と僧院部に別れていて、塔院部の入り口から入ると左右の壁には祀堂があるが中の仏像は殆ど無くなっている。奥へ進むと一段高くなった塔院に大ストゥーパ(塔)がありこれを取り巻いて約20個の四角い奉献ストゥーパがある。そのストゥーパの周囲には仏像や動物等の像があり、浮き彫りで飾られている。しかし過半のものが壊れていて仏像などで顔が満足に残っているものは数個しかない。それでも僅かに残っている完全な姿の仏像は情感の籠もった顔つきをしており、こころなしかギリシャ彫刻に似通った趣が感じられる。ここにあった仏像の幾つかはタキシラ博物館に移設して展示されているという。<br /> 塔院部の隣の僧院は石組みの外壁が29の小部屋に仕切られて正方形の内庭を取り囲んでおり、内庭には僧院があったということが判る正方形の礎石だけが残っている。僧院には厨房や食堂、集会所なども付設されており、排水設備の跡も残っている。<br /> 塔院部、僧院部共に屋根は落ちてしまって僅かに外壁が残っているだけだが、当時の建物の規模はこれにより想像することができる。またストゥーパを飾っている仏像や動物は塑像で黄土色の粘土に漆喰を混ぜ合わせたものが使われているようである。<br /> 次に訪れたシルカップ遺跡は紀元前190年頃、この地に侵入したバクトリアのギリシャ人が最初に建設した計画的な都市遺跡であると考えられている。その後サカ、パルティア時代を経てクシャナ朝の初めに都市を北のシルスフに移すまで約3世紀間続いた。AD2世紀頃大地震があり都市は破壊された。現在の遺跡はサカとパルティア時代の影響が認められるという。整然と区画された都市跡であるということが素人目にも判る広大な遺跡であるが、建造物は台座のようなものがちらほらと残っているだけで、詳しい説明を聞かなければ何がどこにあったのか想像することさえできない。<br /> ここで有名なのは双頭の鷲のストゥーパである。これは大路の中央辺に8.7m×6.7mの長方形のストゥーパの基壇が残っていてこれに施された双頭の鷲の彫刻にインド、イラン、ギリシャの三文化が影響しあい融合した痕跡が認められるというのである。即ち腰壁にコリント式の柱頭飾りをつけた壁柱や三角の破風が彫刻されているのがギリシャ風 であり、チャイティア・アーチを持つ戸口がインド風である。更にその上に乗っている双頭の鷲は西アジアの起源であってこれがイラン風であるというのである。<br /> タキシラにはこの他にダルマラージカ、ジャンディアール、シルスフ、モーラー・モラード寺院、ピッパラ等の遺跡があり全部見るためには3日必要だという。これらの遺跡は仏教遺跡の他に、都市遺跡とゾロアスター教の神殿跡からなっている。<br /><br /> 最後にシルカップ博物館を訪ね駆け足で展示物を鑑賞した。印象に残る展示物はなかったが、警備員の勤務態度には大きな問題があるという印象だけが残った。館内は撮影禁止になっているのだが、私がビデオカメラをオフにして首からぶら下げているのを認めた警備員が人の居ない部屋へ誘い込み、展示物を撮影しろというのである。これはチップをねだる魂胆だなと察知したので断って別室へ移動した。すると、この部屋の警備員も同じことをするのである。これがチップを要求するための行為であることは先般ジョリア遺跡を見学したときに苦い思いをしているので直ちに相手の意図が読めたのである。<br /> ジョリア遺跡へ入場したときここでは撮影可能であったが、警備員がいち早く私を誘って他の見学者が来る前に撮影しろと完全形の仏像の所へ案内したのである。親切な人もいるものだと早速シャッターを切ると早速手を出してチップを要求されたのである。人だかりする前に撮影できたのは確かに彼の案内があったからなので便宜を受けたことは事実である。要求されるままにチップを渡した。2ドルの要求であった。こうしたやりとりを通じて後進国特有の官吏の役得という悪弊が根強くはびこっているなという印象をもった。そして軍隊が政府機関や民間主要企業に監視員を常駐させて業務効率の向上を図り、賄賂や役得を一掃しようと試みている現軍事政権の政策が理解できるような気がした。<br /> この後イスマラバード市内へ戻り、シャトルモスクを見学した。アジアでは最大のモスクで10万人の信者を収容できるということである。建物は幾何学的な線を大胆に取り入れた設計でその白い建築物は広大な計画都市イスマラバードの構成要素として相応しいと思った。   <br /><br />http://4travel.jp/traveler/u-hayashima/album/10057775/

ワープロで描いた俳画・・・ジョリア遺跡で体験した官憲の堕落

4いいね!

2000/05/13 - 2000/05/14

17位(同エリア22件中)

0

3

早島 潮

早島 潮さん

平成12年5月13日(土)
三日間フンザに滞在してから今日は長駆ペシャームまで449kmを約8時間かけての移動である。行きと同じ道を引き返す旅程だが、見聞が広くなっただけ同じ景色でも新たな発見がある。道中、ガイドのアジハル氏から聞いたパキスタン人の生活状況を記してみると
・生活費は平均的に一人月3000ルピー位必要で、都会地の4人家族だと家賃を入れて月15000ルピー程必要だという。
・学校の先生の初任給は月2000ルピーで、給料は安いと一般に言われている。   
・軍隊の初任給は兵隊で月1400ルピーだが、衣服や手当ての支給があり、将校の初任給は月4000ルピーでいろいろな福利厚生施設や手当ての支給があるので優遇されている。しかし、将校になるには競争率200倍程の士官学校へ入学し卒業しなければならない。
・兵役は徴兵制度ではなく志願兵制度であるが、一般に職が少ないので応募は非常に多い
・イスラム教徒が守らなければならない行いは五つあり、
それは・一日五回の祈り  ・喜捨  ・断食 ・巡礼 ・年長者への尊敬である。                          
平成12年5月14日(日)
 昨夜はペシャームで宿泊した。朝早く起き出して出発までの時間を利用してペシャーム村の中を散歩した。バザールのある中心地までは時間がなくて行くことができなかったがカラコラワハイウエイ沿いの道を20分ばかり歩いて、吊り橋のあるところまで行った。途中ここでも道路傍にちらほらと村人が人待ち顔で佇んでいるのを目撃した。すると間もなく、けたたましいホーンを鳴らしてトラックが近づいてくると彼らは器用に飛び乗って車は走り去って行く。どこへ行くのかは定かでないが、多分職場へ出掛けたものと思われる。また道の両側に広がる田畑の畦道を少女が頭に水瓶を乗せて歩いているかと思えば少年がチャパティーの入った籠とミルクが入っていると思われる吊り手のついた容器をぶら下げて私の後をつけてくる。吊り橋の中央でインダス川の流れを撮影しているとその少年は物珍しそうにビデオカメラに視線を投げかけてくる。写してあげようかと言ってカメラを向けると「ノー」と拒絶し、慌てて駆けだしていった。橋の袂では毛布にくるまって野宿している若い男達が5人ほどいて、そのうちの一人は朝の光の中で読書していた。他の一人はメッカの方向に向かってしきりに体を折ったり起こしたりしながらお祈りをしていた。
午前中ハイウエイをタキシラへ向けてひたすら走行した。ここからは次第に山は途切れて平地に変わり、田畑が広がっている。そして山間地ではついぞ見かけたことのないオートバイが疾駆しているのを頻繁にみかけるようになる。また自転車に乗っている人も時々現れる。そして満艦飾のトラックの数が一段と増えて、人で鈴なりのスズキも行き交っている。都会地へ近づくにつれ次第に交通量は増えてくるが、まだまだ交通渋滞が起こるというほどではなく、車はすいすい走行できる。

 やがてタキシラの町へ入った。博物館の近くでは道端の木の下で職人達が鑿を振るって挽き臼を作っている。傍らには荒削りした臼が積み重ねられていて反対側の店先には完成した臼や美しく塗装された壺が並べられている。

ジュリア遺跡、シルカップ遺跡、タキシラ博物館の順序でガンダーラ文化の一端を見学した。

 ジュリア遺跡はクシャナ王朝の時2世紀頃創建された僧院で4〜5世紀にかけて大々的な修理がなされたと考えられている。この遺跡は標高差80m位の小高い山の上にある。遺構は塔院部と僧院部に別れていて、塔院部の入り口から入ると左右の壁には祀堂があるが中の仏像は殆ど無くなっている。奥へ進むと一段高くなった塔院に大ストゥーパ(塔)がありこれを取り巻いて約20個の四角い奉献ストゥーパがある。そのストゥーパの周囲には仏像や動物等の像があり、浮き彫りで飾られている。しかし過半のものが壊れていて仏像などで顔が満足に残っているものは数個しかない。それでも僅かに残っている完全な姿の仏像は情感の籠もった顔つきをしており、こころなしかギリシャ彫刻に似通った趣が感じられる。ここにあった仏像の幾つかはタキシラ博物館に移設して展示されているという。
 塔院部の隣の僧院は石組みの外壁が29の小部屋に仕切られて正方形の内庭を取り囲んでおり、内庭には僧院があったということが判る正方形の礎石だけが残っている。僧院には厨房や食堂、集会所なども付設されており、排水設備の跡も残っている。
 塔院部、僧院部共に屋根は落ちてしまって僅かに外壁が残っているだけだが、当時の建物の規模はこれにより想像することができる。またストゥーパを飾っている仏像や動物は塑像で黄土色の粘土に漆喰を混ぜ合わせたものが使われているようである。
 次に訪れたシルカップ遺跡は紀元前190年頃、この地に侵入したバクトリアのギリシャ人が最初に建設した計画的な都市遺跡であると考えられている。その後サカ、パルティア時代を経てクシャナ朝の初めに都市を北のシルスフに移すまで約3世紀間続いた。AD2世紀頃大地震があり都市は破壊された。現在の遺跡はサカとパルティア時代の影響が認められるという。整然と区画された都市跡であるということが素人目にも判る広大な遺跡であるが、建造物は台座のようなものがちらほらと残っているだけで、詳しい説明を聞かなければ何がどこにあったのか想像することさえできない。
 ここで有名なのは双頭の鷲のストゥーパである。これは大路の中央辺に8.7m×6.7mの長方形のストゥーパの基壇が残っていてこれに施された双頭の鷲の彫刻にインド、イラン、ギリシャの三文化が影響しあい融合した痕跡が認められるというのである。即ち腰壁にコリント式の柱頭飾りをつけた壁柱や三角の破風が彫刻されているのがギリシャ風 であり、チャイティア・アーチを持つ戸口がインド風である。更にその上に乗っている双頭の鷲は西アジアの起源であってこれがイラン風であるというのである。
 タキシラにはこの他にダルマラージカ、ジャンディアール、シルスフ、モーラー・モラード寺院、ピッパラ等の遺跡があり全部見るためには3日必要だという。これらの遺跡は仏教遺跡の他に、都市遺跡とゾロアスター教の神殿跡からなっている。

 最後にシルカップ博物館を訪ね駆け足で展示物を鑑賞した。印象に残る展示物はなかったが、警備員の勤務態度には大きな問題があるという印象だけが残った。館内は撮影禁止になっているのだが、私がビデオカメラをオフにして首からぶら下げているのを認めた警備員が人の居ない部屋へ誘い込み、展示物を撮影しろというのである。これはチップをねだる魂胆だなと察知したので断って別室へ移動した。すると、この部屋の警備員も同じことをするのである。これがチップを要求するための行為であることは先般ジョリア遺跡を見学したときに苦い思いをしているので直ちに相手の意図が読めたのである。
 ジョリア遺跡へ入場したときここでは撮影可能であったが、警備員がいち早く私を誘って他の見学者が来る前に撮影しろと完全形の仏像の所へ案内したのである。親切な人もいるものだと早速シャッターを切ると早速手を出してチップを要求されたのである。人だかりする前に撮影できたのは確かに彼の案内があったからなので便宜を受けたことは事実である。要求されるままにチップを渡した。2ドルの要求であった。こうしたやりとりを通じて後進国特有の官吏の役得という悪弊が根強くはびこっているなという印象をもった。そして軍隊が政府機関や民間主要企業に監視員を常駐させて業務効率の向上を図り、賄賂や役得を一掃しようと試みている現軍事政権の政策が理解できるような気がした。
 この後イスマラバード市内へ戻り、シャトルモスクを見学した。アジアでは最大のモスクで10万人の信者を収容できるということである。建物は幾何学的な線を大胆に取り入れた設計でその白い建築物は広大な計画都市イスマラバードの構成要素として相応しいと思った。   

http://4travel.jp/traveler/u-hayashima/album/10057775/

同行者
一人旅
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

PR

この旅行記のタグ

4いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

パキスタンで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
パキスタン最安 626円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

パキスタンの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP