2010/02/20 - 2010/02/20
796位(同エリア1853件中)
吉備津彦さん
岡山市新庄上の庚申山(74.2m)は、高松水攻めの際毛利方の吉川元春が本陣を構えた丘陵である。麓から真っ直ぐに300段ほどの急な階段が帝釈天を祀る帝釈堂(庚申堂)までつづく。その帝釈堂のある山上には花崗岩の巨岩がむらがり、その一つに毘沙門天を刻んだ磨崖仏がある。
大きな花崗岩の岩の突き出た部分を平らにし、邪鬼を踏まえた等身大の毘沙門天像を薄肉彫りしたもので、右手で鬼の片足を抱え、左手で宝塔を捧げる。兜のシコロ部分が大きく金太郎人形の髪型のように見える。誇張した姿態の表現や顔つきなど、五月人形を思わせる毘沙門天像である。
帝釈天は須弥山の頂上(喜見城)にすみ、四天王以下、三十三将を従え、天軍を指揮する仏法守護の主神である。高さ70mほどの小さな丘であるが毘沙門天を刻むこの岩をはじめ、巨岩がむらがる庚申山は仏法守護神の中心、帝釈天を祀るにふさわしい地であるといえる。
帝釈天信仰は江戸時代、庚申の主神として庚申信仰とともに広がっていった。庚申山も同様である。庚申山は岡山市内(岡山市花尻)にもう一つあり、そこも帝釈堂(庚申堂)のがあり、帝釈天が祀られている。
- 交通手段
- 自家用車
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麓の鳥居
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鳥居の額、拡大
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鳥居前の猿像
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後姿
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顔のアップ
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小猿の顔のアップです。
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イチオシ
もう一体
親猿と同じように小猿も立っています。 -
後姿
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親猿アップ
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小猿アップ
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真っ直ぐな三百段の石段
なかなか登り応えがあります。 -
石段途中にある庚申山の由来書
室町時代には大伽藍があったそうですが高松城水攻めの時吉川元春が陣を敷いた為に焼き討ちに遭い、江戸時代に庚申信仰の山になったなどが詳しく書かれています。 -
山頂のお堂に行く途中にある猿像
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同じ猿像、ふたつで1対です。
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後姿
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弘化三年四月の銘がありました。
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横からのショット
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釣鐘堂
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この鐘は領主の花房氏の寄贈だったそうですが太平洋戦争中に供出された為、現在の鐘は昭和23年に復元した2代目の鐘です。
撞いてみましたがとても良い音がしました。 -
釣鐘近くの猿像
1匹だけで相方は居ませんでした。
花がお供えされていたので気づきました。花がなければ見落として居たでしょう。
かなり風化してますがお猿の顔が判ります。 -
イチオシ
山頂お堂前の猿は桃を持っています。
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後姿
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顔アップ
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相方も桃を持っています。
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顔アップ
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後姿
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山頂の二十番地蔵
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イチオシ
毘沙門天像
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岩の上の石塔
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山頂からの眺め
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お堂前の石塔
弘化三年の文字があります。 -
山頂の祠
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山頂の石塔
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巨石に彫られた御経
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イチオシ
帝釈天堂
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