1998/09/28 - 1998/09/29
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早島 潮さん
昨日は、今話題のツイッターとはいかなるものかを勉強しツイッター用の自分のページを開設するのに時間を費やした。
http://twitter.com/katarewagatomo
1998.9.28
夫婦二人旅でトルコへ行った時、長時間の空の旅の所在なさのまま窓の外を見ると一面の雲海を切り裂くような飛行機の航跡が目に飛び込んできた。
当時の旅の日記を探し出したので補遺として以下にアップする。陰険なロシア官憲に対する悪感情がさりげなく吐露されている。
平成10年9月28日(月)
朝、生憎の雨。バスで綱島駅へ出て、横浜駅へ急ぐ。通勤時間帯にかかり、混むかと思っていたが、7時半だったので一足早く、混雑を避けた形になった。成田エキスプレスの乗車券を購入してあったので、慌てることはない。この時間帯には横須賀線も5分刻みくらいの間隔で発着しているが、どの電車も満員である。若い人達が職場へ急ぐこの時間帯に外国旅行のため同じ電車に乗っているのが申し訳ないような気持ちになる。その一方でこの朝の喧騒から解放されて何の制約もない勝手気儘な時間が過ごせる幸せを噛みしめている。
集合時間の10時を15分程廻って、指定の場所へ行くと、他の参加者達は過半の人が到着している模様である。担当の鈴木泉さんが受け付けをしていた。今回も女性の添乗員である。
再集合時間までの待ち時間を利用して、シティバンクのATMへ急行し10万円を引き出した。丁度機械の点検中であったが、利用には支障がなかった。外貨に両替するために修子が行列している千葉興行銀行へ戻ってくると、彼女が丁度窓口で用を済ませて、バッグへ収納しているところであった。私が交換を依頼したのは、217ドルで29,978円、@138.147 円である。
添乗員の説明が始まった時、70前後の柄の良くない男がおり、今回の旅行は不愉快な思いをするのではないかという予感がした。
モスコーまで10時間というが、今回はトランシットだとはいえ、初めて降りる空港なので楽しみである。始動開始12時15分、離陸12時36分である。曇りなので、離陸すると間もなく下界は見えなくなってしまった。時差の影響をうけないように、寝られるだけ寝るように勤めた。途中、多分ウラル山脈の手前であろうと思われる地点で目が覚めた。
・雲海に 残れる航跡 秋の空
・雲海の 切れ間に覗く ウラル雪
飛行機が着地態勢にはいった頃には、耳が気圧変化の影響で重苦しい感じになり、声や音が聞き取り難い。緊張のうちに、ガタンという機体から車輪のでる音がしたなと思っていると、窓の外にいきなり、滑走路が見えだした。着地10時28分 (日本時間) 、5 時28分 (モスコー時間) であった。
・霧の秋 忽然として 機は着地
トランシットの為、空港の外へ出ることが出来ず、手続きの済むまで待たされる。この間約 1時間。当初 2時間くらいかかるかもしれないと聞かされていたので、ほっとする。 それにしても、空港からバスに乗せられてノボテルホテルへ着き、部屋へ通されるまで絶えず監視付きで何となく薄気味が悪い。エレベーターに乗るにも、10人宛に分けられて監視人がついているし、廊下出入口には鍵が掛けられており、一歩も外へでることが許されない。
・トルコへの 乗り継ぎ泊や 霧の秋
・露都の秋 乗り継ぎ泊の 不気味さや
機内で出された 2回目のものが夕食に相当し、軽食であったが、運動量が少ないので、全然空腹を感じない。成田で夕食がないから食事代わりにつまめる物をとの助言により、おかきを買ってきたが、手をつける気も起こらない。
ホテルはノボテルホテルと謂い、空港から至近距離のところにあり、歩いても行けそうなところである。空港からホテルまでのバスの窓から見た白樺林は、霧の中で美しく見えた。曇り空で雨がぱらついているので遠望はきかない。
ホテルの部屋はそれなりに、立派であり、部屋もゆったりと広くとってあり、ベッドはダブルベッドがツインで入っていた。今回の旅行中、ホテルの部屋だけはこのホテルが一番良かったと思う。歩行数5844歩。
テレビはアメリカ、ドイツ、イギリスのニュース番組や歌、映画がロシアの番組以外にも放映されており、意外な感じであった。自由化は相当浸透しているという感じである。 することもないので20時に寝たら22時に目が覚めてあとは、朝までうつらうつらと寝るでもなく、起きるでもない状態が続いた。
平成10年9月29日 (火)
6時モーニングコール、6時半荷物出し、7時食事という予定になっているが、廊下からは外へ一切出られないのだから、ホテル内を階下のロビーへ移動することも許されていない。まことに不便な宿泊である。このような状態に置かれて、自由の有り難さというものを実感した。犯罪人が身柄を拘束されて、獄舎につながれている時どのような思いで、自由を渇望しているかが判るような気がする。多分第一に、監視なしに自由に何処へでも行ける自由。第二に、自分の考えや思いを不安なしに開陳できる自由。第三に、代価を払えば欲しいものは何でも手に入る自由。第四に、将来処罰されるかもしれないと怯えなくてもすむ自由。これらが獄舎につながれた人達が欲する自由ではなかろうか。
朝食は、エレベーターの乗り降りにも監視人付きの上、決められた部屋へ監視人に誘導されて入り、着席した。人数とテーブルの上のカップやナイフ、フォークの数が合うまで何回もチェックが行われた。員数があって初めて、パンが2個宛配られた。他の副食は一切なしである。机の前には大小2個のポットが置いてあり、コーヒーだけが入っていた。極めて粗末な朝食である。ロシアという国は余程困っているのだろうか。トランシットの客とはいえ、国の玄関口に当たるホテルでの朝食がこれである。口コミ効果を考慮して、1回だけの朝食なのだから、もっと見栄をはってもよさそうなものだと思うのだが、ことほどそれまでに国の経済が窮乏化しているというのだろうか。
空港まで再びバスで送られて、8時45分塔乗開始、9時7分始動、9時16分離陸。アンカラ空港へ12時10分着地(現地時間11時10分)
バスガイドはサリーさんという29才のトルコ人独身男性で、イスタンブールの語学学校で2年半日本語を勉強した後、東京の中野と松戸で2か月半研修したというが、敬語をまじえながらの綺麗な日本語を喋る。
アンカラはケマルパシャが独立革命成功後、1923年に首都に定められた。大雑把に言って、トルコは人口6500人で日本の半分、面積は日本の2倍、アンカラの人口は、350万人でトルコ2位の都市。イスタンブールの人口は1100万人という。
トルコは回教の国というふうに思われているが、宗教の自由は憲法で保証されている。実際の信者は人口の9割位が回教徒であるが、政教分離が行われており、社会に自由闊達な雰囲気がある。ケマルパシャは建国の父という意味でアタチュルクと尊称されている。 トルコは、第一次世界大戦でドイツと組んで敗戦の憂き目を見、列強の国土分割政策の餌食となるところを独立戦争を組織した指揮官ケマルパシャの指導のもとに、よくこれを免れた。初代大統領に選出されたケマルパシャは、炯眼よく将来を見通し、政教分離、信仰の自由、アラビア文字からの解放を実現した。この政策が如何に優れたものであったかは、イラン、イラクの後進性と貧困、暗鬱の国柄を考えるとき自明のものであろう。
アンカラの周辺は高層ビルの建築ラッシュである。後で判ったことであるが、建設ラッシュはひとり、アンカラに止まらず、カッパドキア、パムッカレ、イズミール、チャナッカレ、イスタンブールと旅程が進んでも、何処の地でも建設ラッシュが続いていた。このことがトルコの凄まじいインフレをもたらしているのであろうか。日本円1円がトルコリラ2,000 リラというのは異常である。毎月物価は上昇しているようである。飲料水ボトル1 本が100,000 リラ、ビール 1本が300,000 リラという価格の世界では貨幣価値の感覚が麻痺してしまいそうである。1,6000,000のワインを飲んだといえば大変な贅沢をしたように聞こえるから不思議なものである。
最初に訪れたのはアナトリア文明博物館である。この博物館は所蔵品の豊富さ、展示方法の秀逸ということで、ヨーロッパに数多い優れた博物館を置いて、優秀な博物館としての賞を受けているということである。
展示されている物は全てアナトリアからの出土品で、回廊に沿って年代順に配列されている。旧石器時代、新石器時代、青銅器時代、ヒッタイト時代、フリュギア王国時代、アッシリア植民地時代、ギリシャ・ローマ時代と貴重な遺物が展示されている。日本では神話の時代であり、文明の古さ、奥行きの広さという点では、非常に大きな格差を感じざるを得ない。このアナトリア文明博物館は、ビザンティン時代の城壁が残る丘に建てられており、もともとは隊商宿とした建物である。15世紀に貴金属市場として使われたものを博物館に改造したものといわれる。
アナトリアの女神ギベレ神像、ヒッタイト帝国のハットシヤス、フイギリア王ミダソス等という名をここで初めて知った。
次に訪れたのはアタチュルク廟である。1944〜1953年にかけて建てられたケマルパシャの霊廟でアンカラ市内を一望できる位置にある。参道の入り口にはインディペンデンスタワーとリバティータワーがあり、それぞれの前に3 人ずつの男女の像が建っている。男性像は学業、農業、軍事に携わる青年像であり、女性像はアタチュルクの死を嘆き悲しむ姿である。これらの像の先に24頭のライオン像が並び、聖廟は全面に10本の柱が目立つ角形の建物である。中の壁は大理石張りで天井のモザイクも素晴らしい。入り口の外壁には青年にあてたアタチュルクの演説の一節が刻みこまれている。非独裁国家である民主国で建国者の像が至るところに建てられ、紙幣にまで使われていて、国民に敬慕されている国は珍しい。人間的にも魅力のある偉大な指導者であったのだろう。ケマルパシャは独立戦争で大勝したチャナッカレの戦いを指揮した軍人である。
アタチュルク廟を最後に、アンカラを離れ、宿泊地のカッパドキアへ向かう。途中、キャラバンサライと呼ばれる隊商宿の廃屋を二箇所目撃した。駱駝の一日行程の距離毎に設けられていたという。この道はシルクロードとも一致する道であるという。道々、トルコ事情の説明があった。サラリーマンの平均月収は日本円換算で4 〜5 万円であるという。 カッパドキアとは地方の名前であり、綺麗な馬の国ということである。カッパドキアに着いた頃には日も落ちたが、窓越しに見える大地は広大ではあるが、麦の取り入れが終わったせいか一面が枯れた色で、荒涼とした感じがあって緑が見えない。ホテルへ入る前にアヴァノスという部落の巨大な岩の中に作られた陶磁器の工房を訪問した。この地の陶芸はヒッタイト時代からの伝統産業であり、世界的に有名な職人が土瓶作りを実演で見せてくれたが、別々に作った、蓋が土瓶にぴたりと嵌まった時には、見学の群衆から期せずして拍手が沸き上がった。葡萄模様の入った皿を見つけて修子は値段交渉に入ったが、いとじきに制作段階での疵を発見し、買うのはやめた。模様が気にいったらしく、代替品を探してもらったが、葡萄模様の作品は数が少なく、結局買うことができなかった。夕闇もかなり進んだ頃、ウルギップのムスタファホテルに入った。今回の旅行で初めてのきちんとした夕食である。夕食はバイキング料理であった。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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