2009/08/11 - 2009/08/11
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fukubaraさん
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2009夏、盆連休を利用して韓国南部の地方都市を巡回してきました。各都市の訪問記を連載します。
やや小説仕立てですが、全てドキュメンタリーです。
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14時頃着、観光案内所で見所を尋ねると、係の女は地図上の中央塔イラストを丸で囲んだ。バス片道20分の由だが予定外だったので無視。後で調べると新羅時代の高さ15Mもある国宝第6号だった。忠州市HPで事前に見た官衙公園の位置を訊くと、女は顔を歪め乍らバス路線番号等を教えた。
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まずKR忠州駅前でモーテル確保せんと歩き出すと少雨が豪雨に。3万Wから5,000W値引失敗。タクシーで官衙公園へ向うと雨があがった。公園内は清寧閣なる建物と多少の記念碑等の他はガランとしてた。再び雨が降出してみると傘がない。タクシーに置忘れたのだ。アーケード付商店街に避難し雨傘6,000Wを買う。
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方位磁石頼りに西へ歩くが、ファジーなイラスト地図で現在地を探せず、バス停に腰掛けるオヤジに助けを求めると、このスーパーはアレ、このTV局はソコと、イラストのお陰でオヤジは答を出せた。
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目指すは弾琴台公園。達川と漢江の合流地点に突出た独立丘だ。その昔、琴の名手の故事から弾琴台の名があるが、壬乱時の古戦場でもある。あと3キロ程と解り歩き通す決心を固め足取りも軽く出発するや再び豪雨に。
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申砬は兵8,000を此処に籠城させた。3方が川の背水陣だが、前方も湿地帯の為、騎兵は足場が悪く使えず、戦略として疑問が残る。セジェ峠を安易に放棄した事も、明の援軍の将・李如松が漢詩で揶揄した。
雨まみれ疲労困憊の末、漸く公園に着いた私は、日本式山城を彷彿とするコンパクト乍ら険阻な要害と思った。兵8,000で固守すれば倭軍も容易に攻略できまいと云う思考回路は理解できる。やはり敵前逃亡による自壊防止には、全兵力を背水陣に閉じ込め要害堅固を頼んで時間稼ぎする他、選択肢はなかったか。 -
有馬ら3,700を忠州城に留め、小西7,000・松浦3,000は私が歩いた本街道から西進、宗5,000は達川右岸から北上した。果して数と装備の格差は動かず落城、申は川へ身を投げた。
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移動中の豪雨が公園で少雨になったのは幸運とすべきか。別峰に展望台があり、その下の崖に申砬将軍殉国之址碑を見つけた頃には雨もあがった。崖際に大岩が衝立の様に立ち、寄懸って眼下を見下せば、川の流れ、架る橋、横たわる中洲等が一幅の名画を構成する。
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私は長い間、申砬になりきって独り崖下を見つめた。この旅のクライマクスであった。
忠州軍全滅の報を受け、国王は慌ただしく漢陽を捨て、その後、開城、平壌、義州と北鮮領を転々とする。私は、ターミナル階上のロッテマートで酒や菓子を補充し、食堂エリアでは和食屋のトンカツを注文した。
南韓州遊記は、以下のサイトでもご覧になれます。
http://fukubara.web.infoseek.co.jp/
(安芸・毛利一族「等!」HP)
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