2009/10/24 - 2009/10/24
60位(同エリア160件中)
カンゲンさん
「洛陽」と言う地名を初めて知ったのは遥か昔、小学生の頃に芥川龍之介の「杜子春」を読んだ時。
その当時は夢にも思わなかったこの地を訪れることが出来ました。
別名「牡丹城」、紀元前700年の周以来、東漢、三国の魏、北魏、隋など9王朝の都城(九朝古都)。
『龍門石窟』(世界遺産:1003 2000年)
洛陽の南12キロ、伊水の両岸に位置する『龍門石窟』、開かれたのは1500年前、中国の北半分を支配していた遊牧民である鮮卑族の王朝である北魏である。
北魏は仏教文化を積極的に吸収し、都である平城(山西省大同)に『雲崗石窟』を開く。
第六代皇帝・孝文帝が494年洛陽に遷都し『龍門石窟』が開かれ、北魏の崩壊後は荒廃するが隋の中国統一を経て唐の時代、石窟活動が再開された。
-
今日は専用車と日本語ガイドの牛さんの案内での洛陽観光します。
鄭州のホテルを8時出発、高速道路を走行していると五岳の一つ嵩山が見えてきました。 -
龍門橋
伊水の対岸には白園(白居易墓)があります。 -
龍門の入口は中国人観光客で溢れておりました。
-
賓陽北洞
「賓陽三洞」のうち、北側にある。
北魏・宣武帝の時代に工事を開始したが唐代に完成。 -
賓陽中洞
北魏代500年、工事が始まり517年頃に完成。
北魏時代の特徴で顔面はほっそり、唐代の美人像はふっくらしている。
前面の壁には「皇帝と皇后の行列図」の浮き彫りがあったが削り取られ海外に流出した。 -
賓陽南洞
北洞と同様に唐代に完成。 -
石段は沢山の中国人観光客でラッシュアワー並みです。
外国人は殆ど見かけません、もちろん日本人も。 -
伊水の大洪水でここまで水位が上昇したそうです。
-
-
万仏洞の「阿弥陀如来像」、唐代の680年完成
洞内の東西の壁には1万500体もの小さい仏像が彫られていました。 -
蓮華洞
北魏後期、天井に大きな蓮華の花の彫刻、五尊像はどれも面部を失っている。 -
奉先寺洞
廬舎那仏は則天武后がモデルと言われている。
唐の高宗672年開鑿し675年に完成。
則天武后が2万貫をだし工事を助けた記録があるそうです。 -
-
-
皇甫公窟、北魏527年の完成
-
古陽洞
北魏が洛陽に遷都した前後の石窟 -
西山の南端の洞窟群
-
澄水橋を渡って東山側へ
-
東山側の展望台から見た伊水対岸の奉先寺洞
-
白園
-
白居易(白楽天)の墓
-
「老洛陽麺館」で昼食
洛陽の大学で学んだガイドの牛さんによると、地元の人気店だそうです。 -
洛陽宮ビール
残念ながら冷たくありません。 -
焼きそば、餃子、スープ
-
-
-
ハスの実のスープ
少し酸っぱく、辛い微妙な味、おいしかった。 -
楽しみにしていた「洛陽博物館」は、臨時休館
またもや中国のサービス精神のなさに絶句、ガイドさんも知らなかった。 -
-
替わりに「周王城天子駕六博物館」
東周の大型車馬陪葬坑を博物館と王城広場として整備保存されています。
周の天子が乗った六頭立ての馬車の意味です。 -
-
白馬寺
東漢時代の西暦68年の創建、中国最古の寺院。
「天竺から招かれた迦葉摩騰と竺法蘭の二人の僧が、白馬に乗り経典を携えて、都の洛陽を訪れた。」という説話に因んで名づけられた。 -
二人の僧の塚があります。
-
-
-
境内で
-
-
空海像は日本人が建てた。
-
中印友好を記念してインドから贈られた建物、ストーパですネ。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
洛陽(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
39