2009/08/09 - 2009/08/10
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ライオンベラーさん
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(15 http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10398034/ の続きです。)
東北6大祭りは、もうすべて巡り終えました。
今回も、そのほとんどが初めてのところで、すべてわくわく気分で訪れることができました。
今日は、いよいよ最終日です。
午前中に海岸部の松島などを巡って、その後帰路につくことにしました。
松島は、ずっと前に職場の旅行で訪れています。
そのときは牡蠣丼(かきどんぶり)のようなものを食べて、遊覧船に乗った記憶があります。
確かそのときに”みちのく伊達政宗歴史館”に入って、模型による政宗の生涯(しょうがい)を見た記憶があります。
中でも、小田原攻めに遅参した政宗が、秀吉に弁明に向かうシーンが強く印象に残っています。
松島と、できれば”宮城県慶長使節船ミュージアム”や”おしかホエールランド”なども訪れてみたいと思うのですが、どうでしょうか?
そのような時間はあるでしょうか?
とにかく幕を開けてみることにしましょう。
スルスルスル〜〜・・・
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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-
仙台のホテルを発って松島に向かいました。
途中、多賀城跡という案内表示がありましたが、その表示のされ方から、ここは何か重要な城だったような様子ですが、その位置からして、伊達政宗の青葉城の支城としか考えられません。
こんなところに、山形の最上氏とか、相馬の相馬氏、盛岡の南部氏のような勢力があったとはとても思えません。
その付近に東北歴史博物館という表示がありました。
ここなら多賀城について説明してあるはずです。 -
カーナビをセットして行ってみると、多賀城駅付近にやって来ました。
でも付近には、それらしい建物は何もありません。
どうやらここも最近になって、どこかに移転してしまったようです。
案内表示をたどりながら探してみると、何とか探し当てることができました。
着いたのは9時を過ぎた頃で、開館は9時半だったので、車の中で少し待ちました。 -
ロビーです。
手前左が入り口で、右が展示室です。 -
展示室に入ってみましょう。
-
展示室です。
-
縄文(じょうもん)時代の人でしょうか、それとも弥生(やよい)時代の人でしょうか、どちらだったか忘れてしまいました。
この家の造りと、人形の衣装からすれば・・・
う〜ん、やはりわかりません・・・。 -
米以外のものを食べているようなので、縄文時代の人でしょう。
と、すれば青森の三内丸山で見てきた遺跡と同じ時代だということになります。
当時は日本のほとんどが森(広葉樹林?)で、そのところどころに、このような村があったはずです。
村以外には森しかないとすると、他の村がどこにあるかといった情報は、この時代の人たちにとっては、大きな関心ごとだったように思えます。
ということは、この人たちは三内丸山のことを伝え聞いて知っていたのでしょうか? -
確か、この人は弥生時代の人だったと思うのですが、違うかもしれません。
-
古墳(こふん)時代は日本は王のような人たちがいて、このような埴輪(はにわ)や古墳が造られていたようです。
でも、当時の人口からすれば、王朝といっても現代の過疎の村ぐらいの規模だったはずです。
とすれば、毎日顔を合わすのは、同じ人たちばかりなので、皆、気心が知れたような関係だったのではないでしょうか?
その程度の人数では、厳格な支配体制を長期にわたって維持するというようなことは、どうも無理があるように思えます。
ということは、支配者、被支配者の関係があったとしても、かなり緩やかなものだったのではないでしょうか。 -
そして、この歴史館のメインは何といっても奈良・平安時代です。
私のように、関西地方で暮らしている者にとっては、この時代は日本の国はもう完全に完成されていた時代というイメージで捉(とら)えていましたが、実際には天皇を中心とする中央政府が支配する国は、この陸奥(むつ)辺りまでで、それ以北に住む人たちは、まだ蝦夷(えみし)と呼ばれて、中央政府からは異民族とみなされていたようです。
当時、その”異民族”を支配して奈良・平安王朝の政治体制に組み入れるための前線基地が、この多賀城だったようです。
ということは、私たちが小学校や中学校で普通に教科書で習っていた奈良・平安時代のことも、東北地方以北の -
子供たちは、自分たちの祖先の蝦夷を支配しようとしていた人たちの歴史として、外からの目で学習していたのでしょうか?
そして、蝦夷が次第に彼らに支配されていくような場面では、被害者的な気持ちにさえ、なっていたのでしょうか?
もしそうだとすれば、そんなことはまったく知らなかった私にとっては、それは実に衝撃的なことです。
しかしよく考えてみると、古墳時代以降は近畿地方の中でもごく限られた地域の政権が、次第にその周りの地方を征服していったということなので、その頃の私たちの祖先と思われる人たちも、その政権からは”異民族”とみなされていたのではないのでしょうか。 -
こういったことは地球上のどの国の歴史でも、ごく普通に起こってきたことなので、特に驚くようなことではないのでしょう。
ということは、本当に純粋な日本民族と呼ばれるような人たちは、昔、祖先が神話の舞台となったようなところに住んでいたようなごく少数の人たちだけで、私を含めてそれ以外の大多数の人たちは、この蝦夷のように後に日本民族として当初の政権に組み込まれてきたということになります。
ということは、奈良・平安時代は多賀城が日本の北の端だったということも、全国47都道府県の結束を乱すほどの大げさなことではなくて、”ああそうなの?”という程度のことなのでしょう。 -
これは昭和の時代の東北地方の家の中の様子です。
私も昭和の生まれなので、このような光景を見ると、懐(なつ)かしい気持ちになります。 -
ここも昭和の時代の家の中の様子です。
-
展示室の様子です。
-
展示館を出て、さっそく多賀城跡にやってきました。
時刻は11時30分です。
ここが奈良・平安時代の東北支配の最前線だったと思うと感慨深いものがあります。
その後、中央政府から派遣された坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)がここを拠点として、蝦夷の抵抗を抑えて、東北全土の支配を完成させました。 -
松島にやってきました。
急いで読んだガイドブックに出ていた、松島四大観(したいかん)を巡ることにしました。
松島四大観とは、松島湾を一望できる4ヶ所の展望スポットのことです。
まずはその最南の多聞山にやってきました。
このお堂の裏に、松島湾の絶景が広がっているはずです。 -
これがその絶景・・・ですが・・・
-
それほど絶景とは思え・・・
あ、いや、コホン、・・・
ここは昔から名所として、多くの人たちが訪れてきたはずです。
この絶景・・・
あ、いや・・・絶景、絶景です・・・
ここでこの絶景を見ながら、多くの人が歌や俳句を読んだり、この光景を絵に描いたりしたであろうと思われます。 -
あいにく今日は天気がすぐれませんが、晴れた日はもっと違って見えるでしょう。
おそらく真っ青な海に緑の島々が点在するような、そんな景色なのでしょう。 -
塩釜港です。
ここにも太平洋の美味(うま)い魚が揚(あ)がってくるのでしょう。 -
昨日は仙台の居酒屋で海鮮料理を食べましたが、そのときの魚もここで競(せ)られたものだったのかも知れません。
-
松島に近づいてきました。
さすがに今日は日曜日なので、混雑しています。 -
この後、四大観のひとつの双観山に行こうとしましたが、ここも大渋滞で、途中であきらめました。
-
時間がないので、その次の四大観の富山もあきらめて、”おしかホエールランド”に向かいました。
しかし途中で、そこまで行くにはとても時間がかかることがわかって、結局そこもあきらめました。
そして、四大観の最後のひとつである大高森の麓(ふもと)までやってきました。 -
大高森の麓から見た松島湾の風景です。
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松島湾の風景です。
-
松島湾の風景です。
-
松島湾の風景です。
-
松島湾の風景です。
時刻は2時になろうとしています。
急いで大高森に登ってみることにしました。 -
ここから登っていきます。
雨が降っているので傘を差しています。
さあ、駆け上りましょう。
は、は、は、は、・・・
タッ、タッ、タッ、タッ・・・
は、は、は、は、・・・
タッ、タッ、タッ、タッ・・・
タタタタタタタタ、タッ、タッ、タッ・・・
はぁ、はぁ、はぁ・・・
タタタタタタタタ、タッ、タッ、タッ・・・
はぁ、はぁ、はぁ・・・ -
はぁ、はぁ、はぁ・・・
やっと階段を登りきりました。 -
ああ、いい光景です。
ここは大きな島で、橋を渡ってやってきました。
この写真は西向きです。
正面も島で、その右一帯が松島湾です。
この島の向こう辺りが、今日通ってきた塩釜で、この写真の中の右辺りがJR松島駅です。
そこを湾に沿って、写真の右を回り込んで、ここにやって来ました。
右が北、左が南、太平洋はこの後ろ(背中側)です。 -
ううん、素晴らしい!
-
す・ば・ら・し・い〜〜〜!
-
上の写真(西向き)の左側(南)はこのような奥松島縄文村歴史資料館になっています。
三内丸山を訪れた後なので、同じようなところだろうと思って、ここから見るだけにしました。
この向こうが太平洋です。 -
大高森はさらにここから登って行きます。
-
途中にこのようなお堂がありました。
-
後ろを振り向いたところです。
この下からここまで登ってきました。 -
このような長い階段もあります。
どうやらこの上が頂上のようです。 -
さあ、この先が頂上ですが、雨が降っています。
果たして四大観の絶景を、見ることができるでしょうか? -
さあ、どうでしょうか?
-
あれあれ?
-
どうでしょうか?
-
何とか見えるでしょうか?
-
ああ、何とか・・・
-
薄っすらと・・・
-
あ、いや、見えま・・・
-
せん・・・。
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少し待ってみましたが、やっぱり見えません。
ほんの少し、薄っすらとは見えているようですが・・・ -
このような展望所です。
-
残念ながら、景色はほとんど見えません。
-
時刻は2時を回っています。
急いで降りることにしましょう。 -
最初の階段の上まで戻って来ました。
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松島駅の近くまで戻って来ました。
やはり大渋滞(じゅうたい)です。
-
時刻は3時を回りました。
急がなければなりません。
途中、塩釜で牡蠣(かき)ラーメンを食べました。
4時前でした。 -
東北自動車道です。
5時半です。 -
5時50分です。
-
6時半です。
-
7時を回りました。
この後頑張って、福島県から新潟県、富山県と走り抜けて、夜遅く、石川県に入りました。
そして、金沢を過ぎた辺りのパーキングで1泊しました。 -
翌8月10日の朝です。
時刻は6時40分です。
今日は午前中だけ年休を取っているので、午後から出勤しなければなりません。
さあ、頑張って帰ることにしましょう。 -
7時20分です。
-
ようやく帰ってきました。
時刻は11時40分過ぎです。
午後からの仕事には間に合いそうです。
(完)
東北6大祭りを巡る高速道路千円の旅 09夏 [写真版] 1 http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10399644/
09 旅行写真セレクション http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10558050/
※ 次回の旅も東北です。(http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10400781/)
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