2009/10/29 - 2009/10/29
785位(同エリア927件中)
もろずみさん
慈覚大師縁りの古刹を巡る四寺回廊の最後は中尊寺です。
嘉祥3年(850年)に大師により開創、奥州藤原氏初代・清衡が長治2年(1105年)に中興。
天台宗東北大本山で山号は関山。
たびたびの火災で「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇」と言われた堂宇も今は17、8を数えるだけ。
天治元年(1124年)に建てられた金色堂以外すべて後世の再建です。
それでも荘厳な雰囲気の漂う山内は、奥州藤原氏の百年の栄華を偲ぶには十分過ぎます。
午後からの入山だったので駆け足になりましたが、西日に輝く紅葉も見られたので満足です。
ともかく四寺回廊巡拝も無事に結願しました。
- 交通手段
- 自家用車
-
中尊寺の参道である「月見坂」の杉並木からスタートです。
毛越寺でかなり時間をとったので、急がないとすぐ山影に入ってしまいます。
これだから秋は困ります。 -
ここに来るのは何度目かな。都合5、6回は来ていると思います。
最初に来たのは10代の修学旅行でした。
インパクトがあった場所は金色堂でなくてここでした。
中尊寺で一番の絶景ポイント。 -
眼下に見える衣川古戦場と北上川です。
道路や鉄道の様子が変わりましたが風景は昔のまま。
何の変哲もない風景ながら、何故かいいんですよ。 -
さて、次々と現れるお堂巡り。
「弁慶堂」というのは通称で、勝軍地蔵菩薩をご本尊とした愛宕宮。
左右に義経と武蔵坊弁慶の像を配していると言いますが、中まで覗きませんでした。
弁慶は衣川中の瀬で立ち往生の姿だとか。 -
「地蔵堂」です。
本来なら一つ一つのお堂をお詣りして御朱印を頂くところですが、一日掛かりになっちゃいます。
建物を見て手を合わせるだけ。 -
隣は「観音堂」です。
まぁ、それくらい中尊寺は大きいっていうことでもあります。 -
中尊寺の中心である本坊の表門。
薬医門ですが、これは元々一関城の城門の一つだったからです。
江戸中期のもの。 -
来る前に、中尊寺も何もやってない時期だなぁと思ったのですが、菊まつりをやってました。
それなりに見事なんですが、寺の大きさに圧倒されて目立ちませんね。 -
本堂は山内で一番大きな建物です。
明治42年(1909年)の再建ですから100年前のもの。
そんなに特徴的な本堂ではありません。
中には比叡山より分火された「不滅の法灯」が守り続けられています。 -
あと3日遅く来れば「秋の藤原まつり」だったのです。
春の藤原まつりは「源義経公東下り行列」などがあって有名ですが、秋もあるんですね。 -
「峰薬師堂」。
この辺りはまだ青モミジですね。
昔は11月だったら紅葉も終盤でしたが、最近はどこも遅いのでしょうか。 -
中尊寺には元々慈覚大師作と伝えられる薬師如来を祀った「薬師堂」があります。
この峰薬師堂は別の場所にあった、藤原時代の金箔漆塗りの薬師如来を祀ったお堂を山内に移設したものです。
お堂自体は新しいけどモミジに覆われていて、雰囲気はあります。
できれば紅葉していて欲しかった。 -
「大日堂」。
本当に次々と現れてなかなか先に進めません。 -
と思ったら鮮やかな紅葉が見えてきました。
少し登ってきたので標高のせい?
なんてことはありません。 -
何しろ山の中なので陽が当たるギリギリの時間帯。
間に合っただけ良かった。真っ赤です。
ちなみに紅葉の色だけは、関東は東北や京都に敵わないのは何故かなぁ?
種類のせいばかりではないようですし、未だに謎。 -
高台を見上げると「鐘楼」が。
一見すると鐘楼とは思えない小さなお堂のよう。 -
少し賑やかなエリアに建つ「阿弥陀堂」。
宝物館である「讃衡蔵」の前ですから観光客が多いはずです。 -
さて、いよいよ国宝「金色堂」です。
拝観料を払ってポスターでお馴染みの道を行きます。
見えているのはコンクリート製の覆堂ですけど。 -
覆堂の内部は撮影禁止。
奥州藤原家初代・清衡が天治元年(1124年)に建立した全面黄金に輝く荘厳華麗な建物。
須弥檀には阿弥陀如来を中心に多くの脇侍が並んでいます。
金工や漆工の技術の粋を集め、藤原氏の栄華を象徴するような建物です。
また、須弥檀内部には藤原4代の遺体が納められています。
言葉ではとても言い表せません。、
というか、何度も来ているのにやはり感動します。 -
金色堂を見たあと、順路を辿るとまずは「経蔵」です。
鎌倉期の飾り気のない建物ですが存在感があります。 -
「五月雨の 降残してや 光堂」 芭蕉
四寺回廊は芭蕉の「奥の細道」とも完全に一致します。
山寺の芭蕉は休憩中でしたが、中尊寺では立ち姿。
旧覆堂の前で何を思ったのでしょうね。 -
「旧覆堂」は室町期から500年に渡って金色堂を守ってきた奇跡の建造物です。
普通の建物ではない造りなので国の重文に指定されています。 -
金色堂をすっぽり覆うために真ん中に柱がない構造です。
この技術も大したものですね。
今は真ん中に一本の回向柱が建っています。
藤原秀衡、義経・弁慶主従の800年遠忌法要のもののようでした。 -
中尊寺菊まつりはここまでやるのか・・・。
それなりの大きさのある三重塔が菊に飾られて、絶好の撮影スポットになってました。 -
ひっそりと佇む「釈迦堂」。
かつて釈迦如来100体を納めた釈迦堂があったと言いますが、扉が閉まっているので何とも。 -
中尊寺の鎮守である「白山神社」境内。
右手の能舞台は嘉永6年(1853年)伊達藩によって再建されたもの。
古い能舞台は東日本でここだけと言われ、国の重文です。 -
金色堂の真向かいにある「弁財天堂」。
これも伊達家の寄進によるもので、宝永3年(1706年)というから300年は経っています。 -
宝物殿である「讃衡蔵(さんこうぞう)」の前の真っ赤な紅葉。
あとわずかで陽が当たらなくなるという最後のチャンスでした。
讃衡蔵は開山1150年にあたる平成12年(2000年)に新築されたもので初めての訪問です。
本坊や支院にあった寺宝が数多く保管・展示されています。 -
まだ16:00前ですが、山の日の入りは早いので観光客もあっという間にいなくなりました。
そろそろ撤収ということで来た道を戻ります。 -
行くときに寄らなかった「不動堂」。
支院の中では比較的大きく新しいお堂です。 -
最後に再びあの景色を見ておこう。
東物見台からの衣川古戦場の様子です。
昔は北上川はもっと手前を流れていたというから、弁慶が満身創痍で壮絶な討死した中の瀬は少し左手でしょうか? -
山桜も紅葉しているので、ここは西行法師も眺めた風景だったのでしょう。
歌碑が建っています。
「聞きもせず たばしね山の 桜ばな
吉野の外に かかるべしとは」 西行 -
おっと、支院の大事な一つを忘れるところでした。
天喜5年(1057年)に鎮守府将軍・源頼義と八幡太郎義家が前九年の役での戦勝祈願した「八幡堂」です。
奥州藤原氏の歴史はここから始まります。
今日は毛越寺・中尊寺と巡って、奥州藤原氏への興味が俄然湧いてきました。
帰ったら「炎立つ」を読み返そう。 -
中尊寺はじっくり見れば一日では足りないところを、わずか2時間余りで一回りしました。
また来ることもあるでしょうから、次回は予習して来よう。
とりあえず、みちのく四寺回廊の結願の御朱印を頂きました。
右上の「佛」の印です。 -
そして結願の記念に色紙を頂きました。
予想通り貫首様の「尊」の字でした。
ということは瑞巌寺、立石寺、毛越寺はどんな文字なんでしょうね?
やはり4度回らないとダメか・・・(^^;
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
35