2009/09/20 - 2009/09/20
492位(同エリア1435件中)
みにくまさん
今年の9月は5連休があるということで、巷ではシルバーウィークと呼ばれています。
せっかくの大型連休なので海外にでも!と考えてはいたのですが、どこに行こうと思っても料金が高く、もたもたしているうちに、そんなツアーさえも埋まっていってしまったので、結局は国内旅行をすることになりました。
初日は国宝彦根城を見てきました↓
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10379501/
2日目は、本当は大垣城に行く予定でしたが、急遽、犬山城に変更しました。
◎ シルバーウィーク城めぐり
彦根城
⇒犬山城
岐阜城
-
名鉄犬山線
ホテルのある岐阜から犬山までは、名鉄電車で1本です。
赤い電車が目印。 -
名鉄犬山線
犬山城に向かうには、終点の犬山駅で降りる方法と、その1駅手前の犬山遊園駅で降りる方法があります。
犬山駅で降りた場合は、城下町を散策しつつ登城する約20分のコース。
犬山遊園駅の場合は、木曽川沿いの遊歩道を、約15分でのぼるコースです。
私たちは行きを犬山遊園駅からとし、帰りは犬山駅に向かうコースにしました。 -
ツインブリッジ犬山橋
愛知県犬山市と、岐阜県各務原市との間の木曽川にかかる橋。鉄道橋と道路橋が並行して架けられている。
鉄道橋は、橋長223m、幅員は16、三連トラス橋。
道路用橋は、橋長253m、幅員25m(一部31m)。 -
ツインブリッジ犬山橋
-
木曽川遊歩道
右手に木曽川の雄大な流れを眺めつつ、正面の山にそびえ建つ犬山城を目指します。 -
木曽川遊歩道
この道沿いに植えられているのは桜かな。
春になったら、すごい景色が見られそうですね。 -
木曽川遊歩道
城の片側が天然の崖と川で守られています。 -
国宝 犬山城
★ ちびくまかくれんぼ ★
この写真のどこかに、ちびくま君が隠れています。
これはかなり難しいか?! -
三光稲荷神社
犬山城の城下にある神社。
この隣には針綱神社や猿田彦神社など、大小いくつかの神社が建っていました。 -
三光稲荷神社
創建は明らかでないが、天正14年(1586)の伝承があり。
この犬山城のある山を「三光山」という事から、また三人の神様が祭られて居る事からもその名が付いたらしい。昔は三光寺という寺院であったらしく、それが明治時代に取り壊され神社になったとも。
犬山城内三狐寺山に鎮座せられ(現在の丸の内緑地公園内)、古きより織田信長の叔父織田信康公の崇敬殊に厚く、また犬山城主成瀬家歴代の守護神として天下泰平、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全の祈願を籠め
数々の神宝を寄進される。
現在の地には、昭和39年10月に移築。 -
三光稲荷神社
この道を通るのが天守への近道らしいです。 -
登城道
城への道のりは、こんな感じの急な坂道をひたすら登って行きます。
石が敷き詰めてあり、左側は階段、右側は平らな道になっています。 -
矢来門門礎
矢来門は、明治の廃藩置県の際に撤去されましたが、専修院東門として移築され、現存しています。 -
登城道
-
登城道
石段は、長い年月にわたる人の往来で、つるつるぴかぴかになっており、少しすべるので注意しましょう。 -
黒門門礎
黒門も、廃藩置県で撤去されましたが、徳林寺に移築され現存しています。
この他に、松ノ丸門、内田門などの城門も移築されました。 -
本丸門
登城道最後の入り口の門で、外側が鉄で防御されていたので、鉄門と言われていました。
現在の本丸門は、旧門とは関係ない、との記述がありましたので、明治の廃藩置県の際に撤去され、どこかに移築されているのか、それとも完全に破棄されてしまったのか。
いずれにしても、現在の門は、後世に建てられたもののようです。 -
本丸門
門の上にある櫓で、現在は犬山城管理事務所となっています。
殆どの人がここには用事は無さそうですが、私たちにはとても重要な用件がありました。
たいていは天守内とかに設置されている、「日本100名城」のスタンプが、ここの事務所のスタッフに借りないと押せなかったのです。
今までもスタンプの場所を探したことはありましたが、ここのは難易度が高かったです。
誰かに聞かないと、絶対分かりません。 -
犬山城天守 国宝
◎ 現存する国宝4城
「松本城」 長野県松本市
「犬山城」 愛知県犬山市
「彦根城」 滋賀県彦根市
「姫路城」 兵庫県姫路市
◎ 現存する天守、残りの8城 重要文化財
「弘前城」 青森県弘前市
「丸岡城」 福井県坂井市丸岡町
「備中松山城」 岡山県高梁市
「松江城」 島根県松江市
「丸亀城」 香川県丸亀市
「松山城」 愛媛県松山市
「宇和島城」 愛媛県宇和島市
「高知城」 高知県高知市
現存する天守は、1935年に国宝保護法に基づき旧国宝に指定、1952年には文化財保護法に基づき、あらためて国宝に指定されました。 -
犬山城天守 国宝
◎ 別名「白帝城」
白帝城は、三国志に登場する劉備が臨終を迎えた城です。
木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを、長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」にちなんで命名されたと伝わっています。 -
犬山城天守 国宝
◎ 歴史
1469年(文明元年)織田広近がこの地に砦を築いたのが始まりといわれます。
1537年(天文6年)、信長の叔父にあたる織田与次郎信康により城郭が造られました。現存する天守の2階までは、このころ造られたと考えられています。
その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関が原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。
1584年の小牧長久手合戦の際には、豊臣秀吉は大阪から12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。
1618年(元和4年)、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が城主となってからは、成瀬家が代々受け継いで明治に至ります。
1871年(明治4年)、9代目成瀬正肥のときに廃藩置県で廃城になり、櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されて(移築)しまいました。
2004年(平成16年)3月時点で、日本で唯一の個人所有(成瀬家)の城であったが、同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管されました。 -
犬山城天守 国宝
◎ 天守
外観3重、内部は4階で、地下に踊場を含む2階がついています。
天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、入母屋2重2階の建物の上に、3間×4間の望楼部を載せた望楼型天守です。
天守台石垣は野面積という積み方で、高さは5メートル、天守の高さは19メートルです。 -
犬山城天守 国宝
-
犬山城天守 国宝
瓦にある紋は、成瀬家の家紋「丸に方喰」です。 -
犬山城天守 国宝
◎ 唐破風出窓。
1617年(元和3年)成瀬正成が城主になった時に、唐破風出窓が増築されました。 -
天守台石垣と御神木
石垣は野面積み(のづらづみ)という技術的に初期の石積方で、自然石をそのまま積み上げる方法です。
加工せずに積み上げただけなので、石の形に統一性がなく、石同士がかみあっていない。そのため隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点がありますが、排水性に優れ頑丈だという利点もあります。
野面積みの一種として、穴太積み(あのうづみ)があげられるが、こちらは穴太衆が手掛けた石垣であり、特に野面積みの一方式を言うものではありません。
◎ 御神木「大杉様」
樹齢約650年、枯れる前の高さ約24m
犬山城築城の頃からの老木で、天守閣と同じくらいの高さがあり、落雷には城の身代わりに、台風の時は風除けにもなったりして、城を守る御神木としてあがめられてきました。
しかし、1965年頃枯れてしまいました。 -
天守内部
それほど大きくない天守に、かなりの観光客が入城しようとしているので、けっこうな混雑です。
しかも、階段が急でゆっくりでないと上り下りできないので、そこでも人だかりができたりします。
さらに、この木製の階段が、つるつるになっていて滑りやすい!注意!
とりあえず、最上階を目指します。 -
天守内部
◎ 4階、高欄の間
廻縁からの展望は素晴らしく、戦国時代の見張り台及び司令塔であったと思われます。
対岸は美濃の国ですが、川と自然の断崖が、天然の防御機能を果たします。
東西3間、南北4間、床面積49.835? -
天守からの眺望 北
-
天守からの眺望 北西
-
天守からの眺望 西
川にかかった橋はライン大橋。
その向こうの山は伊木山です。 -
天守からの眺望 南西
-
天守からの眺望 南
-
天守からの眺望 南
下のほうに先ほど通ってきた道が見えます。 -
天守からの眺望 南東
-
天守からの眺望 東
遠くに日本モンk−パークの観覧車が見えます。
中央の大きな建物は、大本山成田山新勝寺の別院で、正式名称を大本山成田山名古屋別院大聖寺と言います。 -
天守からの眺望 東北
川にかかっている橋は、先ほど近くで見たツインブリッジ・犬山橋です。 -
天守内部
壁に飾られた歴代城主の肖像。 -
天守内部
急でつるつる滑るのでかなり危険な階段。
手すりを持ってゆっくり上り下りしましょう。 -
天守内部
◎ 3階破風の間
南北に唐破風の間を配置し、東西は千鳥破風となっています。
この唐破風出窓は、天守建築当初には無く、1617年に成瀬正成によって増築されたと言われています。
東西3間、南北4間、床面積81.936m -
天守内部
-
天守内部
-
天守内部
窓からは、木曽川を下のほうに見ることができました。 -
天守内部
◎ 2階、武具の間
ここは武士の武器武具庫に使用されていた部屋で、三方に武具棚が設けてあります。
これを取巻く2間幅の板の間を、武者走りと言います。
東西9間、南北8間、床面積246.006? -
天守内部
甲冑の展示。 -
天守内部
石落しの間
この位置は西北の隅にあたり、石落しの間といいます。
石を落として侵入者を防ぐ間で、石垣より外に突出しているのが特徴です。
広さ 7.17? -
天守内部
武者隠しの間 -
天守内部
つけ櫓
天守の東南角にあり、少しせり出した格好の櫓です。
1891年(明治24)の濃尾地震の時に壊れてしまったが、1895年(明治28)に修復されました。
広さ 15.22? -
天守内部
天守模型。 -
犬山城
犬山城を後にし、本町通りという古い城下町の通りを歩いて帰りました。
この通りでは、2009年に電線の地中化工事が完成するなど、現在も城下町の景観を保つ努力が行われています。
◎ おしまい
これで今回の旅行、2番目の犬山城攻略は終わり。
次は岐阜城を攻略します。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- zzr-cさん 2010/02/26 11:45:40
- みにくまくん見っけ!
- みにくまさん こんにちは
答えは犬の点ですね(正解ですか?)
みにくまさん zzr-cのご近所に来てたんですねぇ〜
ツインブリッジは昔電車と並走してたんですよ!
犬山城近すぎて入ったことはありませんが、
近くを通り過ぎることはよくあります。
最後の個人所有が市に移った時はしっかり近郊版に
出てました。
zzr-cが子供の頃写真の木曽川で釣りしたもんです。
登ると景色イイですね。さすがはお城です。
また遊びに行きます☆
zzr-c
- みにくまさん からの返信 2010/02/26 13:35:14
- RE: みにくまくん見っけ!
zzr-cさん、こんにちは〜。
半分正解です(*^_^*)
場所は犬の点のところでいいのですが、隠れているのはみにくまではなく、ちびくま君でした〜。
あらあら〜この辺りにお住まいでしたか〜。
近くに住んでいると、なかなか行かないものですよね(^_^;)
犬山城は私達は初めて上りました。
天守からの眺めも良かったですよ。
では〜(^O^)/
- zzr-cさん からの返信 2010/02/27 09:17:41
- RE: RE: みにくまくん見っけ!
- みにくまさん おはようございます。
> 半分正解です(*^_^*)
>
> 場所は犬の点のところでいいのですが、隠れているのはみにくまではなく、ちびくま君でした〜。
あぁ〜本当ですねぇ〜
問題にはちゃんとちび君って書いてありましたぁ〜(涙)
> あらあら〜この辺りにお住まいでしたか〜。
> 近くに住んでいると、なかなか行かないものですよね(^_^;)
はい〜でも何故か小牧城だけは小学生の時行きました^^;
ではまたまた失礼します☆
zzr-c
- みにくまさん からの返信 2010/02/27 12:02:50
- RE: RE: RE: みにくまくん見っけ!
zzr-c さん、こんにちは〜。
白いのがみにくま君で、茶色がちびくま君です(*^_^*)
犬山城にしても小牧城にしても、歴史の重要な舞台になった城ですね〜。
私の田舎は近くに岩村城があるのですが、遠足やらなんやらで、2回くらい行きました。
天守があるわけではないので、小学生レベルではあまり楽しくなかった記憶がありますが、今なら残った石垣だけでも楽しめそうな気がして、また行ってみたいです。
では〜(^O^)/
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
犬山(愛知) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
50