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今年の9月は5連休があるということで、巷ではシルバーウィークと呼ばれています。<br />せっかくの大型連休なので海外にでも!と考えてはいたのですが、どこに行こうと思っても料金が高く、もたもたしているうちに、そんなツアーさえも埋まっていってしまったので、結局は国内旅行をすることになりました。<br /><br />初日は国宝彦根城を見てきました↓<br />http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10379501/<br /><br />2日目は、本当は大垣城に行く予定でしたが、急遽、犬山城に変更しました。<br /><br /><br />◎ シルバーウィーク城めぐり<br /> 彦根城<br />⇒犬山城<br /> 岐阜城<br /><br />

国宝 「犬山城」

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2009/09/20 - 2009/09/20

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50

みにくま

みにくまさん

今年の9月は5連休があるということで、巷ではシルバーウィークと呼ばれています。
せっかくの大型連休なので海外にでも!と考えてはいたのですが、どこに行こうと思っても料金が高く、もたもたしているうちに、そんなツアーさえも埋まっていってしまったので、結局は国内旅行をすることになりました。

初日は国宝彦根城を見てきました↓
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10379501/

2日目は、本当は大垣城に行く予定でしたが、急遽、犬山城に変更しました。


◎ シルバーウィーク城めぐり
 彦根城
⇒犬山城
 岐阜城

  • 名鉄犬山線<br /><br />ホテルのある岐阜から犬山までは、名鉄電車で1本です。<br /><br />赤い電車が目印。<br />

    名鉄犬山線

    ホテルのある岐阜から犬山までは、名鉄電車で1本です。

    赤い電車が目印。

  • 名鉄犬山線<br /><br />犬山城に向かうには、終点の犬山駅で降りる方法と、その1駅手前の犬山遊園駅で降りる方法があります。<br /><br />犬山駅で降りた場合は、城下町を散策しつつ登城する約20分のコース。<br />犬山遊園駅の場合は、木曽川沿いの遊歩道を、約15分でのぼるコースです。<br /><br />私たちは行きを犬山遊園駅からとし、帰りは犬山駅に向かうコースにしました。<br />

    名鉄犬山線

    犬山城に向かうには、終点の犬山駅で降りる方法と、その1駅手前の犬山遊園駅で降りる方法があります。

    犬山駅で降りた場合は、城下町を散策しつつ登城する約20分のコース。
    犬山遊園駅の場合は、木曽川沿いの遊歩道を、約15分でのぼるコースです。

    私たちは行きを犬山遊園駅からとし、帰りは犬山駅に向かうコースにしました。

  • ツインブリッジ犬山橋<br /><br />愛知県犬山市と、岐阜県各務原市との間の木曽川にかかる橋。鉄道橋と道路橋が並行して架けられている。<br /><br />鉄道橋は、橋長223m、幅員は16、三連トラス橋。<br />道路用橋は、橋長253m、幅員25m(一部31m)。<br />

    ツインブリッジ犬山橋

    愛知県犬山市と、岐阜県各務原市との間の木曽川にかかる橋。鉄道橋と道路橋が並行して架けられている。

    鉄道橋は、橋長223m、幅員は16、三連トラス橋。
    道路用橋は、橋長253m、幅員25m(一部31m)。

  • ツインブリッジ犬山橋<br /><br />

    ツインブリッジ犬山橋

  • 木曽川遊歩道<br /><br />右手に木曽川の雄大な流れを眺めつつ、正面の山にそびえ建つ犬山城を目指します。<br />

    木曽川遊歩道

    右手に木曽川の雄大な流れを眺めつつ、正面の山にそびえ建つ犬山城を目指します。

  • 木曽川遊歩道<br /><br />この道沿いに植えられているのは桜かな。<br />春になったら、すごい景色が見られそうですね。<br />

    木曽川遊歩道

    この道沿いに植えられているのは桜かな。
    春になったら、すごい景色が見られそうですね。

  • 木曽川遊歩道<br /><br />城の片側が天然の崖と川で守られています。<br />

    木曽川遊歩道

    城の片側が天然の崖と川で守られています。

  • 国宝 犬山城<br /><br />★ ちびくまかくれんぼ ★<br /><br />この写真のどこかに、ちびくま君が隠れています。<br />これはかなり難しいか?!<br />

    国宝 犬山城

    ★ ちびくまかくれんぼ ★

    この写真のどこかに、ちびくま君が隠れています。
    これはかなり難しいか?!

  • 三光稲荷神社<br /><br />犬山城の城下にある神社。<br />この隣には針綱神社や猿田彦神社など、大小いくつかの神社が建っていました。<br />

    三光稲荷神社

    犬山城の城下にある神社。
    この隣には針綱神社や猿田彦神社など、大小いくつかの神社が建っていました。

  • 三光稲荷神社<br /><br />創建は明らかでないが、天正14年(1586)の伝承があり。<br />この犬山城のある山を「三光山」という事から、また三人の神様が祭られて居る事からもその名が付いたらしい。昔は三光寺という寺院であったらしく、それが明治時代に取り壊され神社になったとも。<br /><br />犬山城内三狐寺山に鎮座せられ(現在の丸の内緑地公園内)、古きより織田信長の叔父織田信康公の崇敬殊に厚く、また犬山城主成瀬家歴代の守護神として天下泰平、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全の祈願を籠め<br />数々の神宝を寄進される。<br /><br />現在の地には、昭和39年10月に移築。

    三光稲荷神社

    創建は明らかでないが、天正14年(1586)の伝承があり。
    この犬山城のある山を「三光山」という事から、また三人の神様が祭られて居る事からもその名が付いたらしい。昔は三光寺という寺院であったらしく、それが明治時代に取り壊され神社になったとも。

    犬山城内三狐寺山に鎮座せられ(現在の丸の内緑地公園内)、古きより織田信長の叔父織田信康公の崇敬殊に厚く、また犬山城主成瀬家歴代の守護神として天下泰平、五穀豊穣、商売繁盛、交通安全の祈願を籠め
    数々の神宝を寄進される。

    現在の地には、昭和39年10月に移築。

  • 三光稲荷神社<br /><br />この道を通るのが天守への近道らしいです。<br />

    三光稲荷神社

    この道を通るのが天守への近道らしいです。

  • 登城道<br /><br />城への道のりは、こんな感じの急な坂道をひたすら登って行きます。<br /><br />石が敷き詰めてあり、左側は階段、右側は平らな道になっています。<br />

    登城道

    城への道のりは、こんな感じの急な坂道をひたすら登って行きます。

    石が敷き詰めてあり、左側は階段、右側は平らな道になっています。

  • 矢来門門礎<br /><br />矢来門は、明治の廃藩置県の際に撤去されましたが、専修院東門として移築され、現存しています。<br /><br />

    矢来門門礎

    矢来門は、明治の廃藩置県の際に撤去されましたが、専修院東門として移築され、現存しています。

  • 登城道

    登城道

  • 登城道<br /><br />石段は、長い年月にわたる人の往来で、つるつるぴかぴかになっており、少しすべるので注意しましょう。<br />

    登城道

    石段は、長い年月にわたる人の往来で、つるつるぴかぴかになっており、少しすべるので注意しましょう。

  • 黒門門礎<br /><br />黒門も、廃藩置県で撤去されましたが、徳林寺に移築され現存しています。<br /><br />この他に、松ノ丸門、内田門などの城門も移築されました。<br />

    黒門門礎

    黒門も、廃藩置県で撤去されましたが、徳林寺に移築され現存しています。

    この他に、松ノ丸門、内田門などの城門も移築されました。

  • 本丸門<br /><br />登城道最後の入り口の門で、外側が鉄で防御されていたので、鉄門と言われていました。<br /><br />現在の本丸門は、旧門とは関係ない、との記述がありましたので、明治の廃藩置県の際に撤去され、どこかに移築されているのか、それとも完全に破棄されてしまったのか。<br /><br />いずれにしても、現在の門は、後世に建てられたもののようです。<br />

    本丸門

    登城道最後の入り口の門で、外側が鉄で防御されていたので、鉄門と言われていました。

    現在の本丸門は、旧門とは関係ない、との記述がありましたので、明治の廃藩置県の際に撤去され、どこかに移築されているのか、それとも完全に破棄されてしまったのか。

    いずれにしても、現在の門は、後世に建てられたもののようです。

  • 本丸門<br /><br />門の上にある櫓で、現在は犬山城管理事務所となっています。<br /><br />殆どの人がここには用事は無さそうですが、私たちにはとても重要な用件がありました。<br /><br />たいていは天守内とかに設置されている、「日本100名城」のスタンプが、ここの事務所のスタッフに借りないと押せなかったのです。<br /><br />今までもスタンプの場所を探したことはありましたが、ここのは難易度が高かったです。<br />誰かに聞かないと、絶対分かりません。

    本丸門

    門の上にある櫓で、現在は犬山城管理事務所となっています。

    殆どの人がここには用事は無さそうですが、私たちにはとても重要な用件がありました。

    たいていは天守内とかに設置されている、「日本100名城」のスタンプが、ここの事務所のスタッフに借りないと押せなかったのです。

    今までもスタンプの場所を探したことはありましたが、ここのは難易度が高かったです。
    誰かに聞かないと、絶対分かりません。

  • 犬山城天守 国宝<br /><br />◎ 現存する国宝4城<br /><br />「松本城」 長野県松本市<br />「犬山城」 愛知県犬山市<br />「彦根城」 滋賀県彦根市<br />「姫路城」 兵庫県姫路市<br /><br />◎ 現存する天守、残りの8城 重要文化財<br /><br />「弘前城」 青森県弘前市<br />「丸岡城」 福井県坂井市丸岡町 <br />「備中松山城」 岡山県高梁市<br />「松江城」 島根県松江市<br />「丸亀城」 香川県丸亀市<br />「松山城」 愛媛県松山市<br />「宇和島城」 愛媛県宇和島市<br />「高知城」 高知県高知市<br /><br /><br />現存する天守は、1935年に国宝保護法に基づき旧国宝に指定、1952年には文化財保護法に基づき、あらためて国宝に指定されました。<br />

    犬山城天守 国宝

    ◎ 現存する国宝4城

    「松本城」 長野県松本市
    「犬山城」 愛知県犬山市
    「彦根城」 滋賀県彦根市
    「姫路城」 兵庫県姫路市

    ◎ 現存する天守、残りの8城 重要文化財

    「弘前城」 青森県弘前市
    「丸岡城」 福井県坂井市丸岡町 
    「備中松山城」 岡山県高梁市
    「松江城」 島根県松江市
    「丸亀城」 香川県丸亀市
    「松山城」 愛媛県松山市
    「宇和島城」 愛媛県宇和島市
    「高知城」 高知県高知市


    現存する天守は、1935年に国宝保護法に基づき旧国宝に指定、1952年には文化財保護法に基づき、あらためて国宝に指定されました。

  • 犬山城天守 国宝<br /><br />◎ 別名「白帝城」<br /><br />白帝城は、三国志に登場する劉備が臨終を迎えた城です。<br />木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを、長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」にちなんで命名されたと伝わっています。<br />

    犬山城天守 国宝

    ◎ 別名「白帝城」

    白帝城は、三国志に登場する劉備が臨終を迎えた城です。
    木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを、長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」にちなんで命名されたと伝わっています。

  • 犬山城天守 国宝<br /><br />◎ 歴史<br /><br />1469年(文明元年)織田広近がこの地に砦を築いたのが始まりといわれます。<br />1537年(天文6年)、信長の叔父にあたる織田与次郎信康により城郭が造られました。現存する天守の2階までは、このころ造られたと考えられています。<br /><br />その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関が原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。<br /><br />1584年の小牧長久手合戦の際には、豊臣秀吉は大阪から12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。<br /><br />1618年(元和4年)、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が城主となってからは、成瀬家が代々受け継いで明治に至ります。<br /><br />1871年(明治4年)、9代目成瀬正肥のときに廃藩置県で廃城になり、櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されて(移築)しまいました。<br /><br />2004年(平成16年)3月時点で、日本で唯一の個人所有(成瀬家)の城であったが、同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管されました。<br />

    犬山城天守 国宝

    ◎ 歴史

    1469年(文明元年)織田広近がこの地に砦を築いたのが始まりといわれます。
    1537年(天文6年)、信長の叔父にあたる織田与次郎信康により城郭が造られました。現存する天守の2階までは、このころ造られたと考えられています。

    その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関が原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。

    1584年の小牧長久手合戦の際には、豊臣秀吉は大阪から12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。

    1618年(元和4年)、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が城主となってからは、成瀬家が代々受け継いで明治に至ります。

    1871年(明治4年)、9代目成瀬正肥のときに廃藩置県で廃城になり、櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されて(移築)しまいました。

    2004年(平成16年)3月時点で、日本で唯一の個人所有(成瀬家)の城であったが、同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管されました。

  • 犬山城天守 国宝<br /><br />◎ 天守<br /><br />外観3重、内部は4階で、地下に踊場を含む2階がついています。<br />天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、入母屋2重2階の建物の上に、3間×4間の望楼部を載せた望楼型天守です。<br /><br />天守台石垣は野面積という積み方で、高さは5メートル、天守の高さは19メートルです。<br />

    犬山城天守 国宝

    ◎ 天守

    外観3重、内部は4階で、地下に踊場を含む2階がついています。
    天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、入母屋2重2階の建物の上に、3間×4間の望楼部を載せた望楼型天守です。

    天守台石垣は野面積という積み方で、高さは5メートル、天守の高さは19メートルです。

  • 犬山城天守 国宝

    犬山城天守 国宝

  • 犬山城天守 国宝<br /><br />瓦にある紋は、成瀬家の家紋「丸に方喰」です。<br />

    犬山城天守 国宝

    瓦にある紋は、成瀬家の家紋「丸に方喰」です。

  • 犬山城天守 国宝<br /><br />◎ 唐破風出窓。<br /><br />1617年(元和3年)成瀬正成が城主になった時に、唐破風出窓が増築されました。<br />

    犬山城天守 国宝

    ◎ 唐破風出窓。

    1617年(元和3年)成瀬正成が城主になった時に、唐破風出窓が増築されました。

  • 天守台石垣と御神木<br /><br />石垣は野面積み(のづらづみ)という技術的に初期の石積方で、自然石をそのまま積み上げる方法です。<br />加工せずに積み上げただけなので、石の形に統一性がなく、石同士がかみあっていない。そのため隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点がありますが、排水性に優れ頑丈だという利点もあります。<br /><br />野面積みの一種として、穴太積み(あのうづみ)があげられるが、こちらは穴太衆が手掛けた石垣であり、特に野面積みの一方式を言うものではありません。<br /><br /><br />◎ 御神木「大杉様」<br /><br />樹齢約650年、枯れる前の高さ約24m<br />犬山城築城の頃からの老木で、天守閣と同じくらいの高さがあり、落雷には城の身代わりに、台風の時は風除けにもなったりして、城を守る御神木としてあがめられてきました。<br />しかし、1965年頃枯れてしまいました。

    天守台石垣と御神木

    石垣は野面積み(のづらづみ)という技術的に初期の石積方で、自然石をそのまま積み上げる方法です。
    加工せずに積み上げただけなので、石の形に統一性がなく、石同士がかみあっていない。そのため隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点がありますが、排水性に優れ頑丈だという利点もあります。

    野面積みの一種として、穴太積み(あのうづみ)があげられるが、こちらは穴太衆が手掛けた石垣であり、特に野面積みの一方式を言うものではありません。


    ◎ 御神木「大杉様」

    樹齢約650年、枯れる前の高さ約24m
    犬山城築城の頃からの老木で、天守閣と同じくらいの高さがあり、落雷には城の身代わりに、台風の時は風除けにもなったりして、城を守る御神木としてあがめられてきました。
    しかし、1965年頃枯れてしまいました。

  • 天守内部<br /><br />それほど大きくない天守に、かなりの観光客が入城しようとしているので、けっこうな混雑です。<br />しかも、階段が急でゆっくりでないと上り下りできないので、そこでも人だかりができたりします。<br />さらに、この木製の階段が、つるつるになっていて滑りやすい!注意!<br /><br /><br />とりあえず、最上階を目指します。<br />

    天守内部

    それほど大きくない天守に、かなりの観光客が入城しようとしているので、けっこうな混雑です。
    しかも、階段が急でゆっくりでないと上り下りできないので、そこでも人だかりができたりします。
    さらに、この木製の階段が、つるつるになっていて滑りやすい!注意!


    とりあえず、最上階を目指します。

  • 天守内部<br /><br />◎ 4階、高欄の間<br /><br />廻縁からの展望は素晴らしく、戦国時代の見張り台及び司令塔であったと思われます。<br />対岸は美濃の国ですが、川と自然の断崖が、天然の防御機能を果たします。<br /><br />東西3間、南北4間、床面積49.835?

    天守内部

    ◎ 4階、高欄の間

    廻縁からの展望は素晴らしく、戦国時代の見張り台及び司令塔であったと思われます。
    対岸は美濃の国ですが、川と自然の断崖が、天然の防御機能を果たします。

    東西3間、南北4間、床面積49.835?

  • 天守からの眺望 北<br />

    天守からの眺望 北

  • 天守からの眺望 北西<br />

    天守からの眺望 北西

  • 天守からの眺望 西<br /><br />川にかかった橋はライン大橋。<br />その向こうの山は伊木山です。<br /><br />

    天守からの眺望 西

    川にかかった橋はライン大橋。
    その向こうの山は伊木山です。

  • 天守からの眺望 南西<br /><br /><br />

    天守からの眺望 南西


  • 天守からの眺望 南<br /><br />

    天守からの眺望 南

  • 天守からの眺望 南<br /><br />下のほうに先ほど通ってきた道が見えます。<br /><br />

    天守からの眺望 南

    下のほうに先ほど通ってきた道が見えます。

  • 天守からの眺望 南東<br /><br /><br />

    天守からの眺望 南東


  • 天守からの眺望 東<br /><br />遠くに日本モンk−パークの観覧車が見えます。<br /><br />中央の大きな建物は、大本山成田山新勝寺の別院で、正式名称を大本山成田山名古屋別院大聖寺と言います。<br /><br />

    天守からの眺望 東

    遠くに日本モンk−パークの観覧車が見えます。

    中央の大きな建物は、大本山成田山新勝寺の別院で、正式名称を大本山成田山名古屋別院大聖寺と言います。

  • 天守からの眺望 東北<br /><br />川にかかっている橋は、先ほど近くで見たツインブリッジ・犬山橋です。

    天守からの眺望 東北

    川にかかっている橋は、先ほど近くで見たツインブリッジ・犬山橋です。

  • 天守内部<br /><br />壁に飾られた歴代城主の肖像。<br /><br />

    天守内部

    壁に飾られた歴代城主の肖像。

  • 天守内部<br /><br />急でつるつる滑るのでかなり危険な階段。<br />手すりを持ってゆっくり上り下りしましょう。<br />

    天守内部

    急でつるつる滑るのでかなり危険な階段。
    手すりを持ってゆっくり上り下りしましょう。

  • 天守内部<br /><br />◎ 3階破風の間<br /><br />南北に唐破風の間を配置し、東西は千鳥破風となっています。<br />この唐破風出窓は、天守建築当初には無く、1617年に成瀬正成によって増築されたと言われています。<br /><br />東西3間、南北4間、床面積81.936m<br />

    天守内部

    ◎ 3階破風の間

    南北に唐破風の間を配置し、東西は千鳥破風となっています。
    この唐破風出窓は、天守建築当初には無く、1617年に成瀬正成によって増築されたと言われています。

    東西3間、南北4間、床面積81.936m

  • 天守内部<br />

    天守内部

  • 天守内部<br />

    天守内部

  • 天守内部<br /><br />窓からは、木曽川を下のほうに見ることができました。<br />

    天守内部

    窓からは、木曽川を下のほうに見ることができました。

  • 天守内部<br /><br />◎ 2階、武具の間<br /><br />ここは武士の武器武具庫に使用されていた部屋で、三方に武具棚が設けてあります。<br />これを取巻く2間幅の板の間を、武者走りと言います。<br /><br />東西9間、南北8間、床面積246.006?<br />

    天守内部

    ◎ 2階、武具の間

    ここは武士の武器武具庫に使用されていた部屋で、三方に武具棚が設けてあります。
    これを取巻く2間幅の板の間を、武者走りと言います。

    東西9間、南北8間、床面積246.006?

  • 天守内部<br /><br />甲冑の展示。<br />

    天守内部

    甲冑の展示。

  • 天守内部<br /><br />石落しの間<br /><br />この位置は西北の隅にあたり、石落しの間といいます。<br />石を落として侵入者を防ぐ間で、石垣より外に突出しているのが特徴です。<br /><br />広さ 7.17?<br />

    天守内部

    石落しの間

    この位置は西北の隅にあたり、石落しの間といいます。
    石を落として侵入者を防ぐ間で、石垣より外に突出しているのが特徴です。

    広さ 7.17?

  • 天守内部<br /><br />武者隠しの間<br /><br /><br />

    天守内部

    武者隠しの間


  • 天守内部<br /><br />つけ櫓<br /><br />天守の東南角にあり、少しせり出した格好の櫓です。<br />1891年(明治24)の濃尾地震の時に壊れてしまったが、1895年(明治28)に修復されました。<br /><br />広さ 15.22?<br />

    天守内部

    つけ櫓

    天守の東南角にあり、少しせり出した格好の櫓です。
    1891年(明治24)の濃尾地震の時に壊れてしまったが、1895年(明治28)に修復されました。

    広さ 15.22?

  • 天守内部<br /><br />天守模型。<br />

    天守内部

    天守模型。

  • 犬山城<br /><br />犬山城を後にし、本町通りという古い城下町の通りを歩いて帰りました。<br /><br />この通りでは、2009年に電線の地中化工事が完成するなど、現在も城下町の景観を保つ努力が行われています。<br /><br /><br />◎ おしまい<br /><br />これで今回の旅行、2番目の犬山城攻略は終わり。<br />次は岐阜城を攻略します。<br />

    犬山城

    犬山城を後にし、本町通りという古い城下町の通りを歩いて帰りました。

    この通りでは、2009年に電線の地中化工事が完成するなど、現在も城下町の景観を保つ努力が行われています。


    ◎ おしまい

    これで今回の旅行、2番目の犬山城攻略は終わり。
    次は岐阜城を攻略します。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • zzr-cさん 2010/02/26 11:45:40
    みにくまくん見っけ!
    みにくまさん こんにちは

    答えは犬の点ですね(正解ですか?)

    みにくまさん zzr-cのご近所に来てたんですねぇ〜

    ツインブリッジは昔電車と並走してたんですよ!

    犬山城近すぎて入ったことはありませんが、
    近くを通り過ぎることはよくあります。
    最後の個人所有が市に移った時はしっかり近郊版に
    出てました。

    zzr-cが子供の頃写真の木曽川で釣りしたもんです。

    登ると景色イイですね。さすがはお城です。

    また遊びに行きます☆

    zzr-c

    みにくま

    みにくまさん からの返信 2010/02/26 13:35:14
    RE: みにくまくん見っけ!

    zzr-cさん、こんにちは〜。

    半分正解です(*^_^*)

    場所は犬の点のところでいいのですが、隠れているのはみにくまではなく、ちびくま君でした〜。

    あらあら〜この辺りにお住まいでしたか〜。
    近くに住んでいると、なかなか行かないものですよね(^_^;)

    犬山城は私達は初めて上りました。
    天守からの眺めも良かったですよ。

    では〜(^O^)/

    zzr-c

    zzr-cさん からの返信 2010/02/27 09:17:41
    RE: RE: みにくまくん見っけ!
    みにくまさん おはようございます。

    > 半分正解です(*^_^*)
    >
    > 場所は犬の点のところでいいのですが、隠れているのはみにくまではなく、ちびくま君でした〜。

    あぁ〜本当ですねぇ〜
    問題にはちゃんとちび君って書いてありましたぁ〜(涙)


    > あらあら〜この辺りにお住まいでしたか〜。
    > 近くに住んでいると、なかなか行かないものですよね(^_^;)

    はい〜でも何故か小牧城だけは小学生の時行きました^^;

    ではまたまた失礼します☆

    zzr-c

    みにくま

    みにくまさん からの返信 2010/02/27 12:02:50
    RE: RE: RE: みにくまくん見っけ!

    zzr-c さん、こんにちは〜。

    白いのがみにくま君で、茶色がちびくま君です(*^_^*)

    犬山城にしても小牧城にしても、歴史の重要な舞台になった城ですね〜。

    私の田舎は近くに岩村城があるのですが、遠足やらなんやらで、2回くらい行きました。
    天守があるわけではないので、小学生レベルではあまり楽しくなかった記憶がありますが、今なら残った石垣だけでも楽しめそうな気がして、また行ってみたいです。


    では〜(^O^)/

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