2009/09/28 - 2009/09/28
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旅2旅さん
何処で産まれたか・・・となれば病院か家でしょう
けれど、<何処で生まれたの>となると
意外に、その住所が分かりません・・・母は東京と
言ってましたが東京の<父方>か<母方>か?
当時はドサクサの時代・・・父は、私を産ませ捨て(戦争孤児?)して赤紙徴兵・・・自分のルーツが分からぬ私は心の穴が
埋まりません・・・また、父は、<俺は東京神田のうまれよ!>
などと、活きがってた遠い時代がありましたが
本当に?ということで、少ない資料を元にルーツを探りました
勿論、区役所へ行って戸籍謄本など調べれば
恐らく即座に分かることと思いますが、・・・となれば
わざわざ現地を訪ねることもありません
どんな場所だったのかを知りたくって出掛けました
<西郷銅像基台刻誌>
西郷隆盛君の偉功は、人の耳目にあれば、復、賛述をすべし。
前年、勅により、特に正三位を追贈される。
天恩、優渥に、衆、感激せざる莫し。故、吉井友実同志と興に謀り、銅像を鑄して、以って追慕の情を表す。 朝旨ありて、金を賜り費に佽し、資に捐ず。此の擧に纂ずる者二万五千余人。明治二十六年に起工し、三十年に至りて竣る。乃ち、之を上野山王台に建て、事の由を記し、以って後に傅ふ。
た
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
◆ 上野公園銅像除
西郷銅像基台刻誌
西郷隆盛君の偉功は、人の耳目にあれば、復、賛述をすべし。
前年、勅により、特に正三位を追贈される。
天恩、優渥に、衆、感激せざる莫し。故、吉井友実同志と興に謀り、銅像を鑄して、以って追慕の情を表す。 朝旨ありて、金を賜り費に佽し、資に捐ず。此の擧に纂ずる者二万五千余人。明治二十六年に起工し、三十年に至りて竣る。乃ち、之を上野山王台に建て、事の由を記し、以って後に傅ふ。
◆ 内閣総理大臣 山縣有朋祝辞
贈正三位、西郷隆盛君は才、文、武を兼ね・・・位、将相に陞る。風雲の會、夙に(早くから)維新の大業に賛し、水魚の遇、更に中興の隆治を翼く。勲業一世に光輝き名声千古に照らし而して之に処する。泊然(心静かで欲のないさま)之を見る。
淡然(あっさりした様子)思うに、君の度量、心の広さは、天空しく海広く、君の姿山高く水長し、嗚呼誠に禁ずべき哉、有朋かって君に廟堂(政府)の上に従い教えを国事に師事、久しく交誼を(あついよしみ)を担う。一人悲しむのこと、相許して竟に相終始すること能はざるを、今、会の式に望み今昔の感に堪へず、茲に謹んで蕪辞(粗末な言葉)を述べる。
勝海舟の祝歌
咲花の 雲のうへ野に もゝとつとふ
いさをのかさみ たちしけふかな
君まさば かたらむ事(こと)の さはなるを
なむあみだ沸(ぶつ) 我(われ)も老(お)いたり
福羽美静翁の祝歌
西郷隆盛英士の銅像のまへに
国のためにつくし、国のためにつくして 猶々(なほなほ)
と おもひし君(きみ)が心(こころ)尊(とほ)とさ
来会者約八百余名、山県有朋(総理大臣)、西郷従道(内務大臣)、大山巌(侯爵)、田中不二麿(元司法大臣)、芳川顕正(逓信大臣)、山本権兵衛(海軍大臣)樺山資紀(文部大臣)、青木周蔵(外務大臣)等大臣、黒田清隆(元総理)、勝海舟(伯爵)、上方諸(伯爵)、福羽美静(伯爵)、谷干城(伯爵)、榎本武揚(伯爵)、伊東(伯爵)、九鬼(伯爵)、渡辺(伯爵)、仁礼(伯爵)等の諸大臣その他に、海陸軍人最も多く、また、維新前に翁と親交ありし英国公使アーネストサトウ氏が臨場ありしは、更に感を深からしめたり、散会したのは午後12時頃。
◆ 銅像の由来
最初は四分の一の原型、陸軍大将から狩りの姿に、あの四メートルの大きなものはいきなりはかかれません。最初の原型、思索は4分の1、1メートルくらいです、素材は赤味の桜の木ですが、バケツを逆さまにしたようなシャポをかぶった陸軍大将の西郷さんの首ですが、どうしてこんな帽子をかぶっているのかと聞いたところ、伊藤博文が沿う主張し、第1回の試作品をしたとの事、ある時工場に樺山海軍大臣が来て、西郷はふだん着で山ヘに行く、あの姿が南洲そのものにおもう。
◆ 冷めし草履に木綿袴の西郷隆盛
その頃の太政官役人の威張りようといったらすごかった。何しろ薩摩、長州、土佐、の田舎侍が事実において天下を取ったのだから滑稽なほどであった。何のために我々町人は生まれてきたのだろうかと思った。(大倉翁談)坊主が役人に虐められたのもこの頃のことだ。神信心の公卿度もが上に立ったものだから、このさい坊主を叩き潰せという剣幕で神仏分離などという事を始めた。(戊辰95)
太政官の大官は大名のような考えを持っていた。参議の如きは道のりが半丁あろうと、一丁あろうと警部二人、巡査十名に護衛されて繰り出した。欲にいわゆる大隈重信参議の築地の梁山泊と言うのは死んだ戸川残花翁の先代戸川播磨守の屋敷であった。
私の知っている西郷隆盛はその頃、神田橋に居た、西郷の家に書生をしている友達を訪ねて行くと「君は西郷を見た事があるか」というので「ない」と答えると友達は「あれから来るのがさいごうさんじゃ」と指差したのを窓からのぞくと一人の男が若者を連れて門からブラブラ遣ってきた。木綿の羽織を着て刀を指し小倉のような木綿袴をはいて、しかも冷めし草履を引っ掛けておる。顔かたちは上野の銅像そっくりの印象が残っておる。
(金子堅太郎子爵、枢密顧問官、七十七才)戊辰物語
敬天愛人・・フォーラム21より抜粋
-
http://www.geocities.jp/kiyomizudo/
重要文化財・・・<寛永寺> -
上野恩賜公園
寛永寺<清水観音堂>
目的地は東京・北区・滝野川ですが
上野で下車・・・普段、気がつかなかった
文化財が沢山あります・・・西郷さんの銅像も
こんなにしっかり確認したのも初めて -
<時忘れじの塔>・・・上野恩賜公園
東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう、
英語:Bombing of Tokyo in World War II)は、
第二次世界大戦中アメリカ軍により行われた
東京に対する一連の大規模な空襲。
東京は1944年11月14日以降に106回の空襲を受けたが
「東京大空襲」と言った場合、特に、規模が最も大きい
1945年(昭和20年)3月10日に行われた空襲を指すことが多い。
太平洋戦争に行われた空襲の中でも、とりわけ民間人に
大きな被害を与えた空襲として知られている。
平成17年3月9日海老名香葉子さんの尽力で、
炎の中、無念で逝った10万もの方々のご冥福を
供養し、永遠の平和を祈願する思いから
平和祈念母子像「時忘れじの塔」が建立されました。
3月10日には、時忘れじの集いが行われているようです。
抜粋させていただきました・・・平成17年建立 -
上野恩賜公園・・・何とも久方ぶりの思い出の
場所・・・西郷さんの銅像の前に座り
若かった頃には・・無謀とも言えるアポ無し
就職・段ボールに毛布など入れて
古里から120円で上野駅に到達・・・安いでしょ!
あの頃は、キセルが大流行・・・鈍行に乗って
検察がきたらトイレに隠れ・・改札へ
<時わすれじの塔>とは、あまり関係なさそう -
遺族の方々が千羽鶴を
大空襲で十万人も亡くなった
日本は何てことをやってるか!
ルーツ探しは、この駅から始めました -
http://www.dentan.jp/ueno/uenoeki/eki05.html
上野公園口と上野中央口を結ぶ連絡道路
昔は<ああ〜上野駅>井沢八郎が哀愁込めて
唄っていた・・・集団就職の玄関でもある -
パンダ橋の説明・・・この後
京浜東北線で王子に向かいます -
パンダ橋・・連絡通路
-
上野駅公園口
あまり姿を変えないで欲しい
記憶が付いてゆけなくなってしまう -
王子につきました・・・ここから
歩いて滝野川5丁目を目指します -
-
音無記念公園・・・北区です
-
どちらに行けば良いのか
歩いているオジサンに聞きました -
都営トロリーバス
昔は確か線路が無かったのでは?
飛鳥山公園のあたりで見つけました
いよいよルーツに近いかも -
滝野川5丁目の首都高入り口を
見つけました・・この歪曲した高速道の
真下に目的地があると・・・。 -
首都高右側の真下あたりか!
もしかすると、ここが私の生誕地
幼いころは、勿論首都高なんて無かった
こじんまりした小さな商店が軒を並べて
・・・ばあちゃんは、ここで確か
駄菓子屋をやっていた・・・覚えて居る
オメンコ・飴玉・付録つきのキャラメル
ハッカ・煎餅などなど・・餓鬼には人気店だった -
滝野川5丁目・・・近い・近いぞ!
60数年も前の住んでいた町
戦争は貴重な思い出さえも
父の大切な賭け甲斐のない人生さえも
捻じ曲げてしまった・・・この辺りから
国の為などと踊らされて捕虜となり
強制労働を余儀なくされた・・・私は母と兄と
学童疎開・・秋田へと送られる -
ここです!表札には確かに○○○雄と
確認・・・父の20歳も離れた弟さんが
家を受け継いでいた・・・でもその様相は
変わり果て、下町の味わい活気が失われていた
ここは<駄菓子屋>だったのだ! -
この道を真っ直ぐに進めば
小川が流れていた・・・その小川さえも
地下に潜ったのだろうか・・・。
心の空洞も少しは埋まるだろう -
飛鳥山から降りて来るケーブル
当然その昔は無かったもの
父は私を抱っこして、ここを歩いて
居たのかもしれない・・・私が僅か8ヶ月で
徴兵された・・それから7年の歳月が流れ
父のいない私は<不良性の強い子ども>に
育っていた・・・自分でそう思う
私の生誕地は恐らくこの地点だろう!と・・・。 -
人生一歩先は闇です
それを、生き抜いて行くことは
そう簡単なことではない
それは、もしかすれば今の時代の方が
難しいことかもしれない
私は、復員してきた父の遠くを見つめる
逞しい顔が大好きだった
今でも、仏壇には父の闘志溢れる顔写真が
私を守ってくれている・・・ガンガン前に進め!
一応今でも、その心は隅っこに抱いている
<神田はここから遠くはない・・俺は神田の生まれよ!>は、7割方正しいかもしれない
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 青山蒼渓さん 2009/10/02 12:02:13
- 家が残っていて
- 今日は。
この前見た時は西郷像だけだったので、
ル−ツは上野の上野もお山かと思った(笑)
家が残っていて良かったですね。
私の住んでいた家は随分前に
無くなりました。他人の土地に
しがみついていた小屋同然だったから。
これからの上野ハイベントが盛り沢山で
楽しいですよ。又、是非、どうぞ。
森を布で飾るイベントの最中だった筈。
- 旅2旅さん からの返信 2009/10/04 19:49:38
- RE: 家が残っていて
- > 今日は。
>
> この前見た時は西郷像だけだったので、
> ル−ツは上野の上野もお山かと思った(笑)
心のルーツは上野ですが、お山の動物園も心のルーツを
作ってます 5歳の頃、動物園に伯母に連れていってもらいました
私は、様々なものにあまり動じないと言うか・・・動物園程度では
そんな嬉しい〜とは感じませんでした
>
> 家が残っていて良かったですね。
>
家はすっかり変わってましたが、確かに○○と言う名字が
あって・・・頭の中の、バアチャン・曾祖母の動き回るような
想像ができました
私の住んでいた家は随分前に
> 無くなりました。他人の土地に
> しがみついていた小屋同然だったから。
>
私が、疎開して盛岡の鉈屋町と同じですね
私が2歳から〜7歳までの小屋は雨漏りもしてました
>
これからの上野ハイベントが盛り沢山で
> 楽しいですよ。又、是非、どうぞ。
>
上野は、友達の展覧会などでしばしば行きましたが
なかなかジックリのウオーキングはしませんでした
これから、暇を見て出掛けてみます
> 森を布で飾るイベントの最中だった筈。
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