2009/09/13 - 2009/09/13
218位(同エリア227件中)
ひま人さん
三木市志染町の志染川と淡河川の合流点に、御坂神社がある。祭神は大物主葦原志許(おおものぬしあしはらのしこ)で、播磨を支配した伊和大神だとされている。この神は、出雲の主神・大国主命の別名だと言われており、出雲の勢力がこの辺りまで及んでいたと想像出来る。やがて、ここは大和王権の縮見屯倉が置かれ、二人の王子が隠れ住み、天皇として帰り咲いたという伝説が生まれた。これらは「播磨国風土記」に出てくる伝承で、千三百年近くも地元で語り伝えられ、遺跡も数多く残されている。
ここから読み取れるのは、出雲の豪族が播磨から摂津まで勢力を広げたが、大和王権の力が強くなるとともに、西へ追いやられたと言うことである。
今回はこの伝承地に関係ある、磐座神社、粒坐天照神社、宿祢塚、日岡神社、日岡稜、志染岩室、伽耶院、と回った。どこも日頃の観光と関係のない所なので、ゆっくりと見ることが出来た。
写真は磐座神社の坐光石。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス JRローカル 私鉄 徒歩
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磐座神社(いわくら)、所在地:相生市矢野町森。
磐は大きな石という意味、坐は「います」いるの敬語。磐座神社は、神が宿る大きな石がある神社ということになる。 -
磐座神社坐光石、神社の裏山に大きな石があり、その石の上に神が降りてきた。その時、大きな石の一つが転がり落ちた。その石が坐光石(ざこうせき)と言われている。表紙が男石でこれが女石。
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粒坐天照神社(いいぼにますあまてらす)、龍野市龍野町日山。火明命の使者から稲の種を授かり、植えたところ大豊作となったため、当地を粒(イイボ)と呼ぶようになった。
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日岡神社、加古川市加古川大野。創建は奈良時代の天平2年(730年)、祭神は天伊佐佐比古命(あめのいささひこのみこと)など5柱。江戸時代は武門の崇敬を受けたが、最近は安産祈願の神社として名を知られる。
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日岡稜、景行天皇の皇后稲日太郎姫(いなみのおおいらつめ)の御陵。双子の皇子を出産され、その一人がヤマトタケルノミコトである。
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志染の岩室(しじみのいわむろ)、1600年前、第20代の安康天皇が亡くなった後、皇位をめぐる争いが起こり、この争いから逃れた市辺押磐皇子の二人の皇子がここに隠れ住んだという。
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伽耶院本堂(重文)、慶長15年(1610年)、三木市志染町大谷。大化元年(645年)法道仙人を開基とし、孝徳天皇の勅願により建立された。
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伽耶院多宝塔(重文)、正保4年(1647年)建立。
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