岡山旅行記(ブログ) 一覧に戻る
日本最古の歴史書古事記また日本書記に吉備津彦命と若建吉備津彦命の兄弟命の記載があります。また吉備の国では昔から備中を中心に吉備国の冠者温羅と吉備津彦命の合戦が伝えられています。<br />「昔むかしのおおむかし。吉備の国に温羅がいつしか住むようになりました。温羅は山城から里におりては人を襲い大きな釜で人を食うようになり里人はたいそう温羅を恐れていました。神の国にこの話が伝わり吉備津彦命は兵を挙げて温羅を退治に吉備国に差向けられました。吉備津彦命の命は吉備国備中に着くと吉備の中山に陣をはり鬼の城・鬼の大将温羅と合戦になりました」<br />(表紙の写真/吉備津彦神社の風景写真です)

日本・桃太郎伝説の原話「吉備津彦命伝説」「温羅伝説」と伝説を物語る史跡を訪ねて。

6いいね!

2009/06 - 2009/06

4844位(同エリア7425件中)

0

12

はなちゃんのイチおし情報

はなちゃんのイチおし情報さん

日本最古の歴史書古事記また日本書記に吉備津彦命と若建吉備津彦命の兄弟命の記載があります。また吉備の国では昔から備中を中心に吉備国の冠者温羅と吉備津彦命の合戦が伝えられています。
「昔むかしのおおむかし。吉備の国に温羅がいつしか住むようになりました。温羅は山城から里におりては人を襲い大きな釜で人を食うようになり里人はたいそう温羅を恐れていました。神の国にこの話が伝わり吉備津彦命は兵を挙げて温羅を退治に吉備国に差向けられました。吉備津彦命の命は吉備国備中に着くと吉備の中山に陣をはり鬼の城・鬼の大将温羅と合戦になりました」
(表紙の写真/吉備津彦神社の風景写真です)

  • 「鬼の差し上げ岩」<br />鬼が岩を差し上げ屋根造り<br />すみかにした大岩でその時<br />の鬼の手形が残っています

    「鬼の差し上げ岩」
    鬼が岩を差し上げ屋根造り
    すみかにした大岩でその時
    の鬼の手形が残っています

  • 「鬼の城」<br />桃太郎伝説では鬼の城<br />の城主は鬼の温羅さん<br />です

    「鬼の城」
    桃太郎伝説では鬼の城
    の城主は鬼の温羅さん
    です

  • 「鬼の温羅さんの妻阿曽媛<br />の故郷は阿曽郷」<br />写真は鬼の城の直下の山麓で<br />明治の頃から現存すると伝<br />えられている全国的に珍し<br />い鉄製の灯篭(とうろう)<br />です。鬼の城・城主温羅の<br />妻阿曽媛は阿曽郷の出身と<br />伝えられています。<br />鬼の城周辺は日本屈指の古代<br />製鉄の跡が多く発見され。<br />灯篭は吉備の国は古代から<br />製鉄技術が技術集団をもって<br />発展し栄えていたという証と<br />なるようです。<br />

    「鬼の温羅さんの妻阿曽媛
    の故郷は阿曽郷」
    写真は鬼の城の直下の山麓で
    明治の頃から現存すると伝
    えられている全国的に珍し
    い鉄製の灯篭(とうろう)
    です。鬼の城・城主温羅の
    妻阿曽媛は阿曽郷の出身と
    伝えられています。
    鬼の城周辺は日本屈指の古代
    製鉄の跡が多く発見され。
    灯篭は吉備の国は古代から
    製鉄技術が技術集団をもって
    発展し栄えていたという証と
    なるようです。

  • 桃太郎伝説の主人公桃太郎の像<br />吉備津彦命がモデルになつた<br />と伝えられている<br />吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子<br />で五十狭芹彦命(イサセリヒコミコト)<br />別名大吉備津彦命。

    桃太郎伝説の主人公桃太郎の像
    吉備津彦命がモデルになつた
    と伝えられている
    吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子
    で五十狭芹彦命(イサセリヒコミコト)
    別名大吉備津彦命。

    吉備津駅

  • (温羅伝説。温羅と鬼達の湯治の温泉)<br />吉備津彦命は温羅と鬼達が合戦で戦って<br />傷をおっても何日かするといつのまにか<br />傷が治り合戦の場に戻ってくるので<br />吉備津彦命が不思議に思い遣いを出して<br />調べてみると鬼たちは温泉で湯治(とうじ)<br />をしていた。<br />これを知った吉備津彦命は沸々と吹<br />き出る温泉を冷泉にして封じこめた<br />と温泉の伝説や土地の言伝えで伝え<br />られている。<br />(写真は温羅と鬼達の湯治の温泉伝説<br />が伝わる則武温泉)

    (温羅伝説。温羅と鬼達の湯治の温泉)
    吉備津彦命は温羅と鬼達が合戦で戦って
    傷をおっても何日かするといつのまにか
    傷が治り合戦の場に戻ってくるので
    吉備津彦命が不思議に思い遣いを出して
    調べてみると鬼たちは温泉で湯治(とうじ)
    をしていた。
    これを知った吉備津彦命は沸々と吹
    き出る温泉を冷泉にして封じこめた
    と温泉の伝説や土地の言伝えで伝え
    られている。
    (写真は温羅と鬼達の湯治の温泉伝説
    が伝わる則武温泉)

  • 写真は温羅と鬼達の湯治の温泉伝説が伝わる<br />浮田温泉翠明館

    写真は温羅と鬼達の湯治の温泉伝説が伝わる
    浮田温泉翠明館

  • 「矢喰宮」<br />境内の大きな岩は温羅が投げた<br />岩に吉備津彦命が放った矢が当<br />たり落ちた岩と云われている

    「矢喰宮」
    境内の大きな岩は温羅が投げた
    岩に吉備津彦命が放った矢が当
    たり落ちた岩と云われている

    吉備津駅

  • 温羅と吉備津彦命の戦いはなか<br />なか勝敗が決まらす゜吉備津彦命<br />が案じていたところ命の枕もとに<br />一人の白髪の老人が現われて<br />「温羅に二本の矢を放せ。一本<br />は温羅が投げた岩に当たりもう<br />片方の矢は温羅にみごと当たる<br />だろう」と命に伝え老人の姿<br />は消え。命はこれこそ神のお<br />告げと信じて温羅めがけて二本<br />の矢を放つとお告げのとおり<br />一本が温羅の目に見事にあたった<br />そうです。温羅はあまりの痛みに<br />耐えかねて魚の鯉に化けて血吸川<br />を下ったと云えられています。<br />(血吸川の川の名は温羅が流した<br />血に由来すると伝えられた川です)<br /><br />

    温羅と吉備津彦命の戦いはなか
    なか勝敗が決まらす゜吉備津彦命
    が案じていたところ命の枕もとに
    一人の白髪の老人が現われて
    「温羅に二本の矢を放せ。一本
    は温羅が投げた岩に当たりもう
    片方の矢は温羅にみごと当たる
    だろう」と命に伝え老人の姿
    は消え。命はこれこそ神のお
    告げと信じて温羅めがけて二本
    の矢を放つとお告げのとおり
    一本が温羅の目に見事にあたった
    そうです。温羅はあまりの痛みに
    耐えかねて魚の鯉に化けて血吸川
    を下ったと云えられています。
    (血吸川の川の名は温羅が流した
    血に由来すると伝えられた川です)

    吉備津駅

  • 「鯉喰神社」<br />鯉に化けた温羅が川を下り<br />吉備津彦命は鳥の鵜に変身<br />し温羅が化けた鯉を喰った<br />処に神社が建立された

    「鯉喰神社」
    鯉に化けた温羅が川を下り
    吉備津彦命は鳥の鵜に変身
    し温羅が化けた鯉を喰った
    処に神社が建立された

    吉備津駅

  • 「吉備津彦神社」<br />吉備の中山の山麓に吉備津彦<br />の命が屋敷を構えた屋敷跡に<br />社殿を建てられた事が吉備津<br />神社の始まりで。 備前一品<br />一の宮でもあり。<br />白い布旗を立てて御幸行する<br />「吉備津神社御田植祭」は<br />温羅退治の凱旋(か゜いせん)<br />の様子を現在も伝え伝承され<br />ています。<br /><br />

    「吉備津彦神社」
    吉備の中山の山麓に吉備津彦
    の命が屋敷を構えた屋敷跡に
    社殿を建てられた事が吉備津
    神社の始まりで。 備前一品
    一の宮でもあり。
    白い布旗を立てて御幸行する
    「吉備津神社御田植祭」は
    温羅退治の凱旋(か゜いせん)
    の様子を現在も伝え伝承され
    ています。

  • 吉備津神社<br />吉備津神社撮影の時に神職に<br />神社社伝を聞くと。<br />「吉備津神社社殿<br />(本宮社・本殿等)には<br />吉備国の大神々としてまた<br />吉備津彦命を主神としてその<br />異母子若日子建吉備津彦命と<br />、その子吉備武彦命等一族の<br />神々を合わせ祀られています。<br />また社伝によると<br />吉備津彦命は吉備中山の山の麓<br />に茅葺宮を作り住み吉備国の統<br />治にあたり二百八十一歳の長寿<br />をもってお亡くなりになられた<br />といいます。<br />また吉備津彦命のお墓は吉備中山<br />の頂の茶臼山に葬られたと伝わっ<br />ており。のちに吉備津彦命から<br />五代目の孫にあたる加夜臣<br />奈留美命(カヤオミナルミ)<br />という人が茅葺宮に祖神として<br />吉備津彦命をお祀りしたのが<br />吉備津神社の起源であると云<br />われております。<br />さらに別の説に仁徳天皇が<br />吉備海部直の娘である黒媛を<br />慕ってこの地に行幸したとき<br />に、吉備津彦の功績を聞き後世<br />に伝えるために社殿を創建して<br />お祀りしたのが起源とも伝わって<br />おります。」<br />と教えてくださいました<br />(写真は吉備津神社本宮社の写真<br />です)

    吉備津神社
    吉備津神社撮影の時に神職に
    神社社伝を聞くと。
    「吉備津神社社殿
    (本宮社・本殿等)には
    吉備国の大神々としてまた
    吉備津彦命を主神としてその
    異母子若日子建吉備津彦命と
    、その子吉備武彦命等一族の
    神々を合わせ祀られています。
    また社伝によると
    吉備津彦命は吉備中山の山の麓
    に茅葺宮を作り住み吉備国の統
    治にあたり二百八十一歳の長寿
    をもってお亡くなりになられた
    といいます。
    また吉備津彦命のお墓は吉備中山
    の頂の茶臼山に葬られたと伝わっ
    ており。のちに吉備津彦命から
    五代目の孫にあたる加夜臣
    奈留美命(カヤオミナルミ)
    という人が茅葺宮に祖神として
    吉備津彦命をお祀りしたのが
    吉備津神社の起源であると云
    われております。
    さらに別の説に仁徳天皇が
    吉備海部直の娘である黒媛を
    慕ってこの地に行幸したとき
    に、吉備津彦の功績を聞き後世
    に伝えるために社殿を創建して
    お祀りしたのが起源とも伝わって
    おります。」
    と教えてくださいました
    (写真は吉備津神社本宮社の写真
    です)

  • 吉備津神社<br />「鳴動御釜殿」と記載された<br />木製看板があった回廊を下ると<br />鳴釜の神事のお釜殿があった。<br />『温羅伝説』『鳴釜の神事』の<br />縁起によると<br />吉備津彦と温羅との合戦で首を<br />打たれて犬養命の犬に温羅首を<br />喰わせ首は埋められた。<br />いつしか温羅の首が毎夜大声をあげ<br />てうなるようになり。吉備津彦命の<br />夢に<br />『吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛<br />をミコとして釜殿の神饌を炊かした<br />なら。温羅自身が吉備津彦命の使<br />いとなって吉凶を告げようと』<br />と温羅の霊が現れて命に告げた。<br />これが神秘な釜鳴神事のおこりで。<br />今日も吉凶を占う[鳴動御釜神事]が<br />行われております。

    吉備津神社
    「鳴動御釜殿」と記載された
    木製看板があった回廊を下ると
    鳴釜の神事のお釜殿があった。
    『温羅伝説』『鳴釜の神事』の
    縁起によると
    吉備津彦と温羅との合戦で首を
    打たれて犬養命の犬に温羅首を
    喰わせ首は埋められた。
    いつしか温羅の首が毎夜大声をあげ
    てうなるようになり。吉備津彦命の
    夢に
    『吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛
    をミコとして釜殿の神饌を炊かした
    なら。温羅自身が吉備津彦命の使
    いとなって吉凶を告げようと』
    と温羅の霊が現れて命に告げた。
    これが神秘な釜鳴神事のおこりで。
    今日も吉凶を占う[鳴動御釜神事]が
    行われております。

この旅行記のタグ

6いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP