2009/02/02 - 2009/05/02
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zxc567さん
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琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)です。
戦前は正殿などが国宝でしたが、
1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により
完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っていました。
1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、
本格的な復元は1980年代末から行われ、
1992年(平成4年)に、
正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元されました。
1993年(平成5年)に放送された
NHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台になり、
1999年(平成11年)には都市景観100選を受賞しました。
その後2000年(平成12年)12月、
『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として
世界遺産に登録されましたが、
登録は「首里城跡」であり、
復元された建物や城壁は世界遺産ではないそうです。
城の規模は東西約350メートル、
南北に約200メートルの楕円形。
ここにいつ、誰が最初に城を築いたのか、
正確には未だ、判っていませんが、
首里城の原形は少なくとも14世紀後半には
出来ていたらしい事が、
発掘調査によって明らかにされています。
13世紀〜14世紀といえば、
各地に按司(アジ)と呼ばれる政治的支配者がいて、
対立と興亡を繰り返していた時代。
まだ統一政権は確立されていません。
首里城も数あるグスクの1つでしかなかったと
云われています。
その首里城が王城となり、
今日のような沖縄の象徴としての歴史を刻みはじめたのは
いつからなのでしょうか。
それについては「察度説」と「尚巴志説」があります。
三山時代の中山王・察度が中山の居城として造営した
という説と、察度・武寧の時代までは
中山の拠点は浦添グスクにあり、
第一尚氏の尚巴志が拠点を首里城に移したという説で、
どちらが正しいかはまだ明らかにされていません。
城内には正殿・北殿・南殿などの重要な建物が
御庭(うなー)を囲んであり、
正殿は、1925年に指定されました。
しかし、これらの建物群は、沖縄戦ですべて焼失し、
1972年から復元整備が実施されています。
首里城は、
琉球王国の幾多の興亡を伝える歴史の証人であり、
琉球の島々を治め、中国、日本、朝鮮、東南アジアの国々と
外交、貿易を展開した首里王府の司令塔として、
王とその家族等が住み、
華麗な王朝文化に彩られた空間でした。
今、琉球の建築文化・美術工芸、
そして価値観を訴える『琉球の顔』が蘇りました。
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