2009/07/26 - 2009/07/26
357位(同エリア1233件中)
りょしゅうさん
- りょしゅうさんTOP
- 旅行記76冊
- クチコミ14件
- Q&A回答6件
- 297,573アクセス
- フォロワー40人
出雲アカデミーが主催する【出雲風土記に学ぶ神話】という講座のフィールドワークで「加賀の潜戸(かがのくけど)」に行きました。
ここは古来からの景勝地として知られ、小泉八雲は「これ以上に美しい海の洞窟は、そう考えられるものではない」(知られざる日本の面影)
島崎藤村は「海の女神の住居であったということも、あながち誇張とは思われない」(山陰土産)と絶賛したところです。
しかし、その景観も然ることながら、『出雲風土記』に語られたこの地にまつわる伝説・伝承の場を目の当たりにすると、古代からの人々の信仰の最深部に迫ることができたように思います。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- その他
PR
-
2台の観光バスに分乗して出かけました。 -
「加賀港マリンプラザしまね」から観光船に乗り探勝します。
-
約50名が2艘に分乗しました。
所要時間は50分 -
船の最後部より箱メガネで海中を覗き、仕掛けのついた長い竹ざおで海底のサザエ、アワビ、ウニをとります。
この地方では「カナギ漁」と言います。 -
「旧潜戸」です。
昔は船が接岸できたそうですが、大分前から上部の崖が崩れ接岸できないようです。 -
代わりに潜戸の右方にトンネルを掘り迂回路ができています。
りっぱな船着場もつくってありました。 -
接岸してすぐにこのような案内板があります。 -
そして、このような祠が・・・。
水子地蔵様が祀ってありました。
皆さんここで両手を併せます。 -
100m以上のトンネルです。
ここを通らないと行けません。 -
ここからが「旧潜戸」内部です。 -
またこのような案内板もありました。 -
一歩足を踏み入れてビックリ。
目の前に広がっていたのは、死んでしまった子どもの魂が集まる「賽(さい)の河原」なのです。 -
「仏潜 戸」とも呼ばれ、
幼くして先立った子どもたちへの思いや悲しみが満ちあふれた場所なのです。 -
幅約20m、奥行き約50mの洞窟内には、供養のために積まれ た石の塔が至る所に立っていました。
-
(パンフレットによれば)
幼子が泣きながら河原の石を集めて「一重積んでは父のため、二重積んでは母のため」と一心不乱に石を積んでいると、どこからともなく鬼どもが現れ、折角積んだ塔を片っ端から崩すそうです。
すると、お地蔵様が現れて鬼どもを追い払い、幼い亡者を助けて下さると云います。 -
また、朝日の昇らぬうちに賽の磧に行くと、崩れてしまった石の塔は積みなおされ、夜の間に石を積んだ子供の足跡が片足のみ点々と残っているが、朝日が昇るとその足跡はいつしか消えてなくなっていると云われています。
-
お地蔵様の周りにはランドセルとか人形が置いてありました。
おそらく幼くして亡くなった子供たちが使用していた物でしょう。
思わず手を合わせてしまうほど切ない情景です。
瞼にそっとハンカチを当てるご婦人もいらっしゃいました -
ここが1番奥まったところ。
“あの世とこの世の境目”だそうです。 -
この中にも玩具がたくさんお供えしてありました。 -
振り返って潜戸の入り口を見ました。 -
潜戸の入り口です。
時化のときは当然波も入ってくるでしょう。
しかし先ほど見た石の塔は、時化などで全て崩れても、子供たちが泣きながら一晩中かけて積みなおすという言い伝えです。 -
皆様方の心の中を去来するものは、きっと僕と同じでしょう。 -
帰りのトンネルを抜け出ても、余韻は冷めやみませんでした。 -
ここから「新潜戸」です。
新潜戸は北に350メートルのところにあり、日本海の荒波で侵食されできた海中洞窟です。 -
3箇所の入り口をもち、大きさは延長200メートル、高さ30メートル以上あります。
雄大な洞窟を遊覧船で入って行きます。 -
ここは神の潜戸とも言われ、出雲風土記によれば「佐太の大神」の生誕地とされています。
洞窟の天井から落ちる冷たい水滴は 「母の乳汁」とも呼ばれ、これを浴びれば疫病除けのご利益があるとされています。
(観光船の屋根がちょっと邪魔でした)
-
イチオシ
古代、キサカヒメノ命が海に流れ着いた黄金の矢で居抜き、できたと言い伝えられています。
(的島〜新潜戸の射抜き伝説)
ずっと奥に見えるのは的島です。 -
ここが「佐太の大神」のお生まれになった場所です。 -
夏至の頃には、的島の辺りから黄金色に輝く朝日が昇り、
まるで黄金の矢のような光が一直線に洞窟内に差し込むそうです。 -
左方にも進入路があります。 -
船べりが左右の岩壁に当たりそうになりながらも、船頭さんの操船が上手く難なく通り抜けました。 -
まさに、生と死の2つの洞窟が海に向かって開いていました。
そして、古代宗教の最深部を垣間見た思いがしました。 -
ほんの1時間足らずでしたが、濃密な時間でした。
僕の心の中にも黄金の矢が突き刺さったような気がしました。
最後にヘルンさんは、(出雲の人は親しみを込めてハーンのことをヘルンさんと呼びます)
明治24年9月5〜6日頃、セツ夫人とともに人力車で山越えして御津まで行き、そこから船に乗り換えて、この潜戸を訪れたそうです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
33