2006/01/06 - 2006/01/14
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atsushiさん
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なぜかラオスでお坊さんの日本語の家庭教師になった。
素朴な人たちが多いこの国で、紹介で知り合った一人の
お坊さんリー君。彼の悩みを聞きつつも、
家でCDコンポから流れてくるレッスンプログラムを
片手に日本語レッスンは始まったのだった。
-
東南アジアの小国ラオス。山々が連なり、多くの山岳民族と穏やかな人々が暮らす国。
僕は、そのラオスに向かっていた。
初めての国に、僕の気持ちは高まらないわけがない。夜が明け、明るい光がもれてきた。寝台列車の朝の風景もいい。なんといっても旅情がある。
バンコクからラオス国境の街、ノーンカーイには、予定の時刻の1時間遅れで到着した。
国境までは、トゥクトゥクで数分らしい。寝台列車で出会ったオーストラリア人デイビットがトゥクトゥクをシェアしようと言ってきたので、トゥクトゥクにのってイミグレーションへ向かった。イミグレーションでは、ラオスへと向かう多くの人の中、旅人とと思われる外国人も沢山いる。
僕はこの国境でラオスのビザを申請をする。デイビットは、事前にビザをとっていた為、お互いに別れを告げ、デイビットは先にラオスへと消えていった。いい奴だった。
ラオスに入国し、ソンテウで市内へと向かった。
流れる風景がのんびりしていて、ここは一国の首都だという感じがしない。ゆっくりと時間が過ぎていくようだ。十数分走り、終点らしきバスターミナルに到着した。そこで、ひとつの出会いが待っていた。 -
ソンテウを降りると、一人旅と思われる青年と一緒になった。
話し掛けられ「宿を探している」と話すと、「一緒に行かないか?」と言う。
面白そうなので、二人で宿を探すことにした。彼は、韓国人で、名前をキム・ヨンジュンという。
僕より、少し年下の24才。彼は、2年間
の徴兵を終え、1ヶ月程前ソウルからこの旅に来たという。ネパール、ベトナム、カンボジアと旅して来たらしい。
若いのにすごくしっかりしている印象だ。ビエンチャン中心部に着き、数件の宿を周って、一泊5$のゲストハウスに二人で部屋をシェアすることになった。
正直、二人で部屋をシェアをして大丈夫なんだろうか・・・。とも思った。つい、さっき出会った人だ。
しかし、信用するしかないのだ。そう、彼との出会いで旅がより楽しく感じられたの確かだ。
見知らぬ土地で、国籍の違う2人が共に過ごす。そんな経験は初めてだった。 -
少しの間、彼と過ごした。日が暮れる頃、2人はメコン川が見える場所に腰を下ろし、杯を交わす。
だんだんと空がオレンジ色に染まり、暗くなっていく。一日の疲れが癒されていく。
沈みゆく夕日を僕はじっと眺めていた。
僕はキム君とお互いの国のことを話した。それぞれの国の印象、文化。そして旅の事。
オレンジ色の空が黒の世界へと変っていく。1日が終わっていく。明日は、どんな一日になるのだろうか。 -
翌朝、韓国人のキム君は、「先に行くよ」と一声かけて先に出ていった。ほんとにいい奴だった。
出会いがあり、こうして別れがある。
次はどこにいこう。
ラオスの田舎町に中国の桂林のような美しい河と渓谷があるという。
その田舎町はバンビエンというらしい。僕はそのバンビエンに向かうことに決めた。
バンビエンへむかう車で、イスラエルから来たという女の子3人組と出会った。
彼女達は、目鼻立ちのはっきりとした美人だった。僕はアジア人にはあまり抵抗はないのだが、
欧米人でさらに女性となると緊張してしまう。彼女達の中の一人の女の子、23歳のリタルと仲良くなり、
なぜかスペイン語講座が始まった。一通り終えると、テストが始まるという熱心さ。
それが終わると、日本語を教えた。
そうやっていくうちに、周りがごつごつとした景観に変ってきた。そうバンビエンに着いたのだ。
バンビエンは街というより村であった。道も舗装されていないし、何もない。
なんかホッとする田舎町だ。中心部と思われるところで車はとまった。まずは、宿を探すことにした。
車を降り、イスラエル人の彼女達が、「河の対岸にあるバンガローにいくけど、一緒にどう?」と言ってきた。一瞬、ついていこうかとも思った。いやちょっと待てよ、俺は一匹狼だ、ここは硬派を貫かなくては、男が廃る・・・。
と勝手な思い込みをし、誘いを断り、一人で宿を探すことにした。
しばらくして、宿も決まると、もう日が暮れようとしていた。ソン川に向かうと、地元の人達が、川遊びをしていた。親子で楽しそうに過ごす風景も見られる。ソン川には、沈み行く夕日が映し出されていた。
その夕日を見ながら、この旅が、この瞬間がたまらなく思えた。 -
翌日、僕は、バンビエンを後にし、バスでルアンパバーンに向かうことにした。
山あいの古都、ルアンパバーン。1995年に世界遺産に登録されたこの街は、80もの寺がひしめく、日本でいえば京都みたいなところだ。しかし、バンビエンからこのルアンパバーンまでの道のりも遠い。
7時間もの山道を移動しなければならない。このルートは、以前、盗賊がでたこともあり、ライフルを所持した護衛がつく。大丈夫だとは思うが、油断はできない。
山あいをバスで走っていくと、様々なラオスの人々の風景に出会う。
3人の少年に出会った。無邪気に遊ぶ子供達。カメラを向けると、ポーズをとってくれた。
ラオスの子供は優しい表情をしている。車窓から見える山に住む子供達が,通りかかる僕達外国人に笑顔で
手を振ってくれる。心が優しくなれる瞬間だ。バスは、さらに走り続けて、無事ルアンパバーンに到着した。
バスから降りると、宿の客引きがいて言われるまま、ついていった。
案内された宿はカーン川近くの民家風のゲストハウスだった。庭には、日本人グループが馬鹿騒ぎしていた。
この旅で初めて辿り着いた日本人宿らしかった。 -
翌日、自然豊かなこのルアンパバーンの街を歩いてみることにした。
街はカーン川とメコン川を中心に緑豊かな街並みに多くの寺と観光客向けのレストランやホテルが点在する。
といっても、街自体は歩いて周れるほど、こじんまりしているのだ。
僕は、寺巡りをすることにした。ラオスの寺は静かにたたずんでいる。人も少なく、ほんとに静かにひっそりと。
カーン川沿いを歩くと、オレンジ色の袈裟を来たお坊さんが集団で歩いてくる。
タイなんかでもこんなに集団でお坊さんを見たことがなかったので、珍しい光景に見とれてしまう。
高台にあるサイナムカーン寺付近を歩いていたら、一人の若いお坊さんに声をかけられた。
新たな出会いだった。 -
まさかお坊さんに、話し掛けられると思ってなかったので、少し驚いた。そのお坊さんは、英語が話せ、日本から来たと伝えると、そのお坊さんは、英語でラオス語を教えてくれた。ラオス語会話集をみながら、発音していく。うまく発音できないと、そのお坊さんが笑う。なんだかこういうのが楽しいのだ。僕は、そのお坊さんとしばらく話していると、授業?を終えたお坊さん達が続々と現れた。
そこで、このお坊さんから、日本語を勉強している一人のお坊さんを紹介された。紹介されたそのお坊さんは、だいぶ若いようだった。名前を「リー」といった。
日本語を勉強している彼は、ひらがなが書けることが判明。これにはびっくり。
リー君は日本語をぜひ教えてくれないかという。面白そうだったので、俺はその申し込みを受けることにした。ただ、これから、リー君はお勤めがあるらしく、午後4時半にまたこの場所にきてくれという。というわけで、いったんリー君とは別れ、また待ち合わせ時間まで、街をぶらついていた。すると、路上の屋台で、一人の欧米人を見かけた。あれ、どこか見覚えのあるようなその風貌・・
よくみると、オーストラリア人のデイビットではないか!!!国境で別れてから、遠く離れたこの街で再会があるとは思わなかった。デイビットと再会を喜んだ。デイビットから「6時半からラオスバーべキューと映画があるから一緒にいかないか?」という。
その誘いは嬉しかったのだが、リー君との約束もある。事情を説明し、
間に合うようならいくということにした。次から次へと新しい出会いと再会があり、この旅の楽しさをあらためて感じた。
旅に出ることは、新しい風景、食との出会いも楽しいのだが、やはり心揺さぶられるのは、人との出会いである。
それが、この旅の根幹になっているような気がした。 -
約束の時間。
指定された場所にいくと、リー君は待っていてくれた。彼から、何か得体の知れないお菓子をもらった。見た目、薄く切ったパイナップルのような食べ物だった。しかし、味はパイナップルではなく、はっきりいってまずかった。
少し話した後、歩いてワット・シェントーンという寺に向かった。そこで、日本語を教えてほしいという。
しばらく歩くと、壮厳な雰囲気のワット・シェントーンに辿り着いた。
ワット・シェントーンは、1560年にセタティラート王によって建てられ、ルアンパバーンで、シンボルともいえる寺院だ。
リー君は、その寺の境内にある僧侶の住まいらしき建物に案内してくれた。
そこには少年の僧侶が数名みえる。その建物の奥にリー君の部屋はあった。一体、仏教の僧侶の部屋とはどんな部屋なのだろうか。
そして、おそるおそる部屋の中へ・・・
そこでみえた景色は、想像とは全く違ったものだった。6畳ほどの部屋は、こぎれいな絨毯がひかれ、コンポなどの電化製品も見える。
これが、僧侶の一般的な部屋なのか?どこか下宿している大学生の部屋に案内されたかのようだった。
リー君の仲間と3人で座り、いよいよレッスン開始。その前になぜか日本茶をご馳走になる。
コンポから、日本語会話を録音したCDを流す。内容ははっきり覚えていないが、レストランかなにかの会話だったように思う。それを聞き終わり、英語で日本語に対しての質問に答える。
質問は接続詞についてだった。そんな難しいのをやっているなんて関心というかすごい。
それよりも教えるにあたって、僕の英語力がたいしてないので、うまく英語で伝えられないのが問題だった。それでもなんとかわかる範囲で、レッスンをしたのだった。
授業を終え、リー君はその後、御経を唱えるため寺の中へ。
そのお勤めを終えると、夜から学校で英語の授業があるらしく、一緒にその学校まで行くことになった。
陽がくれようとしている中、リー君と話しながら来た道を戻っていく。
兄弟が8人いること、大学に行きたいetc....
そんなことを聞いていると、僧侶として特別視していた思いがなくなっていた。
日本から遠く離れたこの街で、18歳の僧侶と語った。この日を忘れることはないだろう。
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