2009/05/07 - 2009/05/21
1288位(同エリア2341件中)
らいとさん
仕事を辞め、中央アジアへ!
去年の春に中東へ行く途中でモスクワ空港を経由した際、空港内を行き交う女性やロシア語の響きの美しさにハッとさせられてしまってから徐々にロシアに興味を持つようになったのだが。
ロシア旅行はビザ取得やバウチャー関連の手間が面倒で諦め、結局、旧ソ連圏のどこかということで、中央アジアがなぜ″アジア″なのか、地図を眺めながら不思議に感じていたので…
ウズベキスタン東部
↓
タジキスタン(バダフシャン自治州)
↓
キルギス(オシュ)
↓
新疆ウイグル西部
↓
カザフスタン(アルマティ)
↓
キルギス(ビシュケク)
というルートを反時計回りに約2ヶ月掛けて周ってきました >_<;
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ウズベキスタン航空
-
《Route. Central Asia》
-
≪Route.Uzbekistan≫
5/6-7 成田〜関空〜タシケント
5/13 サマルカンド
5/15 シャフリ・サブズ
5/17 バイスン
5/19 テルメズ
:
5/21 ドゥシャンベ(タジキスタン)へ -
5/8 タシケント
1$≒1446sum(公定レート)
彼女が食べているチョコ味のソフトクリームは500sum。
最高額紙幣が1,000sumで日本円に換算すると100円にも満たないため、紙幣の支払いの際と持ち運びが面倒。地元のウズベク人は輪ゴムを財布代わりに、支払いが済むと結んだ厚い札束をボソッとそのままバッグに突っ込む。
また、100sum以下の貨幣の流通がほとんどなく端数のお釣りは切り捨てられるか、代わりにチューインガムを一枚手渡される。 -
タシケント市内には中央アジアで唯一地下鉄の路線があり、構内は宮殿かのごとくきらびやかで、その装飾も各駅ごとに異なり、駅を降りるたびに思わず立ち止まり見とれてしまう。地下鉄、鉄道駅等の写真撮影は禁止のため紹介できないのが残念。構内では警官の職質がしつこく、それに乗じて金品を巻き上げられるという噂も耳にするが、身分確認のためのパスポートの提示で問題はない。
-
写真は8番トラム(路面電車)の終着点。おおよそ15分間隔で列車が入れ替わり運行している。ホームはなく、木の下で桑の実をちぎりながら列車が訪れるのを待つ。
-
トラム路線図(タシケント市内)
-
市内バス、トラム、地下鉄はどれも400sumでどこまでも乗れる。皆よく席を譲り合う。
-
トラムを待つ人々(タシケント駅)
-
タシケントで6日間を過ごしたハドラホテル。トイレ・バス共同。浴室には浴槽と蛇口があるのみで、そこでペットボトルに湯を汲み体を洗う。大きめの1.5ℓぐらいの空き容器を持っているといいが、湯がいっぱいになるまで裸で身を屈めながら待つ間がちょっとわびしい。
12,000sum/泊(隣室のウズベク人は6,000sum) -
5/13 サマルカンドへ
8:15タシケント発→12:05サマルカンド着
(チケットは前日にタシケント駅脇の鉄道予約オフィスにて購入 12,500sum)
ウズベキスタンは鉄道網が発達しているため交通手段にも選択の余地がある。列車は定刻通りに出発してサマルカンドまでノンストップの4時間弱で到着。車内はテレビ、エアコン付き -
5/14 レギスタン広場
ウズベク人の家族連れや学生の観光客は多く、外国人に声掛け一緒に写真を撮ったり、ほとんど見向きもされなかったタシケントと比べると気質の違いを感じる。サマルカンドでは観光地の為か比較的に英語の話せる人がいる他、日本への出稼ぎ経験のある男性とも何人か出会い、流暢な日本語を話していた。 -
-
レギスタン広場を含め旧市街では街の至る所で改修工事が着々と進められている。
-
-
-
裏口からの侵入に失敗後、笑って立ち退く。
-
-
レギスタン=″砂の広場″
-
-
ヒビ・ハヌム廟
-
新市街側のウルグ・ベク通りに面する小さなバザール(クルティ・バザール)
-
市場の一角ではキムチやナムルに似たおかずも売られており、声掛けると″(韓国語は)話せないのよ″と恥ずかしそうに言う。中央アジアにはタシケント等の都市で働く韓国系企業に勤める韓国人と彼女らのようにおそらく祖父母の代が強制移住により中央アジアへ渡って来たと思われる韓国系ウズベク人がいる。民族のアイデンティティーは失ってないのか、髪型や服装がどことなく韓流っぽい。
-
5/15 シャフリ・サブズへ
サマルカンドからタクシー(相乗り、8,000sum)で90分。サマルカンドからも比較的に近く、街の中心部の規模はそれ程に大きくないので日帰りで訪れる観光客も多い。
奥にアク・サライとティムール像が望める。 -
シャフリ・サブズで滞在した宿
-
寝室の卓上には木の実やお菓子が皿一杯に盛られ用意されている。蜂蜜がおいしく、バザールで買ってきたパンに付けてよく食べた。
-
宿泊者同士で夕食の準備。dulmaというロールキャベツに似た民族料理。キャベツを切り、中に羊肉を詰め紐で結ぶと、ニンニクや玉ねぎ、じゃが芋、人参などの野菜とともに大鍋で豪快に煮込む。
-
中央アジア(中東圏)の家の造りには中庭があり、そこで家事を行ったり、家族や隣人を呼んでは腰を下ろしよく話している。
-
dulma…おいしくなかった!
その他、サラダにヨーグルトを掛けたり、朝食ではネチョネチョのご飯に甘い蜜が掛かっていたり、見た目は美味しそうなのだが。 -
5/16
街のメインストリート、イパック・ヨル通り。左奥手に見えるモスクを過ぎると商店も少なくなり、人通りも静まったところで住宅街のある脇道の方へ入ってみる。 -
あまり外国人慣れしていないようで、こちらをじっと見て興味を示している子供も、自分が近づくと家の中へ逃げる。
-
なかには″hello、コンニチハ″と子供が馬鹿にした声でからかってくることもあれば、警戒して扉門を閉める母もいる。笑顔で庭の桑の実を差し出す人もいる。皆、反応は様々だ。
-
-
表通り沿いにはないひっそりとした住宅通りも次第に露店や商店の数が増えはじめ人通りも多くなり、しばらく歩き続けるとバザールへと抜け出る。
-
アク・サライ宮殿跡のすぐ脇に小さな遊園地がある
-
-
アク・サライ宮殿跡
正面から観ると朽ちている。 -
裏側は装飾が残っていて綺麗。アク・サライ=″白い宮殿″という意味なのだが、現存するのは門の一部のみで、外壁は白というよりもレギスタン広場のようなサマルカンド・ブルー。
-
シャフリ・サブズの宿のオーナー、Lutfullohon(ルトゥフッロホン)さん。
台所からさまざまな野菜を取り出してくると、ウズベク語のレッスンが始まる。商売っ気がなく、気さくで人をもてなす気持ちに溢れた素敵な人(家族)でした。 -
5/17 シャフリ・サブズ→バイスン
移動日の朝、シャフリ・サブズのバスターミナルの場所がわからず、宿のLutfullohonさんに尋ねると、親切に道端に出てマルシュルートカ(乗合のミニバス)を捕まえてくれたかと思えば、そのまま一緒に同乗し、その際、断ろうとしたが自分の分までマルシュの運賃を支払ってくれ、ターミナルに着くと停車しているバス乗務員のところまで案内し、(途中で乗り継ぎがあるために)自分の行き先を乗務員に伝え、にっこり笑って去っていく。ここまでされると恩返しも何もできずに申し訳なくなってくる。
7:30、デナウ行きの公営バス(6,000sum)が発車する。途中での乗降は自由で、道端で手を挙げ待つ地元民をその都度拾っていくため速度は上がらず中央アジアらしからぬ安全運転ぶり。沿線は比較的なだらかな山道に沿って草の絨毯を被せたような高原地帯が続く。バスが停車していると、バケツを持った遊牧民の子供が″1分だけ″とでも言うように人差し指を挙げ車内に乗り込んできた。 -
搾った羊乳?を飴玉大に固めたもの(クルト)をバケツの中から取り出し1個100sumで売っていたがあまり売れず、それでもバス車内を出ると、今度は対向車線に出てトラックの車列に笑顔でアタックしていく。元気がいい、楽しんでいる。味はプレーンヨーグルトの酸味を強くしたようなもの。
3時間半程走りようやくDarbandに到着。ここでタクシーに乗り換えるが相乗りのため、30分程待たされる。結局、自分以外に同乗者なく発車する。 -
今度はジェットコースターのような猛スピードで山間の道を駆け抜けていく、個人に利益が絡むか否かで乗り物のスピードが変わっていく気がする。スピードメーターを覗くが針が同じところをぐらぐらと揺れ壊れている。40分程でバイスンの街の中心地に着くが、タクシーから降りるとその場で警官に遭い職質を受ける。まもなくして解放されるが、今度は一人の女性が通りかかり、何やら自分を案内するので着いていくと、頼みもしないままにホテルにたどり着く。彼女はホテルの女中で、このホテルに泊まると決めてもいないのに部屋の案内を始める。宿泊者には選択の余地があるといいたいが、街にはホテルが唯一一軒あるのみ、結局一番小さな部屋(10$)を値切り13,600sum(8$)で確保。
-
5/18
翌朝、共同シャワーを使おうと廊下に出て扉を叩くが閉まっていて開かない。すると、隣室から昨日の女中が出てきて、″食事は?″と道路向かいの民家のような店構えの飲食店に案内され、そこで家の婦人が朝食の準備を始める。コーヒーとパン、目玉焼きが二つに婦人が買ってきたチェリーを少し分けて差し出してくれた(1,500sum)。
宿に戻り、シャワー室の扉を開けてもらうが、湯も出なければ水も出たり止まったりするので、女中に指摘すると、近くにサウナがあるからとホテルを抜け出る。浴場にはシャワーしかないが、ボイラー熱の為に浴室内は蒸し暑く汗がじわりと出る。シャワーは温度調節ができ湯量も豊富だが調子に乗って湯を出し続ければ排水管がすぐ詰まる、無駄遣いができない仕組みになっている(入浴料:3,000sum)。
浴場を抜け外に出ると、汗をかいたたためズボンの裾を捲くっていたが、女中に指摘され戻す。イスラム圏では特に男性が脚を出して歩くのは好ましくなく、世の男性たちは夏でも長ズボン。 -
バイスンの街の中心地から車で3〜40分程のところにサイロープという集落がある。
集落のある山の裾野には幾重の丘が広がっており、その一角が墓地になっている。小さな丘の裾野が風にまかせて揺れるたびに動物の毛皮のようになびき、そのなかで墓石はじっと山肌に顔を覗かせるように佇んでいる。 -
バイスンの街並み
-
-
商店
何もないのよ、とちょっと恥ずかしそう -
秤の錘には小さな石が
-
5/19 テルメズへ
バイスンからタクシー(相乗り、6,500sum)に乗車。一般道で常時130キロ運転、2時間弱でテルメズの中心部に辿り着く。
街中を歩いてると道端のどこからか珍しい楽調が聴こえるので、近づいてみると複弦3対のラバーブのような小さな楽器を抱えた盲目の奏者がいて、器用に調弦していたかと思うとその音が曲のフレーズに変化し、フレーズが整うと枯れた張りのある声で歌い始める。
1曲5分程で終わるが、周囲を歩く人の足音や車のクラクション音に混ざりながらも次のフレーズに合わせ歌い続けていく。 -
-
隣にいるのは息子
-
テルメズはウズベキスタン最南部に位置する都市。街の南側を流れるアム川を挟んだ対岸はもうアフガニスタンだが、街を歩いていても地理的な緊張は感じられない。
-
5/21 ドゥシャンベ(タジキスタン)へ
ちょうど2週間滞在していたウズベキスタンとも今日でお別れ、陸路国境を越えドゥシャンベ(タジキスタン)を目指す。
ドゥシャンベまで列車にて陸路国境を越えてしまえば途中での乗り換えなく楽に行けると思ったのだが、モスクワからのドゥシャンベ行きの列車の便は明日だったため早々諦め、ウズベク側国境手前のサリ・オシヨ行きの鈍行に乗車。 -
-
テルミズ6:20発→サリ・アスィヤ(運賃:1,000sum)
早朝発の鈍行列車だが意外と乗車率は高い。ディーゼル車でやっぱり遅く、だいたい15〜20間隔で駅に停車していくが、列車が徐々にスピードダウンし駅舎に近づく頃になると、既に車窓の外ではこれから乗車する地元民たちが外から車内にある空席を目で追いながら線路の上をさ迷い歩いている。 -
車内ではピロシキやヒマワリの種売りが7両編成の客車の間を往来している。それぞれ100sumで、朝から何も食べていなかったのでピロシキを一つ頼んでみると、ピロシキと一緒に包んであった風呂敷の中から本を一冊取り出し、何を始めるのかと思ったらビリビリッと1枚破くとそれにピロシキを包んで渡してくれた。
-
9:30 サリ・アスィヤ到着
-
サリ・アスィヤからタクシー(相乗り)に乗り換え、15〜30分で国境ゲート手前に到着(3,000sum)。
-
国境周辺はなだらかな丘陵地帯で両国側にはそれぞれ国境近くに集落があるため、ここの国境を利用する人々の数も多く、ウズベク側のゲートを抜けると緩衝地帯を徒歩にて突き進みながら、皆ぞろぞろと両国の税関を渡り歩いていく。
現在、ウズベキスタン国内から隣国への国際バスの運行はなく、タクシーも国境ゲートの手前で降ろされる。
90年代末にイスラム過激派によるゲリラ活動が活発化し国境管理が厳しくなったためだと言う。
ウズベキスタンは唯一、中央アジア諸国の他の4カ国と国境を接する国でもあり、旅行者にとっては不便な状況ではあるが、対向からタジキスタン人たちが歩いてくる姿を眺めながら緩衝地帯を歩いていると国境を越える実感が湧いてくる。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- Capeyorkさん 2009/07/20 23:48:01
- 懐かしきウズベキスタン
- 私もウズベキスタンへ行ってきました。
同じくウズベキスタンに昔から興味があったわけではなく、
たまたま仕事ので休める限界の日程にばっちり合っていた
往復チケットがウズベキスタン行きだっただけです。
シャフリ・サブズいいですねぇ〜。
唯一心残りの場所です。そしてタジキスタン。。。
行ってみたい!
人の旅をみるとうらやましく、体がうずうずしてきます。
- らいとさん からの返信 2009/07/28 02:05:43
- RE: 懐かしきウズベキスタン
- コメントありがとうございます。
ウズベキスタンではタジキスタンへ抜けることの都合でルートを決めていたので、シャフリ・サブズには寄るつもりもなかったのですが、一気に通り過ぎてしまうのももったいなく、時間も余っていたので、サマルカンドからテルメズへ行く途中に立ち寄ってみました。
シャフリ・サブズといったらアク・サライとかの遺跡が有名ですが、自分はあまり遺跡の価値がわからないので、ほとんどすっ飛ばしてしまってましたが、遺跡の周りでは、ウズベク人の男同士が仲良さそうに肩を寄せ合って写真を撮っていたり、近くの草むらにサーカス団がやってきてそれを子供たちが追っかけ取り囲んだり、周囲の人の動きを見ているのも楽しかったですね。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ウズベキスタン の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ウズベキスタン の人気ホテル
ウズベキスタンで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ウズベキスタン最安
1,760円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
2
58