2009/06/28 - 2009/06/28
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裏山の探検隊さん
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群馬・長野県境にある小串硫黄鉱山(小串鉱山)跡には2000m近い豪雪地帯という厳しい環境の中、最盛期には約2100名の方が暮らしていました。
40年前に廃鉱になるまで、国内最大級の硫黄鉱山として、国の発展を助けたことでしょう。
2009年6月下旬、かつての賑わいはなく、静けさを取り戻したこの鉱山跡を訪ねることにしました。
なお、周辺にある他の硫黄鉱山も訪れています。こちらも是非、ご参照ください。
石津硫黄鉱山 http://4travel.jp/traveler/urayama-tanken/album/10421379/
吾妻硫黄鉱山 http://4travel.jp/traveler/urayama-tanken/album/10391353/
小串硫黄鉱山の経緯
大正5(1916)大日本硫黄?高井鉱山として採掘開始
大正6(1917)東洋硫黄?に経営委譲
昭和4(1929)北海道硫黄?が買い受け
昭和9(1934)尋常小学校小串分教場開校
昭和12(1937)大地滑り発生。死者245名
昭和13(1938)操業再開
昭和15(1940)小串文教場に高等科設置
昭和21(1946)小串鉱業所労組設立
昭和28(1953)毛無隧道貫通。須坂万座間の定期バス運行開始
昭和32(1957)鉱山の最盛期。従業員625名、硫黄生産年間2万3千t
昭和33(1958)希望退職募集。61名の人員整理。
昭和38(1963)小串小・中学校生徒数最高の296名、教師15名
昭和40(1965)村立小串幼稚園新築開始
昭和43(1968)小串地区からの集団移住地「緑丘」宅地造成開始
昭和44(1969)小串小・中学校体育館完成
昭和46(1971)閉山
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小串硫黄鉱山の入り口となる毛無峠に車を置き鉱山跡へ歩きはじめます。
これはふもとの長野県高山村から鉱山町へ物資を搬送する索道の鉄塔跡です。
峠には強い風が吹いていました。 -
峠からしばらくダート道を歩くと、小串鉱山跡へ至る小道がありました。このあたりはレンゲツツジが満開です。
また、下草にはガンコウラン等、おなじみの高山植物が見られます。タフな環境下でしか生きられない彼らの存在がこの地の環境の過酷さを教えてくれます。 -
ワイヤーが残された鉄塔。
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小串鉱山跡全景。
廃鉱後、40年がたった今でも植生が復活していません。 -
小串鉱山跡に到着しました。
ルピナスに彩られたこの祠はこの地で殉職された索道係の方を慰霊するものです。 -
鉱山跡入り口付近にたたずむ御地蔵堂。
1937年(昭和12年)11月11日。大規模な土石流がこの地を襲い、245名の尊い命が奪われました。
この御地蔵堂は被災された方を弔うためのもので、定期的に慰霊祭が行われているそうです。
〜慰霊碑に刻まれていた慰霊の句〜
お地蔵
うらがれてゆくおそ秋の
まこと静かなりし小串の里に
悲しみをうずめ
なきがらをうずめ
硫黄の山と帰せし二四五のみたま
雨来
菩提の鐘の音と共に
「南無阿弥陀佛」が
声もなく流れつづけてはや
数十年
生者必滅
会者定理
これぞ浮世のおきてとは寂然の思ひ胸をつく
愁傷消えやらず
黄泉の君たちの声地底より
いまだ聞こえつづける思ひしきり
嗚呼
牧加代
・・・・・。
僕も殉職された方に手を合わせ、鉱山跡探索に出発しました。 -
鉱山跡入り口付近にあった、鐘。鐘自体は古そうですが、木槌には新しい鎖がついていました。
鳴らしてみると「カーン」と小気味の良い音がしました。 -
御地蔵堂近くにたたずむ崩れ落ちた変電所跡。真新しい御地蔵堂とは対象的です。
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北東の斜面に開いた坑道入り口。
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坑道を見ていると、ふと視線を感じました。
振り向くと一頭のカモシカが僕を見つめていました。 -
斜面の下には、精錬所等の跡地が広がります。
すぐそこにはさび付いたブルドーザーのブレイドが転がり、遠くに朽ち果てたトラックや構造物が見られます。 -
精錬所跡地付近に転がっていた車輪。トロッコに使っていたものでしょうか?。
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選鉱跡地から毛無峠を見た写真です。赤茶けた裸地と緑のコントラストが印象的です。
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ひっくり返ったトラックの荷台。
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精錬所跡地にあるタンクを従えたコンクリート製の遺構。
精錬に関係するものでしょうか?。 -
明神鉱床付近の斜面に広がる選鉱所跡。
ギリシャやイタリアにある古代遺跡のようなたたずまいです。
写真には写っていませんが、選鉱所跡左手には坑口が開いていました。 -
選鉱所跡付近に転がっていた荷車の残骸。パンクしたタイヤやさび付いた車体から物悲しさを感じます。
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崩れ落ち、自然に帰りつつある選鉱所跡。
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選鉱所脇の斜面にあった消火栓。
この消火栓が活躍したことはあったのでしょうか?。 -
選鉱所跡の脇を元気に登っていきます。
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選鉱所最上部からの眺め。朽ち果てた木材が危なっかしいですね。
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選鉱所跡上部から破風岳方面を写したショット。
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選鉱所の隣にある精錬所。「東北硫黄湿式精錬所」というそうです。
選鉱された原石がここに運ばれたのでしょう。ぽっかりと四角い穴が開いています。 -
精錬所に開いた四角い穴の中はこんな感じです。
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選鉱所跡の奥にある「スライム沈殿池」と思われる池。池の傍らに遺構があります。
この池に近づくには笹薮を掻き分けなければならないようです。時間の関係もあり、この池に行くのは次回にしました。 -
選鉱所に至る枕木と思われる木材。
選鉱所に原石はトロッコを使って運ばれたのでしょうか?。 -
いすゞ製のトラックが精錬所近くに転がっていました。
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精錬所近くから居住区跡を見下ろした写真。倒壊した建物が観察できます。
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手前は幼稚園跡でしょうか?。
奥には遊具の回旋塔が見えます。 -
この回旋塔で遊んだ子供たちも今や熟年から老年期に入っているんでしょうね。
この回旋塔に触れると、時を越えて子供たちの楽しかった思い出が感じられるような気がしました。 -
小中学校と思われる建物跡。建物は完全に崩壊し、崩れ落ちた屋根には小さな木が生えていました。
この地が完全に森に帰るのはいつの日になるでしょうか?。小中駅 駅
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居住区域跡で見つけたリンスの空き容器。
このほかに女性用サンダルなども見つけ、40年前の生活臭を感じることができました。 -
小串マーケットと思われる建物跡。
鉄骨だけが辛うじて立ち続けています。 -
これは労組事務所跡でしょうか?。
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鉱山跡探索を終え、入り口にある社に帰ってきました。
記念碑にはこの鉱山の概要が記述されていました。
2100名の方が住んでいたことがあるなんて、ホントすごいですね。 -
在りし日の小串硫黄鉱山の写真。
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この硫黄鉱山跡を訪れていた若いカップル。
廃鉱になっても、僕や彼らのように散策を楽しむ人や模型飛行機、モトクロスの愛好者等がこの地を訪れているようです。 -
ガスが出てきました。
ガスの中のレンゲツツジと鉄塔。 -
3時間半の楽しい散策を終え、小串硫黄鉱山跡に別れを告げました。
今回見れなかったところも多いので、秋にまたこの地を訪れたいと思います。
なお、周辺にある他の硫黄鉱山も訪れています。こちらも是非、ご参照ください。
石津硫黄鉱山 http://4travel.jp/traveler/urayama-tanken/album/10421379/
吾妻硫黄鉱山 http://4travel.jp/traveler/urayama-tanken/album/10391353/
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