2008/02/09 - 2008/02/09
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Garminさん
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路上で拉致されると、周りを囲まれ道路に面している建物に入れられた。 制服を着ている軍人と、平服を着ている男数人が真っ赤な顔をして座っている。 外国人だと判ると 、無理やりこちらへ来いとばかりに腕を組まれグイグイと奥へ連れて行かれる・・ 室内にゴザがあり、そこの手前で靴を脱げとジェスチャーで教えられ、座らされると何かわからない物をとりあえず三杯、ウォッカのような蒸留酒を飲まされた。 その後、一人一人が酒を持ってきて「まず、空にしろ、俺の杯を飲め」というジェスチャーを出す。 今はHUNG君も居ないし、英語も通じない。 それでもベトナム語教室で覚えた自己紹介をすると向うは"Ngoi Nhat!(日本人)"を連呼し、更に乾杯の嵐! "Ngoi Nhat!" こちらも"Chuc Mung Nam Moi!"(明けましておめでとうございます)というと、今度は"Nam Moi!"で乾杯、強面の人たちだが、どうやら、乾杯する為の合言葉が欲しいだけのようだ。
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そのうち、レストランから消え、なかなか戻ってこない私をP氏が探しにきて家の前を通った。 すると、これまた家の中に連行され、乾杯の洗礼を受けた。 P氏は無類の酒好きだ。 類は友を呼ぶで、あっと言う間にもう肩を組んで飲んでいる。 さすがP氏、私は完全な受身だったのに、なんか相手にも酒を飲ませてる。(注:人の酒) 謎の赤い酒(スイカの種状の何かが浮いている)を飲まされ続ける。 そして、テーブルの上の何かをつまみで食べる。 (鶏肉は判ったが後は何かよくわからない) そしてまた乾杯・乾杯で15分程、"Nam Moi!"(おめでとう)の連呼をしていると、今度はHung君が我々を探しに来て前を通りがかった。 ミイラ取りがミイラになる連鎖でHung君も混ざって飲み始める。 しかし、彼は何か事情を告げ、とりあえず我々の救出に成功。 なんとかレストランに戻ると食事が少し冷めてテーブルに並んでいた。 食事が終わると店の人に別れを告げ、ガンガン頭痛がする中、イェンミン(Yen Minh)の町を出発。
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次の小休憩では岩の上に座って気持ち悪いのを緩和。 うー、気分は最悪、ここで吐けと言われたら5秒で吐けます状態になりつつも、なんとか克服、またバイクで出発。 国道4cを北上するが、チャンポー(Chan Poh)で国道4cを外れ北北西の小さなわき道に入る。 そこから8km程行くとゲートがあった。 ここは「税関」だという。 中国との国境の税関だ。 税関とは言っても籠を背負ったモン族の人たちはそのゲートの脇から何事も無かったように反対側に抜けていく。 HUNG君はそのゲートの横にある事務所に入って何かをネゴしている。 どうやらゲートを越えて国境まで行って良いかの許可を取ったらしい。 我々のバイクもゲートの横を抜け、更に北上。 そして国際法上の国境に達した。 私たちはその15m程手前にバイクを停め国境地点まで歩いた。 国境とは言ってもそこに線が引いてあったり新たにゲートがあったり柵があったりはしない。 そこにあるのは「Vietnam」と「中国」掘り込んである石碑が一つ、そして中国側には何らかの注意書きのような看板が出ている。 しかし、そこを何事も無かったようにモン族の人はトボトボ歩いてそこを超えていく。 P氏と私はその国境を行ったり来たりしながらはしゃいだ。 ついでにディスカバリーチャンネルのノリでダンスも一発きめて来た。 このダンスのおかげで先ほどの悪酔いはすっかり抜け、気分が良くなった。 多少国境侵犯をしたが、目撃者もいないし、問題は無かったろう。
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国境を引き返し、チャンポー(Chan Poh)で国道4cに戻る。 そこから東に大きく曲がる。 この辺りから今までと地質が全く変わる。 今まで黒い岩でできた大地が赤いもろい岩のの大地に変わる。 この変化はGoogle Earthでもはっきり判るほどだ。 岩が余り堅くないせいか、山は相変わらず険しいながらも植生が変わり、樹木が見られるようになる。 しかし、樹木はベトナムでは珍しい針葉樹が主だ。 この辺りから雨が降り始め、ますます寒くなり、マイミクの*わさび*さんからハノイで頂いたシルクのストールを首に巻く。 おかげさまでこのストールはバイクでハノイに戻るまでずっとお世話になった。 シルクの物はネクタイぐらいしか身につけた事は無いが、とても肌触りが良く日本でも愛用したいぐらいだ。
やがて、本日の宿泊地であるドンバン(DONG VAN)の町のHoang Ngoc Hotelに到着した。 このホテルにはハザンのホテルで出会ったドイツ人夫婦とホーチミンから来たベトナム人家族に出会った。 彼らは暖かそうでクーラーボックスに入った飲み物をワゴン車から降ろしたりしていた。 今日だけは彼らがちょっと羨ましく感じた。
ホテルについてやっと温まれると思った私たちの考えは脆くも崩れ去った。 ホテルには「暖房」というものが全く無い。 この頃、ハノイでは余りの寒さの為に小学校は2週間休校になったという。 ホテルのロビーに温度計があるが、室内の温度計は8度、これでも人が集まる所なので客室よりは温度は1度ぐらい高いだろう。 湿気が多いせいか、部屋の中でも自分の息が白く見える。 私の部屋は2階、部屋に入ろうとしたら何かが変、ドアノブが無い。 良く見ると膝より少し高い所にドアノブがついている。 いくら小柄な人が多いと言ってもこれはやりすぎだろう? 浴室には風呂桶はなく、シャワーも弱い。 夜はシャワーを浴びるのをやめにして朝、暖かくなったらシャワーを浴びる事にした。 夕食はホテルから通りを挟んだ所にある食堂だ。 やたら愛想の良いおばちゃんが切り盛りしている。 ここでも現地の人がいて"Toi la ngoi Nhat"(私は日本人です)が役に立った。 あとの話は通じないが、少しでも話が通じるのが嬉しい。この日は腹の調子も最悪で、早々と寝ることにした。 私の部屋ではテレビは付けなかったがP氏がテレビをつけると気味悪い「剥製の作り方」のチャンネルしか写らなかったようだ。この日の走行距離192.43km
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制服の軍人に引き込まれた。 そこは宴会場! 1人からコップ一杯づつ、赤くてアズキのようなものが浮いている酒を飲まされる。
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酒の席は万国共通、宴会部長のP氏が反撃に出て逆に飲ませまくる。
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心配したHUNG君が探しに来た。 彼はバイクだからと酒はほどほどにして我々を救出した。
そのころ私はヘベレケに・・ -
最後は乾杯で解放された。 こういうのがプライスレス?
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中越国境にある税関 地元の人はそのままスルー
こちらは一応、国境は越えずに戻るという事で事務所に挨拶してくる。 -
P氏の税関またぎ
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ここの中央が中越国境、奥に碑があり、片側には中国、反対側にはベトナムと彫ってある。
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中国側の警告文、中華料理のメニューと違い、よく理解できない。
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国境を抜け中国側に入る。 殺伐とした渓谷だ。
話によると中国側もこちら側もモン族という共通の少数民族、彼らには国境は関係ないとの事。 税関も国境も、まるでそれが存在しないように抜けていく。 モン族はモン語を話すので、ベトナム人でありつつも文化は独立している。 普通のベトナム人には彼らが喋っているのが「モン語」であるという事しか理解できない。 モン語には文字が無いので、当然辞書も存在しない。
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