
2009/06/15 - 2009/06/15
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ゆういちろうさん
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フラガール編ではまだ人の気配が感じられましたが
次にお送りする旅行記は廃墟の写真が多いです。
常磐炭田は今の日立市北部から福島県富岡町にかけて広がり
その間には沢山の炭坑があったそうです。
茨城県内だけでも、櫛形・秋山・向陽・高萩・中郷
重内・神ノ山・磯原等々…。
いわきに比べると規模的には小さかったみたいですが
今でも炭鉱関連の建物が多少残っています。
ゴーストタウンと化した炭鉱住宅。
今残っているお年寄り達がいなくなったら
この町は永遠に目覚める事がないのでしょうね…。
-
かつて賑わった町は
猫とお年寄りだけとなってしまいました。
〜神の山住宅にて〜 -
庭に転がっていた
タイル張りの浴槽
これも神の山住宅で見かけました。 -
神の山住宅近くの県道沿い
-
炭坑夫達で賑わったのでしょうね
-
-
パチンコで買ったら
ここで一杯引っ掛けたのかも…。 -
重内の炭坑住宅。
ここは凄いです。日本ではない感じがします。
廃墟が立ち並ぶ中に
現役の家がポツポツとあります。
部外者が足を踏み入れてはいけない様な
不思議なオーラのある町…。
写真で観ると、大陸の開拓村のようですけどね。 -
散歩していた元炭坑夫だというおじいさんに
昔の話を少し聞かせて頂きました。
ここは最盛期には八百数十戸の住宅があったそうです。
町のすぐ下には3本の炭坑が通っており
戦後すぐの頃は女性も坑道に入ったそうです。
炭鉱は他の仕事よりも給料が良かったけど
生活は苦しくて大変だったそうです。
でも活気があって本当に楽しかったと
お話をして下さいました。 -
緑の館
-
住宅地の中にそびえる炭坑の遺物
-
商店はほとんど潰れています。
-
住宅の裏にはズリ山がそびえます。
-
最近まで住んでいた感じです。
戸は開け放たれていました。 -
ここは廃屋でしたが
なんと!竈がありました!
不勉強で恥ずかしいのですが
燃料は薪ではなく石炭だったのでしょうかねぇ…。 -
こちらは現役の家
-
岡田乳業は茨城県北〜いわき地方の方にとっては
とても馴染みが深いメーカーだったと思います。
どうやら今は雪印に統合されてしまったようですね。 -
極彩色のトタンの競演
-
電柱
-
あまり良い例えではないのですが
前に写真で見た事がある
汚染後のチェルノブイリを髣髴とさせます。
つまり、捨てられてしまった町…。 -
住宅のすぐ脇には炭鉱の施設があります
-
隙間から木が生えてきてしまい
かなり分かり辛くなっていますが
これはホッパーというそうで
石炭を貨車に落とし入れる為の施設です。
この写真だとちょっと分かり辛いのですが
漏斗状になっていて、その下に貨車が入るようです。 -
ここからは中郷坑写真。
大規模な施設が残っています。 -
遠景。
後ろはズリ山。 -
同じ場所から撮ったと思われる昔の写真。
-
停留所の名前に往時を偲ばせますね。
-
敷地内に入って行ける道があったので
入ってみました。
坂の上まで行ってみたら
草むらの向こうにこの様な風景が! -
これってズリ山の一部ですよね???
-
ということは
これがズリ山ですね。 -
坂の途中から見えた施設
-
次に山を挟んでお隣の
石岡地区に行って見ました。
この鉱業所とは
スパリゾートハワイアンズを経営する
常磐興産の事のようです。 -
これは本物の世話所です。
六坑区世話所。 -
その内部。
-
いつの頃の予定なんでしょうか。
ここは最後まで操業していた炭鉱で
昭和60年まで採掘されていたようです。
最後は露天掘りだったそうですよ。
露天掘りというとアフリカとかオーストラリアの
壮大な鉱山を思い浮かべてしまいますが
日本にもあったのですねぇ。 -
そのお隣にはお決まりの床屋が…。
-
常磐炭鉱は合併して常磐興産となったようです。
今でも営業所が稼動しています。 -
元商店街…なのかな…?
-
昔は沢山の人が行き交ったのでしょう
-
百貨店!?
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たばこ屋
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町の裏には鎮守様がいらっしゃいます。
奉納されている灯篭刻まれていたのは
確か昭和二十六年。
炭鉱全盛期の頃だったのでしょうね。 -
鎮守様からの景色
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この旅行記へのコメント (6)
-
- まゆままさん 2009/06/23 22:34:25
- 廃墟の町
- ゆういちろうさん、こんばんは!
炭鉱跡の町、廃墟マニア?にはたまらん感じの風景ですよね・・
堪能させていただきました。
かつて繁栄していたころの町の名残があちこちに見られてそれが一層さびれ感を
募らせますね〜
いろいろと想像をふくらませて歩くのは楽しそうです。
名古屋へタイル旅へ行った時、最後に立ち寄った「佐久島」のことをふと思い出してしまいました。
http://4travel.jp/traveler/mayumama/album/10295175/
ここもかつては海運業で栄えたそうですが、過疎化と高齢化が進み、今は祭りとアートで町おこししてるという島で・・
これは本物の廃墟なのか?アートなのか?首かしげたくなるものもいろいろあっておもしろかったです。
でもこちらの炭鉱跡はもう既に誰からも見捨てられ
静かに廃れゆく運命を待っている町という感じで・・
なんともいえないさびしさが漂ってきますね。
- ゆういちろうさん からの返信 2009/06/25 13:13:57
- 陰の世界
- まゆままさん、こんにちは!
寂れた町って何故か惹かれてしまいます。
栄えていた頃の賑わいに思いをはせたり
そこの町や家でのどんな物語があったのか想像したり・・・。
あっ、ちょっと空想癖があり過ぎかな?あはは・・・。
ゆういちろう
-
- 熊野古道さん 2009/06/20 10:44:17
- 炭鉱跡
- ゆういちろうさん、おはようございます。
北茨城・炭鉱跡地は戦前くらいの建物でしょうか?
パチンコ店の写真など「パチンコ」の表記が左右逆で興味深いですね。
また冒頭の黒猫との出会いの写真なども、その後の廃れた集落の写真へとつながりイメージが膨らみました。
私は以前鉱山跡地に行った事がありますが、当時の工夫が住んでいたバラックの集合住宅や○○百貨店のような店などが残っているのを見たことがあります。
しかし廃鉱後も依然として生活臭が残っているので、ゴーストタウン的な雰囲気ではなかったと思います。
熊野古道
- ゆういちろうさん からの返信 2009/06/20 21:54:55
- 詳しくはわかりませんが…
- 熊野古道さん、こんばんは。
今回歩いた炭鉱跡地は、多分戦後のものだと思いますが
ちょっと自信はないです。すみません。
ちなみに重内と神の山の閉山は
私が生まれた年の昭和44年ということです。
北茨城の炭鉱は、常磐線からかなり離れた山の中にあり
閉山後の産業の代替策も無かったようですので
アッと言う間に寂れていったと推測されます。
それに対しいわきの炭鉱は、常磐ハワイアンセンターが建設されたり
小名浜付近の臨海工業地帯の成功もありましたし
炭鉱自体が常磐線沿いにあった為に
町自体が無くなってしまう事はなかったようですね。
ゆういちろう
-
- 横浜臨海公園さん 2009/06/17 09:22:41
- 旧炭鉱町
- ゆういちろうさま、おはようございます。
北茨城からいわき市にかけて旧常磐炭鉱は昭和40年代初頭まで掘削されていましたが、いかせん産業の変遷で次々と閉山となり現在では草に覆われ忘れ去られた状態です。
常磐線日暮里-平間の複線が大正中期に完成させていた事からも、その輸送量は現在人の我々から見ても尋常では無い物だったと理解させられます。
早速1表づつ投票させて頂きました。
続編を期待しております。
横浜臨海公園
- ゆういちろうさん からの返信 2009/06/17 17:13:14
- RE: 旧炭鉱町
- 横浜臨海公園さん、こんにちは。
この度は書き込みと投票ありがとうございます。
そしていつもご訪問して頂き、ありがとうございます。
横浜臨海公園さんは鉄道がお好きなんですね。
北茨城の炭鉱と常磐線の間には軌道が引かれていたそうで
今でも鉄橋やレール、枕木等が残っているようです。
マニア垂涎の鉄道跡かも知れません。
重内の↓等は
http://4travel.jp/traveler/rossini/pict/16298881/
ホッパーと言って、貨車に石炭を落とし入れる施設との事です。
ここから軌道が始まります。
今回の旅行記はとりあえずこの2つで終わりです。
冬になったらまた訪れて、草に埋もれてしまっている建物等を
もう一度よく見てみたいと思っています。
その時はまた旅行記をアップしますね!
ゆういちろう
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