2009/04/30 - 2009/04/30
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■荒神谷遺跡
荒神谷遺跡は昭和58年(1983年)、出雲ロマン街道建設にともなう遺跡分布調査で、調査員が田んぼのあぜ道で一片の土器(古墳時代の須恵器)をひろった事がきっかけとなり発見されました。
遺跡の南側に三宝荒神が祭られている事から荒神谷遺跡と命名され、翌昭和59年谷あいの斜面を発掘調査したところ358本の銅剣が出土しました。
【手記】
以前、発掘途中の加茂岩倉遺跡と近くの荒神谷遺跡へ愛犬を連れて妻と訪れたことがあります。もう10年くらい前になるのかな。
当時、盆休みを利用して広島県の芸北でテントを張って休暇を過ごしていました。その時に中国山地の山道をエンジョイしながら長い時間をかけて横断、加茂岩倉遺跡と荒神谷遺跡を見物に行ったのです。
遺跡好きな夫婦なものですから、加茂岩倉と荒神谷の遺跡を目指して、すぐに行動開始した記憶があります。しかし、未だに当時の訪問写真(ネガ)が、どこにあるのか見つかっていません。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷史跡公園」島根県斐川町
加茂岩倉遺跡から近くの荒神谷遺跡へ移動してきました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
遺跡の南側に三宝荒神が祭られている事から荒神谷遺跡と命名され、翌昭和59年(1984年)谷あいの斜面を発掘調査したところ358本の銅剣が出土しました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
【手記】
以前、発掘途中の加茂岩倉遺跡と近くの荒神谷遺跡へ愛犬を連れて妻と訪れたことがあります。もう10年くらい前になるのかな。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「管理棟」
全国最多39個の銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡、そして全国最多358本の銅剣と16本の銅矛、6個の銅鐸が出土した荒神谷遺跡。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「西谷池」
大量の青銅器を埋納した二つの遺跡は、山々を挟んで直線距離約3.3kmという近い距離に位置しています。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「西谷池」
(^^) -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
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■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
荒神谷遺跡は周辺一帯が史跡公園となっており、6月中旬から7月中旬には色鮮やかな2000年ハスも楽しめます。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
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■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「2000年ハス水田」
案内板に、「二千年ハスは,1951年(昭和26年)4月,その種子が千葉県検見川から丸木船といっしょに出土した花です…」 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「200年ハス水田」
「…ここの二千年ハスは,この種子を発見した大賀一郎博士(岡山県出身)が島根県大田市へ贈られたものを,1988年(昭和63年)4月,大田市のご好意により譲り受けたものです。」・・とあります。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「200年ハス水田」
一片の土器から・・。
荒神谷遺跡は、調査員が田んぼのあぜ道で古墳時代の須恵器のかけらをひろったことが発見のきっかけとなりました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「2000年ハス水田」 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「2000年ハス水田」
大賀博士は81歳で亡くなられましたが、亡くなられたその日に、太田市にあった2000年ハスが初めて花を咲かせました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「2000年ハス水田」 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
遺跡は「出雲国風土記」記載の出雲郡の神名火山(かんなびやま)に比定されている仏経山の北東3kmに位置する斐川町神庭(かんば)西谷にあります。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
銅剣が埋納されていたのは、小さな谷間の標高22mの南向きの急斜面で、昭和60年には、その時点からわずか7m離れて銅鐸と銅矛が出土しました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「世紀の大発見 銅剣358本」
荒神谷で発見されたとき、全国の銅剣出土総数は300本余りでしたが、荒神谷では4列に並んだ同じ形の銅剣358本が一度に出土しました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「世紀の大発見 銅剣358本」
この発見はわが国の弥生時代の青銅器研究の見直しを迫る大きな出来事となりました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「世紀の大発見 銅剣358本」 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「銅鐸6個と銅矛16本」
銅鐸と銅矛は、銅剣358本のすぐ近くに埋められていました。銅鐸6個と銅矛16本の組合わせは、これまでに例のないものでした。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「銅鐸6個と銅矛16本」
銅鐸は国内最古型式のものが含まれ、銅矛には北部九州で出土する銅矛にみられる綾杉状の文様があるなど、荒神谷青銅器の発見は、弥生時代についての興味と関心を大いに深めるきっかけとなりました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「銅鐸6個と銅矛16本」
銅鐸は神を招くカネといわれています。弥生時代前期の終わりごろ、日本に伝わるとしだいに大きくなり、祭りのための道具として使われました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「銅鐸6個と銅矛16本」
銅鐸は実際に鳴らすもの(聞く銅鐸)でしたが、しだいに大型化し、鳴らさずに遠くからあおぎみるだけのもの(見る銅鐸)へと変わっていきました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「銅鐸6個と銅矛16本」
銅鐸が神を呼ぶカネであったのに対し、銅剣や銅矛は悪霊をはらうものであったと考えられています。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「銅鐸6個と銅矛16本」
銅矛もまた銅剣と同じように、弥生時代前期には、根元の袋部分に柄をつきさす「細形」の武器でしたが、しかし中期以降は大型化して実用的でない「中細形」「中広形」「広形」へと変化していきます。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「2000年ハス水田」
荒神谷博物館をのぞむ -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷博物館」
平成17年10月6日、荒神谷遺跡の隣接地に待望の荒神谷博物館が開館しました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷博物館」
館内には国宝を展示できる機能や荒神谷の謎を面白く学べる工夫、出雲の原郷を満喫できる最新機器を駆使した展示などがあります。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷博物館」
ホール受付。入館料200円。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷博物館」
ホール展示。本物そっくりに作られた銅剣と銅矛のレプリカ。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷博物館」
ホール展示。
手袋をはめて・・。成分と重さがほぼいっしょだそうです。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷博物館」
ホール展示。結構重いですね。
銅の密度は約8.9g/cm3ですから、鉄(7.9g/cm3)より重く感じます。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷博物館」
ホール展示。銅鐸は神を招くカネといわれています。銅鐸は「聞く銅鐸から見る銅鐸へ」と変わっていきました。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷博物館」
ホール展示 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷博物館」
常設展
『荒神谷遺跡発掘ドキュメント』『出雲の原郷』
『荒神谷をとりまく世界〜弥生時代のくらし〜』
『荒神谷の謎に迫る』 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷博物館」
常設展
館内は撮影禁止です。 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷博物館」 -
■荒神谷遺跡/銅剣が358本も出土した地
「荒神谷史跡公園」
めずらしいオレンジ色のツツジが咲いていました。 -
■鞆ケ浦港にて
次の旅行記ファイルは「山陰路を走る」です。
写真は、戦国時代に大内氏が銀鉱石を積み出した鞆ケ浦港です。
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