2008/04/28 - 2008/04/28
101位(同エリア243件中)
熊野古道さん
新宮市西方にそびえる神倉山は権現山とも言われ、神が降臨する神体山として崇められてきました。その権現山の南高さ100m近い断崖絶壁には神倉神社があり「天磐楯」とみなされてきました。
またここには神が鎮座する磐座があり「ゴトヒキ岩」と呼ばれています。ゴトビキとは熊野地方の方言でヒキガエルのことです。
神倉神社は熊野速玉大社の摂社です。古くから熊野速玉大社の神降臨の神域として重要な場所でした。
神倉神社では毎年2月6日の夜には御燈祭りが行われます。
御燈祭りは、女人禁制で白装束に身を包んだ男達が538段の急な石段を駆け下りる勇壮な火祭りで、新年の聖なる神火をいただくという原始信仰を今に伝える儀式でもあります。
神倉神社の538段の石段は、源平合戦における熊野水軍の戦功として建久4年(1193年)に源頼朝が寄進したものと言われています。この石段を初めて訪れる人はあまりの傾斜と高さに足がすくむかもしれません。(私の場合は帰るときに少し慣れましたが・・・)参詣の折には無理をせずに一度体験してみてください。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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神倉神社は熊野速玉大社の摂社です。
場所は熊野速玉大社の約1km南にあります。
熊野速玉大社と同様やはり朱塗りが映えます。 -
橋を渡って振り返ると・・・
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世界遺産のモニュメントがありました。
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境内に足を踏み入れると先ず目にするのが、この猿田彦神社と神倉三宝神社です。
一つの社に祀られているようです。
近くを小川が流れています。 -
「見せてやりたい 神倉の お燈まつりの 男意気」
野口雨情が詠んだ句です。
お燈まつりの勇壮な雰囲気が伝わってきます。 -
神武天皇記(日本書紀)には「戊午年(紀元三年)六月に狭野(新宮市佐野)を越えて熊野神邑(新宮市)に至り、すなわち天磐盾に登りて」と記しています。
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朱塗りの鳥居が石段への入り口です。
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鳥居の前にも賽銭箱が置かれていました。
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源頼朝が寄進した538段の石段は鎌倉式石段と言われるものです。
初めて見る人はあまりの傾斜のすごさに度肝を抜かれる人もいるかもしれません。私は「まさかこれほどとは・・・」と思いました。
写真向かって右側に迂回路も用意されていますので、ダメだと思ったら
無理をしないでください。 -
写真を撮るためにふりかえったのですが、かなりの傾斜と高さに驚きました。ふりかえらずに登ることをおススメします。
お燈まつりでは、これを駆け下りるわけですからすごいです。 -
鎌倉式石段とは、不規則に石が並べられていて、しかも一段の幅が狭いので石段を登るというよりは荒磯の断崖をよじ登っているような感じでした。鎌倉式と言うくらいですから、勇猛果敢な坂東武者用に造られたからでしょうか?
熊野古道大門坂のような歩きやすく造られたものとは違います。 -
もう一度ふりかえりました。
正直この傾斜が一番怖かったですね(笑)
でも帰りは慣れもあったのか、さほど恐怖心も無く下りれました。 -
中腹まできました。
これからの石段は、比較的緩やかです。
「女坂」という迂回路です。帰るときにどうしても下りるのが無理ならここを通れば下の鳥居入ってすぐ右側まで行けます。
私はなんとか男坂を下りて帰ることが出来ました・・・ -
中腹からは緩やかですが、登り応えはあります。
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朱塗りの鳥居が見えてきました。
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写真向かって右に見えるのが神倉神社の手水鉢です。
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新宮市指定文化財にも指定されています。
新宮第二代城主水野重良が下野国那須城主大関高僧の母の延命と繁栄を祈願して、覚永8年(1631年)に寄進したものです。巨大な一枚岩を刻んで仕上げているそうです。
手水鉢正面に願意や年号、寄進社名、奉行名などが彫られているそうです。 -
ゴトビキ岩が見えてきました。
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神倉神社です。
もともとはゴトビキ岩に対する原始崇拝から始まったといわれています。 -
確かにゴトビキに似ています。
神が鎮座する磐座です。 -
ここからは新宮市の街並みが一望できます。
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熊野灘も見えます。
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熊野川の見える三重県との県境方向です。
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