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京都のお寺はいろいろ見てきましたが、近所にも面白そうなお寺があるのに気付きました。<br /><br />天王寺駅には何度か行ったことがあるのですが、ふっとしたことから「天王寺ってあるんだろうか?」という素朴な疑問が生まれ、ちょっと調べてみたらすぐに四天王寺のことが分かりました。<br /><br /><br />◎ 四天王寺<br /><br />聖徳太子建立七大寺の一つとされています。<br />日本書紀によれば、推古天皇元年(593年)に造立が開始されました。<br />伝説によれば、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、祟仏派の曽我氏についた聖徳太子が形成の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」と請願され、勝利の後その誓いを果たすために建立されました。<br />

日本仏法最初 太子の寺 「四天王寺」

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2009/04/26 - 2009/04/26

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みにくま

みにくまさん

京都のお寺はいろいろ見てきましたが、近所にも面白そうなお寺があるのに気付きました。

天王寺駅には何度か行ったことがあるのですが、ふっとしたことから「天王寺ってあるんだろうか?」という素朴な疑問が生まれ、ちょっと調べてみたらすぐに四天王寺のことが分かりました。


◎ 四天王寺

聖徳太子建立七大寺の一つとされています。
日本書紀によれば、推古天皇元年(593年)に造立が開始されました。
伝説によれば、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、祟仏派の曽我氏についた聖徳太子が形成の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」と請願され、勝利の後その誓いを果たすために建立されました。

  • 石の鳥居 重要文化財<br /><br />★ 日本三鳥居<br /><br /> 吉野 銅の鳥居<br /> 安芸の宮島 木の鳥居<br />⇒大阪四天王寺 石の鳥居<br /><br />創建時の木造の鳥居を1294年、忍性上人が勅を奉じて石造に改めたのが現在の鳥居です。<br />鳥居の中央に高さ1.5m、幅1.1mの扁額があり、<br />「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」<br />と書いてありますが、これは「おシャカさんが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である」の意です<br /><br />寺に鳥居は奇異に感じますが、 元来鳥居は聖地結界の四門として古来インドより建てられたので、神社に限ったものではありません。

    石の鳥居 重要文化財

    ★ 日本三鳥居

     吉野 銅の鳥居
     安芸の宮島 木の鳥居
    ⇒大阪四天王寺 石の鳥居

    創建時の木造の鳥居を1294年、忍性上人が勅を奉じて石造に改めたのが現在の鳥居です。
    鳥居の中央に高さ1.5m、幅1.1mの扁額があり、
    「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」
    と書いてありますが、これは「おシャカさんが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である」の意です

    寺に鳥居は奇異に感じますが、 元来鳥居は聖地結界の四門として古来インドより建てられたので、神社に限ったものではありません。

  • 西大門(極楽門)<br /><br />元来、西の大門と呼ばれていましたが、戦後再建されてからは極楽に通ずる門の意味から極楽門と呼ばれるようになりました。

    西大門(極楽門)

    元来、西の大門と呼ばれていましたが、戦後再建されてからは極楽に通ずる門の意味から極楽門と呼ばれるようになりました。

  • 西大門(極楽門)

    西大門(極楽門)

  • 転法輪<br /><br />この門には、あまり他所ではみられない「転法輪」という手で回すコマ様のものが4基ついていますが、これはブッダが教えを説かれることを表す法輪(チャクラ)を小さくしたもので、手で回すことにより「仏の法(のり)を教えて下さい」と挨拶代わりにしたのが起源です。<br /><br />合掌し、「自浄其意」と唱えて軽く右に回します。<br />

    転法輪

    この門には、あまり他所ではみられない「転法輪」という手で回すコマ様のものが4基ついていますが、これはブッダが教えを説かれることを表す法輪(チャクラ)を小さくしたもので、手で回すことにより「仏の法(のり)を教えて下さい」と挨拶代わりにしたのが起源です。

    合掌し、「自浄其意」と唱えて軽く右に回します。

  • 境内 金堂と五重塔<br /><br />極楽門の先に中心伽藍が見えてきました。<br /><br />と、その前に手前に白いテントがたくさん並んで何か催し物をしているので、ちょっと見に行きましょう。<br />

    境内 金堂と五重塔

    極楽門の先に中心伽藍が見えてきました。

    と、その前に手前に白いテントがたくさん並んで何か催し物をしているので、ちょっと見に行きましょう。

  • 古本市<br /><br />テントの下では古本市をやっていました。<br /><br />パッと見よりも、ずっとたくさんのお店が並んでいて、その範囲は中心伽藍の西側だけにとどまらず、北側にまで伸びていました。<br /><br />

    古本市

    テントの下では古本市をやっていました。

    パッと見よりも、ずっとたくさんのお店が並んでいて、その範囲は中心伽藍の西側だけにとどまらず、北側にまで伸びていました。

  • 古本市<br /><br />古本といっても、古書みたいなのが多いようです。<br />

    古本市

    古本といっても、古書みたいなのが多いようです。

  • 阿弥陀堂<br /><br />本尊 阿弥陀如来<br /><br />現在の本堂は、昭和28年に三重県国束寺(四天王寺末寺)本堂を移築したものです。<br /><br />

    阿弥陀堂

    本尊 阿弥陀如来

    現在の本堂は、昭和28年に三重県国束寺(四天王寺末寺)本堂を移築したものです。

  • 納骨堂<br /><br />納骨総祭塔に納骨されるお骨を仮安置するお堂です。<br />

    納骨堂

    納骨総祭塔に納骨されるお骨を仮安置するお堂です。

  • 五重塔<br /><br />新緑の中に浮かび上がる、五重塔と回廊の赤色がとても綺麗です。<br />

    五重塔

    新緑の中に浮かび上がる、五重塔と回廊の赤色がとても綺麗です。

  • 北鐘堂<br /><br />本尊 阿弥陀如来<br /><br />正式には黄鐘堂と言います。<br /><br />北の引導鐘(ひとつ鐘)・鐘つき堂とも呼ばれ、春秋の彼岸にはお参りの人でごったがえすお堂です。<br /><br />このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くといわれ、先祖供養のための鐘の音が絶えません。当堂の鐘は天井裏にあり、綱を引いてつく形式のため鐘は見ることができません。

    北鐘堂

    本尊 阿弥陀如来

    正式には黄鐘堂と言います。

    北の引導鐘(ひとつ鐘)・鐘つき堂とも呼ばれ、春秋の彼岸にはお参りの人でごったがえすお堂です。

    このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くといわれ、先祖供養のための鐘の音が絶えません。当堂の鐘は天井裏にあり、綱を引いてつく形式のため鐘は見ることができません。

  • 北鐘堂と中心伽藍<br /><br />

    北鐘堂と中心伽藍

  • 六時堂 重要文化財<br /><br />本尊 薬師如来<br /><br />1623年建立。椎寺薬師堂を移建したものです。<br /><br />境内中央に位置する雄大なお堂で、当寺の中心道場です。昼夜6回 にわたって諸礼讃をするところから、六時礼讃堂の名があります。<br /><br /><br />手前の池は「亀の池」と言います。<br />かつては蓮池と言われ、池一面を蓮の葉が覆っていましたが、いつしかそこに亀が放生され、亀の池と呼ばれるようになりました。<br />

    六時堂 重要文化財

    本尊 薬師如来

    1623年建立。椎寺薬師堂を移建したものです。

    境内中央に位置する雄大なお堂で、当寺の中心道場です。昼夜6回 にわたって諸礼讃をするところから、六時礼讃堂の名があります。


    手前の池は「亀の池」と言います。
    かつては蓮池と言われ、池一面を蓮の葉が覆っていましたが、いつしかそこに亀が放生され、亀の池と呼ばれるようになりました。

  • 石舞台 重要文化財<br /><br />★ 日本三舞台<br /><br />⇒四天王寺 石舞台<br /> 住吉大社 石舞台<br /> 厳島神社 平舞台<br /><br />亀の池の上に架かっている石橋に組まれた舞台で、毎年4月22日に聖徳太子を偲んで行われる聖霊会舞楽大法要の際には、古来よりの作法にのっとり舞台上で舞楽が舞われます。<br />

    石舞台 重要文化財

    ★ 日本三舞台

    ⇒四天王寺 石舞台
     住吉大社 石舞台
     厳島神社 平舞台

    亀の池の上に架かっている石橋に組まれた舞台で、毎年4月22日に聖徳太子を偲んで行われる聖霊会舞楽大法要の際には、古来よりの作法にのっとり舞台上で舞楽が舞われます。

  • 六時堂より<br /><br />左手の赤い建物は、太鼓櫓です。<br />

    六時堂より

    左手の赤い建物は、太鼓櫓です。

  • 回廊<br /><br />中心伽藍をぐるっと取り囲む回廊。<br />この中は後ほど拝観するとして、とりあえず南大門まで一気に南下します。<br /><br />

    回廊

    中心伽藍をぐるっと取り囲む回廊。
    この中は後ほど拝観するとして、とりあえず南大門まで一気に南下します。

  • 南大門 築地塀<br /><br />塀に白字の五本線は、この寺院が皇室に関係が深かったことを物語り、その格式の高さを伺わせます。<br />

    南大門 築地塀

    塀に白字の五本線は、この寺院が皇室に関係が深かったことを物語り、その格式の高さを伺わせます。

  • 南大門<br /><br />

    南大門

  • 南大門より<br /><br />南大門からは、正面に中門(仁王門)と、その後方の五重塔がピッタリと重なった位置で見ることができます。<br /><br />さらに五重塔の向こう側(北側)には金堂、講堂と一直線に配置されています。<br /><br />この伽藍の配置様式を「四天王寺式伽藍配置」と言い、法隆寺西院伽藍(7世紀の焼失後、8世紀初め頃の再建とするのが定説)の前身である「若草伽藍」の伽藍配置もまた四天王寺式であったことはよく知られています。<br />

    南大門より

    南大門からは、正面に中門(仁王門)と、その後方の五重塔がピッタリと重なった位置で見ることができます。

    さらに五重塔の向こう側(北側)には金堂、講堂と一直線に配置されています。

    この伽藍の配置様式を「四天王寺式伽藍配置」と言い、法隆寺西院伽藍(7世紀の焼失後、8世紀初め頃の再建とするのが定説)の前身である「若草伽藍」の伽藍配置もまた四天王寺式であったことはよく知られています。

  • 南大門より<br /><br />この角度から見る四天王寺が、一番美しく迫力があると思います。<br />

    南大門より

    この角度から見る四天王寺が、一番美しく迫力があると思います。

  • 中門(仁王門)<br /><br />1963年10月5日落慶。<br /><br />中門は中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士 (仁王像)をまつっていることから俗に仁王門 と呼ばれています。

    中門(仁王門)

    1963年10月5日落慶。

    中門は中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士 (仁王像)をまつっていることから俗に仁王門 と呼ばれています。

  • 密迹金剛力士 西側<br /><br />大仏師、松久朋琳・宗琳両師の作。<br /><br />重さ1トン、身長5.3m、顔の長さ70?、足の親指だけでも13?あり、大きさでは奈良東大寺の仁王様に次いで、我が国で2番目に数えられます。<br />

    密迹金剛力士 西側

    大仏師、松久朋琳・宗琳両師の作。

    重さ1トン、身長5.3m、顔の長さ70?、足の親指だけでも13?あり、大きさでは奈良東大寺の仁王様に次いで、我が国で2番目に数えられます。

  • 那羅延金剛力士 東側<br /><br />大仏師、松久朋琳・宗琳両師の作。<br />

    那羅延金剛力士 東側

    大仏師、松久朋琳・宗琳両師の作。

  • 回廊<br /><br />中心伽藍の拝観料300円を支払い、西重門の受付から中に入ります。<br /><br />中心伽藍は、写真のような回廊で囲まれています。<br />

    回廊

    中心伽藍の拝観料300円を支払い、西重門の受付から中に入ります。

    中心伽藍は、写真のような回廊で囲まれています。

  • 五重塔<br /><br />初代は593年建立、現在あるものは1959年建立の八代目になります。<br /><br />聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、この塔を「六道利救の塔」とい<br />います。

    五重塔

    初代は593年建立、現在あるものは1959年建立の八代目になります。

    聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、この塔を「六道利救の塔」とい
    います。

  • 金堂 <br /><br />本尊 救世観音<br /><br />1961年の再建で、推古天皇創建当初の姿を再現したものです。<br /><br />聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りし、 四方を四天王が守護しています。

    金堂 

    本尊 救世観音

    1961年の再建で、推古天皇創建当初の姿を再現したものです。

    聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りし、 四方を四天王が守護しています。

  • 金堂<br /><br />

    金堂

  • 井戸<br /><br />龍の置物がありました。<br />

    井戸

    龍の置物がありました。

  • 講堂<br /><br />本尊 阿弥陀如来 十一面観音<br /><br />経典を講じたり法を説いたりする七堂伽藍の一つのお堂です。<br /><br />講堂内陣は中央を境に、東を冬堂、西を夏堂と呼びます。冬堂には現世の人々の悩みや、苦しみを救う十一面観世音菩薩、夏堂には来世極楽に人々を導く丈六阿<br />彌陀如来をお祀りしています。つまり、現世と来世の二世に亘り、人々を安楽へ導き給うようにとの願いが講堂には込められています。<br />内壁には、郷倉千靭画伯による仏教東漸が描かれています。

    講堂

    本尊 阿弥陀如来 十一面観音

    経典を講じたり法を説いたりする七堂伽藍の一つのお堂です。

    講堂内陣は中央を境に、東を冬堂、西を夏堂と呼びます。冬堂には現世の人々の悩みや、苦しみを救う十一面観世音菩薩、夏堂には来世極楽に人々を導く丈六阿
    彌陀如来をお祀りしています。つまり、現世と来世の二世に亘り、人々を安楽へ導き給うようにとの願いが講堂には込められています。
    内壁には、郷倉千靭画伯による仏教東漸が描かれています。

  • 中心伽藍<br /><br />回廊の北東から撮影。<br /><br />金堂、五重塔、中門が一直線に並んでいます。<br />金堂の北側(写真右側)には講堂があり、これを取り囲むように回廊が設けられています。<br /><br />主要堂塔が南北に一直線に構築された様式を「四天王寺式伽藍配置」と言い、中国・朝鮮の上代寺院の様式を継承したものです。<br />

    中心伽藍

    回廊の北東から撮影。

    金堂、五重塔、中門が一直線に並んでいます。
    金堂の北側(写真右側)には講堂があり、これを取り囲むように回廊が設けられています。

    主要堂塔が南北に一直線に構築された様式を「四天王寺式伽藍配置」と言い、中国・朝鮮の上代寺院の様式を継承したものです。

  • 太子殿(聖霊院奥殿)<br /><br />本尊 聖徳太子摂政像<br /><br />1979年創建。聖徳太子をお祀りしているお堂(天王寺のご廟)で、太子信仰の中心となっています。<br />一見、法隆寺夢殿に似ていますが、夢殿の平面が八角形であるのに対し、この建物の平面は完全な円形です。<br /><br />太子殿は前殿と奥殿からなり、前殿には十六歳像・太子二歳<br />像・四天王が、奥殿には太子四十九歳像(1月22日のみ公開の秘仏)が祀られています。 <br />

    太子殿(聖霊院奥殿)

    本尊 聖徳太子摂政像

    1979年創建。聖徳太子をお祀りしているお堂(天王寺のご廟)で、太子信仰の中心となっています。
    一見、法隆寺夢殿に似ていますが、夢殿の平面が八角形であるのに対し、この建物の平面は完全な円形です。

    太子殿は前殿と奥殿からなり、前殿には十六歳像・太子二歳
    像・四天王が、奥殿には太子四十九歳像(1月22日のみ公開の秘仏)が祀られています。

  • 太子殿の門<br /><br />菊の御紋が使われていることから、天皇家に関係が深い寺院だということが分かります。<br />

    太子殿の門

    菊の御紋が使われていることから、天皇家に関係が深い寺院だということが分かります。

  • 太子殿(聖霊院奥殿)<br /><br />聖霊院奥殿の屋根上には、こんな装飾品が。<br />こういうものを、何と呼ぶのか未だに分かりません。<br /><br />「露盤宝珠」なのかな。<br />

    太子殿(聖霊院奥殿)

    聖霊院奥殿の屋根上には、こんな装飾品が。
    こういうものを、何と呼ぶのか未だに分かりません。

    「露盤宝珠」なのかな。

  • 西重門と極楽門<br /><br />右手は金堂です。<br /><br /><br />この日は時間が少し遅かったので、これで観光は終り。<br />この後、宝物館に行きましたが、館内は写真撮影禁止なので、写真は一枚も無しです。<br /><br />それから、ここの五重塔は、最上階まで登れるようになっていました。<br />今回は時間の関係で登れなかったのですが、最上階からの眺めもなかなか凄いそうなので、次回はしっかり登ってきたいと思います。<br /><br />★ おしまい ★<br />

    西重門と極楽門

    右手は金堂です。


    この日は時間が少し遅かったので、これで観光は終り。
    この後、宝物館に行きましたが、館内は写真撮影禁止なので、写真は一枚も無しです。

    それから、ここの五重塔は、最上階まで登れるようになっていました。
    今回は時間の関係で登れなかったのですが、最上階からの眺めもなかなか凄いそうなので、次回はしっかり登ってきたいと思います。

    ★ おしまい ★

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この旅行記へのコメント (4)

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  • emily121さん 2009/05/25 12:15:39
    毎月21日は・・・
    お太子さんの日で縁日のようにいっぱい出店出てて楽しいですよ〜。
    って私はその日しかおまいりに行ったことないので、
    みにくまさんの旅行記で静かな雰囲気が見れて新鮮でした。
    そして勉強家のみにくまさん、尊敬です〜☆

    みにくま

    みにくまさん からの返信 2009/05/25 15:22:15
    RE: 毎月21日は・・・

    emily121さん、こんにちは〜。

    へぇ〜〜毎月21日にはそんなイベントがあったんですね〜。
    ちょっとしたお祭りみたいな感じでしょうか、楽しそう(*^。^*)

    最近はずっと京都のお寺をまわっていましたが、近所にもいいお寺があることに気付きました。

    まだまだ勉強することはたくさんありますね〜。

    では〜(^o^)/
  • 一歩人さん 2009/05/01 07:22:43
    見所の多い、太子ゆかりの寺
    みにくまさんへ
    見所満載の旅行記に感動いたしました。
    私も、昔行きましたが、こんなに
    まとめては見ておりませんでしたので、
    懐かしく、またもう一度行って見たいと
    思いました。
    ありがとうございました。
    岡倉天心著「東洋の理想」が愛読書の一歩人でした。
    失礼しま〜す。
    (追記)
    岡倉天心著の飛鳥時代の章に四天王(デーヴアラージャ)
    「法(仏教)の守護者」として知られ、宇宙の四隅を支えている
    「四天王」(東に持国天、南に増長天、北に多聞天、西 に広目天)銘に山口、大口、薬師、鳥古という芸術家の名が残っている(順不同)よし。
    兜や鎧の金属細工に初期の古墳にある漢代の図柄を今に保存している。と、

    みにくま

    みにくまさん からの返信 2009/05/01 12:06:39
    RE: 見所の多い、太子ゆかりの寺

    一歩人さん、こんにちは〜。

    四天王寺に行ったのは、これが2回目ですが、1回目はほとんど行っただけで、何も観ていなかったので、今回が実質初めての参拝になりました。

    行く前に少しだけ勉強して行きましたが、実際行ってみるとかなり広い境内で、見どころも多く、結局全部は周れずに帰ってきてしまいました。

    けっこう綺麗な庭園もあるみたいなので、次回はそちらも行ってみたいです。


    では〜今後ともよろしくお願いいたします。

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