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【再度、東京で合流】<br />15日の月曜日、東京で全員が再度合流するので、私は博多支部の生徒や周辺の支部の生徒と共に昼過ぎの飛行機で羽田へ飛び、ホテルで合流しました。1週間ぶりに懐かしい顔が見れます。もちろん、私をファーストネームで呼ぶ女性徒もすぐに私を見つけてやって来ます。東三河での体験を話してくれました。この夜、ホームステイ先の宮崎で風邪で開業医に診てもらったという生徒の処方を見せてもらいました。PL顆粒(総合感冒薬、解熱鎮痛剤も含んでいる)、ロキソニン(解熱鎮痛薬)、ムコスタ(胃薬)、クラビット(抗菌剤)、イソジン・ガーグル(うがい薬)、トローチ(のど飴)。言葉も通じず、山のような薬をもらったオーストラリア人の男子生徒はかなり戸惑ったようでした。正直、私も医者としてこのような過剰医療には批判的です。<br /><br />【東京ツアー】<br />翌日(火曜日)の東京スタディツアーはまず東京タワーに登りました。そして、昼食はお台場の船の科学館でした。そして、船でお台場から浅草へ行くのですが、橋の下を通りなかなか風情のある船旅でした。浅草に着いてすぐの出来事です。インド人の女生徒の上の歯が欠けたと連絡がありました。どうも、インド人の男の子がふざけていて、足をかけたはずみで転んで強く歯を打ったようです。私が行った時には、歯の1/5くらいがきれいに欠けていました。出血はすでに止まっていました。上唇も少し切っていましたが、同じく止血していました。それで、慌てて歯医者に連れて行ってもどうしようもないと判断し、そのままにしました。たぶん、インド人でも富裕層でしょうから、国に帰ってから矯正できるでしょう。<br /><br />その後は、前回と同じ K バスの生徒と浅草見物を楽しみました。改めて、古い日本の残っている浅草が外人さんに人気があるのがよくわかりました。<br /><br />この日の夕方、一人の女生徒が失神しました。血圧を測ると116/78 と正常ですし、ペンライトを使い瞳孔反射を調べると問題なく、経過観察にしました。もちろん、事なきを得ました。<br /><br />【実質、最終日】<br />実質最後の朝も、風邪を中心に吐き気や声のかすれを訴える生徒など4人を診察しました。最初の頃は、添乗員や通訳に伴われて来る生徒が多かったのですが、さすがにこの頃には医者の私の存在が知れ渡り、直接私の所へ来る生徒が増えました。今日は、AFS−JENESYS Festival と言い、AFS ではよく「タレント・ショー」と言うのですが、各国のお国自慢の踊り等を披露してもらうのです。実は私自身これを一番楽しみにしていました。場所は何と両国国技館、つまり大相撲をやる場所です。おかげで、支度部屋等を見学できました。ばかでかいユニット・バスがありました。これなら、横綱が風呂に入っても十分大きいのでゆったりできるでしょう。いつも思うのですが、こういう出し物になると、インド、インドネシア、タイ、マレーシア、フィリピンなどの東(南)アジアの方が、民族衣装もあり断然見栄えがします。オーストラリアやニュージーランドはどうしても地味になります。日本の学生ボランティアが日本代表で「ソーラン節」を踊ったので、8カ国の競演でした。高校生とは言え、みな民族衣装を準備しているので、ダンス等はかなり見ごたえがあります。私の知り合いの AFS の職員が医者の私のヘルプということで一緒にいましたが、彼女がものすごく緊張しているのが私にはおかしかったです。でも、彼女が待機していたショーの間は病人は一人も出ませんでした。<br /><br />でも、ショーが終わって後片付けなどをして、生徒同士が最後のお別れを観客席でしている時に、39.3 C の高熱の女生徒が出ました。風邪薬はもちろんですが、余りに高熱なので解熱剤を出そうとしました。坐薬の方がすぐに効くので、「Suppository」と言って、肛門から入れる薬だけど即効性があるので使っていいかと聞きました。と言うのは、日本語でも「坐薬」という言葉の意味がよくわからずに座って飲んだという笑い話もあるくらいなので、英語で具体的に説明したのでした。答えは私の予想通りで、嫌! ということでした。仕方がないので、強制せずに解熱剤の内服薬を飲ませました。手配して、JTB の職員が付き添ってタクシーで成田のホテルまで先に女生徒を送り届けました。数時間後にホテルの部屋へ診察に行くと、幸い 37.1 C まで熱は下がり、少し元気も出ていました。<br /><br />会場に残っていた私のところには他にも数名風邪症状の生徒が来ました。明日はみんな各々の国へ帰って行くので、最後のお別れです。たった2週間ですが、涙でお別れしている姿があちこちで見られます。若い頃似た様な経験のある私には彼らの気持ちがよくわかります。いよいよバスでホテルへ戻る前に、関係者がお世話になった一人として、改めて私のことを紹介してくれました。広い会場で、あちこちから生徒の歓声が沸きます。私も非常に嬉しくて、手を大きく振りながらぴょんぴょん飛び跳ねて歓声に答えました。自分でも、思った以上に活躍できて充実感がみなぎっていました。かなり感動的なシーンでした。これなら来年もやってもいいなと思いました。実際、直後に関係者から来年以降も宜しくお願いしますと言われ、もちろん快諾しました。<br /><br />ホテルへの帰りのバスは今までのグループは解散で、今度は国別です。ちょっと迷った私は楽しそうなフィリピンのバスを選びました。正解でした。引率の先生自ら歌いまくっています。期待通り、明るくて楽しいバスでした。ホテルに戻った私は高熱の女性徒の熱が下がったのを確認して一安心し、最後の夜の眠りにつきました。ところが、夜中の1時に部屋の電話で起こされました。引率の先生からの電話でした。携帯電話でなく、部屋の電話です。添乗員やガイドと違い、私の携帯電話番号を知らない先生が困ってフロントに電話し、医者の私に繋いでもらったようです。病院の当直でもないのに何事かと思っていると、オーストラリアの女性徒が部屋のバスタブで転んで頭部を打撲して右側頭部痛を訴えているのを、見回りの引率の先生が見つけたのでした。すぐ部屋に駆けつけると、軽い吐き気も訴えています。少し身構えましたが、診察すると瞳孔反射等も正常ですし、夜間に病院へ連れて行って CT や MRI 等の検査が必要なレベルではないと判断し様子をみることにしました。<br /><br />【最終日、帰国の日】<br />本来は生徒も私もゆっくり帰るだけの日ですが、もちろん早朝からまず頭部外傷の女性徒の部屋へ行きます。幸い、ほとんど痛みもとれて落ち着いています。もう大丈夫です。次に、昨夜高熱を出した女性徒の部屋へ行きます。熱は 36.9 C とまぁまぁですが、関係者と相談してレイト・チェックアウトにしてもらい夕方まで部屋でゆっくりさせることにしました。と言うのは、オセアニア方面の生徒は夕方、夜の便なのでこの日も成田見物があるのです。他にも最後の最後に、風邪の男子生徒と呼吸困難を訴える生徒が来ました。呼吸困難の生徒も聴診で異常なく、咳止めだけ渡しました。こうしてようやく充実した延べ10日間の医者としての旅行に同行する仕事が無事終わりました。<br /><br />総括すると、若い高校生が中心とはいえ、660名もの人数でもあり、暑い国から寒い日本へやって来たことと、充実したプログラムで疲れもたまり、風邪や車酔いを中心に延べ10日間で60〜70名の患者を診察、治療しました。昨年はインフルエンザもはやり、多くの生徒を病院に連れて行ったそうですが、今年は私が早目に軽い風邪の状態で適切に治療したせいか、インフルエンザは一件もなく、病院へ行ったのは化膿した腫瘤の切開を要した生徒と、私が成田で合流する前に病院へ直行した二人だけでした。他にも、夜中にバスルームで転倒して頭を打撲したり、転んで歯の一部が欠けたりした症例がありましたが、私の診断・判断で病院へは連れて行かずに経過観察ですんだものが数件ありました。これらのケースは医者の私がいなかったら病院へ連れて行くしかなかったでしょう。40名もの添乗員や通訳にとっても、また学生ボランティアにとっても医者の私がいるので大安心のようでした。<br /><br />今回は私が希望している海外旅行ではありませんでした。それで、正直言って最初は必ずしも乗り気ではありませんでした。でも、関わりの深い AFS の関係者からの強い要請もあり引き受けたのでした。でも結果的にはやってみて私にとっても非常に有意義でした。「旅行に同行する医者」と言う新しい仕事を模索している私にとっては成功事例となりました。若者が対象でさえ、人数が多ければこれだけ病人が出て、医者の私が活躍する場面があるのです。ましてや高齢者の団体では、もっと色々な病人が出るでしょう。今回、生徒はみな外国人で英語でしかコミュニケーションができません。そこで、私の英語力が最大限に役立ちました。専門用語はもちろん、一般の人が使う言葉でも私は英語で表現できるので、スムーズに診察、治療、説明ができるのです。その割には、普段は日本語でしか診察していないので、英語で診察することは私にとっては楽しいことでもあるのです。<br /><br />他の AFS のプログラム同様、今回のプロジェクトも多くの無償ボランティアによって支えられています。国は他の団体にもこの JENESYS プログラムを委託しているようですが、旅行会社に丸投げのいい加減な団体もあるようで、AFS は高く評価されているようです。生徒たちも、国によっては何十倍もの倍率の試験を通過してきた国の未来を担うエリート達です。私もこの有意義なプロジェクトに医者として参加できて、少しでも役に立てて非常に満足しています。<br /><br /><br />参照:http://www.kanoya-travelmedica.com<br />   「機内にお医者さんはいませんか?」空飛ぶドクター<br />    の海外旅行と健康管理、悠飛社、2008年 <br />

JENESYS(AFS) 08 短期留学生同行紀(3)

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2008/12/15 - 2008/12/18

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空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん

【再度、東京で合流】
15日の月曜日、東京で全員が再度合流するので、私は博多支部の生徒や周辺の支部の生徒と共に昼過ぎの飛行機で羽田へ飛び、ホテルで合流しました。1週間ぶりに懐かしい顔が見れます。もちろん、私をファーストネームで呼ぶ女性徒もすぐに私を見つけてやって来ます。東三河での体験を話してくれました。この夜、ホームステイ先の宮崎で風邪で開業医に診てもらったという生徒の処方を見せてもらいました。PL顆粒(総合感冒薬、解熱鎮痛剤も含んでいる)、ロキソニン(解熱鎮痛薬)、ムコスタ(胃薬)、クラビット(抗菌剤)、イソジン・ガーグル(うがい薬)、トローチ(のど飴)。言葉も通じず、山のような薬をもらったオーストラリア人の男子生徒はかなり戸惑ったようでした。正直、私も医者としてこのような過剰医療には批判的です。

【東京ツアー】
翌日(火曜日)の東京スタディツアーはまず東京タワーに登りました。そして、昼食はお台場の船の科学館でした。そして、船でお台場から浅草へ行くのですが、橋の下を通りなかなか風情のある船旅でした。浅草に着いてすぐの出来事です。インド人の女生徒の上の歯が欠けたと連絡がありました。どうも、インド人の男の子がふざけていて、足をかけたはずみで転んで強く歯を打ったようです。私が行った時には、歯の1/5くらいがきれいに欠けていました。出血はすでに止まっていました。上唇も少し切っていましたが、同じく止血していました。それで、慌てて歯医者に連れて行ってもどうしようもないと判断し、そのままにしました。たぶん、インド人でも富裕層でしょうから、国に帰ってから矯正できるでしょう。

その後は、前回と同じ K バスの生徒と浅草見物を楽しみました。改めて、古い日本の残っている浅草が外人さんに人気があるのがよくわかりました。

この日の夕方、一人の女生徒が失神しました。血圧を測ると116/78 と正常ですし、ペンライトを使い瞳孔反射を調べると問題なく、経過観察にしました。もちろん、事なきを得ました。

【実質、最終日】
実質最後の朝も、風邪を中心に吐き気や声のかすれを訴える生徒など4人を診察しました。最初の頃は、添乗員や通訳に伴われて来る生徒が多かったのですが、さすがにこの頃には医者の私の存在が知れ渡り、直接私の所へ来る生徒が増えました。今日は、AFS−JENESYS Festival と言い、AFS ではよく「タレント・ショー」と言うのですが、各国のお国自慢の踊り等を披露してもらうのです。実は私自身これを一番楽しみにしていました。場所は何と両国国技館、つまり大相撲をやる場所です。おかげで、支度部屋等を見学できました。ばかでかいユニット・バスがありました。これなら、横綱が風呂に入っても十分大きいのでゆったりできるでしょう。いつも思うのですが、こういう出し物になると、インド、インドネシア、タイ、マレーシア、フィリピンなどの東(南)アジアの方が、民族衣装もあり断然見栄えがします。オーストラリアやニュージーランドはどうしても地味になります。日本の学生ボランティアが日本代表で「ソーラン節」を踊ったので、8カ国の競演でした。高校生とは言え、みな民族衣装を準備しているので、ダンス等はかなり見ごたえがあります。私の知り合いの AFS の職員が医者の私のヘルプということで一緒にいましたが、彼女がものすごく緊張しているのが私にはおかしかったです。でも、彼女が待機していたショーの間は病人は一人も出ませんでした。

でも、ショーが終わって後片付けなどをして、生徒同士が最後のお別れを観客席でしている時に、39.3 C の高熱の女生徒が出ました。風邪薬はもちろんですが、余りに高熱なので解熱剤を出そうとしました。坐薬の方がすぐに効くので、「Suppository」と言って、肛門から入れる薬だけど即効性があるので使っていいかと聞きました。と言うのは、日本語でも「坐薬」という言葉の意味がよくわからずに座って飲んだという笑い話もあるくらいなので、英語で具体的に説明したのでした。答えは私の予想通りで、嫌! ということでした。仕方がないので、強制せずに解熱剤の内服薬を飲ませました。手配して、JTB の職員が付き添ってタクシーで成田のホテルまで先に女生徒を送り届けました。数時間後にホテルの部屋へ診察に行くと、幸い 37.1 C まで熱は下がり、少し元気も出ていました。

会場に残っていた私のところには他にも数名風邪症状の生徒が来ました。明日はみんな各々の国へ帰って行くので、最後のお別れです。たった2週間ですが、涙でお別れしている姿があちこちで見られます。若い頃似た様な経験のある私には彼らの気持ちがよくわかります。いよいよバスでホテルへ戻る前に、関係者がお世話になった一人として、改めて私のことを紹介してくれました。広い会場で、あちこちから生徒の歓声が沸きます。私も非常に嬉しくて、手を大きく振りながらぴょんぴょん飛び跳ねて歓声に答えました。自分でも、思った以上に活躍できて充実感がみなぎっていました。かなり感動的なシーンでした。これなら来年もやってもいいなと思いました。実際、直後に関係者から来年以降も宜しくお願いしますと言われ、もちろん快諾しました。

ホテルへの帰りのバスは今までのグループは解散で、今度は国別です。ちょっと迷った私は楽しそうなフィリピンのバスを選びました。正解でした。引率の先生自ら歌いまくっています。期待通り、明るくて楽しいバスでした。ホテルに戻った私は高熱の女性徒の熱が下がったのを確認して一安心し、最後の夜の眠りにつきました。ところが、夜中の1時に部屋の電話で起こされました。引率の先生からの電話でした。携帯電話でなく、部屋の電話です。添乗員やガイドと違い、私の携帯電話番号を知らない先生が困ってフロントに電話し、医者の私に繋いでもらったようです。病院の当直でもないのに何事かと思っていると、オーストラリアの女性徒が部屋のバスタブで転んで頭部を打撲して右側頭部痛を訴えているのを、見回りの引率の先生が見つけたのでした。すぐ部屋に駆けつけると、軽い吐き気も訴えています。少し身構えましたが、診察すると瞳孔反射等も正常ですし、夜間に病院へ連れて行って CT や MRI 等の検査が必要なレベルではないと判断し様子をみることにしました。

【最終日、帰国の日】
本来は生徒も私もゆっくり帰るだけの日ですが、もちろん早朝からまず頭部外傷の女性徒の部屋へ行きます。幸い、ほとんど痛みもとれて落ち着いています。もう大丈夫です。次に、昨夜高熱を出した女性徒の部屋へ行きます。熱は 36.9 C とまぁまぁですが、関係者と相談してレイト・チェックアウトにしてもらい夕方まで部屋でゆっくりさせることにしました。と言うのは、オセアニア方面の生徒は夕方、夜の便なのでこの日も成田見物があるのです。他にも最後の最後に、風邪の男子生徒と呼吸困難を訴える生徒が来ました。呼吸困難の生徒も聴診で異常なく、咳止めだけ渡しました。こうしてようやく充実した延べ10日間の医者としての旅行に同行する仕事が無事終わりました。

総括すると、若い高校生が中心とはいえ、660名もの人数でもあり、暑い国から寒い日本へやって来たことと、充実したプログラムで疲れもたまり、風邪や車酔いを中心に延べ10日間で60〜70名の患者を診察、治療しました。昨年はインフルエンザもはやり、多くの生徒を病院に連れて行ったそうですが、今年は私が早目に軽い風邪の状態で適切に治療したせいか、インフルエンザは一件もなく、病院へ行ったのは化膿した腫瘤の切開を要した生徒と、私が成田で合流する前に病院へ直行した二人だけでした。他にも、夜中にバスルームで転倒して頭を打撲したり、転んで歯の一部が欠けたりした症例がありましたが、私の診断・判断で病院へは連れて行かずに経過観察ですんだものが数件ありました。これらのケースは医者の私がいなかったら病院へ連れて行くしかなかったでしょう。40名もの添乗員や通訳にとっても、また学生ボランティアにとっても医者の私がいるので大安心のようでした。

今回は私が希望している海外旅行ではありませんでした。それで、正直言って最初は必ずしも乗り気ではありませんでした。でも、関わりの深い AFS の関係者からの強い要請もあり引き受けたのでした。でも結果的にはやってみて私にとっても非常に有意義でした。「旅行に同行する医者」と言う新しい仕事を模索している私にとっては成功事例となりました。若者が対象でさえ、人数が多ければこれだけ病人が出て、医者の私が活躍する場面があるのです。ましてや高齢者の団体では、もっと色々な病人が出るでしょう。今回、生徒はみな外国人で英語でしかコミュニケーションができません。そこで、私の英語力が最大限に役立ちました。専門用語はもちろん、一般の人が使う言葉でも私は英語で表現できるので、スムーズに診察、治療、説明ができるのです。その割には、普段は日本語でしか診察していないので、英語で診察することは私にとっては楽しいことでもあるのです。

他の AFS のプログラム同様、今回のプロジェクトも多くの無償ボランティアによって支えられています。国は他の団体にもこの JENESYS プログラムを委託しているようですが、旅行会社に丸投げのいい加減な団体もあるようで、AFS は高く評価されているようです。生徒たちも、国によっては何十倍もの倍率の試験を通過してきた国の未来を担うエリート達です。私もこの有意義なプロジェクトに医者として参加できて、少しでも役に立てて非常に満足しています。


参照:http://www.kanoya-travelmedica.com
   「機内にお医者さんはいませんか?」空飛ぶドクター
    の海外旅行と健康管理、悠飛社、2008年 

同行者
その他
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 東京に再集合

    東京に再集合

  • おどけたAFS事務局長と(同じ年齢です!)

    おどけたAFS事務局長と(同じ年齢です!)

  • これが私をファーストネームで呼ぶ Kirstie です!

    これが私をファーストネームで呼ぶ Kirstie です!

  • Kirstie と私の手!<br />どっちがどっちかは一目瞭然!

    Kirstie と私の手!
    どっちがどっちかは一目瞭然!

  • 逆光だが、3人のインド美人(東京タワーにて)

    逆光だが、3人のインド美人(東京タワーにて)

  • いつも一緒だった K バスの留学生たち

    いつも一緒だった K バスの留学生たち

  • 船で浅草へ(東京湾)

    船で浅草へ(東京湾)

  • マレーシアの二人(浅草にて)

    マレーシアの二人(浅草にて)

  • 国際タレントショー(マレーシア)

    国際タレントショー(マレーシア)

  • タレントショー(インド)

    タレントショー(インド)

  • 最後のお別れ(歯の欠けたインド人の女の子)

    最後のお別れ(歯の欠けたインド人の女の子)

  • 医者の私が診察した Isha !<br />

    医者の私が診察した Isha !

  • 最後のお別れ

    最後のお別れ

  • International beauties!<br />

    International beauties!

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