2009/04/05 - 2009/04/06
1160位(同エリア1411件中)
新美勝利さん
1.旅立ちの一抹の不安?
7:55分発中部→松山 ANA1821便に搭乗する為に、保安検査を受ける。
金属類は身につけていないからスンナリ通過する。
手に持ったペットボトルは、中身を検査する検査台に載せられたがOK で通過した。
国際線は一切受け付けてもらえないが国内線はお茶などのペットボトルは大丈夫のようだね。
101搭乗口へ向かう、
ANA eチケットのバーコーどをかざして入場すると搭乗券が出て来た。
SEATは17D エアーセントラルによる運行と記されている。ANAの子供が運行しているのか?
と思いながらバスで空港の北方へかなり移動する。
白い機体が薄汚れたようなプロペラ機の横でバスは止まった。
僕が一瞬「 汚い飛行機だなあ〜」とつぶやいてしまった。それを聞いたバスの運転手が苦笑いをしていた。
この飛行機が一時、新聞などでトラブル騒ぎを報道されたあのボンバルディアだ〜
これが最後かもしれないとその雄姿をカメラに納めて乗り込む、この飛行機は、
カナダのボンバルディア・エアロスペース社製「DHC8-400」で、乗客は74名 運行速度は650kmだそうだ。
今日の乗客は50パーセントぐらいで狭い客室もゆったりした気分だ。
大きなナイフのようなプロペラが片方に6枚付いているが、力強く回転して見事に離陸、高度が低いせいか眼下の景観も良い。瀬戸内には島々が点在している様や、しまなみ海道の橋梁もはっきり見える。
1時間ほどで松山空港に着陸した。
面白いのは、アテンダントのアナウンスで「この飛行機の機能上、エンジンが完全に停止するまでには時間が掛かります」
恐れ入りますが少々お待ちください」という。
プロペラの回転を見ていたが、確かに必死で飛んできたエンジンをクーリングするかのようにブルンブルン回っていてから停止した。
私はプロペラ機はYS11以来初めてだったが快適な飛行だったと思う。
さあ〜 伊予の国 松山、坊ちゃんと坂の上の雲の舞台 まつやま を垣間見て回ろう!
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- ANAグループ
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2松山は春祭り真っ盛り!
野球拳はここ松山で始まったそうで「お城まつり」に併せて第40回全国大会が開催されたり、大名・武者行列が行われるそうだ。そのパレードが11;30分ごろ始まるというのでその間に近くの名所を見学する。
桜が満開で緑が濃くなり、ウグイスが囀る木立の中に西洋建築の萬翠荘があった。
旧松山藩主久松家、第15代当主久松定謨が、松山で住む邸宅として欧米外遊帰朝直後の建築家木子七郎に設計建築させた鉄筋コンクリート造の建物で、大正11年に竣工した立派な建物だ。
建設には30万円掛かったそうだが、当時としてはいかに巨額の建築費だったかは想像できる。
今は愛媛県美術館分館になっているようだ。
萬翠荘の裏手の階段を登ったところに、漱石が松山中学校に英語教師として赴任していた時下宿していた家を復元した愚陀仏庵が静寂の中に佇んでいた。
子規もここに一時居候して句会などを開いていたという。
時代パレードは始まったかな?
大通りの方へ行って見たが・・・・まだ準備中のようだ。
若者のパフォーマンスグループ数組がデモしていた。
パレードまで、もう少し時間がありそうなので近くの秋山兄弟生誕の地を見学する。
秋山兄弟は明治 帝国陸海軍の大将・中将として武勲を立てた兄弟で、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公として取り上げられた人物である。
真之(海軍中将)は正岡子規とは小学校時代からの親友である。 -
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3.大名・武者行列が街を!
松山城ロープウエー方面からパレードが進んできた、
最初は現代の若者たちのパフォーマンスが勇ましい奇抜なスタイルでやって来た、親子で参加している子供さんのヘヤースタイルが気に入って写真を撮る。
ちんどん屋さんが松山春祭りの大きなポスターを掲げて、例のちんちんどんどんとユーモラスに行進して来た。
婦人隊列の人たちも珍しそうに振り返っていた。
この松山春祭りのメインイベント大名・武者行列は、公募市民約200人が殿、姫や大名・武者
そしてその時代 の人々に扮して、戦国時代、江戸時代、明治・大正時代の歴史絵巻を繰広げてパレードをしていった。
大名武者行列のお姫様役は、タレントの熊田曜子さんでさすが圧倒的なカメラのフラッシュを浴びていた。
さらに、ファッションモデルの3人が参加しているようだったがこの御姫様でしょうかね?
スタイル&容貌がぬきんでているから・・・・・・
身体障害者たちの車椅子に乗った武者行列などが続いた。
市民参加の手作りのパレードという色彩が滲み出ていて清清しかった。
戦国時代の武者姿のわらじを注目してみた。
それは草鞋藁ではなく、化学繊維の草鞋のようだった。 -
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4.昼食はSOHSOH(早早)の玄米定食を
松山ランチあちこち情報とでも言いましょうか?
松山城ロープウエー街へ入って、すぐの左側に店はある。
*SOHSOH−草草−
松山市大街道3-2-10
電話 089-998-7373
営業時間 11時〜14時30分、17時〜23時(土・日曜、祝日11時〜23時)
定休日 無休
ランチタイムはレストラン、午後はカフェ、夜は居酒屋になるそうだが、健康をコンセプトに、玄米と地元の有機野菜を使った料理がメインで若い女性に人気があるようだ。
男女共用だがトイレもきれいだ!
今日の玄米定食メニューは・・・・
880円だ
+120円でデザートにアイスクリームか霧の森大福
+150円でドリンク
幾ら素敵でも、
私たちのところからランチに行くことは出来ないが又行ってみたくなる店だね。 -
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5.四国最大の名城 松山城へ
松山城へ向かうロープウエー街はかなりの人で混雑している、城へのルートは、ケーブルカーとロープウエーそして徒歩がある。
私はロープウエーで登る事にした。
松山城は海抜132mの勝山の山頂にあるがロープウエーでは6分ぐらいとのことだ、最近こんなに高いロープウエーには乗ったことはないから身がすくむ。
後ろから友人が、写真を撮るから振り向いてと言われても怖くて顔を向けることができない。
山上に着いた。
天気は快晴!
桜は満開!
人も一杯!
春爛漫 桜花爛漫とはこの事をいうのだろうと思う。
お城の天守閣までは、また急勾配の階段を一段一段昇る。
三重三階の天守からの景観はまさに絶景かな!
絶景かな!だ、
城下が総て見晴るかせる。彼方に見える円形の構築物が坊ちゃん球場だそうだ。
伊予25万石のお殿様になったよう気分だ!
上から見る桜も又格別ですね。
天守からの下りは歴史的陳列品を見ながら降りる。
修繕中に見つかった江戸時代の大工さんが描いたと思われる落書きが展示してあった。
2つあったが、侍の似顔は墨で描いた輪郭がしっかりと残っている。
天守を出たところにバラのようなツバキガ咲いていた。淡いピンクできれいだ。
なんと言う品種だろうね?
お城からの帰途は急勾配の山道を下る。
ひんやりとした空気、ウグイスがここでも鳴いていた。 -
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6.子規記念館を見学してホテルへ
道後温泉駅前の子規記念博物館へ入館タイムアップギリギリで入館した。
裏面に、松山 春や昔15万石の城下哉と書かれた観覧券とパンフレットを貰ったが、もしかして正岡子規の書いた筆だろうか?
閉館までは30分ほどしかない、駆け足で二つの展示室を廻る。
子規記念博物館と道路で隔てた向こう側に道後一の老舗旅館「ふなや」の茅葺の古い門構えが見える。このふなやには、道後の湯を愛した夏目漱石をはじめ、正岡子規、高浜虚子ら文人に親しまれ、漱石は「はじめての鮒屋泊りを しぐれけり」という句を残している。
明治28年、夏目漱石が教師として松山に赴任してきた年の秋、宿泊した際の作だそうです。
我々もこのふなやを横目で見ながら、少し先にある道後プリンスホテルへ徒歩で向かう。
8階の部屋に案内されて旅支度を解き、テラスへ出ると赤い太陽が松山城へ寄り添うようにサンセットしていった。 -
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7.道後プリンスホテルの夕膳は
ホテルには大浴場と露天風呂があるという。
今からは露天風呂へ行こう、そして明日の朝大浴場へ行く事にする。
露天風呂は4階にあった。目隠しに植えられている植栽に桜木がある。
その花の蜜を求めてヒヨドリや小さな鳥が囀りながら飛び交っている。まさに露天風呂だ〜
道後の湯は皮膚がスベスベになって心地良い! 温泉という感じが強い。
梅酒で乾杯して宴は始まった。
膳一杯のご馳走をたいらげてお開きとなる。
21:00からイベント広場で水軍太鼓と津軽三味線の演奏が行われた。
司会者の巧みな話術で集まった湯客たちは盛り上がっていた。特に野球拳では・・・・
司会者が野球拳はここ松山で始まったんですよ。
今から野球拳をして勝った方にはお褒美をお渡しします。
特に負けた方にご注意申上げておきますが・・・・・
負けても絶対に脱がないで下さいね! と話しかけて湯客を笑わせていた。
勿論冗談だが、一枚脱いだらスッポンポンだものね。
僕は2度とも一回で負けてしまった。
道後温泉本館へ行かれる方はご自由にお使いくださいと書いて、タオルが小さな竹かごに入って
用意されていた。
家ではもう寝ている時刻だ!
チャルジャ! おやすみなさい。 -
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8.早朝ウオーキングをする
日の出前の5:30分ホテルを出て道後温泉本館方面へ歩く、かなり早いペースで歩くHさんに引っ張られて歩く。チョット苦痛ぐらいのペースだ。
道後の朝の始動は早い方では無いようだ。車や人の往来は都会にしては少ないのではないだろうか?
道後温泉本館の建物もまだ明かりが灯っている。歓楽街もウオーキングする。ピンクがいも朝は戦火がやんだ戦場のような静けさだ。
4千歩ほど歩いてから車で、石手川沿いの桜の名所へ連れて行ってもらった。
丁度山の向こう側から赤い太陽が顔を出してきた。本当の日出はもう少し前だっただろうが・・・・
桜と太陽 面白い写真が撮れた。
朝の散歩はすがすがしい! 道後温泉でもウオーキングできて嬉しかった。
ホテルへ帰って大浴場へ行く、浴室には1人しかいなかったから写真を一枚撮らせてもらう。
朝食はバイキングだ!
子カレイの干ものを目の前で焼いてくれた。
美味しい朝食で満足!
さお〜 今日の観光も元気にGOGOだ! -
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ホテルの朝食 バイキング
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9.石手寺で洞窟探検だ?
第51番札所 石手寺はホテルから徒歩で行く、12〜3分だっただろうか?
仁王門をくぐって本堂へ向かう、お遍路さんが十数名で般若経を唱えている。御本尊の正面は空けておいて、斜め側からお参りをしている。
後から来る参詣者に邪魔にならないようにしてくれているのだね。私もお遍路さんに会釈して旅の安全をお祈りする。
面白いものがあった、四国八十八箇所の各寺院の砂を袋に詰めて置いてあり、これを触って歩くだけで満願になるというものだ。何故か? 51番石手寺の袋だけはボロボロに破れている。
何もここが51番札所なんだから触らなくても良さそうなものだが・・・・・・
本堂の横手にはお山四国入り口という石段があった。見上げたらかなり急勾配だ。多分ここも四国霊場のミニだろう。
洞窟入り口という看板に引き寄せられる。
洞窟へのお参りは100円程度のお布施をお願いしますと書いてある。
洞窟に入ると真っ暗だ、暗黒の世界だ! 通路のセンターに毛糸の帽子を被ったお地蔵様のようなものをてで感じる。 カメラのフラッシュを焚いて見る。やっぱりそうだ!
善光寺の戒壇めぐりのようなものだね。
人間は暗黒の中では一途に仏様に縋ろうとする。何十人もの仏様の頭を頼り歩を進めていると前方に光明がさしてきた。出口だ! ホット救われた気持ちになる。
洞窟を出たところにパコダのような得体の知れない建物と数知れないほどの仏像があった。手入れがされていない空間だが、一体これはなんだろうか?
帰路お店屋さんでシュロの繊維で刷毛を作っているおじさんと会話を交わした。自分ですべて作り上げるそうだ。パソコン用天然棕櫚と書き、しゅろとかながふってある。
棕櫚の繊維で埃がよく取れるんでしょうかね?
棕櫚なんか カメの子たわしの原料かと思っていたが・・・・ -
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10道後公園の桜の下で、
桜の名所道後公園は悲しい歴史が隠されている、古は、鎌倉時代から戦国時代にかけてこの地を治めていた河野氏の城で、湯築城と呼んでいた。
秀吉の四国平定で領国を失い河野家は滅亡、湯築城の石垣や木材は松山城に持ち出され、「湯築城跡(ユズキジョウアト)」が愛媛県立道後公園になったそうだ。
桜が満開を過ぎたのか、ハラハラと花びらが舞う中を道後公園を1周する。
まだまだ花見客は多い、犬を連れて花見に来ている人たちも多い。
中世武家屋敷が3軒ほど復元されている。城の石垣も一部だが残っているし、お堀も所々残っている。
公園を出て、道後ハイカラ通りを散策する。
夏目漱石が坊ちゃんの中で書いている団子を買う。
坊ちゃんの一説・・・・
「ある晩、道後という所へ行って団子を食った。その道後という所は温泉のある町で、料理屋も温泉宿も公園もある上に遊郭がある。俺の入った団子屋は遊郭の入り口にあって大変うまいと評判だから温泉の帰りがけに一寸食って見た。」
この小説の中の店、つぼや菓子舗でその後坊ちゃん団子と呼ばれるようになった団子を買って食べてみた。餡と茶とウコンの三色団子だ。ほんのわずかの米の芯があるが大部分餡子のようだ。 -
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