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4.ウラジオストクからイルクーツクまでの列車の旅<br /> 7月3日18時ごろ、ウラジオストク駅の低く広いホームに「ノボシビルスク号」(ウラジオストク発ノボシビルスク行き)は停車していた。添乗員から切符を渡され、パスポートと一緒に女性車掌に渡してチェックを受け、最後尾の17号車のデッキを上がった。<br /><br /> 現地時間20時17分(モスクワ時間13:17、以降カッコ内はモスクワ時間)、静けさの中で列車がかすかに動いているのを体感する、定刻の発車であった。<br /><br /> コンパートメントの中は、1室に上下2段のベッドが向かい合って2組あり、敷き布団と毛布と枕が準備されてあり、間もなく女性車掌がシーツを持ってきた。暖房が効きすぎているようで、木製の窓枠を懸命になって引き下ろした。後で食堂車に行くときコンパートメントの仕切りのないベッドの羅列した一般車の中を通ったが、どの車両も満員だった。<br /><br /> しばらくして白樺林の中にダーチャと呼ばれる郊外の個人農園が見えてきた。都会の人々は週末にここで野菜などを作り、自然の中の生活を楽しんでいる。大きな都市に近づいたときにもダーチャをよく見かけた。<br /><br /> 私たち4人は、コンパートメントでビールやウオッカのつまみにパンやチーズやソーセージなどの遅い夕食を始め、これからの長い旅の行程を地図を見ながら話し合った。<br /><br /> 黒い雲で薄暗くなってきた中で白樺林がどんどん過ぎ去っていく。車内の明かりがついた。<br /><br /> ベッドに横になるが、列車の進行方向の衝撃が全く感じられない。これはヨーロッパの客車列車と同じような客車と客車の間に車端ダンパーがついていて、ブレーキなどの列車間の衝撃を吸収しているからであろう。でも2段目のベッドには落下防止の柵がないのは、寝相の悪い人には心配である。ウオッカの酔い心地とともに眠りに入った。<br />

楽しかったシベリア鉄道の思い出(2)

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2004/07 - 2004/07

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    3

    JIC旅行センター

    JIC旅行センターさん

    4.ウラジオストクからイルクーツクまでの列車の旅
     7月3日18時ごろ、ウラジオストク駅の低く広いホームに「ノボシビルスク号」(ウラジオストク発ノボシビルスク行き)は停車していた。添乗員から切符を渡され、パスポートと一緒に女性車掌に渡してチェックを受け、最後尾の17号車のデッキを上がった。

     現地時間20時17分(モスクワ時間13:17、以降カッコ内はモスクワ時間)、静けさの中で列車がかすかに動いているのを体感する、定刻の発車であった。

     コンパートメントの中は、1室に上下2段のベッドが向かい合って2組あり、敷き布団と毛布と枕が準備されてあり、間もなく女性車掌がシーツを持ってきた。暖房が効きすぎているようで、木製の窓枠を懸命になって引き下ろした。後で食堂車に行くときコンパートメントの仕切りのないベッドの羅列した一般車の中を通ったが、どの車両も満員だった。

     しばらくして白樺林の中にダーチャと呼ばれる郊外の個人農園が見えてきた。都会の人々は週末にここで野菜などを作り、自然の中の生活を楽しんでいる。大きな都市に近づいたときにもダーチャをよく見かけた。

     私たち4人は、コンパートメントでビールやウオッカのつまみにパンやチーズやソーセージなどの遅い夕食を始め、これからの長い旅の行程を地図を見ながら話し合った。

     黒い雲で薄暗くなってきた中で白樺林がどんどん過ぎ去っていく。車内の明かりがついた。

     ベッドに横になるが、列車の進行方向の衝撃が全く感じられない。これはヨーロッパの客車列車と同じような客車と客車の間に車端ダンパーがついていて、ブレーキなどの列車間の衝撃を吸収しているからであろう。でも2段目のベッドには落下防止の柵がないのは、寝相の悪い人には心配である。ウオッカの酔い心地とともに眠りに入った。

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    •  ルジノに2日目2時24分(19:24)着。15分停車。<br /><br /> 9時 (2:00)にハバロフスクに停車。目覚めた乗客やペットの犬がホームや線路の上に降りて、外の空気を吸っている。急いで17両連結した先頭まで走って行き、機関車をカメラに収めた。<br /><br />駅員が各車両に給水し、車掌が台車のベアリングが過熱してないか手で触りながら点検をしていた。ゆでたジャガイモ、トマト、ピーマン、ソーセージ、シベリアギョウザなどを売っていた。大体日本円にして50円から200円ぐらいである。列車の後ろに客車が2両増結され、19両編成となった。約20分後、発車。<br /><br /> そのうち地形が険しくなり、急勾配、急カーブで、列車の速度が下がってくる、カメラを窓の外に突き出し、先頭を行く機関車を撮った。<br /><br /> 隣の部屋には、半身裸の若者たちが、私共が珍しいものと見えて、こちらのコンパートメントに入ってきて、いろいろと話し掛けてきた。ウオッカを勧めたらぐっと一息に飲み、ピクルスをむしゃむしゃ食べ、その汁をぐっと飲み込んだ。18歳だといっていた。この車両にはトイレは1つしかないが、彼らがそこで長時間体を洗っているのには困った。<br /><br /> ウラジオストックから乗ってきた家族に3人の可愛い女の子たちがおり、2日目から暇をもてあまして廊下を走り回っていたとき、同行の陶芸家が色紙をあげた。同行の主婦が鶴の折り方を教え始めたところ、彼女の部屋が折り紙教室になり、子供たちの母親までも参加した。<br /><br />母親は主婦の健康を気遣い、子供たちに自分たちの部屋へ戻させた。翌日、子供たちは感謝の気持ちを書いて持ってきた。その中の1つを紹介しよう、<br />「あなたは星のように輝いています。いつまでもお幸せに。私は今日のこの日を決して忘れません」<br />

       ルジノに2日目2時24分(19:24)着。15分停車。

       9時 (2:00)にハバロフスクに停車。目覚めた乗客やペットの犬がホームや線路の上に降りて、外の空気を吸っている。急いで17両連結した先頭まで走って行き、機関車をカメラに収めた。

      駅員が各車両に給水し、車掌が台車のベアリングが過熱してないか手で触りながら点検をしていた。ゆでたジャガイモ、トマト、ピーマン、ソーセージ、シベリアギョウザなどを売っていた。大体日本円にして50円から200円ぐらいである。列車の後ろに客車が2両増結され、19両編成となった。約20分後、発車。

       そのうち地形が険しくなり、急勾配、急カーブで、列車の速度が下がってくる、カメラを窓の外に突き出し、先頭を行く機関車を撮った。

       隣の部屋には、半身裸の若者たちが、私共が珍しいものと見えて、こちらのコンパートメントに入ってきて、いろいろと話し掛けてきた。ウオッカを勧めたらぐっと一息に飲み、ピクルスをむしゃむしゃ食べ、その汁をぐっと飲み込んだ。18歳だといっていた。この車両にはトイレは1つしかないが、彼らがそこで長時間体を洗っているのには困った。

       ウラジオストックから乗ってきた家族に3人の可愛い女の子たちがおり、2日目から暇をもてあまして廊下を走り回っていたとき、同行の陶芸家が色紙をあげた。同行の主婦が鶴の折り方を教え始めたところ、彼女の部屋が折り紙教室になり、子供たちの母親までも参加した。

      母親は主婦の健康を気遣い、子供たちに自分たちの部屋へ戻させた。翌日、子供たちは感謝の気持ちを書いて持ってきた。その中の1つを紹介しよう、
      「あなたは星のように輝いています。いつまでもお幸せに。私は今日のこの日を決して忘れません」

    •  3日目7時02分(0:02)にウルーシャに着く。駅にはタンク車の長い列が並ぶ。きゅうり、トマト、魚の燻製などを買う。添乗員のロシア人が生卵を買ってきた、両端に小さな穴を1つずつ開けて片方から吸って飲み込むのである。かつては日本人もこうして飲み込んでいたものであった。<br /><br /> タイガの針葉樹林が続き、それが途切れると広いお花畑の平原が続く。昔は全部タイガだったという、シベリアでも樹木がかなり伐採されていることは、地球温暖化に大きく影響しているだろう。<br /><br /> ザバイカルスクを18時37分(11:37)に発車したあと、食堂車に行く、パン、ボルシチ(スープ)、サラダ、メインは魚料理でトマト、キュウリ、いためたジャガイモ、オリーブの実が添えてあった。これらの食事とウオッカがとてもよくあった。<br /><br /> カルイムスカヤに4日目0時01分(17:01)に着く。ここまでモスクワとの時差が7時間で、次のチタからの時差は6時間だ。列車が西へ進むにつれ、モスクワとの時差は1時間単位で縮まっていく。<br /><br /> カムイルスカヤ〜ウラン・ウデ間は標高1,500m以上の山岳地帯を縫って走り、1000分の18という勾配を越えた。<br /><br /> チタに25時17分(17:17)着、25分停車。ここは中国との接続駅で、ハルピン、瀋陽、北京に繋がり、中国系の人々の乗り降りを多く見かけた。<br /><br /> チタを出て、ヤブロノボ山脈の山岳地帯をぬうように走り、やはり1000分の18の勾配を越えた。<br /><br /> ウラン・ウデに10時31分(4:31)着、23分停車。ここはモンゴルのウランバートルへの接続駅であり、国境警備隊が口輪を付けけた2匹のシェパードと共に警備していた。中国人とは違う服装の人が下車していた。駅構内にかつての陸の王者蒸気機関車が保存されていた。アイスクリームがうまかった。<br /><br /> ウラン・ウデを出て、2時間ほどした頃、バイカルの美しい湖面が見えてきた。列車は湖に沿って右側にカーブしていく、ここは最も難しい工事だったという、切り立った山裾に沿って勾配を登る電気機関車の姿がよく見えた。<br /><br /> 16時47分(11:47)にイルクーツク駅に到着した。女の子たちの父親が重たいスーツケースを車両のデッキから降ろしてくれた。彼らはこの列車の終着駅ノボシビルスクで祖父母の家に泊まるという。<br /><br /> ホームで若いロシア人女性のガイドの出迎えを受けた。駅舎は工事中だったが、外の壁面はやはりクリーム色で、ウラジオストクよりも大きな造りだった。<br /><br />

       3日目7時02分(0:02)にウルーシャに着く。駅にはタンク車の長い列が並ぶ。きゅうり、トマト、魚の燻製などを買う。添乗員のロシア人が生卵を買ってきた、両端に小さな穴を1つずつ開けて片方から吸って飲み込むのである。かつては日本人もこうして飲み込んでいたものであった。

       タイガの針葉樹林が続き、それが途切れると広いお花畑の平原が続く。昔は全部タイガだったという、シベリアでも樹木がかなり伐採されていることは、地球温暖化に大きく影響しているだろう。

       ザバイカルスクを18時37分(11:37)に発車したあと、食堂車に行く、パン、ボルシチ(スープ)、サラダ、メインは魚料理でトマト、キュウリ、いためたジャガイモ、オリーブの実が添えてあった。これらの食事とウオッカがとてもよくあった。

       カルイムスカヤに4日目0時01分(17:01)に着く。ここまでモスクワとの時差が7時間で、次のチタからの時差は6時間だ。列車が西へ進むにつれ、モスクワとの時差は1時間単位で縮まっていく。

       カムイルスカヤ〜ウラン・ウデ間は標高1,500m以上の山岳地帯を縫って走り、1000分の18という勾配を越えた。

       チタに25時17分(17:17)着、25分停車。ここは中国との接続駅で、ハルピン、瀋陽、北京に繋がり、中国系の人々の乗り降りを多く見かけた。

       チタを出て、ヤブロノボ山脈の山岳地帯をぬうように走り、やはり1000分の18の勾配を越えた。

       ウラン・ウデに10時31分(4:31)着、23分停車。ここはモンゴルのウランバートルへの接続駅であり、国境警備隊が口輪を付けけた2匹のシェパードと共に警備していた。中国人とは違う服装の人が下車していた。駅構内にかつての陸の王者蒸気機関車が保存されていた。アイスクリームがうまかった。

       ウラン・ウデを出て、2時間ほどした頃、バイカルの美しい湖面が見えてきた。列車は湖に沿って右側にカーブしていく、ここは最も難しい工事だったという、切り立った山裾に沿って勾配を登る電気機関車の姿がよく見えた。

       16時47分(11:47)にイルクーツク駅に到着した。女の子たちの父親が重たいスーツケースを車両のデッキから降ろしてくれた。彼らはこの列車の終着駅ノボシビルスクで祖父母の家に泊まるという。

       ホームで若いロシア人女性のガイドの出迎えを受けた。駅舎は工事中だったが、外の壁面はやはりクリーム色で、ウラジオストクよりも大きな造りだった。

    • 5.イツクーツクとバイカル湖で<br /> イルクーツクはシベリアのパリといわれ、美しい町並みであった。着いた日は、35℃の観測史上最高気温でむんむんしていたが、翌々日は雨で恐らく20℃ぐらいに下がっていた。<br /><br /> イルクーツクから70km離れたバイカル湖畔のリストヴァンカでは、18〜19世紀のコサックの農家、教会、学校などが白樺林の中で保存されていた。バイカル湖は世界最大の淡水湖で、透明度は世界一で40mという。<br /><br />バイカルとは豊かなという意味で、ロシア人の母なる湖である。ロシア正教のニコリスカヤ教会の中の壁は沢山の聖なるイコンが飾られ、スカーフを着けた婦人が沢山のローソクの中で祈りを捧げていた。<br />

      5.イツクーツクとバイカル湖で
       イルクーツクはシベリアのパリといわれ、美しい町並みであった。着いた日は、35℃の観測史上最高気温でむんむんしていたが、翌々日は雨で恐らく20℃ぐらいに下がっていた。

       イルクーツクから70km離れたバイカル湖畔のリストヴァンカでは、18〜19世紀のコサックの農家、教会、学校などが白樺林の中で保存されていた。バイカル湖は世界最大の淡水湖で、透明度は世界一で40mという。

      バイカルとは豊かなという意味で、ロシア人の母なる湖である。ロシア正教のニコリスカヤ教会の中の壁は沢山の聖なるイコンが飾られ、スカーフを着けた婦人が沢山のローソクの中で祈りを捧げていた。

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