1996/03/07 - 1996/03/26
1802位(同エリア3591件中)
shkさん
卒業旅行で行ったネパールの記録がPCから見つかったので、文章をあまり変えずに作成しました。当時はあまり考えず、一番早く行ける航空券を購入して、荷物の準備も適当に出発しました…。
■18日間ネパールで使った金額
(当時の為替レート、1ルピーは2円、1ドルは100円で計算)
航空券 108000円(※)
宿泊費 5038円
食費 8752円
国内航空券 16600円
交通費 2662円
トレッキングガイド料 7000円
医者代 7884円
その他 10974円
(※)バンコク経由、NW+RA+TG+NW、新宿のアクロスにて購入
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【バンコクのComfort HOTEL】
3/7
なんだかわからないけど、出国手続きをするとこに行く下りエスカレータの上あたりから列ができて並んでる。卒業旅行シーズンはいつもこうなんだろか。
出国手続きの列に並んでから、出国カードの存在に気づいた。そういえばこんなカードにいろいろ書くんだっけって思い、列に並びながら急いで書いた。
NW027で18:20に成田を発つ。たまたま同じ日に兄がアメリカに行ったんだけど、偶然にも搭乗エリアが同じで出発時刻もほとんど変わらなかった。
予定より30分ぐらい早く23:00ごろバンコクに着いたんだけど、入国手続きのとこが異常に混んでて1時間以上かかった。ふー。
この日だけは日本からホテルの予約をしといた。Comfortっていう空港から近めのホテルだ(歩いていくにはちょっとかかる)。一泊6000円もした。おれにはもったいないくらいの設備。広過ぎる部屋に一人だったのでちょっと寂しい。
3/8
ネパールの首都カトマンドゥに発つ便RA402は14:35発のため、12:00ごろ空港に行った。しかし、出発時刻は5時間以上も遅れた。なんでだーっとか思ったけど、とりあえず今日中にはネパールに着くようなのでまあいいや。
同じように出発を待っている日本人のS君がいて、いっしょに飯食ったり、ぼーっとしたりして待った。
気長に待って、んで出発し、カトマンドゥの空港には2回バウンドして着陸した。 -
カトマンドゥに着き、空港を出ると客引きがどどっと寄ってきた。もう真暗だったので情けないけどなんだか恐かった。でもバンコクの空港で知り合ったS君は全く落ち着いてる。この日はあのFUJIゲストハウスにS君と部屋をシェアして泊まった。(結局カトマンドゥではずっとFUJIだった)
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3/9
この日はまずS君とそこらをふらふらした。S君はネパールは2度目らしい。安いモモの店に案内してもらった。
また、世界最大の仏塔であるボダナートも見に行った。とくにたいしたことなかった。ボダナートには2番のバスに乗って行ったので、 帰りは逆方向に走る2番のバスに乗ればいいんかなあって思って そのバスに乗ったんだけど、変なとこに着いてしまった。 -
3/10
自転車を使ってパタンに行った。パタンでは自転車でふらふらしてただけ。 -
ふらふらしていると、子供が近寄ってきて「案内するよ!」と話かけてくる。とくにここらへんの寺の観光はするつもりはないので断ったのだけど、しつこくつきまとわれた。なんとかふりきり、パタンの中心地から路地に入ると空き地のようなとこに、 背中に「こばと」と日本語で書かれたジャージを着ていた子供がいた。 日本からの援助品なんだろう。
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あと日本語学校にも行ったけど、午後の部は5:30かららしく、まだ開いてなかった。
そういえば、ネパールって野良犬(?)が多い。いたるところで野良犬をみかけた。
夜、牛ののうみそを食った。魚のような味だった。焼いたウニに似ているらしい。例の病気(狂牛病)のことは知らなかったけど、大丈夫なのかなあ。ちょっとだけ心配。 -
【国立博物館】
3/11
スワヤンブナートのある山をぐるっと一回りしてから国立博物館に行った。スワヤンブナートにはこの日は行かなかった。国立博物館は大したことない。ちょっと庭がきれいかなあぐらい。
あとトレッキングのパーミットもこの日に取った。申し込むために12時ごろ並んだんだけど、1時間以上並んで疲れた。受け取りは午後5時って言われたけど、午後4時でも受け取れた。
3/12
朝、腹が痛くて目が覚めた。むっ、やばそうな予感。やられたか?かなりきていた。トイレに何回も言った。 FUJIのロビーで「腹こわした」と話してると、ずっとFUJIに泊まってるNさんが医者に行くことを勧めた。次の日からトレッキングってこともあって、大事をとって医者に言った。
なんだかよくわからなかったけど、どうやらバクテリア&アメーバ性の下痢らしい。A型肝炎、腸チフス、脳膜炎の予防注射もついでにした。
これは帰国してから気づいたんだけど、診断書には間違って?「赤痢(dysentery)」って書いてあった。
床屋にも行った。40ルピー(約80円)でカットしてくれる。首の後ろのとこと、もみあげのとこはカミソリを使ったけどなんとなく恐かった。さらに40ルピー出して上半身のマッサージもしてもらった。
夕方になってから思いついたんだけど、おれってトレッキングの準備ぜんぜんしてないよ。といっても、シュラフさえ借りればいいと思ってたけど。最悪の場合ルクラについてからシュラフとか借りられそうだけど、値段が高いだろうなと思って、カトマンドゥで借りることにした。
FUJIゲストハウスの人に紹介してもらった店で、一日当たり20ルピーでシュラフを借りることができた。最初に補償金を払っておいて、返すときに、借りた日数の分引かれてお金が戻ってくる。ネパール国立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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3/13
まずヘリで1時間かけてルクラまで飛んだ。ヘリには初めて乗ったけど、うるさいね。ヘリに乗ったらキャンディーと綿のようなものが配られたんだけど、「この綿のようなのは何かなあ、食べられるのかなあ」と思ってると、回りの人達は皆、それを耳に詰め出した。どうやら綿のようなものではなく、綿そのもので耳栓の代わりらしい。
ルクラに着き、ガイドを雇おうと思ってたけど、まずその前に郵便局に行こうとした。でもちょっと小太りな、なんとなく好きじゃないようなやつが 「ガイドするよ」と言いながらおれのあとをついてくる。「他のガイドといろいろ相談してから」と言ってるのにどんどんついてくる。しかし、郵便局からヘリのとこに戻ってくると他のガイドはもういないようだ。しかたないのでその小太りなやつと交渉してガイドに雇った。
今思うともっと慎重に、いいやつをガイドに雇えばよかった。
ルクラに来て気づいたけど、日本円は持ってるがルピーを全然持ってなかった。結局、空港のオフィスのようなとこで日本円からルピーに両替できてよかった。もし両替できなかったらどうなってただろう…。 -
まあとりあえず出発し、この日はパクディンまで歩いてそこに泊まった。小さな橋を渡ってすぐ左のゲストハウスだ。ゲストハウスの中ではやることなくて暇だった。部屋には当然電気はないので自前のライトをつけて本を読んだりしたけど、電池がもったいないのでやめた。眠くなくても寝よう。ところで、ここのゲストハウスのトイレに行ったら水洗トイレだった。と言っても、トイレの中に水が溜るバケツがあって、用をたした後にその水で流すという仕組み。流す前にそのまま下の川に到達してるんだけど、最後の仕上げで一応水を流す。
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【ナムチェ】
3/14
なんだか前の日といい、今日といいほとんどハイキングのように楽だった。しかし...ジョルサレのチェックポストを過ぎてからナムチェまでの登り坂は、最近運動をしてなかったおれにとってかなりきつい。いけどもいけども登り坂だ。道が曲がっていて先が見えないと、「もうそこで登りは終りかな」と期待するが、曲がってみるとさらに登り。うー。荷物は7kgぐらいしかなかったので軽い方だったけどそれでも辛かった。辛い坂道の途中にエベレストの頭のとこがほんのちょっと見えた。
トレッキング中は直射日光がけっこう暑くて、Tシャツ1枚とか、シャツの腕をまくってたんだけど、日焼けしてヒリヒリしてしまった。
また、この日からなんとなく他のパーティーと合流していっしょに歩いていった。パーティーと言っても、日本人、日本語の話せるネパール人ガイド、ネパール人ポーターの3人組み。なんだか日本語が懐かしい。その日本語が話せるガイドはなんとなくいいやつそうだ。羨ましい…。
ところでこのポーターはどうみても16歳にはなってないぐらいである。彼はぼろいサンダルを履いて重い荷物を持って歩いていく。荷物はたぶん2、30kgはあるだろうな。
なんとかナムチェに着いた。やったー。宿では、いっしょに歩いた日本人と部屋をシェアした。とりあえず郵便局にでも行くか。「地球の歩き方」の地図を見るとけっこう近い。しかし実際はナムチェの中心地からけっこう登る。しかもわかりにくい。 -
散歩がてら、どんなものが売ってるのかなあとふらふら見ていると、なんと「見ザル、言ワザル、聞カザル」の猿の置物が売っていた。これは中国が発祥で、回りの国へ伝わっていったのだろうか。
3/15
朝起きると、なんだか頭が少し痛い。軽い高山病になったらしい。もともと酒には弱いのに、前の晩、ビールを飲んだのがいけなかったのか? でも博物館のある丘に登ってエベレストを見てたら直った。エベレストと言っても頭のとこがちょこっと見えるだけ。しかし丘から降りてゲストハウスでくつろいでると、また少し痛くなった。寝るより座ってた方がいいと言われたんで、ずっーと座ってぼーっとしてた。
トレッキングで一緒だった日本語が話せるガイドは、 6000mの高さまで行ったことあるけど、今だに高山病になったことないって言ってた。 -
3/16
この日は週に一度、ナムチェバザールが開かれる日だ。バザールは段になってる地形のとこで開かれる。なんでそんな不便なとこに開くのか不思議。スニッカーズのようなチョコレートと、水を買った。あと、ガイドの勧めで、乾燥した果実の皮なのか、厚さが5mmで白く外側は茶色っぽいものも食べた。この名前は忘れてしまった。
バザールをちょっと見たあと、シャンボチェの丘に登った。丘っていってもナムチェから1時間以上かけて登る。途中シャンボチェの飛行場を通って、シェンボチェの丘にあるホテルエベレストビューに入った。ここでミルクティーを飲みながらくつろいだ。 -
こっからの眺めは最高だ。
この日の夜に、ルクラまでのヘリで一緒だったドイツ人が同じ宿に偶然来た。彼とは、カトマンドゥでルクラ行きのヘリがなかなか到着しなくて待ってるときに「来ないね〜」とお互い話し合ってた。なんか嬉しい。再会の握手をした。
ところでその夜に欧米人達の間でチェス大会が始まった。昔、兄にチェスを教えてもらったが、細かいルールや戦略などはすっかり忘れてしまっていた。だから参加できなかった。こういうときに万国共通のゲームを知ってるとけっこういいなと思った。 -
3/17
本当はナムチェの先、タンボチェまで行く予定だったけど予定を変更して下りる。ナムチェからルクラまでは一日で下りられるということなので、頑張って一日で下りた。7時間以上かかったかなあ。パクディンまではけっこう楽だったけど、そっからルクラまではけっこう辛かった。同じような道がず〜っと続くし。ナムチェからルクラまでは何キロぐらいの距離なんだろ。
この日は、空港のオフィス(オフィスというには程遠い、荒屋)の1つ上の丘の、小さな門をくぐっていくゲストハウスに泊まった。ここのゲストハウスの庭は陽当たりがよく、塀の上で寝ると気持ちよかった。実はやることがなくて暇なだけだったんだけど…。
ごろ寝にも飽きて、空港の滑走路(単なる砂利)の方へ歩いて行く。滑走路を崖の方へ下って行くところのすぐ左あたりはなんとなくいい場所。芝生のような草があり座るのに手頃な岩があって、下の方には小さく川と民家らしきものが見える。時間があれば下まで行って戻って来たかったが、どうみても往復には2、3時間はかかりそうだった。
と、下を眺めていると、男の人が寄ってきた。彼はルクラまでヘリを使わず歩いて来たそうだ。しかし、途中の登り下りの長い道の中の下り道で膝を痛めてしまったらしく、ルクラで休養中だそうだ。 -
3/18
この日はヘリでカトマンドゥに戻る。Nepal Airwaysというとこのオープンチケットを持ってたんだけど、前の日に、今日の便の予約を入れた場所はAsian Airのオフィス。んで、乗ったヘリというとEverest Air。なんか不思議。
ルクラを出発したヘリは途中シャンボチェを経由した。シャンボチェまでは歩いて2日かかったのに、ヘリは15分ぐらいで飛んでしまう。速いなあ。 -
3/18
ルクラからヘリでカトマンドゥに戻ってきた。人と車がいっぱいでホコリっぽいのがなんか懐かしい。空港からゲストハウスに行く途中に、タイ航空のオフィスで、カトマンドゥ→バンコクのリコンファームもしといた。
ゲストハウスに着いて、まだ時間があったのでスワヤンブナートに行くことにした。今度は歩き。スワヤンブナートのある丘まではけっこう歩く。んで、そっから丘の上まで登るのがちょっと辛い。
息を切らして上に着くと、例の目玉のついた塔があった。ボダナートと比べると当たり前だけど随分小さい。この塔も特に大したことなかったけど、こっからのカトマンドゥの眺めはけっこういい。
3/19
この日はまたパタンの方に出かけた。ふらふらしてると、「チベットクラフトセンター」っていうのが目に入ったのでそこに入った。 女の人が1〜3人で1組になって織物を織ってた。2Fに行くとその織物を販売してた。値段は見なかったのでわからない。
この時、ゲストハウスに電話をかけなければならなかったので、「電話はどっかにないですか?」とそこにいたおねーちゃんに聞いたら、親切にもそこにある電話を使わせてくれた。その人と世間話もしたけどなんか新日的な感じがした。
この後、動物園にも行った。「ひょう」のような動物が、3畳ぐらいの日当たりがかなり悪いオリに入れられてるのを見て悲しくなった。象もいて、前両足をくさりでつながれ顔にはペイントされてた。一定の周期で体を左右に少し揺らしながら、ときどき鼻を持ち上げたりしてた。この象は何を思ってるんだろ。
また、ここでルクラからのヘリで一緒だった二人にまた出会った。もう一度偶然に会えたのでなんかうれしい。
あとここで、日本語学校に通ってるネパール人と知り合い、後日その人んちに行くことになった。彼は、彼の彼女と動物園に来てたんだけど、ネパールではまだ、結婚前の男女がいっしょにいるってのをいい目で見られないなしく、その彼女とは離れて歩いて、初対面のおれと腕を組んで歩こうとする。あせった。
その後、カトマンドゥのOMCっていうとこでマッサージをしてもらいにいった。お金を出してマッサージしてもらうのは初めて。マッサージしてもらってるときは気持ち良かったけどこんなもんかって感じ。
そういえばこの日は馬のお祭り?らしく、ラトナパークの回りは人でいっぱいだった。ラトナパークの東に遊園地?を見つけたんだけど、その中に観覧車があってなんと人力で回転させてた。観覧車を止めるときは、反対回転する力が加わるようにぐるぐると動いてておもしろかった。でも、あとから考えると移動遊園地かなんかだったんだろうな。
夕方、ルクラで泊まったゲストハウスで会った人に偶然会った。うれしい。よかったら夕食を一緒にと言われたが、結局、予定があって行けなかった。
すごく残念だ。予定が怪しかったのでできたら行くと言ったけど、なんの連絡もなしに断ってしまってすまなかったと思う。
その人達は、チベットのラサからネパールに入ってきて、その途中では30kmも歩いたという二人です。もしこれを読んでたら連絡ください。スワヤンブナート 寺院・教会
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3/20
バスに乗ってポカラへ出発する。200kmぐらいの距離を8時間弱かけて行く予定だ。出発して1時間ぐらいたったとこでガソリンスタンドに止まった。ガソリンでも入れるんかなあと思いながら少し休憩をとってると、そうじゃなくてバスが故障したってことがわかった。同時に換えのバスも来ていた。すぐに換えのバスが来たのは不思議。
ムグリンを越えると道がかなり悪くなった。でこぼこなところを通るときはバスのスピードを随分落す。んでけっこう揺れる。スピードが遅いせいで時間がかかるのはなんかもどかしい。
バスに乗ってる間、近くに座ってたネパール人に、見ためは酢昆布、味は梅干しという食べ物をもらった。隣に座ってた欧米人のねーちゃんにはオレンジをもらった。他のネパールの青年にも、オレンジをもらった。もらってばっかり...。こんなジャップの若憎にみんな親切だった。
ポカラのバス停に着くと、客引きがわーっと寄ってきたけど、FUJIで会った人にSUMMITってとこがいいよって聞いてたんで、SUMMITの客引きを探して、んでタクシーに乗ってSUMMITに行った。
SUMMITはめちゃめちゃきれいだ。おれの泊まった部屋はシャワー、トイレ付き (バンコクのComfort以来のきれいなシャワー、トイレ)、 東、南、西の3方向が窓っていうとてもきれいな部屋だった。 んで屋上からのヒマラヤの眺めはいい。 -
3/21
SUMMITをチェックアウトし、デビッドフォールに行った。 -
水不足のせいかデビッドフォールは迫力がなかった。 でもせまい川幅なのに深く谷のようになってるのは興味深い。
デビッドフォールの近くに鍾乳洞?があるって聞いてたのでそこに行った。高さが10メートルぐらいのくぼんだとこを下りると、鉄格子で入口を閉められている洞窟?のようなものを発見。しかし誰もいないし鍵がかかってて入れない。中を覗き込んで見てみると、特に奥が深いとかいうもんじゃなく大したことなさそうだった。洞窟には入らず、上に登って帰ろうとしたときに「洞窟入る?」と管理人らしき人が来たけど、それより他の場所を見ようと思ったので洞窟には入らなかった。
今度はチベット村に行った。村の入口近くのお店のおばちゃんが早速声をかけてきた。何も買うつもりはなかったけど、押し売り的でないのと人の良さそうなおばちゃんだったので、商品を見ながら話でも聞こうと思ってそこに行った。
いろいろ話をしてると手作りのチベットクッキーを出してくれた。素朴な味だ。さらにいろいろ世間話をしているうちに、おばちゃんの人の良さから何かを買う気になってしまった。赤っぽい石?を磨いて作った指輪を買った。これがおばちゃんの作戦なのかどうかはわからなかったけど。この指輪はすごく丈夫らしい。おばちゃんの指につけてるのはもう30年前のものだって言ってた。「ハンマーでおもいっきりたたいても壊れない?」って聞いたら、壊れないって言ってた。ほんとか?
店を離れてぶらぶらしてちょっとお茶飲んだ。で、チベット村から帰るときにさっきのおばちゃんに帰るっていう挨拶したらチベットクッキーを袋いっぱいくれた。パタレ チャンゴ (デヴィス フォール) 滝・河川・湖
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この日はダムサイドのグリーンビューってとこに泊まった。ここの1Fの部屋に泊まったんだけど、部屋のテーブルの上には注射針が落ちてて恐かった。
このグリーンビューに行く前に、「Eagle Restaurant」というところで紅茶を飲んでくつろいでたら、お店の人が「Eagle Restaurant を日本語で書いて」と紙を出してきた。そこには他の日本人が書いたのか「イーグルレストラン」と片仮名ですでに書かれていたので、「ここに書かれてる通りだよ」と言ったんだけど、どうやらそれでは満足ではないらしい。しょうがないので「鷹料理店」(それとも鷹飲食店と書いたかな?)と漢字で書いておいた。
また、この日にはカトマンドゥに帰るバスのチケットも買った。ペワ湖でその日の晩のおかずの魚を取っている子供達を見ているうちに話が始まり、「値段を見るだけでいいから」と子供に誘われ代理店に入った。値段も高くなかったしちょうど1人席が空いているということで、そこでチケットを買った。
夕方になって、夜ごはんを食いに行こうしたときたまたま日本人の子に会って、一緒に食べることになった。 レイクサイドの方の店に入った。その子、トランプ持ってて、そこのネパール人に手品をしてみせた。なんだか盛り上がった。Hotel Green View ホテル
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3/22
ペワ湖畔の山の上にお寺があるっていう噂を聞いたので、今日はそこをめざした。吊り橋を渡って、道でないような道を通って山に登っていった。頂上らしきとこに着いたけど、とてもお寺というか建物がありそうな雰囲気の場所じゃない。どうやら登るとこを間違えたらしい。もっとダムサイドから遠いとこなんだろう。とりあえず寺はあきらめて下りた。
午後からは昨日一緒に夕食を食べた人とボートに乗った。ペワ湖の対岸まで行った。お茶でも飲もうとお店らしき?とこに入ろうとしたが、なんか門がしまってる。でも中には人がいるのでそこを越えて入った。しかしここは誰か個人の家だった。「お店はあっち」と言われたのでまたボートをこいでそこへ向かった。んでそこでお茶を飲んでからもとの岸に戻った。
ペワ湖にある小さな島ではにわとりの生け贄が行なわれるらしい。
3/23
この日はバスでカトマンドゥに戻る。バスの席は一番前の運転手の隣の席だった。今回のバスは順調。途中の、抜かせそうで抜かせない遅いダンプにはいらいらしたけど。しかし、カトマンドゥまであと少しってところでガソリンスタンドに入った。やな予感がした。おれのすぐとなりのカバーが開けられると、けむりがもうっと出た。中を覗き込むと何かの配線が真っ赤になってる。オーバーヒートらしい。修理に40分ぐらいかかった。
修理が終ったようなので中に入ろうとしたら、バスの前に来てくれと言われた。なんだろ?と思った。どうやらバスを押して欲しいらしい。みんなで1、2、3とかけ声をかけながらバスを押した。
バスのエンジンはかかりやっとカトマンドゥに着いた。1週間ぐらい前に、カトマンドゥとポカラの間のどっかの橋が壊れたときは渋滞で13時間(5時間遅れ)かかったって言ってたから、今回の遅れはどうってことないんだろう。 -
3/24
この日は動物園で知り合ったネパール人の家に行った。FUJIの前で彼と待ち合わせてバスに乗って彼の村へと向かった。彼の村はダクシンカリの近くの村だ。カトマンドゥからバスで1時間半ほど。
彼の村に着いてから八百屋?に行った。彼の家に着いてから、そこで買った果物などを出してくれた。出してくれたものの中に生の人参もあった。
それ以前にカトマンドゥのどっかの汚い川に行ったとき、その川でたくさんの野菜とかを洗ってる光景を見ていたし、ガイドブックには生水、生野菜は口にしない方がいいって書いてあったので、食べよっかなあどうしよっかなあって思ったけど、残しては失礼かなあって思ったので食べた。明日は絶対腹を壊すだろう。
その後、彼は家族を紹介してくれた。また、彼は仕事だか趣味だかわからないけど木彫りをしてるらしく、その作品も2つほどもらった。彼は「遠慮するな」と言って、かなり大きい木彫りの作品もくれようとした。
その後はあの生け贄で有名なダクシンカリに行った。この日は生け贄の日でも何でもないので特に何もしていなく、人も少ない。ただ、山羊の顔にペイントしているのと、かなりたくさんの蝿を見ただけ。地面にはほんとに蝿がいっぱいいた。ゴミ捨て場のように。
それから彼にカトマンドゥまで送ってもらい、そこで別れた。 -
3/25
今日はネパールを発つ日。昨日食べた生の人参が原因か?腹が痛む。胃のあたりがとても痛く、腸のあたりも痛い。だけど下痢じゃなかった。何も出ない。
午前は、昨日から今日部屋をシェアした人と土産などを買いにいった。この彼はかなりおもしろい奴だ。物々交換をするのだが、そのやりとりがおもしろい。値段、Yes、Noぐらいの英語しか使わず、「おっちゃん頼むよ」、「これ(自分の持ってるものを指して)ナイスだよ」、「ね、ね」とか言って物々交換を成立させてしまう。
あと地元を愛してるらしく、なんか地元の町の旗を持っていた。彼曰く、北海道ではどこでも町の旗があるらしく、それが道路沿いとかに立っているらしい。で、彼が持っていた旗は「◯◯町◯◯支部」と、支部まで書かれているので気に入ってると言ってた。
買い物を終え、FUJIに戻ってから空港に行った。バンコク行きのタイ航空の便は3時間ぐらい遅れてた。がーん。でもバンコクの空港で一泊する予定だったので、遅れてくれるほどうれしい。ここにはFUJIで知り合った人達がいるのでしゃべって時間がつぶせるが、バンコクではたぶん一人でどっかの椅子に座ってぼうっとして時間をつぶすだろう。
飛行機は遅れてカトマンドゥを発ち、バンコクに着いた。さあ、どうやって時間をつぶそう。うろちょろしてると腹が痛くなってきた。昨日からのがまだ直ってない。トイレに出たり入ったりした。でも出ない。お食事中の方、ごめんなさい。
腹が安定してきたのでまたうろちょろする。また、24時間営業のファーストフードに入ったりその他もろもろ。「praying room」はいごこちがよさそうだったけどおれは入れない。噂では、「少し休ませてください」と言えばその部屋で休ませてもらえるらしいが、とても入れる雰囲気ではなかった。
3/26
日付がかわった。なんか眠くなってきたのでチェックインするとこの入口の床で寝た。でも床はちょっと冷たい。
そうしているうちに同じくノースウェストの便を待つ日本人に会って、彼としゃべって時間をつぶした。彼も同じ大学で、教育学部の人だった。
朝3時過ぎになってようやくチェックインできた。ふー、長かった。でもネパールで、バンコクの空港に2泊した人がいたのでそいつと比べると大したことない。
出発は6:30なのでまた待つ。待ってる間にまた腹の調子が…。
ボーディングの時間になって飛行機に乗る。そして飛行機は成田に向かって飛んだ。
香港の真南を飛んでるあたりに、真下に見えたきれいな珊瑚礁の島はなんていう名前だろう。トリブバン国際空港 (KTM) 空港
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