2005/05/07 - 2005/05/14
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ちびのぱぱさん
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ジンベイザメが水槽に入ってしまうなんて、現実のこととは、とうてい思えませんでした。
いつか、クジラが水槽でおよぐ日が、くるのでしょうか。
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5月の大型連休明け、沖縄は梅雨入り前……
ちょうど那覇の町には、げっとうの花が咲いており、甘い香りと、いかにも南国風のあでやかな花が、初めて沖縄の土を踏んだ者を歓迎してくれました。
げっとうは月桃と書きますが、たしかに、桃を思わせるかわいらしい蕾を、たわわというのも可笑しいですが、ふさふさと、つけておりました。 -
ショウガ科の植物だそうですが、そういわれても、ちょっとよくわかりません。
葉っぱが……、そうでしょうか。 -
首里城のあたりを歩くと…… -
情熱的な、デイゴの花が咲いておりました。
ちょうど見頃と思います。
ただ、マレーシアなどに咲いている火炎樹と比べると、 -
どこか、悲劇的であるのは、灼熱の太陽を厚い雲で覆い隠す、いまどきの天候のせいでしょうか。 -
那覇港ふきんで、札幌−那覇直行便のJAL機内誌で紹介されていた、沖縄そばの店を探し当てました。
まるで、床屋のような店構え。
白髪混じりのりりしい眉毛がかわいい、シャイなご主人が出してくれた「すば」は、関東生まれのわたしには、めずらしいたべもの、でした。 -
どちらかというと、マルちゃんの赤いきつね、みたいな食感です。 -
「サラダにしますか、ホットケーキにしますか、それとも納豆ですか。」
「は?」
「サイドメニューがつきます。サラダとホットケーキと、納豆を選べます。」
翌朝、那覇港近くのビジネスホテルの朝食会場で、都会的な顔立ちの女性スタッフが、ごく当然のように訊いてきました。
サラダとホットケーキと納豆の三択。
今まで直面したことのない難題に、妻ともどもしばし考え込んでしまいました。
もういちど女性スタッフの顔をぬすみ見ても、まるでステーキの焼き方を聞くボーイのように泰然自若としています。
これ以上黙っていると、怪しい者と思われるかも知れません。
「なっ、納豆お願いします。」
「あっ、わたしも。」と妻。 -
この日、折りしも那覇ハーリーの真っ最中でした。
ハーリーというのは、沖縄各地で行われる爬竜(ハーリー)舟によるレースのことです。
那覇ハーリーの日に埠頭に行けば、勇ましいハーリーをだれでも見学することができます。
会場に到着すると、広い埠頭はすでに黒山の人だかりで、あちらこちらで応援団による鳴り物が、やかましさを競い合っています。
私たちは、折り返し地点のあたりに陣取って、今やおそしとレースが始まるのを見守りました。
うりずんの強烈な風の吹く中、何度も仕切り直しをする大一番の相撲の力士のように、二艘の爬竜舟が、ぐるぐる回って互いににらみ合っています。
やがて両者位置に着き、とうとうスタートの合図がなると、中国文化の影響を感じさせる爬竜舟が、向かい風に逆らって力強く進んできます。
船が近づくと、若い漕ぎ手たちが、歯を食いしばって、櫂も折れよと筋肉を盛り上がらせているのが見え、すごい迫力です。
沖縄は、やはり独特の文化を持っていると、そう感じさせる機会になりました。
ハーリーの終わった後、余韻に浸って海を見つめていると、どのチームのものか、一本のオールが波間に漂っていました。
その近くを、とぼけた顔のハリセンボンが、
ハーリーの櫂よりも高回転でひれを回しながら、
ゆっくりと泳いでおりました。 -
翌日、泊港からフェリーに乗って、渡嘉敷島へ向かいました。
片道1時間ちょっとの船旅です。デッキに出ると、那覇の都会的な町並みが遠ざかってゆきます。(往復で3000円くらい)
この時期、なんて言いましたっけ、そうそう、
「うりずん」
入梅前でさわやかな時期、と聞いてましたが、髪の毛がしっとりするほどの湿った風が南から吹いています。
デッキの少し離れたところに、モデルのように美しい女性たちが、南風に長い髪をなびかせてはしゃいでいます。おんな友達同士で、慶良間諸島を旅するのかな……と思ったら、全員、声が男性なんですね。
あれっ? -
何はともあれ、やってきた渡嘉敷島の阿波連ビーチは、この世のものとは思えぬ美しさです。
港からは、歩くには距離がありますから、宿に迎えに来てもらう必要があります。 -
南の島の民宿は、しみじみとして、畳の匂いに癒されます。
近くの新垣商店で買ってきた、焼酎の久米仙の封を切って香りをかいでみました。
すると庭で、だれかが三線(さんしん)の練習をしているのが聞こえます。
だれだろう……
わたしは、先ほど会釈してくれた、若く美しい女性スタッフが奏でているところを、イメージしてみました。
同じ所を間違えては、何度も練習しています。
時間が、ゆっくり、ゆっくりと落ちてゆきます。 -
阿波連ビーチの白い砂浜の前は、所々にテーブル珊瑚があって、そのあたりに魚たちが群れています。
一年も前に、カメラ店の上司にだまされて、客のキャンセルしたデジカメの水中ハウジングを買いましたが、思いがけず役に立ちました。 -
こんなのもいますし、
-
かわいいクマノミが、たくさん見られました。
チビちゃんが、かわゆいですね。
一緒にいるくろいのは、やたら喧嘩っ早くて、隙を見せるとアタックしてきます。
ひょっとして、お父さん?いや、もしかしてお母さんか。 -
新垣商店は、何かとお世話になりました。
沖縄の人は誰でも知っている、スパムおにぎりなるものも、ここで購入して食べました。 -
夕食後に、宿の若主人とゆんたく(おしゃべり)していると、こんな話を聞かせてくれました。
「ボクのおじいさんは、沖縄戦の時に軍艦に乗っていて、敵船に不意打ちをかけるために島影に潜んでいたんです。ところが相手の船も、島の反対側に隠れていて、おじいちゃんの船が移動すると、偶然相手の船も移動するので、とうとう出会う前に終戦になっちゃったらしいっす。」
「へえーっ、そんなことがあるんですねえ。」
「それに、ボクのおばあちゃんも、洞窟に隠れていて、最後に自決するよう手榴弾を渡されていたそうです。いよいよそのときが来て、ピンを外して、そのひょうしに気を失ったんです。ところがその手榴弾が不発弾で、おばあちゃんは手榴弾を握りしめたまま気絶しているところを助けられたそうです。」
「……。」
「そうして、終戦後二人が出会って結婚し……、今のボクがいるんですね。」
不思議な話があるものです。 -
翌日も、またシュノーケルをつけて海に潜りました。 -
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-
ひとけのない、となりのビーチに足を運んでみました。 -
やどの若主人は、こんな話もしてくれました。
「あちらのビーチでのことですが、あるとき、イルカが傷ついて浜に上がっていたんです。浅瀬の静かな入り江に戻して、えさをやって世話してやると、やがて元気になって海に戻ってゆきました。そのイルカ、今でもボクが漁に出ると、顔を見せにやってくるんですよ。」 -
-
ふしぎなはなしだなあ。 -
彼はときどき、夜に漁をするそうです。
軍手をして、根で休んでいる大きなコブシメを抱えるようにして捕まえると、コブシメは驚いて逃げようとするので、彼は夜の海の中でネズミ花火のように回転するのだそうです。 -
夜の暗い海で、ライトをつけた彼が、ぐるぐる廻っているところを想像してみました。
宿の周囲は、熱帯の植物が生い茂り、昼なお暗い。
大きなヤドカリや、極彩色の蝶が、うごめいておりました。
夕方になって、驟雨が素朴な宿を包みます。
あすは、那覇に戻ろうと思います。 -
おととい出港した那覇港。
その目の前にある大型ホテルに部屋を取りました。 -
レストランのハッピーアワーで、キンキンに冷えたオリオンビールの生を飲んでから、毎晩行われているショーを見に行きました。
「なんちゃましまし‥‥。」
「なにそれ?」
「えっ、知らないの?沖縄のおどりっつったらこれでしょう。」
「へんなおじさんって、やつ?」
「ちがうちがう。」
そうこうしているうちに、なんちゃましまし、が始まりました。
三線の刻むリズムが、ごく自然に体の中に入り込んできます。
それをしばらく聞いているうち、いても立ってもいられないほど踊りたくなってきました。
なんだ?どうしたんだ?
しかし、幸か不幸か、そのステージには観客の参加というのはありませんでした。 -
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この年、両親は金婚式を迎えました。
「ねえ、なんかしてくんないの?」
母が言うんです。
3年前にスペインに連れて行ったときに、飛行機で体調を崩して以来どこにも誘っていなかったんです。
東京から来る両親と合流するために、レンタカーで那覇空港に迎えに行くと、好奇心の強い母がきょろきょろしながら出てきました。
やや遅れて、父。
予約しておいたのは、北谷にある、かりゆしビーチリゾート。 -
島の素朴な宿とは打って変わって、リゾートです。 -
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目の前のビーチのグラスボート。 -
海面からも、けっこうな数の熱帯魚を見ることができます。
船底のグラス越しには、海底の珊瑚やクマノミもよく見えます。 -
意外に両親が喜んでいます。 -
レンタカーで本部半島へドライブに行きました。
途中のクルマエビの養殖所。 -
自分で釣って、その場で食べさせてくれます。 -
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そして、美ら海水族館にも。
シルエットで映っている両親……
けっきょく、仲がいいのか悪いのか、子供たちには最後まで分かりませんでしたが、この、水族館で撮った写真には、仲むつまじげに並んで写っているものが多かったですな。 -
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なきじん城で、琉球王朝の歴史を考えます。 -
大きな遺跡で、入場料400円、入り口でシークワーサーのジュースを販売しておりました。
試飲させてもらうと、独特の酸味と濃い甘みが、味覚をしっかりと刺激します。
ただ、1リットル瓶はなかなか高価です。 -
西暦1416年に滅ぼされた北山国(ほくざん)の城(ぐすく)。
この後、三つに分かれていた琉球は統一されたのだそうです。 -
その琉球王国は、17世紀初め、薩摩藩による侵攻を受けて、次第に日本に組み入れられてゆきます。
中国の人たちは、最近色々なことを行っていますが、琉球の人たちは、どこから来たのでしょう。
その言葉は、奈良時代の日本語から分かれていったと考えられているようです。聞いていて、ちっとも分からないという点では、津軽弁や茨城弁と変わりありませんが、なんとなく、韓国語よりは、ずっと近いように感じます。
焼き物がヤチムン、沖縄がウチナー……、うんうん。
おしゃべりがユンタク?
近いような、遠いような。
DNAというデジタルな記録媒体が、次第に解き明かしてゆく人間の流れは、日本人の成り立ちについて、何を教えているのでしょう。
たとえば、ここ沖縄の人と、遠く離れた北海道のアイヌ人との血のつながりは、濃いようです。
朝鮮半島から流入した血は、ここまでは届いていないでしょうか。
人のゲノムは30億文字もあり、1000ページの電話帳200冊分にもなるそうです。一個の細胞の遺伝子(DNA)をほどけば2メートルに達し、人のすべての細胞の遺伝子をほどいてつなげば、光が185時間かかるほどの距離になるという。
遺伝子の研究によって、きっと、今後いろいろ明らかになることもあるのでしょう。 -
ホテルに戻ると、穏やかな夕日が、亜熱帯の森に抱かれたホテルを、やわらかく照らしていました。 -
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那覇のホテルと同じ系列のここでもやはり、踊りのショーがありました。
そして、なんと観客の参加も。
思い起こしてみると、私は物心ついたころから、「よく踊る子供」だったと思います。
幼稚園の時には、母の労作の“カッパ”のコスチュ−ムに身を包み、ペテロ組のみんなと共にラインダンスを踊り、高評価を得たのでした。
それがいつしか踊ることをやめ、思春期の頃など、人前で踊るなんて考えただけで身震いがしまいました。
そんな“踊りのむし”が、まさか50を前にして覚醒するとは。
‥‥踊ってしまいました。
心の底から楽しく踊ってしまいました。
踊りって、いったいナンなんでしょうか。
つらつら考えるに、踊るのは、かならずしも人間だけではありません。
動物の中にも、鳥の中にも‥‥、蜂だって踊ります。
しかし、むちゅうで踊れば、そんなことはどうでも良くなってきました。
むしんに踊っていると、いつの間にか、看板踊り手の美しい女性が近くに来ていて、ひとこと耳元でささやいたのでした。
「おじょうずですね。」
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