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 備中松山城は小松山の山頂(430m)を中心に築かれた近世城郭を指し、天守の現存する山城としては随一の高さを誇っている。城内は、天守、二重櫓、土塀の一部が現存し、昭和16年に国宝(昭和25年、文化財保護法により重要文化財)の指定を受けている。平成9年に、本丸南御門、東御門、腕木御門、五の平櫓、六の平櫓、土塀が史実にもとずいて復元された。さらに天守も平成15年保存修理が行われた。<br /> 歴史的には古く、鎌倉時代の延応2年(1240年)地頭に任ぜられた秋庭三郎重信により砦が築かれたのに始まる。その後、三村氏、毛利氏、小堀政次と変遷し、以後、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と城主が変わり明治維新を迎えた。<br /> 高梁の町は高梁川に沿って南北に長く、川霧のたちこめる山峡の美しい町である。古い由緒ある寺社も多く、武家屋敷通り、石火屋町ふるさと村、美観地区等見どころが多い。

名城巡り(備中松山城、高梁市内)

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2008/10/18 - 2008/10/18

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ひま人

ひま人さん

 備中松山城は小松山の山頂(430m)を中心に築かれた近世城郭を指し、天守の現存する山城としては随一の高さを誇っている。城内は、天守、二重櫓、土塀の一部が現存し、昭和16年に国宝(昭和25年、文化財保護法により重要文化財)の指定を受けている。平成9年に、本丸南御門、東御門、腕木御門、五の平櫓、六の平櫓、土塀が史実にもとずいて復元された。さらに天守も平成15年保存修理が行われた。
 歴史的には古く、鎌倉時代の延応2年(1240年)地頭に任ぜられた秋庭三郎重信により砦が築かれたのに始まる。その後、三村氏、毛利氏、小堀政次と変遷し、以後、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏、板倉氏と城主が変わり明治維新を迎えた。
 高梁の町は高梁川に沿って南北に長く、川霧のたちこめる山峡の美しい町である。古い由緒ある寺社も多く、武家屋敷通り、石火屋町ふるさと村、美観地区等見どころが多い。

同行者
友人
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
観光バス 私鉄
  •  備中松山城、天守閣。

    備中松山城、天守閣。

  •  備中松山城、東御門。天守の東脇にあり、本丸の勝手口にあたる。

     備中松山城、東御門。天守の東脇にあり、本丸の勝手口にあたる。

  •  薬師院。この辺りは、「男はつらいよ」のロケ地になった。

    薬師院。この辺りは、「男はつらいよ」のロケ地になった。

  •  松連寺本堂、真言宗。本堂の天井と扉(船戸)は秀吉の朝鮮出兵のとき、総督として出陣した宇喜田秀家の御座船に使用されたもの。秀家はこの寺の住職宥海(ゆうかい)法印を軍船に招いて十一面観音の秘法を治めさせて戦勝を祈願させた。その縁で帰還後、御座船の天井と船戸を寄進した。

     松連寺本堂、真言宗。本堂の天井と扉(船戸)は秀吉の朝鮮出兵のとき、総督として出陣した宇喜田秀家の御座船に使用されたもの。秀家はこの寺の住職宥海(ゆうかい)法印を軍船に招いて十一面観音の秘法を治めさせて戦勝を祈願させた。その縁で帰還後、御座船の天井と船戸を寄進した。

  •  松連寺石垣、二段構えの堂々たる石垣は防備のための寺院といった感がある。

    松連寺石垣、二段構えの堂々たる石垣は防備のための寺院といった感がある。

  •  高梁・武家屋敷通り。

     高梁・武家屋敷通り。

  •  武家屋敷・折井家。この建物は170年前天保年間に建てられたもので、200石前後の武士が住んでいたものです。母屋と長屋門からなり、母屋は書院作り、中庭は昔のままであり、庭に面して資料館がある。

    武家屋敷・折井家。この建物は170年前天保年間に建てられたもので、200石前後の武士が住んでいたものです。母屋と長屋門からなり、母屋は書院作り、中庭は昔のままであり、庭に面して資料館がある。

  •  武家屋敷・はい原家住宅。江戸時代中期から後期にかけて、120石〜150石取りで、近習役や番頭頭などを勤めた武士の住宅。平屋建て、桟瓦葺、入母屋作り。

     武家屋敷・はい原家住宅。江戸時代中期から後期にかけて、120石〜150石取りで、近習役や番頭頭などを勤めた武士の住宅。平屋建て、桟瓦葺、入母屋作り。

  •  頼久寺、臨済宗永源寺派。草創は不詳、歴応2年(1339年)足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。当時、中国より帰朝して備中備後を巡錫中の寂室元光禅師を迎請して、開山第一祖とした。

     頼久寺、臨済宗永源寺派。草創は不詳、歴応2年(1339年)足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。当時、中国より帰朝して備中備後を巡錫中の寂室元光禅師を迎請して、開山第一祖とした。

  •  頼久寺庭園、元和5年(1619年)までこの地にいた小堀遠州の作庭。蓬莱式枯山水庭園で愛宕山を借景し、白砂敷きの中央に鶴島、後方に亀島の二つの低い築山状の島を置いて石を組み、書院左手の山畔に沿うてサツキの大刈り込みで青海波を表現した庭園である。

     頼久寺庭園、元和5年(1619年)までこの地にいた小堀遠州の作庭。蓬莱式枯山水庭園で愛宕山を借景し、白砂敷きの中央に鶴島、後方に亀島の二つの低い築山状の島を置いて石を組み、書院左手の山畔に沿うてサツキの大刈り込みで青海波を表現した庭園である。

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