2008/09/14 - 2008/09/14
53位(同エリア118件中)
カンゲンさん
『明・清朝の皇帝墓群』
(世界遺産:1004 2003年)
明の皇帝陵墓は、太祖・洪武帝(朱元璋)の『明孝陵』(南京市)と今回訪れる『明顕陵』以外は、
ほとんどが北京の昌平区天寿山の麓に築かれた『明十三陵』にあります。これには明朝の皇位継承の異変が背景にあります。
洪武帝は王朝の安定を図るため、皇子を北方の各地に分封し、長男の朱標を皇太子に選んだが早世しました。
洪武帝の死後、皇太孫の朱允?(火偏に文)建文帝が第2代皇帝として即位し、各地の皇子の勢力の削減政策を行います。
これに反発した北平(北京)を根拠地とする叔父(洪武帝の四男)である燕王・朱棣(永楽帝)が反乱に成功し北京に遷都しました。
そのために以後の皇帝陵は北京に築かれました。
『明顕陵』は、明の皇帝陵墓群のなかで唯一、正式な皇帝陵でなく元々は第9代皇帝・憲帝の第四子、興献王・朱祐?(木+元)を埋葬した王墓。
第11代皇帝の武宗・朱厚照は政治を宦官に任せて遊興に明け暮れて世継ぎがないまま世を去り、
武宗の従弟で当時14歳の安陸王・厚ソウ(の偏が火)が北京に入り即位し世宗・嘉靖帝となります。
嘉靖帝は、「皇帝の父は皇帝であるべき」とし、反対派官僚の多数を投獄をしてまで父の墓を皇帝陵の規格に合わせて改築し、
父を「興献帝・睿宗」と追尊しました。
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ホテルを8時15分チェックアウト、荊門駅へ
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昨日、荊門到着が遅く列車の切符買えなかったので、売り場に並んだが満席でした。
駅前に停車していたパトカーに、バス乗り場の場所を聞いたら親切にも乗せてくれました。パトカーに乗ったのは初めてで、日本でもありません。
パトカーの警察官に行き先を聞かれ、鐘祥で明の顕陵を観光すること片言の中国語で告げました。 -
鐘祥行きのバス15元、9:40発
バスに案内してくれた警察官、運転手に早口で何か話しております。
自分には良く聞き取れませんが多分、「この人は日本から来て明の顕陵に行くから良く面倒を見てあげて」と、言ったのでしょう。謝謝!! -
漢江を渡ると鐘祥です。
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鐘祥に10時50分着、鐘祥賓館にバックを預けバスで1元『明顕陵』へ、11時20分着。
售票処では、中国人の観光客は線香持参です。 -
入場料 50元
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入口から陵までは相当な距離、3元で輪タクに乗りました。
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明顕陵の新紅門、手前の池は、「外明塘」と呼ばれ明楼前の「内明塘」まで、人工の水路「九曲河」で結ばれています。
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旧紅門
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碑楼を望む
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碑楼
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曼珠沙華の花が咲いていました。
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碑亭と修復された石碑
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碑楼から神道を望む
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神道の武臣・文臣像と馬の像などの石像生、奥はレイ(木偏に霊の異字体)星門。
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レイ星門
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九曲河に架かる橋から、龍形神道を
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内明塘越しに見る明楼
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明楼と手前は隆思殿の跡
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隆思殿の跡
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明楼
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明楼と後方は円形の双塋城
明顕陵は、嘉靖帝の父である興献帝と、生母・章聖皇太后の合葬墓。 -
双塋城
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興献帝・睿宗の碑
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明楼の上から神道方向を見る。
世界遺産『明顕陵』の見学はおよそ1時間で無事終了、今日は休日の日曜日にも関わらず観光客は少なくゆっくり見て廻れました。
中国人以外は、多分自分1人だけだったようで、完全に穴場という感じです。 -
帰りはこれに乗りました、8元。
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鐘祥市内に戻るバスで、右手に大きな莫愁湖が。
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鐘祥市内に12時45分到着。
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ホテルでバックを受け取り、少し遅い昼食。
金龍泉ビールと水餃子&野菜で43元、中国料理は1人には量が多すぎる、日本のようにセットメニューがあると良いのですが。 -
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賓館坐5路汽車駅
武漢への列車の切符が取れなかったのでバスにしました。 -
漢口・武昌行きのバス
14時25分発車、途中でトイレ休憩を挟んで18時45分に漢口停車場着。 -
60元(保険料1元込み)
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