2008/08 - 2008/08
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Giraudさん
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ドイツ・ロマネスク様式の教会建築の至宝、三つの“カイザードーム”を巡る旅。
歴代の神聖ローマ皇帝の墓所とされたシュパイヤーの大聖堂は、帝国領内の司教座聖堂の中でも、まさに“カイザードーム(皇帝の大聖堂)”の名に最もふさわしいと言われます。
それまでは木造の平天井が多かったキリスト教の教会に、石造の交差ヴォールト(ドーム天井)が架けられるなど、建築史上も画期的な教会堂。一説には、皇帝ハインリヒ4世がローマ教皇との権力闘争で受けた“カノッサの屈辱”の汚名を晴らすために、増改築に力を注いで立派な大聖堂にしたとか。
その後の戦災による被害を乗り越え、早くも1981年にはユネスコの世界遺産に登録されました。
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シュパイヤーのアルトペルテル(古門)。
旧市街の西の城門跡。 -
町の目抜き通り、マクシミリアン通り。
アルトベルテルからこの通りをまっすぐ進むと、突き当たりにシュパイヤー大聖堂があります。
東西両端に内陣のある他のカイザードームとは違い、シュパイヤー大聖堂の内陣は東側のみで、西側は立派な玄関廊になっています。 -
シュパイヤー大聖堂の内部。
外が曇りだったので、まず中から見学。
大型建造物ですが、内装はシンプルなロマネスク様式。
紅白の石の濃淡が印象的です。
石造の交差ヴォールト(ドーム天井)は1106年完成。 -
シュパイヤー大聖堂、西の入口上部。
壁体の厚みを意識させないように、アーチに段差をつけているそうです。 -
シュパイヤー大聖堂の壁面。
フレスコ画は19世紀に描き加えられたもので、ノイシュヴァンシュタイン城で有名なバイエルンの狂王ルートヴィヒ2世の寄贈。 -
シュパイヤー大聖堂の内陣。
高い天井から帝冠が吊り下げられています。 -
堂内に飾られていた聖人の遺骨。
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シュパイヤー大聖堂のクリプト(地下墓所)。
円柱と紅白のアーチで天井を支えています。
コルドバのメスキータを想わせる空間。 -
シュパイヤー大聖堂のクリプト(地下墓所)。
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シュパイヤー大聖堂のクリプト(地下墓所)。
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シュパイヤー大聖堂、クリプト(地下墓所)。
階段を上がって祭壇の真下へ。 -
シュパイヤー大聖堂のクリプト(地下墓所)。
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シュパイヤー大聖堂、歴代皇帝の棺の安置所。
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シュパイヤー大聖堂、歴代皇帝の棺の安置所。
菊が供えられているのがハインリヒ4世の棺。 -
シュパイヤー大聖堂の外観。
晴れたり曇ったりの合間に撮影しました。
小さなアーチを巡らせた装飾(小人ギャラリー)が特徴。 -
シュパイヤー大聖堂、ライン川に面する東側の塔。
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大聖堂に隣接するプファルツ歴史博物館。
見所が多く、歴史好きにはおすすめです。
ちょうど「SAMURAI」展をやっていて、ドイツ人が日本の鎧兜や刀に真剣な表情で見入っていました。ムービーで紹介されていた信長や秀吉が、日本でよく使われるのとは違うワイルドな肖像画だったのが印象的。
ドイツ語ではSAMURAIを「ザムライ」と発音していました。
※特別展は撮影禁止だったので残念ながら写真はなし。 -
プファルツ歴史博物館、大聖堂の宝物の展示。
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プファルツ歴史博物館、神聖ローマ皇帝の冠。
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シュパイヤー大聖堂の模型。
北東側から見たところ。
17世紀当時を再現。 -
シュパイヤー大聖堂の模型。
南西側から見たところ。
現在は広場になっている南側には回廊がありました。
このあと大聖堂には苦難の歴史が・・・ -
シュパイヤー大聖堂、戦災と修復の図(1)
17世紀後半のプファルツ継承戦争で、炎に包まれるシュパイヤーの街と大聖堂。
フランス軍によって地下墓所も荒らされ、兵士たちは皇帝の頭蓋骨を蹴ってサッカーをしたそうです。 -
シュパイヤー大聖堂、戦災と修復の図(2)
戦火の影響で身廊の一部が崩れ落ちました。
(北西側から見たところ) -
シュパイヤー大聖堂、戦災と修復の図(3)
さらに倒壊の危険があり、東側内陣を残して解体。
(南東側から見たところ)
建造当初から残っているのは東側内陣だけになってしまいました。 -
シュパイヤー大聖堂、戦災と修復の図(4)
プファルツ継承戦争から80年後にようやく再建。
しかし西正面は派手なバロック様式に・・・
これはさすがに当時から不評だったそうです。 -
シュパイヤー大聖堂、戦災と修復の図(5)
中世再評価の19世紀、西正面も元の姿に復旧されることになりました。 -
シュパイヤー大聖堂、戦災と修復の図(6)
そして現在の姿に。
皇帝たちの遺骸も、調査の上、地下墓所に戻されました。 -
ハイデルベルク城の崩壊した火薬庫の画。
プファルツ継承戦争の被災建物つながりか? -
ローマ時代のシュパイヤーの図。
街ではなく、ライン河畔の軍団基地でした。 -
ローマ人の居室の再現。
食事はソファに寝そべってとるのが当時のマナー。 -
ローマ人の台所。
トマトや唐辛子は新大陸原産なのでまだない。 -
ローマ時代の古地図、タブーラ・ペウティンゲリアーナ。
地形はかなりデフォルメされています。 -
タブーラ・ペウティンゲリアーナ。
世界の首都ローマとその外港オスティア。 -
タブーラ・ペウティンゲリアーナ。
ヨーロッパと北アフリカの西端。 -
タブーラ・ペウティンゲリアーナ、ライン川とモーゼル川。
左端のモーゼル河畔に「トレヴェロールム(トリーア)」
右端のライン河畔に「モゴンティアクム(マインツ)」
河の交流点には「コンフルエンテス(コブレンツ)」 -
タブーラ・ペウティンゲリアーナの南仏。
左端の地中海岸に「ナルボンヌ」
右端のローヌ河畔に「アレラーテ(アルル)」 -
シュパイヤーのシナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)跡。
十字軍時代のユダヤ人迫害の後、ユダヤ教徒に理解のあるキリスト教の大司教によって、大聖堂と同じ時期(=同じ職人、同じ材料)で建立されたといいます。
左が男性用礼拝所、右が女性用礼拝所でした。 -
シュパイヤーの“ミクワー(ミクヴァ)”。
ミクワーとはユダヤ教の儀式に用いる冷浴槽で、清浄な水を使用するため地下深くに掘って造られました。
シナゴーグや大聖堂と同時期の建造。
中世のものが残っているのは珍しいそうです。 -
シュパイヤーの“ミクワー”。
地上からの階段を下りたところ。 -
シュパイヤーの“ミクワー”。
さらに螺旋階段を下ります。 -
シュパイヤーの“ミクワー”。
やっと水槽が見えました。 -
シュパイヤーの“ミクワー”。
手すりの上からカメラを伸ばして撮影。 -
西日を浴びるシュパイヤー大聖堂。
名残を惜しんで何度も振り返りつつ、マクシミリアン通りを戻りました。 -
名も知らぬドイツの田舎駅のホームからの写真。
帰路、間違って反対方向の列車に乗ってしまいました。
シュパイヤー〜マインツ間は直通列車が少ないので、乗り継ぎでマインツに戻るまでかなり時間を費やしました。
まあこれも旅のいい思い出。
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