2008/08/24 - 2008/08/24
114位(同エリア143件中)
山菜迷人さん
過去最高の体重から、13kgほど減量に成功し、気が抜けた所為か3kgほど戻ってしまった。
「これはいかん。」
ということで、定期的に歩くことにしたのだ。
そんなことがあって、愛車のラウム君でぶらり勝山を訪ねたのだった。勝山の町を一回りして、城山にも登り、真賀温泉で筋肉の凝りをほぐし、旧三浦邸の椎の木御殿で食事。良い旅程だったんだけど、最後の食事が不味かった。残念。
「まあ、そういう旅もあるさ!」
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
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勝山歴史さんぽ道と書かれた石柱。この右手奥に化生寺、玉雲宮の参拝者用の駐車場があり、そこに、愛車ラウム君を停めて、今日のお散歩がスタートするのだ。
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玉雲宮参道の赤鳥居
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しょざいなく
白き鸚鵡をやしなへり
僧房は閉ぢて
青葉深き寺
碑文は読めるのだけれど、名前が読めない・・・
ちなみに「鸚鵡」はオウムとよみます。そう、人の口真似をするあの鳥のことですね。 -
玉雲宮拝殿の頭貫に施された彫刻。彫られているのは麒麟だろうか?
否、「白虎」でしょうね。 -
梁に朱雀が彫られている
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白虎、朱雀とくれば、中央にいるのは青龍ですね。ということは、どこかに玄武が隠れているのかな?
残念ながら気がつきませんでした。今度、10月にもイベントで勝山に行くので、その折にでも探してみましょう。 -
柱から突き出た部分のことを木の鼻、「木鼻(きばな)」と言います。拝殿に向かって右の柱の写真ですが、やや口を開いた獅子と、象のような鼻に見えますが獏が彫られ、「獅子鼻」、「獏鼻」と呼ばれています。
柱の上部に切込みがあり、そこに頭貫と呼ばれる梁が渡されます。抜けないようにするためには組み合わせる部分だけ削って先端が写真のように外側に出っ張ります。そこで、その部分に彫刻をするようになったんですね。最初は従って、何もない、四角な柱の端が出ていただけなんです。そこにこんな風に彫刻を施すようになったのは室町時代あたりからで、だんだんと複雑な彫刻になってきます。
木鼻を見れば、建築された年代がわかる。というわけです。神社やお寺を参拝したら、この木鼻に着目してみてください。 -
で、こちらは、向かって左の柱の木鼻。こちらは、口を結んでいます。
ご存知の通り、仏教用語で阿吽と言いますが、自然に口を開いた時の発生が「阿」、閉じた時の発生が「吽」で宇宙の始まりから終わりまでの一まとまりをさしており、神聖な言葉とされています。その阿形、吽形で対をなしているんですね。 -
奉納
小野流
一刀流
定長流 ・・・
ここで奉納試合が行われその結果を書いたものかな?
文久 ○年九月十二日・・・と読める。 -
前の写真の続き。
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法華宗・日蓮宗の寺院においては、法華経信者の日替わりの守護神として三十番神を祀る慣習があり、番神堂はその三十番神を祀ったお堂。
ちなみに今日は24日だから、祇園大明神が番神なのですね。 -
少し離れて、番神堂の全体を写してみました。
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この木組みの美しさ、彫刻も見事。
勝山という町の歴史の中で、こういう彫刻を施した建築物が作られるということ、それは、そのまま、この町の文化を生み出す力として、今に流れているようです。 -
延享2年(1745)に再建された建物で重層入母屋造本瓦葺(現在は銅版葺)。高い基壇の上に建てられた背の高い搭状の建物であるが、上層の軒の出が大きいので安定感がある。
唐様、和洋折衷式の好例で、重層式の寺院建築は県下でも珍しい。
勝山町教育委員会の受け売り(笑) -
妙円寺の鬼瓦
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十六羅漢 その1
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十六羅漢 その2
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十六羅漢 その3
ちなみに、羅漢とは阿羅漢(あらはん)の略で、「修行を完成して尊敬するに値する人」「悟りを得た人」「悟りをひらいた高僧」を指します。そして、そして、その十六人の方々は、次のみなさんです。でも、彫刻の一人ひとりと線で結ぶということができかねます・・・
1 跋羅駄闍尊者 ばらだしゃそんじゃ
2 迦諾迦伐蹉尊者 かにゃかばっさそんじゃ
3 諾迦跋釐駄尊者 だかはりだそんじゃ
4 蘇頻陀尊者 そびんだそんじゃ
5 諾矩羅尊者 なくらそんじゃ
6 跋陀羅尊者 ばだらそんじゃ
7 迦哩尊者 かりそんじゃ
8 弗多羅尊者 ほったらそんじゃ
9 戎博迦尊者 じゅはくかそんじゃ
10 半諾迦尊者 はんだかそんじゃ
11 羅怙羅尊者 らごらそんじゃ
12 那伽犀那尊者 なかさいなそんじゃ
13 因掲陀尊者 いんかだそんじゃ
14 伐那婆斯尊者 ばなばしそんじゃ
15 阿氏多尊者 あしたそんじゃ
16 注荼半託迦尊者 ちゅうだはんたかそんじゃ -
頭貫の彫刻
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妙円寺の木鼻(獏鼻)
玉雲宮拝殿の木鼻と比べるとこちらの彫刻のほうがシンプルでしょう。したがって、妙円寺のほうが古い建物でしょうね。 -
吽形
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安養寺山門
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山門をくぐると、百日紅の花が本堂にかかり、背景の山の緑、そして青空と良いコントラストを見せておりました。
この安養寺、三浦藩2万三千石の藩主三浦家の菩提寺です。 -
安養寺の歴史はこちらをお読み下さい(手抜きや!)
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勝山の街並み保存地区を歩きますと、暖簾がかかっているお宅が多いのに気づきます。別にお店屋さんでなくても、暖簾がかかっている。それは、この「ひのき草木染織工房」の加納さんの指導によるものなのですね。草木染を体験することもできますので、是非お立ち寄りを(別にコマーシャル料をいただいているわけではございませんので・・・念のため)。
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これは、煙突なんですかね?こんな建物にお目にかかれるのがこの街の良い所です。
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街並み保存地区にある大雲寺境内の老松。苔むして枝から草が生えていたりする。
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大雲寺の鐘楼
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『あかりのギャラリー KEN工房』
林業の町でもある勝山。この店では上手く木を組み合わせたり、蔦を使ったりしてすてきなランプシェードに仕上げていたり、面白いですよ。 -
別の角度から
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高瀬舟船場跡
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川沿いに石畳の道。荷を沢山積んだ高瀬舟が川を上る。この道からロープを投げて船に結び、人の力も借りて、船は川上を目指すのです。
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こちら、川上方向。
写真では確認できないかもしれませんが、鮎師が3〜4人友釣りの竿を立てていました。 -
窓がサッシに変わったくらいで、そのほかは昔のまんま!
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蕎麦屋の店員さんの自転車
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蕎麦屋さんで『郷宿』といいます。昔の建物そのまま使っています。中に入ると、畳の部屋に通され、そこでお蕎麦をいただきますが、昔の世界にタイムトラベルをしたような気分になります。廊下の下を水路が流れていたりして、水の街勝山を感じることもできます。
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こんな石畳の道、その向こうの石段を登ると、安養寺に出ます。
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カラフルな暖簾の店先で、地味な備前焼を売ってました。
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こんな水路が街を流れています。
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勝山は水の豊かな街です。だから、酒造りに適しているのですね。僕のお気に入りの御前酒の蔵元のすぐ近くの水路です。
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人力車が走っています。これに乗って走ってもらったら、明治時代に戻ったみたいですよ。
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旧勝山町役場の脇の水路
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水車で水をくみ上げていました。
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土壁に瓦屋根のついた立派な塀なんですが、蔦が絡みつき、草も生えて、なんだか自然に回帰しつつあるようですね。
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円応禅師が産湯に使った井戸
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・・・ということです。
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城山に登る途中の、下草や木の枝打ちをして、それが道の脇に積まれ、腐葉土のようになっている上に群生する白いキノコを発見。
名前・食毒不明。ご存知の方がいたら教えてください。 -
洋酒山牛蒡(ようしゅやまごぼう)
山歩きをしていると良く見かけますね。黒い紫色の実をつけ、それが服につくとなかなか取れません。名前の由来は、牛蒡のような根を持つからだと言われていますが、何で「洋酒」?? -
ヤブミョウガではないかと思われますが・・・自信がありません。
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金水引(きんみずひき)
民間薬として使われ、血小板を増加させ、健胃効果もあり、欲湯剤にも使われます。
春先の若芽、若葉を摘み、茹でて水にさらし、お浸し、和え物、汁の実にしていただきます。 -
ゲンノショウコ
ゲンノショウコはドクダミ、センブリなどと共に、日本の民間薬の代表格です。江戸時代から民間薬として用いられるようになり、『本草網目啓蒙』(1803年)にも取り上げられました。
現代の日本薬局方にも「ゲンノショウコ」としてのっています。但し、伝統的な漢方方剤(漢方薬)では用いません。有効成分はタンニン。
下痢止め、胃薬、お茶にして飲んだりします。副作用もなく優秀な整腸生薬なので、「イシャイラズ(医者要らず)」とか「タチマチグサ(たちまち草)」等とも呼ばれています。
5枚の花弁を持ち、花弁に紫色の筋模様、雄しべの先が紫色ですね。直径2?に満たない小さな花ですが、綺麗な花です。 -
太鼓山の解説
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現在の太鼓山には、NHK勝山放送局の放送設備(アンテナ)が設置されています。
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太鼓山を北から登って、南に下ります。すると、スタート地点の玉雲宮と妙円寺の間に出ます。
で、写真は中腹から妙円寺方向を写したもので、中央の大きな建物が妙円寺です。 -
番神堂の裏に出ましたので、一木彫りで、透かし彫りの木鼻?を撮りました。ずいぶん前に、長野県の鬼無里村でみた北村喜代松の一木彫りを見て以来です。その卓越した技術に脱帽です。
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化生寺(かせいじ)
鳥羽上皇(1103〜56)の寵愛を受けていた化生前は、上皇の病が重くなった時に、陰陽師安倍泰成にその正体を見破られます。唐・天竺で悪行を尽くした九尾の狐で、上皇にとりついていたのでした。
狐は、下野国(栃木県)那須野が原に逃れますが、弓の名手三浦介義明、上総介広常に討ち取られます。しかし、こんどは死骸が大石となり、それから後、二百余年にわたって周囲に災いを成し、殺生岩と呼ばれていました。
その後、曹洞宗の僧侶、玄翁心昭がそれを調伏して打ち砕きますが、割れた石が今度は越後、豊後、美作の三つの高田の地に飛び散るという、えらく迷惑なことになります。
そこで三浦貞宗は、張本人の玄翁を勝山に招き、その石を地中に埋め鎮守とし、一寺を建立します。それが化生寺です。
というような曰く因縁のある寺の寺門に登る石段です。僕の妖怪アンテナがビビビビッときましたね。 -
玉雲宮の土塀の下、僕の愛車のラウム君です。
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暑い中を歩いたので、近くの真賀温泉で凝り固まった筋肉をほぐします。ここの幕湯は250円で入浴できます。立ち湯で、深さ150センチくらいあり、混浴です。
妙齢のご婦人が入ってこないかと期待しましたが、1時間、独り占めでした。 -
椎の木御殿の門
勝山領主となった三浦氏は明治2年、版籍奉還により10代、107年にして終った。城地・建物等全てのものは国有となり、旧領主三浦顕次子爵はこの台地に住居を建て移り住んだ。以来3代の居所として現在に及んだが、平成元年2月旧勝山町へ寄贈された。
この地に樹齢数百年とされる「椎」の大木があり、これによって「椎の木」の地名が付けられている。 -
椎の木御殿の庭
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椎の木御殿2階室内から窓の外の緑が、絵画のように見える。
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かなり急な階段です。
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1階の奥の部屋の隅に大きな長持ちが置かれています。
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1階の床の間から庭を眺める。
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階段の下は収納庫になっている。
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倉を改修して、食事処椎の木御殿として営業している。その椎の木御殿の内部。太い梁、間に下がった灯りがおしゃれだね。
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ここにも暖簾が・・・暖簾の奥はお手洗いです。
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で、これが本日の旅の締めに食べた蕎麦定食。
で、これが全くのはずれ。蕎麦は茹ですぎを通り越して、蕎麦汁に溶け出しつつあるという代物でとても食べれるものではありませんでした。お赤飯と、おかずは普通に美味しかったんですけどね。蕎麦が・・・残念でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 吉備津彦さん 2008/09/17 19:17:00
- 勝山の街並み、素敵ですね。
- 勝山には何度か行った事がありますが本格的に徘徊したことがないので私もダイエットを兼ねて散歩したいと思います。とても参考になりました。
- 山菜迷人さん からの返信 2008/09/18 08:05:07
- RE: 勝山の街並み、素敵ですね。
- > 勝山には何度か行った事がありますが本格的に徘徊したことがないので私もダイエットを兼ねて散歩したいと思います。とても参考になりました。
伝統的なものを大切にしようと努力していることが良くわかる街です。僕の愛する『御前酒』の蔵元がある街でもあり、蔵元にもちょくちょく出かけるんですよ。辻本店の蔵の道路側の窓に「こて絵」が書かれていますが、たいした技術だと思います。こういうものが残っている街だってことに感動しますね。
是非どうぞ。
Hana
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