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2008年7月8日(火曜日)<br /><br />Imperial Hotelの送迎車でフエ空港まで送ってもらう。小さい空港だが、Internationalとかいてあった。めずらしく、ベトナム航空VN240は定刻の8時に出発し、9時10分にハノイ ノイバイ空港に到着。人混みのなかからガイドのホック(HOC)君を発見。26歳の人懐っこい笑顔の好青年です。ハノイ市内までの40分の間に、ハノイやベトナム社会主義、更にベトナム人のアイデンティティのイロハを流暢な日本語で教えてくれる。また、今年二月、団体の通訳として東京を訪れたときのオドロキの体験談も話してくれました。ハノイでのホテルのチェックインまで時間がありますから、それまで、午前中に、出来る所から観光しようということになりました。途次、パナソニックはじめ、たくさんの日本企業の工場群がたっている。中国からシフトしている企業も多い。ホン(紅)河にかかるロンビエン橋を通る頃になって、朝飯を食べていないため空腹がうづきだす。<br /><br />かくて、ハノイ観光の第一歩は、マイアン(Mai Anh)というフォーの専門店で鶏肉入フォーを食べることになりました。2間間口の入り口で大きな胴鍋にスープをぐつぐつ煮ているのです。そこで、3人の女性が丼に調味料や具を添えて客に配膳しています。一階客席は年代物の長いテーブルに長いベンチの屋台スタイル。地元の人ばかりで、満員状態。我々は冷房のある二階へ狭い裏階段から入ります。とても綺麗とは程遠い店ですが、このフォーはあっさり味のスープでくせがなく、おかわりしたくなるほど美味しい。欧米人も来るという話ですが、わたしたち以外外人と思わしき人は一人もいません。丼には麺の上に鶏肉と香味野菜がのっている。、中央の卵を掻きまわしたら、かき回さないで、くずしながら、麺に絡めて食べるものなのだそうです。これがハノイ名物のフォー。フエやホイアンとはスープが一味違う。ウマーィ。(3人分で5ドル)<br /><br />次のスポット、ホーチンミン廟は、赤の広場レーニン廟や、天安門広場の毛沢東廟とまったく同じ。建物の外観まで似ている。10時半までに来ないとなかには、入れない。何故、ここをわたしたちに最初に見せたのか、これがルートとはいえ少々腹がたつ。彼に言わせれば、ここが定番ルートの基点だという。ここから、延々とベトナム「小中国」論議がはじまる。彼に言わせれば、現ベトナムは永い歴史の反中国、その後のフランス統治への抵抗運動で成り立った「愛国運動」が原点だという。ロシアや中国の属国ではないという。儒教は中国のみならず、日本や韓国でも一般理念としてあり、ベトナムでも同じだ。日本が先の大戦でフランスに替わって、北、南のベトナムに進駐し、一部愛国主義者たちが、日本がベトナムの独立を擁護してくれるものと期待したのも己の国を愛するためである。大戦後、インドネシア、マレーシア、ビルマ、インド、その他の国々が植民地支配から開放された。しかしベトナムは依然としてフランス支配が復活した。そのため、第一次、第二次のベトナム戦争で17年間も戦いつづけることになった。同じ境遇のラオスやカンボジアの独立にも積極的に協力した。中国の半島への干渉も、中越戦争で排除した。ベトナムの対日感情が悪くないのはこのためだと彼は言う。しかしながら、わたしの見るところ、ホーおじさんや、ボー グエン ザップ将軍に対する尊崇の念は必ずしも、ドイモイ下の現共産党政権にはつながっていない。一党独裁下の政権は中国と同じように汚職、腐敗、縁故主義の病んだ格差社会になりつつある。日本をはじめ西欧諸国のODAもそれを助長している。勤勉で、教育レベルの高いこの国でも、全体主義と市場主義の混合の矛盾は彼方此方に露呈している。更にフォン河文化圏の「北」と、メコン流域文化圏の「南」とは考え方に違いがある。50を超える多民族半島国家の計画経済運営は格差の歪みを助長している。民主主義にも無駄なコストが憑き物だが、ホーおじさんの革命のアドレナリンが下がれば、修正主義が復活し、フォン河やメコン川には体温の低い爬虫類や毒蛇がいっぱい繁殖してくるのではないのか。経済的にも「中国プラスワン」という方向性には反対論も多い、ただ、高い成長率を誇ってみても、年率20%のインフレでは所得配分の格差が広がり、勤労意欲もうせてしまいます。労働争議も頻発することになるでしょうし、この国の輸出優位は崩れてしまいます。その昔、「河口」と呼ばれた中国の従属的ハノイに逆戻りです。発展に伴う、システム(例えば、通貨安定等)がハードの面でも、ソフトの面でもたいへん遅れているといわざるをえません。ベトナム独自の経済発展モデルの構築が必要です。<br /><br />一柱寺境内にはいる頃、突然の土砂降りの大雨で、土産屋さんの軒に観光客がいっせいに避難する。10分ほどで小降りになったころあいを見計らって、延祐寺の本堂に飛び込む。20体以上の菩薩像が安置されている。りんごとマンゴーが左右にお供えしたあったのが奇妙な感じだった。水溜りを避けながら、孔子を祀る文廟へ行く。7月は受験シーズンの学生たちでいっぱいだ。彼らはここへ合格祈願に来るという。境内の奎文閣は阮朝時代、科挙の試験が行われた建物で、合格者の名前が82の石碑に彫られ、さまざまな顔の亀の上に立てられている。受験生はその亀の頭をなぜると大学入試に合格するのだそうだ。特に女学生がせっせと亀の頭を順番になぜてゆく。本堂の孔子様やその高弟の像より、学生たちの仕草が面白い。白いワイシャツと黒のスカートと服装はシンプルだが美人が多い。目の保養になった。<br /><br />市に中心部にあるホアンキエム湖にゆく。樹木に囲まれた市民憩いの穏やかな湖だ。ここもやはり亀に縁がある。この湖にすむ亀から授かった宝剣で、黎朝の王様が、中国の明軍を破り、中国支配からベトナムを救ったという伝説がある。今でも、そんな霊験あらたかな亀の子孫がこの湖にたくさんいるのだろうか。<br /><br />ハノイ大教会の前を通り過ぎ、Khai Silkの店による。文廟の裏通り(グエンタイホック)になる。ベトナムにチェーン展開するシルクの有名店。一階から三階までが店舗になっている。「高そうだ」と家内は怖気付いて、結局男物のシャツとパンツを購入。並びの骨董店に入るものの、興味を引くものを発見できなかった。文廟の横の通り(バンミュウ)、CoCo Silkをのぞく。ここも高いらしい。隣のEmperor漆器店に入る。少々値切って、大きめの果物皿を一枚購入。ホアンキエム湖の北側の旧市街へ、骨董品を見に行くことにしたが、軒を並べるどの店も似たような商品を並べ、高いばかりで、こちらにベトナムの歴史と鑑識眼が備わっていないのだから、只迷うだけ。もうひとつ、店主の説明がしっかりしていない。購買心をそそらないのだ。<br /><br />チャンチエン プラザやヴィンコム等のスーパーマーケットを見学。客でいっぱいだ。品揃えの豊富なのに驚く。輸入品の値段は日本とあまり変わらないように思う。ワイン、フランディーの類はかなり高級品が揃っており銀座のピンキオーリもビックリすだろう。だが、残念ながらジョニーウォーカーの「黒」を探すも売っていない。結局、通りから奥に入ったインティメックス(日本式スーパー)で「赤」を一本更にマルボロ1カートンをゲット(計30ドル)。日本のユニも進出しているそうだ。<br /><br /><br />重厚な市劇場の前を通り、Sofitel Metropole Hotel Hanoiにチェックインする。本館から新館への通路は目下工事中。Club Roomはホテル内の小ホテルという感じで、新館(7階建て)の5階から7階が当てられ、全部で20室程度のこじんまりした独立したホテルという感じになっている。ロビーもフロントもラウンジも直通エレベーターも本館或いは新館の他の部屋とは分離されている。本館は100年の歴史のあるコロニアルタイプだそうだが、こちらはコンテンポラリーだ。各室バトラー(女性)が付き、ラウンジで紹介される。彼女が滞在中の世話をしてくれることになった。朝食はBuffetだが、メニューでも注文できる。3時のアフタヌーン ティーも、7時のカクテルタイムはアルコール類も無料だ。早朝6時半にフエのImperialホテルを出てから、すでに10時間がたっている。ガイドのホック君に一時間の余裕をもらい、運転手を帰す。冷房の効いた部屋でシャワーを浴びる。アイスを注文、先ほどのバトラーが笑顔で届けてくれた。ここの氷は質がよい。早速、寝椅子で「赤」を一杯。そして、また一杯。蘇生した。<br /><br />レジェンス ビアへ行くことになった。ホテルからタクシーで10分足らずだ(タクシー代往復2ドル)。ホアンキエム湖の北側に位置する交差点の角。古いビルの2階、十字路に面するテラスに陣取った。バイク、自転車、バスの洪水だ。慌ただしい夕暮れの街の動きが一望できる。黒ビールを含め3種類のグラスビール計6杯に、つまみとして茹でたえび、ソーセージ他2品を注文(合計33ドル)。はるか湖の向こうにパノラマのように広がるガラス張りの高層ビル群の眺望は、まるで現実感が無い映画のCGを見るようで、「擬似上海」か北京のようになりつつある。人口350万人といわれる首都だが、趣味の悪い墓場と化す。このままほっておけば、風情のある旧市街や、フランス風の町並みもいずれ高層ビルに囲まれ沈んでしまう。やがて、上海のように町全体が曲々しい建物とケバケバのネオン電飾で、発狂しだすだろう。地図を広げると、ハノイの都市計画はフランス統治時代の名残か、非常に上手くで来ています。これを上手く整合性のある活用することです。ホック君が、わたしたちの食事中に近くの市場まで、味塩と胡椒の粒各一袋(計4ドル)を買いに行ってくれた。外人が行くと値段が高くなるという。めまぐるしい交差点を横切る歩行者や自転車もいる。湖側のバス停から30メートルはある道路をこちら側まで横切ろうとする腰の曲がった老人をみかけた。無論、横断歩道は無い。よろよろした歩調で、車の洪水を通り抜けようとしている。そして、老人は体当たりしてくるであろうたくさんの無秩序な車列に一顧だにしないのである。無事、年寄りがこちら側へたどりつた時には、我々はホット一息きついて、ビールをゴクリと飲んだ。バスから降りる人、乗る人をぼんやり眺めているのもいいものだ。なかには、ハッとするほどスタイルのいいベトナム美人もいる。ここ、レジェンス ビアのテラス席はビールや料理以上の感興を提供している。ただし、排気ガスと埃には頓着しないこと。<br /><br />2008年7月9日(水曜日)<br /><br />朝食はBuffetスタイル。パンが美味しい。メニューでも好みのものを注文できるのはありがたい。<br /><br />08:30 迎えに来たホック君ともどもバンに乗り込む。ハロン湾まで3時間かけてのデスマッチの旅。往路一時間半ほど走ったところで、ベトナム戦争時、米軍が大量投下した枯葉剤(Agent Orange)による奇形身障者達が営むChan Thien MYという大規模な展示即売所へ立ち寄る(Bac Ninh省、Que Vo県)。多くの団体観光客で賑わっているのを見ると、ハロン湾やハイフォン港への途次、主要な土産物店であるのがわかる。入り口近くには、30人ほどの男女の身障者が刺繍をしている作業場。中央部は刺繍作品のみならず、漆器類、シルク縫製品等の展示即売と喫茶室となっている。更にその奥は、やはり50人ほどの身障者たちのミシン工場がある。広い裏庭では大理石の砕石、彫刻加工、研磨による置物製造工場もある。清潔なトイレもあり一種のサービスエーリアとなっているのだが。どのような組織がこれを運営しているのか訊くのを忘れた。店内は随所に撮影禁止の貼り紙がある。ここの奇形児達を見るのは、B52戦勝博物館、ベトナム軍事博物館等を見るより、戦争の恐ろしさをもろに教えてくれる。枯葉剤は南ベトナムのジャングルや水田にのみ散布されたと思っていたが、北部にも被害が出ているのだろうか。今も15万人いるといわれる奇形児達。ダイオキシンはサリンの2倍、青酸カリの1000倍、農薬の100万倍の毒薬と聞いていたが、化学兵器は戦火が収まった後も幾世代にもわたって、軟組織腫、非ホジキンリンパ腫、ホジキン病というガンの発生や、遺伝子にまで害を及ぼす。ここでわたしたちの観光気分はいっぺんに吹っ飛んでしまった。家内の比較価格論によると、すべての商品が、ハノイの一流店よりかなり安く、品質もよいという。支配人と値交渉にかなりの時間をかけ、記念として刺繍画と漆器を購入(計1016ドル)。<br /><br />国道3号をそれて、さらに走ること三十分、日本のODAによる火力発電所の、のっぽの3本の煙突ががもうもうと白煙を吐き出している。この先に、石炭の主産地Pha Lai町(Hai Duong省)があるというから工場立地はいいのだろう。成る程、Pha Laiの道路は石炭の粉塵で黒ずんでいる。はやがて、ハロンとハイフォンへの分岐点にかかる。小さなバイクに大きな荷物を積んで走っている。バイクの荷台にケージ状の金網に柴犬サイズの犬を10匹ほど詰め込んで走っているのを見かけた。可哀相に思いたずねると、食材だという。美味いそうだ。小豚を同様運んでいるバイクを何台も見た。牛の群れが、ゆったりと道を横断。しばし、ストップ。<br /><br />更に、更に三十分、やがて田畑の彼方に峻立する山々が見えてきた。峨峨たる奇岩の山並みだ。海岸線に沿って、そちこちに観光開発を競うよな区画が現れる。12時半。ついに湾にいたる。バイチャイの遊覧船船着場に来ると観光客で桟橋が溢れるばかりだ。友好国極東ロシアからの観光客も多いと聞く。彼らはノイバイ空港からバイチャイへ直行して、一週間程度滞在するそうだ。遊覧船に乗る。10人は乗れそうな船だ。キャビンもチーク材を使った風格(?)のある船室だ。中央に長いテーブル二つ、舷側に沿って、両側にソファーがある。操舵室は船室の後尾にあり、船長のほかに、男性の船員、女性の給仕が乗船している。ゆったりしたスピードで沖に向かう。一向に感興が湧いてこない。何故なら、湾内にタンカーが数隻出入りしていること、形のいい山陰から高層ビルが重なって見えること。日本の経済協力で完成したバイチャイ橋も見える。だから、なるべく沖に出たら、街の方角を振り返って眺めないことだ。<br /><br />さあ、龍の親子が舞い降りた緑の海に出よう。そそり立つ岩の間を貫けるように船の走ること40分、途中、生け簀で魚を売っている筏に停泊。大きなシャコ2匹と蟹を購入(15ドル)。バーべキュウにしてもらうことになった。昼食の準備が始まった。ワイン、ビール、コーラ等飲み物を注文(30ドル)。たくさんの料理と一緒に先ほど仕入れたシャコも出た。「島々の数を尽くして、欹ものは天を指、ふすものは波に匍匐。」(奥の細道―松島)という松島よりはスケールが大きいようだ。ここは波静か、かもめもない。「松島や、ああ松島や、松島や」と同様、一級の景観であることは間違いない。この日は曇りで遠くの島々が刷毛ではいたようにかすみ、近くの島は風もなく凪で鏡のような水面に映える。キャビンから舳先へ出ても水をきる音だけ。3時にごったがえす船着場へ戻る。慌ただしい騒音と人の熱気が待ち構えている。<br /><br />帰途、日本のODAで建設されたハイウェイを走るのだが、ハノイ近郊の日本企業が多く進出している大工場群を抜ける。丁度キャノンや東洋インキの終業時であったため、たくさんのほぼ同年齢の、制服姿の若い女子工員が、工場から噴出するように出てくるのにぶつかった。壮観である。キャノンのこのインクジェットプリンター工場だけでも5千人の女工さんがいるという。皆、フォン河の支流にかかる橋をわたって、町へ戻ってゆく。キャノンは広州から、主力をこちらへ移動しているときいたが、何せ、日経新聞を除き、ハノイに特派員を置いている有力紙はないのだから、この中国プラスワンの経済情報はいささか少ないようにおもう。<br /><br />やがて、日本のODAで建設した高速道路の崩落現場近くで道を折れ、一般道に入るが、大渋滞。アチコチで道路工事が目に付く(女性の建設作業員も多い)。そして、日本の援助を記念する、日越の国旗を掲げたモニュウメントも高速道路のインターチェンジなどで目に付くが、はずかしいからやめてほしい。インフラが整備されなければ、当然、海外からの投資を呼び込むはできないだろう。バンガロール(ムンバイ)や中閑村(北京)のようなシリコンバレー型のハイテク都市建設も必要となる。この国が、中国プラスワンにとどまるか、BRICsを超えるかは、経済政策、研究機関、地元企業家の努力が求められる。北から南までのハイウエイ (330億ドル)、パクセ(ラヲス)からダナン港へ抜けるハイウエイの建設。ハノイからホーチミンまでの新幹線計画。フリーゾーン、特区、金融センターを設けること。これらをスピードを持って遂行する以外ない。でなければ、旧態依然として、タイに次ぐ米の輸出国や世界遺産におんぶする観光国に甘んじなければならない。この国のインドネシア半島全体における好立地、豊かな自然資源、天然の良港、勤勉な国民性、高い教育レベル。政治さえ透明度の高い、効率的運営ができれば、アジアの諸国を凌駕し、世界の最優等国になれるチャンスはいくらでもある。農工業のセクター間の人工配分など、問題も多いだろうが、この国独自の成長モデルを作り、国民の支持をうる事だ。投入できる資源(人、物、金)には限りがある、しかし、EM細胞のように、増殖しうる分野への集中的なかつ執拗な投資が必要だ。開放政策を採れば魑魅魍魎も海外からいっぱいやってくる。だが、ブループリントに市民の支持を得られれば、プライオリティーは自然に決っていく。中国のように上からの指導でなく、市民のモチベーションを高める説得と対話が絶対不可欠。規制ではなく、公正な競争原理で。現在の状況はいずれもパッチワークでNothingにちかい。逆説的だが、、ブループリントも既成観念なしに理想的なものができうる。腰の引けた党指導のドイモイでは駄目だ。この国は無限のポテンシャルをもつ魅惑の国となる。<br /><br />バチャン村を目指して、あの角を曲がり、この町を抜け、あそこでUターンし、ここで踏み切りをよぎり、というわけで、ハノイ農業大学脇の細く、曲がりくねったデコボコ道を運転手は猛烈なスピードで、学生の乗る自転車の行列をかざしながら突っ走る。街路灯がない真っ暗闇の中、レーサー並みの運転技術。恐怖の一時間。7時過ぎに、家内、ご希望のバチャンに到着したが、狭い通りのどの店もすでに門を閉ざし、電気を消してしまっている。人っ子一人いない。通りで一番大きいと思われるミンハイ・セラミックのまえにバンを停めた。ホック君が携帯で店を開けるように頼んでいるらしい。待つこと20分。男、女の店員がシャッターを開け、店内の電気をつけてくれた。ここは3階までが展示室で、その上が工房だそうだ。手の届きそうもないほど高い棚までぎっしりと陶磁器が並べてあり、今にも商品が頭の上にドサーッと落ちてきそうだ。地震はないの?とにかく、わたしは、サーカスドライブで疲れはて、ふらふらと奥のソファーに座り込む。男性がお茶を出してくれた。およそ陳列棚を見る気はない。ホック君の説明によれば、この店は欧米や日本に輸出しており、バチャン磁器の赤いトンボの柄は幸せを呼ぶのだそうだ。家内は熱心に店内を見て廻る。結局、日本まで持って帰ることを考え、小物、4点に絞った(6ドル)。土産品は日本でも直接注文できるそうだから、値段は別にしても、何もここで買わなければならないわけではない。帰りは、川の堤防に沿って、デコボコの暗い道をハノイへ急ぐ。バイクの洪水に巻き込まれながら、ホテルにたどり着いた時には9時だった。バンの運転手を労い、5ドルのチップ。一日ご苦労さん。<br /><br />エレベーターを降りると、笑顔で女性バトラーが迎えてくれる。すかさず、氷を注文。バスローブに着替える頃には、氷がデリバーされ、投宿後一度も使わなかった窓際の四足の浴槽に入る。脇のベースには赤いバラの花びらがたくさん浮かべてあった。これを浴槽に入れろという意味かな?そばに置かれた壺の中に青い結晶体の粒を見て、浴槽に入れたら塩であることがわかる。浴中、オンザロックを一杯。家内はシャワーを浴びて、ビールをあおる。ああ、疲労困憊の一日だった。バトラーが日経新聞の朝刊を持ってきたので、夕食を注文。部屋で済ます。彼女いわく。「強行スケジュールでホテルを充分楽しんでいただけませんでしたネ。」その通り。残念。<br /><br />明日は、遅い午前便で成田に向け出発の予定。<br /><br />2008年7月10日(木曜日)<br /><br />朝食を7時、ラウンジでとる。09:00、ホテルのチェックアウトは例のバトラー嬢が来て部屋ですます。日本人スタッフの背尾さんという女性も挨拶に来た。初めて、このホテルに日本人スタッフのいるのを知った。何せ、本館へ行ったことは一度もなかった。だから、このホテルがどんなホテルなのかもぜんぜん判らないままである。「ご旅行はいかがでしたか?、ホテルはいかがでしたか?」と質問されても、答えるのすべがない。ハノイへ着てから、この3日間、暑さを避けて、ほとんど歩いていない。ガイドのホック君以外の人と口も利いていない。空港のイミグレを通って出口まで、ショッピングで廻る店内、ホーチミン廟から一柱寺まで、文廟の回廊、ホアンキエム湖畔でチョと一服、ハロンの埠頭を数十メートル、、ホテルの廊下を部屋まで、レストランの階段等全部あわせても歩行距離は3日間で一キロにもならないだろう。野生動物やキリマンジャロを眺めるケニア マサイマラのサファリ旅行と同じで、Hemingwayのように野営し鉄砲を持って獲物をしとめようと追っかけるわけでもない。ただセダンやバンの車窓からものめずらしそうにハノイ風景を眺めていただけだ。熱気、喧騒、猥雑、混沌がベトナムの魅力。ハノイ旧市街は大好きだ。やはり歩かなければ駄目だと痛感。但し、バイク天国ですからわたしたちのような老人はおちおち歩けないが。<br />

ベトナムは燃えている 08年7月 その2 ハノイ

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2008/07/04 - 2008/07/10

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pumpkin915

pumpkin915さん

2008年7月8日(火曜日)

Imperial Hotelの送迎車でフエ空港まで送ってもらう。小さい空港だが、Internationalとかいてあった。めずらしく、ベトナム航空VN240は定刻の8時に出発し、9時10分にハノイ ノイバイ空港に到着。人混みのなかからガイドのホック(HOC)君を発見。26歳の人懐っこい笑顔の好青年です。ハノイ市内までの40分の間に、ハノイやベトナム社会主義、更にベトナム人のアイデンティティのイロハを流暢な日本語で教えてくれる。また、今年二月、団体の通訳として東京を訪れたときのオドロキの体験談も話してくれました。ハノイでのホテルのチェックインまで時間がありますから、それまで、午前中に、出来る所から観光しようということになりました。途次、パナソニックはじめ、たくさんの日本企業の工場群がたっている。中国からシフトしている企業も多い。ホン(紅)河にかかるロンビエン橋を通る頃になって、朝飯を食べていないため空腹がうづきだす。

かくて、ハノイ観光の第一歩は、マイアン(Mai Anh)というフォーの専門店で鶏肉入フォーを食べることになりました。2間間口の入り口で大きな胴鍋にスープをぐつぐつ煮ているのです。そこで、3人の女性が丼に調味料や具を添えて客に配膳しています。一階客席は年代物の長いテーブルに長いベンチの屋台スタイル。地元の人ばかりで、満員状態。我々は冷房のある二階へ狭い裏階段から入ります。とても綺麗とは程遠い店ですが、このフォーはあっさり味のスープでくせがなく、おかわりしたくなるほど美味しい。欧米人も来るという話ですが、わたしたち以外外人と思わしき人は一人もいません。丼には麺の上に鶏肉と香味野菜がのっている。、中央の卵を掻きまわしたら、かき回さないで、くずしながら、麺に絡めて食べるものなのだそうです。これがハノイ名物のフォー。フエやホイアンとはスープが一味違う。ウマーィ。(3人分で5ドル)

次のスポット、ホーチンミン廟は、赤の広場レーニン廟や、天安門広場の毛沢東廟とまったく同じ。建物の外観まで似ている。10時半までに来ないとなかには、入れない。何故、ここをわたしたちに最初に見せたのか、これがルートとはいえ少々腹がたつ。彼に言わせれば、ここが定番ルートの基点だという。ここから、延々とベトナム「小中国」論議がはじまる。彼に言わせれば、現ベトナムは永い歴史の反中国、その後のフランス統治への抵抗運動で成り立った「愛国運動」が原点だという。ロシアや中国の属国ではないという。儒教は中国のみならず、日本や韓国でも一般理念としてあり、ベトナムでも同じだ。日本が先の大戦でフランスに替わって、北、南のベトナムに進駐し、一部愛国主義者たちが、日本がベトナムの独立を擁護してくれるものと期待したのも己の国を愛するためである。大戦後、インドネシア、マレーシア、ビルマ、インド、その他の国々が植民地支配から開放された。しかしベトナムは依然としてフランス支配が復活した。そのため、第一次、第二次のベトナム戦争で17年間も戦いつづけることになった。同じ境遇のラオスやカンボジアの独立にも積極的に協力した。中国の半島への干渉も、中越戦争で排除した。ベトナムの対日感情が悪くないのはこのためだと彼は言う。しかしながら、わたしの見るところ、ホーおじさんや、ボー グエン ザップ将軍に対する尊崇の念は必ずしも、ドイモイ下の現共産党政権にはつながっていない。一党独裁下の政権は中国と同じように汚職、腐敗、縁故主義の病んだ格差社会になりつつある。日本をはじめ西欧諸国のODAもそれを助長している。勤勉で、教育レベルの高いこの国でも、全体主義と市場主義の混合の矛盾は彼方此方に露呈している。更にフォン河文化圏の「北」と、メコン流域文化圏の「南」とは考え方に違いがある。50を超える多民族半島国家の計画経済運営は格差の歪みを助長している。民主主義にも無駄なコストが憑き物だが、ホーおじさんの革命のアドレナリンが下がれば、修正主義が復活し、フォン河やメコン川には体温の低い爬虫類や毒蛇がいっぱい繁殖してくるのではないのか。経済的にも「中国プラスワン」という方向性には反対論も多い、ただ、高い成長率を誇ってみても、年率20%のインフレでは所得配分の格差が広がり、勤労意欲もうせてしまいます。労働争議も頻発することになるでしょうし、この国の輸出優位は崩れてしまいます。その昔、「河口」と呼ばれた中国の従属的ハノイに逆戻りです。発展に伴う、システム(例えば、通貨安定等)がハードの面でも、ソフトの面でもたいへん遅れているといわざるをえません。ベトナム独自の経済発展モデルの構築が必要です。

一柱寺境内にはいる頃、突然の土砂降りの大雨で、土産屋さんの軒に観光客がいっせいに避難する。10分ほどで小降りになったころあいを見計らって、延祐寺の本堂に飛び込む。20体以上の菩薩像が安置されている。りんごとマンゴーが左右にお供えしたあったのが奇妙な感じだった。水溜りを避けながら、孔子を祀る文廟へ行く。7月は受験シーズンの学生たちでいっぱいだ。彼らはここへ合格祈願に来るという。境内の奎文閣は阮朝時代、科挙の試験が行われた建物で、合格者の名前が82の石碑に彫られ、さまざまな顔の亀の上に立てられている。受験生はその亀の頭をなぜると大学入試に合格するのだそうだ。特に女学生がせっせと亀の頭を順番になぜてゆく。本堂の孔子様やその高弟の像より、学生たちの仕草が面白い。白いワイシャツと黒のスカートと服装はシンプルだが美人が多い。目の保養になった。

市に中心部にあるホアンキエム湖にゆく。樹木に囲まれた市民憩いの穏やかな湖だ。ここもやはり亀に縁がある。この湖にすむ亀から授かった宝剣で、黎朝の王様が、中国の明軍を破り、中国支配からベトナムを救ったという伝説がある。今でも、そんな霊験あらたかな亀の子孫がこの湖にたくさんいるのだろうか。

ハノイ大教会の前を通り過ぎ、Khai Silkの店による。文廟の裏通り(グエンタイホック)になる。ベトナムにチェーン展開するシルクの有名店。一階から三階までが店舗になっている。「高そうだ」と家内は怖気付いて、結局男物のシャツとパンツを購入。並びの骨董店に入るものの、興味を引くものを発見できなかった。文廟の横の通り(バンミュウ)、CoCo Silkをのぞく。ここも高いらしい。隣のEmperor漆器店に入る。少々値切って、大きめの果物皿を一枚購入。ホアンキエム湖の北側の旧市街へ、骨董品を見に行くことにしたが、軒を並べるどの店も似たような商品を並べ、高いばかりで、こちらにベトナムの歴史と鑑識眼が備わっていないのだから、只迷うだけ。もうひとつ、店主の説明がしっかりしていない。購買心をそそらないのだ。

チャンチエン プラザやヴィンコム等のスーパーマーケットを見学。客でいっぱいだ。品揃えの豊富なのに驚く。輸入品の値段は日本とあまり変わらないように思う。ワイン、フランディーの類はかなり高級品が揃っており銀座のピンキオーリもビックリすだろう。だが、残念ながらジョニーウォーカーの「黒」を探すも売っていない。結局、通りから奥に入ったインティメックス(日本式スーパー)で「赤」を一本更にマルボロ1カートンをゲット(計30ドル)。日本のユニも進出しているそうだ。


重厚な市劇場の前を通り、Sofitel Metropole Hotel Hanoiにチェックインする。本館から新館への通路は目下工事中。Club Roomはホテル内の小ホテルという感じで、新館(7階建て)の5階から7階が当てられ、全部で20室程度のこじんまりした独立したホテルという感じになっている。ロビーもフロントもラウンジも直通エレベーターも本館或いは新館の他の部屋とは分離されている。本館は100年の歴史のあるコロニアルタイプだそうだが、こちらはコンテンポラリーだ。各室バトラー(女性)が付き、ラウンジで紹介される。彼女が滞在中の世話をしてくれることになった。朝食はBuffetだが、メニューでも注文できる。3時のアフタヌーン ティーも、7時のカクテルタイムはアルコール類も無料だ。早朝6時半にフエのImperialホテルを出てから、すでに10時間がたっている。ガイドのホック君に一時間の余裕をもらい、運転手を帰す。冷房の効いた部屋でシャワーを浴びる。アイスを注文、先ほどのバトラーが笑顔で届けてくれた。ここの氷は質がよい。早速、寝椅子で「赤」を一杯。そして、また一杯。蘇生した。

レジェンス ビアへ行くことになった。ホテルからタクシーで10分足らずだ(タクシー代往復2ドル)。ホアンキエム湖の北側に位置する交差点の角。古いビルの2階、十字路に面するテラスに陣取った。バイク、自転車、バスの洪水だ。慌ただしい夕暮れの街の動きが一望できる。黒ビールを含め3種類のグラスビール計6杯に、つまみとして茹でたえび、ソーセージ他2品を注文(合計33ドル)。はるか湖の向こうにパノラマのように広がるガラス張りの高層ビル群の眺望は、まるで現実感が無い映画のCGを見るようで、「擬似上海」か北京のようになりつつある。人口350万人といわれる首都だが、趣味の悪い墓場と化す。このままほっておけば、風情のある旧市街や、フランス風の町並みもいずれ高層ビルに囲まれ沈んでしまう。やがて、上海のように町全体が曲々しい建物とケバケバのネオン電飾で、発狂しだすだろう。地図を広げると、ハノイの都市計画はフランス統治時代の名残か、非常に上手くで来ています。これを上手く整合性のある活用することです。ホック君が、わたしたちの食事中に近くの市場まで、味塩と胡椒の粒各一袋(計4ドル)を買いに行ってくれた。外人が行くと値段が高くなるという。めまぐるしい交差点を横切る歩行者や自転車もいる。湖側のバス停から30メートルはある道路をこちら側まで横切ろうとする腰の曲がった老人をみかけた。無論、横断歩道は無い。よろよろした歩調で、車の洪水を通り抜けようとしている。そして、老人は体当たりしてくるであろうたくさんの無秩序な車列に一顧だにしないのである。無事、年寄りがこちら側へたどりつた時には、我々はホット一息きついて、ビールをゴクリと飲んだ。バスから降りる人、乗る人をぼんやり眺めているのもいいものだ。なかには、ハッとするほどスタイルのいいベトナム美人もいる。ここ、レジェンス ビアのテラス席はビールや料理以上の感興を提供している。ただし、排気ガスと埃には頓着しないこと。

2008年7月9日(水曜日)

朝食はBuffetスタイル。パンが美味しい。メニューでも好みのものを注文できるのはありがたい。

08:30 迎えに来たホック君ともどもバンに乗り込む。ハロン湾まで3時間かけてのデスマッチの旅。往路一時間半ほど走ったところで、ベトナム戦争時、米軍が大量投下した枯葉剤(Agent Orange)による奇形身障者達が営むChan Thien MYという大規模な展示即売所へ立ち寄る(Bac Ninh省、Que Vo県)。多くの団体観光客で賑わっているのを見ると、ハロン湾やハイフォン港への途次、主要な土産物店であるのがわかる。入り口近くには、30人ほどの男女の身障者が刺繍をしている作業場。中央部は刺繍作品のみならず、漆器類、シルク縫製品等の展示即売と喫茶室となっている。更にその奥は、やはり50人ほどの身障者たちのミシン工場がある。広い裏庭では大理石の砕石、彫刻加工、研磨による置物製造工場もある。清潔なトイレもあり一種のサービスエーリアとなっているのだが。どのような組織がこれを運営しているのか訊くのを忘れた。店内は随所に撮影禁止の貼り紙がある。ここの奇形児達を見るのは、B52戦勝博物館、ベトナム軍事博物館等を見るより、戦争の恐ろしさをもろに教えてくれる。枯葉剤は南ベトナムのジャングルや水田にのみ散布されたと思っていたが、北部にも被害が出ているのだろうか。今も15万人いるといわれる奇形児達。ダイオキシンはサリンの2倍、青酸カリの1000倍、農薬の100万倍の毒薬と聞いていたが、化学兵器は戦火が収まった後も幾世代にもわたって、軟組織腫、非ホジキンリンパ腫、ホジキン病というガンの発生や、遺伝子にまで害を及ぼす。ここでわたしたちの観光気分はいっぺんに吹っ飛んでしまった。家内の比較価格論によると、すべての商品が、ハノイの一流店よりかなり安く、品質もよいという。支配人と値交渉にかなりの時間をかけ、記念として刺繍画と漆器を購入(計1016ドル)。

国道3号をそれて、さらに走ること三十分、日本のODAによる火力発電所の、のっぽの3本の煙突ががもうもうと白煙を吐き出している。この先に、石炭の主産地Pha Lai町(Hai Duong省)があるというから工場立地はいいのだろう。成る程、Pha Laiの道路は石炭の粉塵で黒ずんでいる。はやがて、ハロンとハイフォンへの分岐点にかかる。小さなバイクに大きな荷物を積んで走っている。バイクの荷台にケージ状の金網に柴犬サイズの犬を10匹ほど詰め込んで走っているのを見かけた。可哀相に思いたずねると、食材だという。美味いそうだ。小豚を同様運んでいるバイクを何台も見た。牛の群れが、ゆったりと道を横断。しばし、ストップ。

更に、更に三十分、やがて田畑の彼方に峻立する山々が見えてきた。峨峨たる奇岩の山並みだ。海岸線に沿って、そちこちに観光開発を競うよな区画が現れる。12時半。ついに湾にいたる。バイチャイの遊覧船船着場に来ると観光客で桟橋が溢れるばかりだ。友好国極東ロシアからの観光客も多いと聞く。彼らはノイバイ空港からバイチャイへ直行して、一週間程度滞在するそうだ。遊覧船に乗る。10人は乗れそうな船だ。キャビンもチーク材を使った風格(?)のある船室だ。中央に長いテーブル二つ、舷側に沿って、両側にソファーがある。操舵室は船室の後尾にあり、船長のほかに、男性の船員、女性の給仕が乗船している。ゆったりしたスピードで沖に向かう。一向に感興が湧いてこない。何故なら、湾内にタンカーが数隻出入りしていること、形のいい山陰から高層ビルが重なって見えること。日本の経済協力で完成したバイチャイ橋も見える。だから、なるべく沖に出たら、街の方角を振り返って眺めないことだ。

さあ、龍の親子が舞い降りた緑の海に出よう。そそり立つ岩の間を貫けるように船の走ること40分、途中、生け簀で魚を売っている筏に停泊。大きなシャコ2匹と蟹を購入(15ドル)。バーべキュウにしてもらうことになった。昼食の準備が始まった。ワイン、ビール、コーラ等飲み物を注文(30ドル)。たくさんの料理と一緒に先ほど仕入れたシャコも出た。「島々の数を尽くして、欹ものは天を指、ふすものは波に匍匐。」(奥の細道―松島)という松島よりはスケールが大きいようだ。ここは波静か、かもめもない。「松島や、ああ松島や、松島や」と同様、一級の景観であることは間違いない。この日は曇りで遠くの島々が刷毛ではいたようにかすみ、近くの島は風もなく凪で鏡のような水面に映える。キャビンから舳先へ出ても水をきる音だけ。3時にごったがえす船着場へ戻る。慌ただしい騒音と人の熱気が待ち構えている。

帰途、日本のODAで建設されたハイウェイを走るのだが、ハノイ近郊の日本企業が多く進出している大工場群を抜ける。丁度キャノンや東洋インキの終業時であったため、たくさんのほぼ同年齢の、制服姿の若い女子工員が、工場から噴出するように出てくるのにぶつかった。壮観である。キャノンのこのインクジェットプリンター工場だけでも5千人の女工さんがいるという。皆、フォン河の支流にかかる橋をわたって、町へ戻ってゆく。キャノンは広州から、主力をこちらへ移動しているときいたが、何せ、日経新聞を除き、ハノイに特派員を置いている有力紙はないのだから、この中国プラスワンの経済情報はいささか少ないようにおもう。

やがて、日本のODAで建設した高速道路の崩落現場近くで道を折れ、一般道に入るが、大渋滞。アチコチで道路工事が目に付く(女性の建設作業員も多い)。そして、日本の援助を記念する、日越の国旗を掲げたモニュウメントも高速道路のインターチェンジなどで目に付くが、はずかしいからやめてほしい。インフラが整備されなければ、当然、海外からの投資を呼び込むはできないだろう。バンガロール(ムンバイ)や中閑村(北京)のようなシリコンバレー型のハイテク都市建設も必要となる。この国が、中国プラスワンにとどまるか、BRICsを超えるかは、経済政策、研究機関、地元企業家の努力が求められる。北から南までのハイウエイ (330億ドル)、パクセ(ラヲス)からダナン港へ抜けるハイウエイの建設。ハノイからホーチミンまでの新幹線計画。フリーゾーン、特区、金融センターを設けること。これらをスピードを持って遂行する以外ない。でなければ、旧態依然として、タイに次ぐ米の輸出国や世界遺産におんぶする観光国に甘んじなければならない。この国のインドネシア半島全体における好立地、豊かな自然資源、天然の良港、勤勉な国民性、高い教育レベル。政治さえ透明度の高い、効率的運営ができれば、アジアの諸国を凌駕し、世界の最優等国になれるチャンスはいくらでもある。農工業のセクター間の人工配分など、問題も多いだろうが、この国独自の成長モデルを作り、国民の支持をうる事だ。投入できる資源(人、物、金)には限りがある、しかし、EM細胞のように、増殖しうる分野への集中的なかつ執拗な投資が必要だ。開放政策を採れば魑魅魍魎も海外からいっぱいやってくる。だが、ブループリントに市民の支持を得られれば、プライオリティーは自然に決っていく。中国のように上からの指導でなく、市民のモチベーションを高める説得と対話が絶対不可欠。規制ではなく、公正な競争原理で。現在の状況はいずれもパッチワークでNothingにちかい。逆説的だが、、ブループリントも既成観念なしに理想的なものができうる。腰の引けた党指導のドイモイでは駄目だ。この国は無限のポテンシャルをもつ魅惑の国となる。

バチャン村を目指して、あの角を曲がり、この町を抜け、あそこでUターンし、ここで踏み切りをよぎり、というわけで、ハノイ農業大学脇の細く、曲がりくねったデコボコ道を運転手は猛烈なスピードで、学生の乗る自転車の行列をかざしながら突っ走る。街路灯がない真っ暗闇の中、レーサー並みの運転技術。恐怖の一時間。7時過ぎに、家内、ご希望のバチャンに到着したが、狭い通りのどの店もすでに門を閉ざし、電気を消してしまっている。人っ子一人いない。通りで一番大きいと思われるミンハイ・セラミックのまえにバンを停めた。ホック君が携帯で店を開けるように頼んでいるらしい。待つこと20分。男、女の店員がシャッターを開け、店内の電気をつけてくれた。ここは3階までが展示室で、その上が工房だそうだ。手の届きそうもないほど高い棚までぎっしりと陶磁器が並べてあり、今にも商品が頭の上にドサーッと落ちてきそうだ。地震はないの?とにかく、わたしは、サーカスドライブで疲れはて、ふらふらと奥のソファーに座り込む。男性がお茶を出してくれた。およそ陳列棚を見る気はない。ホック君の説明によれば、この店は欧米や日本に輸出しており、バチャン磁器の赤いトンボの柄は幸せを呼ぶのだそうだ。家内は熱心に店内を見て廻る。結局、日本まで持って帰ることを考え、小物、4点に絞った(6ドル)。土産品は日本でも直接注文できるそうだから、値段は別にしても、何もここで買わなければならないわけではない。帰りは、川の堤防に沿って、デコボコの暗い道をハノイへ急ぐ。バイクの洪水に巻き込まれながら、ホテルにたどり着いた時には9時だった。バンの運転手を労い、5ドルのチップ。一日ご苦労さん。

エレベーターを降りると、笑顔で女性バトラーが迎えてくれる。すかさず、氷を注文。バスローブに着替える頃には、氷がデリバーされ、投宿後一度も使わなかった窓際の四足の浴槽に入る。脇のベースには赤いバラの花びらがたくさん浮かべてあった。これを浴槽に入れろという意味かな?そばに置かれた壺の中に青い結晶体の粒を見て、浴槽に入れたら塩であることがわかる。浴中、オンザロックを一杯。家内はシャワーを浴びて、ビールをあおる。ああ、疲労困憊の一日だった。バトラーが日経新聞の朝刊を持ってきたので、夕食を注文。部屋で済ます。彼女いわく。「強行スケジュールでホテルを充分楽しんでいただけませんでしたネ。」その通り。残念。

明日は、遅い午前便で成田に向け出発の予定。

2008年7月10日(木曜日)

朝食を7時、ラウンジでとる。09:00、ホテルのチェックアウトは例のバトラー嬢が来て部屋ですます。日本人スタッフの背尾さんという女性も挨拶に来た。初めて、このホテルに日本人スタッフのいるのを知った。何せ、本館へ行ったことは一度もなかった。だから、このホテルがどんなホテルなのかもぜんぜん判らないままである。「ご旅行はいかがでしたか?、ホテルはいかがでしたか?」と質問されても、答えるのすべがない。ハノイへ着てから、この3日間、暑さを避けて、ほとんど歩いていない。ガイドのホック君以外の人と口も利いていない。空港のイミグレを通って出口まで、ショッピングで廻る店内、ホーチミン廟から一柱寺まで、文廟の回廊、ホアンキエム湖畔でチョと一服、ハロンの埠頭を数十メートル、、ホテルの廊下を部屋まで、レストランの階段等全部あわせても歩行距離は3日間で一キロにもならないだろう。野生動物やキリマンジャロを眺めるケニア マサイマラのサファリ旅行と同じで、Hemingwayのように野営し鉄砲を持って獲物をしとめようと追っかけるわけでもない。ただセダンやバンの車窓からものめずらしそうにハノイ風景を眺めていただけだ。熱気、喧騒、猥雑、混沌がベトナムの魅力。ハノイ旧市街は大好きだ。やはり歩かなければ駄目だと痛感。但し、バイク天国ですからわたしたちのような老人はおちおち歩けないが。

同行者
家族旅行
一人あたり費用
50万円 - 100万円
  • ハノイ、ノイバイ空港を出て、市内へ向かうとき、フォン河をわたり、市内へ入るとき、このロンビエン橋を渡る。

    ハノイ、ノイバイ空港を出て、市内へ向かうとき、フォン河をわたり、市内へ入るとき、このロンビエン橋を渡る。

  • マイアン(Mai Anh)、フォーの店。入り口で2人か3人の女性が、作っている。一人前130円ぐらい。抜群に美味い、但し店内は何の装飾もない。

    マイアン(Mai Anh)、フォーの店。入り口で2人か3人の女性が、作っている。一人前130円ぐらい。抜群に美味い、但し店内は何の装飾もない。

  • ホーチミン廟は北京、天安門の毛沢東の墓とそっくり同じ。10:30までなら内部に入れるそうだが、撮影禁止。

    ホーチミン廟は北京、天安門の毛沢東の墓とそっくり同じ。10:30までなら内部に入れるそうだが、撮影禁止。

  • ご存知、一柱寺、階段から落ちなければよいが。ホーチミン廟から徒歩10分。

    ご存知、一柱寺、階段から落ちなければよいが。ホーチミン廟から徒歩10分。

  • 一柱寺の参道にはこのような仏像が、安置されている。

    一柱寺の参道にはこのような仏像が、安置されている。

  • 一柱寺並びの延祐寺

    一柱寺並びの延祐寺

  • 延祐寺、本堂内部

    延祐寺、本堂内部

  • 文廟(孔子廟)の参道、若い学生が多い。日本で言えば天満宮みたいなもの。学生の受験合格祈願。

    文廟(孔子廟)の参道、若い学生が多い。日本で言えば天満宮みたいなもの。学生の受験合格祈願。

  • 文廟の本堂の瓦には龍が乗っている。とにかく龍が大好きで、ここだけでなく、彼方此方に龍が鎮座している。

    文廟の本堂の瓦には龍が乗っている。とにかく龍が大好きで、ここだけでなく、彼方此方に龍が鎮座している。

  • 文廟、本堂の門額。さすが儒教の国だけはある。

    文廟、本堂の門額。さすが儒教の国だけはある。

  • 孔子の像

    孔子の像

  • 孔子の弟子達(孟子)の像が左右に並ぶ。

    孔子の弟子達(孟子)の像が左右に並ぶ。

  • ハノイ大教会

    ハノイ大教会

  • Coco Silkの店内

    Coco Silkの店内

  • ホアンキエム湖

    ホアンキエム湖

  • ハノイ市大劇場

    ハノイ市大劇場

  • Legends Beerにてビールとつまみ、向こうに見えるはホアンキエム湖

    Legends Beerにてビールとつまみ、向こうに見えるはホアンキエム湖

  • Legends Beerのテラスから、通りを眺める。

    Legends Beerのテラスから、通りを眺める。

  • Legends Beerのテラスから、通りを眺める。あきないですよ。

    Legends Beerのテラスから、通りを眺める。あきないですよ。

  • フォン河、満々たる大河

    フォン河、満々たる大河

  • 車で走ること2時間、ハロンに近づくと駕がたる山が見えてくる

    車で走ること2時間、ハロンに近づくと駕がたる山が見えてくる

  • ハロン湾に停泊する遊覧船

    ハロン湾に停泊する遊覧船

  • ハロン湾の沖へ出れば、海は緑色、山々が銀色にかすんでいる。

    ハロン湾の沖へ出れば、海は緑色、山々が銀色にかすんでいる。

  • バイチャイ橋

    バイチャイ橋

  • ハロン湾、「松島や、ああ松島や、…」

    ハロン湾、「松島や、ああ松島や、…」

  • ハロン湾、生け簀で昼食用の蟹やシャコを買う。

    ハロン湾、生け簀で昼食用の蟹やシャコを買う。

  • ハロン湾、小船で果物を売りに来る。

    ハロン湾、小船で果物を売りに来る。

  • 闘鶏島といってますが、島々にそれぞれ名前をつけています。

    闘鶏島といってますが、島々にそれぞれ名前をつけています。

  • この島の名前は忘れました。

    この島の名前は忘れました。

  • 遊覧船キャビン内、船長は彼女とラブラブ。

    遊覧船キャビン内、船長は彼女とラブラブ。

  • バチャン村、ミンハイセラミックの店内。

    バチャン村、ミンハイセラミックの店内。

  • バチャン村、子供を散歩させる親子づれ。

    バチャン村、子供を散歩させる親子づれ。

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