ベトナム旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2008年7月4日(金曜日)<br /> <br />今日は13:30分のシェムリアップ発ホーチミン行きのベトナム航空(VN)826便で出発を予定していた。さらにホーチミンで、ダナン行き国内線に乗り継ぐことになっていた。ホテルをチェックアウトする際、再度、出発時間を確認させたところ、30分遅れて出発するという。ホーチミンでの乗り継ぎに2時間の余裕を取っているから少々の出発の遅延は大丈夫だとは思うが、シェムリアップの空港まで、不安な気持ちで行く。シェムリアップ空港で搭乗手続きをする際、一時間遅れるとベトナム航空の職員から言われる。遅延の説明は一切なし。乗客は出発ロビーで、只ひたすらシェムリアップーホーチミン間の、このシャトル便の到着を待つのみ。空港構内の唯一の食堂Ritazzaでボリュームのあるオープンサンドを取る。ここは前回にも寄っており、非常に美味しい人気店だ。ツナ、生ハム、ビール、水割りで16ドル50セント。この店のオーナーに寄れば、このホーチミンとのシャトル便は、定刻に発着することはめったにない。天候や客が少ないと欠航することもあるといっている。出発まぎわに突然、登場ゲートの変更。結局2時間遅れて、ボンバルディア機VN826便は離陸した。<br /><br />機内で、女性乗務員に、この遅延のためベトナム国内線ダナン行きのフライト乗り換えに間に合うか心配だと尋ねると、無表情にあっさり「ノー、プロブレム」と返事が返ってくる。なぜ、「ノー、プロブレム」なのだ。<br /><br />結局2時間遅れて、ホーチミン、タンソニャット空港へ着く。ベトナム入国手続きを済ませ、到着口を出ると、猛烈な風とスコールで、横殴りの雨が降っており、出口周辺のピロティーは雨、風を逃れようと、人、人、人で溢れ、喧騒の真っ只中。タクシー乗り場にもタクシーは一台も停まっていない。家内は要領よく用意のレインコートを取り出すが、これを頭から被っても、国際線から、国内線のターミナル間(約200m)の、屋根だけの吹きさらしの連絡通路の移動は不可能だ。呆然とたたづむ我々夫婦に、悪名高いサイゴンの白タクが声をかけてくる。結局、この200メートルを10ドル払うことになった。市内まで行っても5ドルが相場で10ドルはボッタクリもひどいが、ダナン行きの出発時間が迫っている以上、選択肢はない。迫っているというよりすでに過ぎている。<br /><br />国内線ターミナル、ベトナム航空の国内線チェックインカウンターに急ぐ。幸い、VN326便 ダナン行きは1時間延発で、まだカウンターは開いていた。なるほど「ノー、プロブレム」の意味がなんとなくわかる。どうしてベトナムの空港はかくも人で溢れているのだろう。狭い空間に人が無秩序に大声を出しながら動き回っている。出勤時の新宿駅構内の方向性のある人の流れはではない。人混みを掻き分けながら登場口にたどり着くのも容易ではない。また、また、出発間際になって、登場ゲートの突然の変更。一塊の乗客が、急ぎ足で、手荷物を引っ張りながら、カオスの中を移動するのである。混乱と喧騒の共鳴する渦。眼球が汗でヒリヒリと痛い。背中を押され、足を踏んずけられ、荷物をぶっつけあい、慣れないものには、無理やり緊張を強制されている苦痛をたっぷり味あうことになる。登場案内が始まる頃、降り続いていた猛烈なスコールは何時の間にかぴたりとやんで夕日が沈むところであった。ベトナム航空のスッチーは能面の顔で態度が硬い。アオザイを着ているのだから、笑顔が似合うのに。アテンダントの中に、シエムリアップ行きのフライトで会った男性乗務員が我々を見て、にっこりする。フーむ、男のほうが愛想がいいのか。訊けばアオザイスッチーは党幹部や政府関係者の子弟が多く、アッパークラスのお嬢様たちということ。なるほど。<br /><br />着陸態勢に入った機は、ベトナム中部、ダナンの綺麗に整備された町並、額縁のようにオレンジ色の整然と縁取る街路灯の上を俯瞰できるように旋回し滑走路に降りる。この空からの夜のダナンの街の風景は、今日一日の汗と焦燥と不安を一瞬、期待に変える美しさだ。ホテルNam Haiの送迎車で、ダナンの街を走り、ホイアンに向かう。ダナンはドイモイ政策の推進後、発展途上のベトナムのシンボルであり、彼方此方に建設中の開発サイトの中を我々は感嘆の声を上げながら通り抜けていった。古い町並みも、新しい町並みも、ともにベトナムの急成長を物語っている。数年後には、ハイフォンをぬいて、ベトナム第一の港、生産拠点になるのは間違いないだろう。ここは、内陸国ラオスのパクセとも近い。インドシナ半島の中央部ヘソである。<br /><br />ダナン空港からホテルNam Haiまでは30分ぐらいで午後8時過ぎに到着した。長い一日であった。シェムリアップのホテルを出てから、約9時間のすったもんだの旅。恰幅のいい支配人が玄関で出迎えてくれる。ホテルのバーに腰を下ろしたとき、ダメ押しの疲労が襲う。Nam Haiは文字通り「南の海」に面したビーチリゾートで、2006年オープンの新しいDestinationタイプのコッテージで、広々としたプールやラウンジはPresleyの「Blue Hawaii」で有名なハワイアンビレージを思い出させる。だが、今、ほしいのはとにかくシャワーを浴びることのみ。バーでは黒人女性シンガーがピアノ伴奏でバラードを歌って雰囲気を盛り上げている。長々と、リセプションスタッフによるホテルの諸々のアコモのオリエンテーションにはいささかうんざりした。<br /><br />部屋に突入。まず裸になる、シャワールームに飛び込む。やっと一汗流し、蘇生し、持参のジョニ黒を二、三杯あおると空腹を覚える(ちなみに家内の飲んだミニバーのビールは6ドル93セント)。夜9時、遅まきながら、レストランでまずいベトナムフォーを赤ワインで流し込む。家内は魚のフライを注文。あまり美味くなかったらしい。当初、広いテラスレストランは観光客で一杯だったが、私どもが食事をしているうちにみんなネグラヘ引き上げたのか、閑散として、私どもほか数人となってしまった。改めて、周囲を見ると、トーチに照らされた3面の段差のあるプールが鏡のように月を映して幻想的だ。また、かなたの海も、漁火がともり、ロマンチックな気分が疲れを瞬時忘れさせる。このデイーナー料金98ドル。高くないか。段差のあるスイートの室内インテリアは粋を尽くしているが、これも好き嫌いの問題。ひな壇のように床より一段高く紗のカーテンで区切られたベッド。寝ぼけて、黒曜石のタイル床に落下し骨折しなければいいが。疲労が溜まると、夫婦の会話も少なくなる。いまはひたすら寝るだけ。安眠が保障されていればそれでよい。寝よう。いざ、ベッドへ。半端な腹ごしらえと、ほろ酔いでベットに倒れこむ。今宵、睡眠薬の必要なし。<br /><br />2008年8月5日(土曜日)<br /><br />高齢のせいか、疲れたときに限って、早く目がさめる。家内を起こさないよう、転倒に気をつけながら、ひな壇ベッドより這い出し、リビングのカーテンを開ける。広がる白い砂浜は、視界をさえぎるものもなく、波もないべた凪の海へとつづく。はるかかなたに島が見える。足の裏を包むような粉のような砂。朝6時なのに、もう砂浜は熱くなっている。砂面を覆うようにつたがのび、白い花が咲いている。なんと言う花なんだろう。<br /><br />07:30、すでに猛烈な暑さだ。レストラン棟の屋外でBuffet Styleの朝食を摂る。「パリの朝はOmeletsの匂い」を期待し、オムレツを頼むが、まるで卵焼きだ。パンも美味しくない。また、フォーをすする。<br /><br />8時半約束のガイド、トゥン君がきた。今日からホイアンーフエの3泊4日のスルーガイドを頼むことにした。今日は一日、定番のミーソン遺跡やホイアン市内の観光に付き合ってもらう。彼は、ダナンで、日本のNGOによる語学教育を2年受けたという、1メートル90の長身、25才のイケメンである。温和なそうな性格で、童顔で笑顔がかわいい。車中、通常の会話では結構軽口をたたくが、観光スポットの説明になると、とたんに丁寧な言葉で、教科書の朗読口調となる。意識的にProfessionalismを発揮しているのかなァ。<br /><br />チャンバ王国の聖地、ミーソンの遺跡までは、ホテルより一時間半(約60キロ)かかった。車中から眺める田園風景は、水田が広がり、水牛や赤褐色の牛の群れや畦道のユウカリの並木をのぞけば、日本の田舎と同じ。農家の入り口には、赤唐辛子が山のように干してあったり、ライスペパーが干してあったり、この近辺で生産されているようです。かなり山を上がった所に、遺跡の入り口があり、駐車場から随分歩き、AグループからHグループまで遺跡群が点在するが、グループC,B,D,A,G,と順番に遺跡を見て回る。最初のC群まで行くのに10分ぐらいというが、老骨のわたしの足ではゆうに倍はかかる。遺跡は随分朽ち果ててしまっているが、シヴァ神を祭った赤レンガの祠堂が点在し、900年間の歴史の重みを充分に感じさせてくれるのだが、頭の中で、アンコールのルロイ遺跡と重ね合わせてしまう。最後のG群はトゥン君の勧めもあったが、暑さと疲労のため、割愛させてもらった。A群からは、木陰で谷川を眺め、何度も、休みを摂りながら、トゥン君に腕を抱えてもらって、約一時間半のトレッキングを終えることができた。地元ベトナム人や欧米人に混じって、声高で賑やかな中国、韓国の観光客も多い。帰路は近道を通り、一時間でホイアンの町に着いた。<br /><br />ホイアンの旧市街は、車の乗り入れ禁止なので、古く狭い道を川沿いのバグダン通りまで歩き、昼食を予約してあったTam Tam Caf&amp;eacute;へゆく。間口は狭いが、店は裏通りまで抜けている。若い欧米人で満員状態だ。一階中央部を一部改装しているため、二階のプールバーを抜けて、裏のテラスレストランまで行かねばならない。イタリアンのフルコース(5品)を頼んだが、二人で飲料とあわせ50ドル程度と記憶している。ピツァが美味かった。パンプキンスープもいける。ラグーソースのスパは茹で過ぎ。客の出入りを見ている限り、人気店の一つなのだろう。観光客で満員。<br /><br />昼食後、定番の観光コースを二台のシクロに分乗し旧市街のスポットを順次まわる。シクロは真に乗り心地がよい。前に客がすわり、後ろに自転車をこぐ運転手。スピードが出ないのがうれしい。狭い道路の旧市街にはぴったりだし、通り面した店の中も観察できる。交通事故はゼロ。トゥン君は何処で調達したのか、自転車で我々を先導する。3〜40分もあればほとんどのスポットを観て廻れる小さな町だ。オールドハウスを3軒廻ったが、日、中、越の混合様式で、随所に彫刻が施されている。また生活上の利便性からいろいろな工夫がなされ面白い。だが16〜17世紀(チャンバ王国からグエン朝に政権交代期)にかけて最盛期には1000人もの日本人が居住し、日本人居住区を作り、貿易に従事したという。亡くなった方の墓も残っている。わたし達の祖先ははどんな夢を抱いて、長崎を出て、2700マイル離れた、ホイアンにきたのだろうか。既に明朝の衰退期で、鄭和の活躍した14世紀とは違う。更に、グエン朝にはせいぜい中継貿易地点としての役割しかなかったはずだ。日本にとってそれほど夢を膨らませる魅力的な港とも思えない。更に産物も少ない。この時代、隣のアユタヤにも日本人町があり、山田長政がいて、日本人傭兵隊を組織した。これは本国の幕府の鎖国政策への転換が彼らをマーセナリーにはしらせた。想像してみるのだが、グエン朝には興隆期にあるものの、日本を魅了する生産力がホイアン近隣地方にあったとは思えない。どんなロマンがあったのだろうか。それとも棄民か。逃亡者か。<br /><br />シルクの店Thang Loiで家内がパジャマを注文する。40ドル。仕立てた上、明朝、ホテルのNam Haiまで届けてくれるそうだ。女性のショッピングは時間がかかる。冷房の効いた部屋で待つことにするのだが、そこでオランダからの中年の旅行者カップルと談笑する。やはり奥さんが買い物に夢中になっているという。待つこと、すなわち耐えること。聞けばこのオランダ人夫婦は、もっぱら鉄道を利用し、ここからフエ、ハノイ、サパ等3週間かけて旅行すると言う。Flying Dutchmanだといったら、うなずいて笑った。<br /><br />車でホテルまで帰途25分ぐらいかかった。わたし達のタオルは汗を含んで湿っているのだが、トゥン君はぜんぜん汗をかかない。トゥン君は、夜のホイアンの街もランタンが灯り一見の価値ありと誘うのだが、こちらは早く風呂に入りたい一心。トゥン君を解放する。夜食にはクラブハウスサンド一人前を部屋で夫婦折半。水割り用の氷を頼んだら、大きなクーラーボックスで持ってきたのには驚いた。ホテルからホイアンの町まで無料のシャトルサービスがあるのだが、風呂から出るともう町まで出かける気力はない。すでに腰椎がきしんで悲鳴をあげている。暑さとの耐久レースのような一日。明日はフエまで四時間の旅だ。トゥン君に明朝フエへの出発を8時30分から11:00に遅らせてもらった。体力回復のためゆっくり休みたい。この豪華な長期滞在型リゾートホテルを楽しむ時間がまったくない。プールもビーチも眺めるだけだ。ホテル選択の間違いに気付く。<br /><br />2008年7月6日(日曜日)<br /><br />疲れていても熟睡はできないものだ。依然日本時間で目が覚める。東雲のプライベートビーチを家内と散歩する。波がなく湖面のようだ。昨日ホイアンの旧市街で買った畳表のサンダルで歩くと、鳴き砂のようにキュツ、キュツという。そういえば、ダナンから珪砂を日本に輸出していると聞いたことがある。ホテル内の大きなプールを一周する。食欲なし。テラスの寝椅子でジョニ黒を一杯。スタッフがお土産としてホイアン名物のランタンのミニャチャー2個を進呈してくれた。<br /><br />11:00、トゥン君に気合を入れられ、ダナンを経由してフエに向け出発する。ハン川、大聖堂、ダナン港、ミーケビーチを通り、5行山を車窓から見ながら、ハイバン峠を目指す。ベトナム戦争時、ダナンへの米国海兵隊の上陸、ダナンの港湾を沖まで埋め尽くした数百の米国の艦船、米軍によるダナン空港の建設等、ベトナム戦争の往時を思い出さずにはいられない。25才のトゥン君の生まれる前の話だ。これから向かうフエ(当時はユエといった)も最大の激戦地だった。フランス統治時代から1975年まで16年もつづいたインドシナ半島の南北統一戦争は米ソ中を始め冷戦下の全世界を巻き込んだ戦争だった。たくさんの若者の血を吸ったダナンは、いま整然と開発が進みベトナム経済発展の橋頭堡となっている。<br /><br />ハイバン峠は500メートル弱の峠だが、この峠の南と北では人間の気質まで違うといわれる。曲がりくねった道を登ること約40分ぐらいで頂上に達する。頂上からは青い海が一望できる。往時、フランス軍も、日本軍も、アメリカ軍もここに要塞を構えた戦略的重要地点なのだ。南北の分水嶺といってよい。トンネルも2005年に完成し、鉄道が敷設されている。頂上付近にはいまだ数多くの朽ちたトーチカがあり、昔日の激しい攻防を思い出させる。トーチカの銃眼には洗濯物が干してあったり、大きな看板が並び、土産物屋さんの呼び声も賑々しい。かってここで苦しい思いをした人たちは今、どこで、どんな夢を見ているのだろうか。<br /><br />頂上から北へ降ったところにThanh Tam Restaurantがある。休憩する。突き出たテラスから眼下にランコー村が俯瞰できる。内海と外海にはさまれた細長い地形なのだが、淡いピンク色の砂浜と椰子の並木が植えられ、一部は干潟のようになってりる。ハワイのラグーンのようだ。アクセスさえよければ、立派なリゾート開発ができる。屋外レストランで水槽の車えび、やや小ぶりながら、500g(当初1キロと注文したら4人で500gでも充分といわれた)を注文。5分と待たず配膳される塩茹でがうれしい。成る程、約80匹以上皿にあった。ハイネッケンビール2本、コーラ2本で総計15ドルは安い。贅沢な話だが、えびの皮をむくのがやや面倒だが、塩加減よし、味噌もたっぷりで絶対にお勧め。朝から食傷気味だったが、これで解消。トンレサップ湖のえびとは味が違う。ハイ(海)ヴァン(雲)の眺望は、すっかり晴れ上がり、気分上々、こちらの気分まで綿のような白い雲となってランコー村の上に舞い上がる。ランコー村まで峠を下りて、一号線でフエへ出ることも可能だが、この先に森林国立公園の傍を抜けるというので、トゥン君の指示に従った。<br /><br />14:30分、ベトナム戦争で壮絶な激戦があった古都、フエの市街に入る。車が通るにやっとの路地裏のレストラン「Club Garden」にはいる。ベトナム料理としては可なりの店らしいが、時間外で、我々以外に客はいない。トゥン君のメニューの説明を聞いてもなかなかピクチャーが浮かんでこない。しょうがない。かにのスープ、揚げ春巻き、フォー、焼きそばとあてずっぽうに注文する。美味そうに頬張るトゥン君の焼きそばをもらうことにした。細面のビーフン状(?)のものを揚げて具をかけただけのものだが、これが一番口にあった。ビール2本とコーラ1本で総計29ドル。ここは、「Tropical Garden」の姉妹店でもあり、市内で宮廷料理店も経営していると聞く。アオザイの従業員が綺麗だ。アオザイも、観光向けとなってしまって、町では見かけない。<br /><br />ドンパ市場へ行く。家内は熱心に、マルボロやジョニウォーカーの値段を最初に訊いて回る。これは簡単に、各市場の値段状況を把握するのに役立つという。わたしは迷路のような市場の熱気から早々に逃げ出す。市場の外に出ておとなしく待つことにした。家内はベトナムコーヒー2袋を6ドルに買う。随分粘って買ったようだ。ご苦労様。<br /><br />グエン王宮に着いたのは16:00過ぎ。フエ市内を二つに分けるフォーン川をわたり、旧市街のバイクの流れをかいくぐり、排気ガスと喧騒のフラグタワーの前に駐車して、午門を通り、王宮に入るのだが、暑さのため、わたしはもうダウン寸前。家内とトゥン君だけを王宮内に入らせ、わたしは大和殿の前で腰をおろして待つことにした。殿内は撮影禁止だという。石畳に石造の大きな蛙が大きな口をあけている。暑さで頭が朦朧としてきた。呼吸も困難だ。わたしも蛙に並んで大きく口をあけてみた。ヘルプ、ミー!王宮門(午門の城壁にはベトナム戦争時の弾痕のあとがある)を出たところで車待ちの杖をついた品のいい英国老紳士と会話する。「暑いね!、何とかならないのこの暑さ!」 No Way, No way out for this hot weather! There’re no way for any human beings to deal with this burning heat! But for local Vietnamese! ベトナム人だって暑いんじゃないか?<br /><br />夕6時、ホテルImperial15階のRiver Viewの部屋に入ったときには、ベッドに崩れるようにダウンした。暑さが人間の精気を徹底的に絞り奪ってしまう。冷房のよく効いた部屋からは、夕暮れ時、フォーン川にかかるノースアン橋や、フラッグタワー、王宮の甍、はるかに霞む山々が一望できる。暗くなるにしたがって、街路灯がともされ、川を行き交う船の灯火が揺れて、古都の風情を少しづつかもし出してゆく。一風呂浴びて、ジョニ黒をすすりながら、窓外を眺めていると落ちつくものだ。フォーン川とは「いい香りのする川」という意味ださうだ。トゥン君は夕食にフエ宮廷料理を勧めるが、暑い外に出る気力はない。川沿いの公園辺りにもカップル向けのレストラン数店あり、歩いて10分の距離で且つ安全という。トゥン君を自宅に帰すことにした。相談の上、階下の日本料理店「よし原」に行く。串揚げ10本と、冷奴、ビールを注文。19ドル50?。まずい。油でべたべたの串揚げで、半分食べて、出ることにした。眠くなるまでフォーン川をみる。<br /><br />2008年7月7日(月)<br /><br />ホテルでBuffet Styleの朝食を摂る。いろんな種類があるが、あまり美味しいとおもうものはない。卵料理をやっていたので、女性の料理人に、Omeletsの作り方をフライパンをとって教える。まあ、まあで、Nam Haiよりは美味く出来上がった。<br /><br />08:30、トゥン君が迎えに来る。フォーン川のクルーズでティエンムー寺まで行くという。インペリアル ホテルからフエ師範大学の前を通り、船着場に5分で到着。15人は収容できそうな、舳先に竜を極彩色に飾った屋形船に乗り込む。船頭と奥さんの夫婦舟だ。川幅50メートルはあろうか、フォーン川を右側通行でゆっくり遡行する。町の喧騒が遮断されたようで、樹木の多い川べりの風景を楽しめ、この船旅は癒しとなる。我々の乗る船は川の中央に碇を下ろしている警察官の小船に近づいてゆく。船頭の奥さんが、警官に非公認の通行料を払うのだ。窓をカーテンで覆ったその小船から、警官は姿を見せずにゅーと腕だけを出て、いだだくものを鷲づかみする。観たくない光景を見てしまった。奥さんが床に絵はがきとか織物のお土産を並べて販売ししだす。成る程。ティエンムー寺までおよそ50分強の船旅。逞しい。<br /><br />ティエンムー寺のティエンムーとは(天婆)という意味だそうだ。トウニャン(慈悲)という21メートル、7層の塔は各階に仏像を納め、いり口に「読國史記老嫗現身之悟岳河永園霊鐘億万撰基図」の石柱あり。この奥に釈迦を祀ったタイフン寺がある。門額に「神通知勝」とある。大きな本堂だ。この寺の裏に通づる側道脇に、南ベトナム初代大統領ゴ・ジン・ジエムの仏教弾圧に反対し、サイゴンのアメリカ大使館前で焼身自殺を図ったこの寺の高僧ティック・クアン・ドック師が、サイゴンまで乗っていった乗用車が展示されている。結跏趺坐する釈尊のように蓮華座ですわり、ガソリンをかけて焼身するのだが、最後まで姿勢は崩れなかったという。1966年のことだ。<br /><br />この後の観光コースとして、車でグエン朝の帝廟幾つか廻ることになる。最初のミンマン帝廟は、駐車場から一キロ以上の距離を歩かなければならない。弾痕の残る廟の塀に沿って歩くうち、家内はもう歩くのはイヤだと言い出した。何とか廟にたどり着くも、出口脇の売店で休んでいるという。暑気負けだ。もう一軒のカイディン帝廟まですぐちかくだからと励ます。その後の予定の帝廟まわりはここで中止しようということになった。トゥン君は残念がるが、やむをえない。<br /><br />昼食はミンマン帝廟にちかいLa Thongでとる。日本人経営のベトナム料理店である。欧米観光客が多い。われわれのテーブルに日の丸の小旗を立ててくれた。それぞれがいろんな料理を注文したが、トゥン君の焼きそば風の皿が美味そうで、取り上げてしまった。Mi Xao Hai Sanという。要するに、海鮮風焼きそば。<br /><br />この日はミンマン帝廟への徒歩往復で疲れ果ててしまった。もう観光を続ける気力はない。16:30分、ホテルへ帰る。トゥン君と運転手に3日間の感謝をこめて、別れの挨拶をする。彼は25歳で、ベトナムでは結婚適齢期のリミットなのだそうだ。来春、彼女(22歳)の大学卒業を待って結婚するという。結婚後はトゥン君の両親兄弟と一緒に生活することになる。無論男女それぞれの父親の承認が絶対要件。もし、続いて、トゥン君の弟が結婚すれば、この夫婦も一緒に住むことになる。大家族主義だ。これが、ベトナムの普通の家族の態様だという。お幸せに。<br /><br />日没前に、Imperialホテルの16階の「パノラマ バー」へ家内といってみた。屋上テラスからの眺めは、まさにパノラマ、360度の絶景です。フエの町が一望できます。ラウンジに入れば、バーテンダーの腕前も一流。楽しいひとときが過ごせました。<br /><br />

ベトナムは燃えている 08年7月 その1 フエ、ダナン、ホイアン

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2008/07/04 - 2008/07/10

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pumpkin915

pumpkin915さん

2008年7月4日(金曜日)
 
今日は13:30分のシェムリアップ発ホーチミン行きのベトナム航空(VN)826便で出発を予定していた。さらにホーチミンで、ダナン行き国内線に乗り継ぐことになっていた。ホテルをチェックアウトする際、再度、出発時間を確認させたところ、30分遅れて出発するという。ホーチミンでの乗り継ぎに2時間の余裕を取っているから少々の出発の遅延は大丈夫だとは思うが、シェムリアップの空港まで、不安な気持ちで行く。シェムリアップ空港で搭乗手続きをする際、一時間遅れるとベトナム航空の職員から言われる。遅延の説明は一切なし。乗客は出発ロビーで、只ひたすらシェムリアップーホーチミン間の、このシャトル便の到着を待つのみ。空港構内の唯一の食堂Ritazzaでボリュームのあるオープンサンドを取る。ここは前回にも寄っており、非常に美味しい人気店だ。ツナ、生ハム、ビール、水割りで16ドル50セント。この店のオーナーに寄れば、このホーチミンとのシャトル便は、定刻に発着することはめったにない。天候や客が少ないと欠航することもあるといっている。出発まぎわに突然、登場ゲートの変更。結局2時間遅れて、ボンバルディア機VN826便は離陸した。

機内で、女性乗務員に、この遅延のためベトナム国内線ダナン行きのフライト乗り換えに間に合うか心配だと尋ねると、無表情にあっさり「ノー、プロブレム」と返事が返ってくる。なぜ、「ノー、プロブレム」なのだ。

結局2時間遅れて、ホーチミン、タンソニャット空港へ着く。ベトナム入国手続きを済ませ、到着口を出ると、猛烈な風とスコールで、横殴りの雨が降っており、出口周辺のピロティーは雨、風を逃れようと、人、人、人で溢れ、喧騒の真っ只中。タクシー乗り場にもタクシーは一台も停まっていない。家内は要領よく用意のレインコートを取り出すが、これを頭から被っても、国際線から、国内線のターミナル間(約200m)の、屋根だけの吹きさらしの連絡通路の移動は不可能だ。呆然とたたづむ我々夫婦に、悪名高いサイゴンの白タクが声をかけてくる。結局、この200メートルを10ドル払うことになった。市内まで行っても5ドルが相場で10ドルはボッタクリもひどいが、ダナン行きの出発時間が迫っている以上、選択肢はない。迫っているというよりすでに過ぎている。

国内線ターミナル、ベトナム航空の国内線チェックインカウンターに急ぐ。幸い、VN326便 ダナン行きは1時間延発で、まだカウンターは開いていた。なるほど「ノー、プロブレム」の意味がなんとなくわかる。どうしてベトナムの空港はかくも人で溢れているのだろう。狭い空間に人が無秩序に大声を出しながら動き回っている。出勤時の新宿駅構内の方向性のある人の流れはではない。人混みを掻き分けながら登場口にたどり着くのも容易ではない。また、また、出発間際になって、登場ゲートの突然の変更。一塊の乗客が、急ぎ足で、手荷物を引っ張りながら、カオスの中を移動するのである。混乱と喧騒の共鳴する渦。眼球が汗でヒリヒリと痛い。背中を押され、足を踏んずけられ、荷物をぶっつけあい、慣れないものには、無理やり緊張を強制されている苦痛をたっぷり味あうことになる。登場案内が始まる頃、降り続いていた猛烈なスコールは何時の間にかぴたりとやんで夕日が沈むところであった。ベトナム航空のスッチーは能面の顔で態度が硬い。アオザイを着ているのだから、笑顔が似合うのに。アテンダントの中に、シエムリアップ行きのフライトで会った男性乗務員が我々を見て、にっこりする。フーむ、男のほうが愛想がいいのか。訊けばアオザイスッチーは党幹部や政府関係者の子弟が多く、アッパークラスのお嬢様たちということ。なるほど。

着陸態勢に入った機は、ベトナム中部、ダナンの綺麗に整備された町並、額縁のようにオレンジ色の整然と縁取る街路灯の上を俯瞰できるように旋回し滑走路に降りる。この空からの夜のダナンの街の風景は、今日一日の汗と焦燥と不安を一瞬、期待に変える美しさだ。ホテルNam Haiの送迎車で、ダナンの街を走り、ホイアンに向かう。ダナンはドイモイ政策の推進後、発展途上のベトナムのシンボルであり、彼方此方に建設中の開発サイトの中を我々は感嘆の声を上げながら通り抜けていった。古い町並みも、新しい町並みも、ともにベトナムの急成長を物語っている。数年後には、ハイフォンをぬいて、ベトナム第一の港、生産拠点になるのは間違いないだろう。ここは、内陸国ラオスのパクセとも近い。インドシナ半島の中央部ヘソである。

ダナン空港からホテルNam Haiまでは30分ぐらいで午後8時過ぎに到着した。長い一日であった。シェムリアップのホテルを出てから、約9時間のすったもんだの旅。恰幅のいい支配人が玄関で出迎えてくれる。ホテルのバーに腰を下ろしたとき、ダメ押しの疲労が襲う。Nam Haiは文字通り「南の海」に面したビーチリゾートで、2006年オープンの新しいDestinationタイプのコッテージで、広々としたプールやラウンジはPresleyの「Blue Hawaii」で有名なハワイアンビレージを思い出させる。だが、今、ほしいのはとにかくシャワーを浴びることのみ。バーでは黒人女性シンガーがピアノ伴奏でバラードを歌って雰囲気を盛り上げている。長々と、リセプションスタッフによるホテルの諸々のアコモのオリエンテーションにはいささかうんざりした。

部屋に突入。まず裸になる、シャワールームに飛び込む。やっと一汗流し、蘇生し、持参のジョニ黒を二、三杯あおると空腹を覚える(ちなみに家内の飲んだミニバーのビールは6ドル93セント)。夜9時、遅まきながら、レストランでまずいベトナムフォーを赤ワインで流し込む。家内は魚のフライを注文。あまり美味くなかったらしい。当初、広いテラスレストランは観光客で一杯だったが、私どもが食事をしているうちにみんなネグラヘ引き上げたのか、閑散として、私どもほか数人となってしまった。改めて、周囲を見ると、トーチに照らされた3面の段差のあるプールが鏡のように月を映して幻想的だ。また、かなたの海も、漁火がともり、ロマンチックな気分が疲れを瞬時忘れさせる。このデイーナー料金98ドル。高くないか。段差のあるスイートの室内インテリアは粋を尽くしているが、これも好き嫌いの問題。ひな壇のように床より一段高く紗のカーテンで区切られたベッド。寝ぼけて、黒曜石のタイル床に落下し骨折しなければいいが。疲労が溜まると、夫婦の会話も少なくなる。いまはひたすら寝るだけ。安眠が保障されていればそれでよい。寝よう。いざ、ベッドへ。半端な腹ごしらえと、ほろ酔いでベットに倒れこむ。今宵、睡眠薬の必要なし。

2008年8月5日(土曜日)

高齢のせいか、疲れたときに限って、早く目がさめる。家内を起こさないよう、転倒に気をつけながら、ひな壇ベッドより這い出し、リビングのカーテンを開ける。広がる白い砂浜は、視界をさえぎるものもなく、波もないべた凪の海へとつづく。はるかかなたに島が見える。足の裏を包むような粉のような砂。朝6時なのに、もう砂浜は熱くなっている。砂面を覆うようにつたがのび、白い花が咲いている。なんと言う花なんだろう。

07:30、すでに猛烈な暑さだ。レストラン棟の屋外でBuffet Styleの朝食を摂る。「パリの朝はOmeletsの匂い」を期待し、オムレツを頼むが、まるで卵焼きだ。パンも美味しくない。また、フォーをすする。

8時半約束のガイド、トゥン君がきた。今日からホイアンーフエの3泊4日のスルーガイドを頼むことにした。今日は一日、定番のミーソン遺跡やホイアン市内の観光に付き合ってもらう。彼は、ダナンで、日本のNGOによる語学教育を2年受けたという、1メートル90の長身、25才のイケメンである。温和なそうな性格で、童顔で笑顔がかわいい。車中、通常の会話では結構軽口をたたくが、観光スポットの説明になると、とたんに丁寧な言葉で、教科書の朗読口調となる。意識的にProfessionalismを発揮しているのかなァ。

チャンバ王国の聖地、ミーソンの遺跡までは、ホテルより一時間半(約60キロ)かかった。車中から眺める田園風景は、水田が広がり、水牛や赤褐色の牛の群れや畦道のユウカリの並木をのぞけば、日本の田舎と同じ。農家の入り口には、赤唐辛子が山のように干してあったり、ライスペパーが干してあったり、この近辺で生産されているようです。かなり山を上がった所に、遺跡の入り口があり、駐車場から随分歩き、AグループからHグループまで遺跡群が点在するが、グループC,B,D,A,G,と順番に遺跡を見て回る。最初のC群まで行くのに10分ぐらいというが、老骨のわたしの足ではゆうに倍はかかる。遺跡は随分朽ち果ててしまっているが、シヴァ神を祭った赤レンガの祠堂が点在し、900年間の歴史の重みを充分に感じさせてくれるのだが、頭の中で、アンコールのルロイ遺跡と重ね合わせてしまう。最後のG群はトゥン君の勧めもあったが、暑さと疲労のため、割愛させてもらった。A群からは、木陰で谷川を眺め、何度も、休みを摂りながら、トゥン君に腕を抱えてもらって、約一時間半のトレッキングを終えることができた。地元ベトナム人や欧米人に混じって、声高で賑やかな中国、韓国の観光客も多い。帰路は近道を通り、一時間でホイアンの町に着いた。

ホイアンの旧市街は、車の乗り入れ禁止なので、古く狭い道を川沿いのバグダン通りまで歩き、昼食を予約してあったTam Tam Caf&eacute;へゆく。間口は狭いが、店は裏通りまで抜けている。若い欧米人で満員状態だ。一階中央部を一部改装しているため、二階のプールバーを抜けて、裏のテラスレストランまで行かねばならない。イタリアンのフルコース(5品)を頼んだが、二人で飲料とあわせ50ドル程度と記憶している。ピツァが美味かった。パンプキンスープもいける。ラグーソースのスパは茹で過ぎ。客の出入りを見ている限り、人気店の一つなのだろう。観光客で満員。

昼食後、定番の観光コースを二台のシクロに分乗し旧市街のスポットを順次まわる。シクロは真に乗り心地がよい。前に客がすわり、後ろに自転車をこぐ運転手。スピードが出ないのがうれしい。狭い道路の旧市街にはぴったりだし、通り面した店の中も観察できる。交通事故はゼロ。トゥン君は何処で調達したのか、自転車で我々を先導する。3〜40分もあればほとんどのスポットを観て廻れる小さな町だ。オールドハウスを3軒廻ったが、日、中、越の混合様式で、随所に彫刻が施されている。また生活上の利便性からいろいろな工夫がなされ面白い。だが16〜17世紀(チャンバ王国からグエン朝に政権交代期)にかけて最盛期には1000人もの日本人が居住し、日本人居住区を作り、貿易に従事したという。亡くなった方の墓も残っている。わたし達の祖先ははどんな夢を抱いて、長崎を出て、2700マイル離れた、ホイアンにきたのだろうか。既に明朝の衰退期で、鄭和の活躍した14世紀とは違う。更に、グエン朝にはせいぜい中継貿易地点としての役割しかなかったはずだ。日本にとってそれほど夢を膨らませる魅力的な港とも思えない。更に産物も少ない。この時代、隣のアユタヤにも日本人町があり、山田長政がいて、日本人傭兵隊を組織した。これは本国の幕府の鎖国政策への転換が彼らをマーセナリーにはしらせた。想像してみるのだが、グエン朝には興隆期にあるものの、日本を魅了する生産力がホイアン近隣地方にあったとは思えない。どんなロマンがあったのだろうか。それとも棄民か。逃亡者か。

シルクの店Thang Loiで家内がパジャマを注文する。40ドル。仕立てた上、明朝、ホテルのNam Haiまで届けてくれるそうだ。女性のショッピングは時間がかかる。冷房の効いた部屋で待つことにするのだが、そこでオランダからの中年の旅行者カップルと談笑する。やはり奥さんが買い物に夢中になっているという。待つこと、すなわち耐えること。聞けばこのオランダ人夫婦は、もっぱら鉄道を利用し、ここからフエ、ハノイ、サパ等3週間かけて旅行すると言う。Flying Dutchmanだといったら、うなずいて笑った。

車でホテルまで帰途25分ぐらいかかった。わたし達のタオルは汗を含んで湿っているのだが、トゥン君はぜんぜん汗をかかない。トゥン君は、夜のホイアンの街もランタンが灯り一見の価値ありと誘うのだが、こちらは早く風呂に入りたい一心。トゥン君を解放する。夜食にはクラブハウスサンド一人前を部屋で夫婦折半。水割り用の氷を頼んだら、大きなクーラーボックスで持ってきたのには驚いた。ホテルからホイアンの町まで無料のシャトルサービスがあるのだが、風呂から出るともう町まで出かける気力はない。すでに腰椎がきしんで悲鳴をあげている。暑さとの耐久レースのような一日。明日はフエまで四時間の旅だ。トゥン君に明朝フエへの出発を8時30分から11:00に遅らせてもらった。体力回復のためゆっくり休みたい。この豪華な長期滞在型リゾートホテルを楽しむ時間がまったくない。プールもビーチも眺めるだけだ。ホテル選択の間違いに気付く。

2008年7月6日(日曜日)

疲れていても熟睡はできないものだ。依然日本時間で目が覚める。東雲のプライベートビーチを家内と散歩する。波がなく湖面のようだ。昨日ホイアンの旧市街で買った畳表のサンダルで歩くと、鳴き砂のようにキュツ、キュツという。そういえば、ダナンから珪砂を日本に輸出していると聞いたことがある。ホテル内の大きなプールを一周する。食欲なし。テラスの寝椅子でジョニ黒を一杯。スタッフがお土産としてホイアン名物のランタンのミニャチャー2個を進呈してくれた。

11:00、トゥン君に気合を入れられ、ダナンを経由してフエに向け出発する。ハン川、大聖堂、ダナン港、ミーケビーチを通り、5行山を車窓から見ながら、ハイバン峠を目指す。ベトナム戦争時、ダナンへの米国海兵隊の上陸、ダナンの港湾を沖まで埋め尽くした数百の米国の艦船、米軍によるダナン空港の建設等、ベトナム戦争の往時を思い出さずにはいられない。25才のトゥン君の生まれる前の話だ。これから向かうフエ(当時はユエといった)も最大の激戦地だった。フランス統治時代から1975年まで16年もつづいたインドシナ半島の南北統一戦争は米ソ中を始め冷戦下の全世界を巻き込んだ戦争だった。たくさんの若者の血を吸ったダナンは、いま整然と開発が進みベトナム経済発展の橋頭堡となっている。

ハイバン峠は500メートル弱の峠だが、この峠の南と北では人間の気質まで違うといわれる。曲がりくねった道を登ること約40分ぐらいで頂上に達する。頂上からは青い海が一望できる。往時、フランス軍も、日本軍も、アメリカ軍もここに要塞を構えた戦略的重要地点なのだ。南北の分水嶺といってよい。トンネルも2005年に完成し、鉄道が敷設されている。頂上付近にはいまだ数多くの朽ちたトーチカがあり、昔日の激しい攻防を思い出させる。トーチカの銃眼には洗濯物が干してあったり、大きな看板が並び、土産物屋さんの呼び声も賑々しい。かってここで苦しい思いをした人たちは今、どこで、どんな夢を見ているのだろうか。

頂上から北へ降ったところにThanh Tam Restaurantがある。休憩する。突き出たテラスから眼下にランコー村が俯瞰できる。内海と外海にはさまれた細長い地形なのだが、淡いピンク色の砂浜と椰子の並木が植えられ、一部は干潟のようになってりる。ハワイのラグーンのようだ。アクセスさえよければ、立派なリゾート開発ができる。屋外レストランで水槽の車えび、やや小ぶりながら、500g(当初1キロと注文したら4人で500gでも充分といわれた)を注文。5分と待たず配膳される塩茹でがうれしい。成る程、約80匹以上皿にあった。ハイネッケンビール2本、コーラ2本で総計15ドルは安い。贅沢な話だが、えびの皮をむくのがやや面倒だが、塩加減よし、味噌もたっぷりで絶対にお勧め。朝から食傷気味だったが、これで解消。トンレサップ湖のえびとは味が違う。ハイ(海)ヴァン(雲)の眺望は、すっかり晴れ上がり、気分上々、こちらの気分まで綿のような白い雲となってランコー村の上に舞い上がる。ランコー村まで峠を下りて、一号線でフエへ出ることも可能だが、この先に森林国立公園の傍を抜けるというので、トゥン君の指示に従った。

14:30分、ベトナム戦争で壮絶な激戦があった古都、フエの市街に入る。車が通るにやっとの路地裏のレストラン「Club Garden」にはいる。ベトナム料理としては可なりの店らしいが、時間外で、我々以外に客はいない。トゥン君のメニューの説明を聞いてもなかなかピクチャーが浮かんでこない。しょうがない。かにのスープ、揚げ春巻き、フォー、焼きそばとあてずっぽうに注文する。美味そうに頬張るトゥン君の焼きそばをもらうことにした。細面のビーフン状(?)のものを揚げて具をかけただけのものだが、これが一番口にあった。ビール2本とコーラ1本で総計29ドル。ここは、「Tropical Garden」の姉妹店でもあり、市内で宮廷料理店も経営していると聞く。アオザイの従業員が綺麗だ。アオザイも、観光向けとなってしまって、町では見かけない。

ドンパ市場へ行く。家内は熱心に、マルボロやジョニウォーカーの値段を最初に訊いて回る。これは簡単に、各市場の値段状況を把握するのに役立つという。わたしは迷路のような市場の熱気から早々に逃げ出す。市場の外に出ておとなしく待つことにした。家内はベトナムコーヒー2袋を6ドルに買う。随分粘って買ったようだ。ご苦労様。

グエン王宮に着いたのは16:00過ぎ。フエ市内を二つに分けるフォーン川をわたり、旧市街のバイクの流れをかいくぐり、排気ガスと喧騒のフラグタワーの前に駐車して、午門を通り、王宮に入るのだが、暑さのため、わたしはもうダウン寸前。家内とトゥン君だけを王宮内に入らせ、わたしは大和殿の前で腰をおろして待つことにした。殿内は撮影禁止だという。石畳に石造の大きな蛙が大きな口をあけている。暑さで頭が朦朧としてきた。呼吸も困難だ。わたしも蛙に並んで大きく口をあけてみた。ヘルプ、ミー!王宮門(午門の城壁にはベトナム戦争時の弾痕のあとがある)を出たところで車待ちの杖をついた品のいい英国老紳士と会話する。「暑いね!、何とかならないのこの暑さ!」 No Way, No way out for this hot weather! There’re no way for any human beings to deal with this burning heat! But for local Vietnamese! ベトナム人だって暑いんじゃないか?

夕6時、ホテルImperial15階のRiver Viewの部屋に入ったときには、ベッドに崩れるようにダウンした。暑さが人間の精気を徹底的に絞り奪ってしまう。冷房のよく効いた部屋からは、夕暮れ時、フォーン川にかかるノースアン橋や、フラッグタワー、王宮の甍、はるかに霞む山々が一望できる。暗くなるにしたがって、街路灯がともされ、川を行き交う船の灯火が揺れて、古都の風情を少しづつかもし出してゆく。一風呂浴びて、ジョニ黒をすすりながら、窓外を眺めていると落ちつくものだ。フォーン川とは「いい香りのする川」という意味ださうだ。トゥン君は夕食にフエ宮廷料理を勧めるが、暑い外に出る気力はない。川沿いの公園辺りにもカップル向けのレストラン数店あり、歩いて10分の距離で且つ安全という。トゥン君を自宅に帰すことにした。相談の上、階下の日本料理店「よし原」に行く。串揚げ10本と、冷奴、ビールを注文。19ドル50?。まずい。油でべたべたの串揚げで、半分食べて、出ることにした。眠くなるまでフォーン川をみる。

2008年7月7日(月)

ホテルでBuffet Styleの朝食を摂る。いろんな種類があるが、あまり美味しいとおもうものはない。卵料理をやっていたので、女性の料理人に、Omeletsの作り方をフライパンをとって教える。まあ、まあで、Nam Haiよりは美味く出来上がった。

08:30、トゥン君が迎えに来る。フォーン川のクルーズでティエンムー寺まで行くという。インペリアル ホテルからフエ師範大学の前を通り、船着場に5分で到着。15人は収容できそうな、舳先に竜を極彩色に飾った屋形船に乗り込む。船頭と奥さんの夫婦舟だ。川幅50メートルはあろうか、フォーン川を右側通行でゆっくり遡行する。町の喧騒が遮断されたようで、樹木の多い川べりの風景を楽しめ、この船旅は癒しとなる。我々の乗る船は川の中央に碇を下ろしている警察官の小船に近づいてゆく。船頭の奥さんが、警官に非公認の通行料を払うのだ。窓をカーテンで覆ったその小船から、警官は姿を見せずにゅーと腕だけを出て、いだだくものを鷲づかみする。観たくない光景を見てしまった。奥さんが床に絵はがきとか織物のお土産を並べて販売ししだす。成る程。ティエンムー寺までおよそ50分強の船旅。逞しい。

ティエンムー寺のティエンムーとは(天婆)という意味だそうだ。トウニャン(慈悲)という21メートル、7層の塔は各階に仏像を納め、いり口に「読國史記老嫗現身之悟岳河永園霊鐘億万撰基図」の石柱あり。この奥に釈迦を祀ったタイフン寺がある。門額に「神通知勝」とある。大きな本堂だ。この寺の裏に通づる側道脇に、南ベトナム初代大統領ゴ・ジン・ジエムの仏教弾圧に反対し、サイゴンのアメリカ大使館前で焼身自殺を図ったこの寺の高僧ティック・クアン・ドック師が、サイゴンまで乗っていった乗用車が展示されている。結跏趺坐する釈尊のように蓮華座ですわり、ガソリンをかけて焼身するのだが、最後まで姿勢は崩れなかったという。1966年のことだ。

この後の観光コースとして、車でグエン朝の帝廟幾つか廻ることになる。最初のミンマン帝廟は、駐車場から一キロ以上の距離を歩かなければならない。弾痕の残る廟の塀に沿って歩くうち、家内はもう歩くのはイヤだと言い出した。何とか廟にたどり着くも、出口脇の売店で休んでいるという。暑気負けだ。もう一軒のカイディン帝廟まですぐちかくだからと励ます。その後の予定の帝廟まわりはここで中止しようということになった。トゥン君は残念がるが、やむをえない。

昼食はミンマン帝廟にちかいLa Thongでとる。日本人経営のベトナム料理店である。欧米観光客が多い。われわれのテーブルに日の丸の小旗を立ててくれた。それぞれがいろんな料理を注文したが、トゥン君の焼きそば風の皿が美味そうで、取り上げてしまった。Mi Xao Hai Sanという。要するに、海鮮風焼きそば。

この日はミンマン帝廟への徒歩往復で疲れ果ててしまった。もう観光を続ける気力はない。16:30分、ホテルへ帰る。トゥン君と運転手に3日間の感謝をこめて、別れの挨拶をする。彼は25歳で、ベトナムでは結婚適齢期のリミットなのだそうだ。来春、彼女(22歳)の大学卒業を待って結婚するという。結婚後はトゥン君の両親兄弟と一緒に生活することになる。無論男女それぞれの父親の承認が絶対要件。もし、続いて、トゥン君の弟が結婚すれば、この夫婦も一緒に住むことになる。大家族主義だ。これが、ベトナムの普通の家族の態様だという。お幸せに。

日没前に、Imperialホテルの16階の「パノラマ バー」へ家内といってみた。屋上テラスからの眺めは、まさにパノラマ、360度の絶景です。フエの町が一望できます。ラウンジに入れば、バーテンダーの腕前も一流。楽しいひとときが過ごせました。

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
50万円 - 100万円
  • ヴェトナム航空、2時間遅れて出発

    ヴェトナム航空、2時間遅れて出発

  • The Nam Haiホテル内部

    The Nam Haiホテル内部

  • The Nam Hai ホテルのコッテージ

    The Nam Hai ホテルのコッテージ

  • ホテルのプール

    ホテルのプール

  • ミーソンの遺跡

    ミーソンの遺跡

  • ミーソン遺跡

    ミーソン遺跡

  • ミーソン遺跡、シバ神

    ミーソン遺跡、シバ神

  • ミーソン遺跡は、このような形で散在している。

    ミーソン遺跡は、このような形で散在している。

  • ミーソン遺跡、リンガ、ヨニの石棺

    ミーソン遺跡、リンガ、ヨニの石棺

  • ミーソン遺跡、遺跡群

    ミーソン遺跡、遺跡群

  • ホイアンの町並み

    ホイアンの町並み

  • ホイアンはシクロに乗って。

    ホイアンはシクロに乗って。

  • ホイアン福建会館内部の仏堂の天井にぶら下がった線香。一個30ドルで約3週間燃え続けるそうだ。

    ホイアン福建会館内部の仏堂の天井にぶら下がった線香。一個30ドルで約3週間燃え続けるそうだ。

  • ホテルのビーチ、夕暮れ

    ホテルのビーチ、夕暮れ

  • ホテルのビーチより、コッテージへ戻るところ

    ホテルのビーチより、コッテージへ戻るところ

  • 五行山

    五行山

  • ハイバン峠頂上のトーチカ

    ハイバン峠頂上のトーチカ

  • ハイバン峠、観光客

    ハイバン峠、観光客

  • ハイバン峠、土産物屋さん

    ハイバン峠、土産物屋さん

  • フエ、ドンパ市場、トンガラシを売っている

    フエ、ドンパ市場、トンガラシを売っている

  • フエ、ドンパ市場、

    フエ、ドンパ市場、

  • フエ、ドンパ市場、赤ん坊がすやすや

    フエ、ドンパ市場、赤ん坊がすやすや

  • グエン王宮、午門

    グエン王宮、午門

  • グエン王宮、大和殿を望む

    グエン王宮、大和殿を望む

  • グエン王宮

    グエン王宮

  • フエ市街、夕暮れ、インぺリアルホテルの窓から

    フエ市街、夕暮れ、インぺリアルホテルの窓から

  • フエ、フォーン川クルージングの風景

    フエ、フォーン川クルージングの風景

  • フエ、ティエンムー寺トゥニャン塔

    フエ、ティエンムー寺トゥニャン塔

  • フエ、ティエンムー寺トゥニャン塔

    フエ、ティエンムー寺トゥニャン塔

  • ダイフン寺

    ダイフン寺

  • ダイフン寺本堂

    ダイフン寺本堂

  • ダイフン寺如来像

    ダイフン寺如来像

  • ダイフン寺修行僧たち

    ダイフン寺修行僧たち

  • ダイフン寺修行僧たちのお昼ご飯

    ダイフン寺修行僧たちのお昼ご飯

  • ミャンマン帝廟の開かずの門を裏から写す。

    ミャンマン帝廟の開かずの門を裏から写す。

  • ミャンマン帝廟を守る廷臣達

    ミャンマン帝廟を守る廷臣達

  • ミャンマン帝廟

    ミャンマン帝廟

  • ミャンマン帝廟の壁に残る弾痕

    ミャンマン帝廟の壁に残る弾痕

  • カイディン帝廟

    カイディン帝廟

  • レストラン La Thongの入り口

    レストラン La Thongの入り口

  • フエ大教会を望む

    フエ大教会を望む

  • フエ、夕暮れ

    フエ、夕暮れ

  • フエ、フースアン橋

    フエ、フースアン橋

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