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さて、カズベギの街から川を隔てた山の上に、教会があるのが見える。ツミンダ・サメバ教会すなわち三位一体教会である。<br />村から教会までは山道を2時間歩くか、車で30分だという。ただし、ここまでの車では登れないので、別途チャーターする必要がある。もちろん、行かないという選択肢もあるが、さてどうする?<br /><br />車は村の中の川にかかる橋を渡ると、いきなり悪路に突入した。といっても、まだ村の中である。民家の塀や畑の柵に囲まれた細い道、それも石ころだらけで轍が深くて勾配は急で、と最悪な条件がそろった道である。道端で遊んでいた子供たちが、闖入してきた車の後部座席でシェイクされている東洋人をいぶかしげに見守る。ドライバーは顔見知りらしい村人たちと声を交わしながら巧みにハンドルをさばいて、時折転がっているサッカーボール大のとがった石を避けて進んでいく。チャーター料30ドル也。<br />村を抜けると、道は牧草地を横切り、松林を抜け、斜面を登っていく。狭さ、勾配、カーブ、荒れぐあいともにどっかの離島の林道みたいなハードさである。最後の勾配をやけくそのようなエンジン音とともに駆け上がると、だしぬけに一面の草原が現れた。なだらかな原っぱの上に、歩いて上ってきたらしいバッグパッカーが数人寝転んでいる。ドライバー氏がなにやら呟く。ガイドによると、昨日雨が降ったばかりだから、あんなところに寝転んだらびしょぬれになっちまうよとのことらしい。そして、一段高くなった頂上に、小さな教会が建っている。ツミンダ・サメバ教会である。<br />この教会は無住だが、クリスマスだか復活祭だかイベント時には村から司祭か神父かがやってくるのだそうだ。それ以外のときにも村人が時折やってきて掃除や手入れをするとのことで、教会はきれいである。教会堂の中にはたくさんのイコンがあって、聖母子だの聖ゲオルギだの聖ニノだのヨハネとパウロだの父と子と精霊だの4聖人だのといろいろある。祭壇には十字架が刻まれているが、ここの十字架は横棒が左右とも斜め下を向いている。聖ニノの十字架ということで、聖ニノがぶどうの枝を自らの髪で結わえて作ったのがこの形状のルーツらしい。いかにもワインの産地のグルジアらしい。<br />教会堂を出て、村に面した崖の上に立った私は、そこに広がる景色に息を呑んだ。<br />教会から望むカズベギの村は、雄大なカールを描く谷底にちんまりとへばりついていた。村はたしかに小さいが、風景もまた大きすぎるのである。村の背後には壁のように山が連なり、ぎざぎざの稜線を青空に刻んでいる。大きな鷹が一羽、悠然と谷を渡っていく。それもまた、小さな羽虫くらいの大きさにしか見えない。教会をはさんで反対側にも山々が青い姿を映しているが、標高5,000m超というカズベギ峰だけは雲に包まれてその姿を拝むことはできなかった。<br />教会を囲む壁の上には十字架やキリストをかたどった、金属やガラスでできた小さな像がたくさん置かれている。この協会を訪れた人々が信仰の証に置いていったものなのだろう。それにしても、なぜこのような場所に教会があるのかとガイドに訊いてみる。一つは戦略上の理由で、谷間の街道を敵が攻めてきたときにいち早く発見するためであり、もう一つには、高い、誰の目にもつく場所に建てることにより、人々の信仰心をかきたてるためなのだという。

グルジア軍用道路の旅(2)

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2006/08 - 2006/08

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jsbach

jsbachさん

さて、カズベギの街から川を隔てた山の上に、教会があるのが見える。ツミンダ・サメバ教会すなわち三位一体教会である。
村から教会までは山道を2時間歩くか、車で30分だという。ただし、ここまでの車では登れないので、別途チャーターする必要がある。もちろん、行かないという選択肢もあるが、さてどうする?

車は村の中の川にかかる橋を渡ると、いきなり悪路に突入した。といっても、まだ村の中である。民家の塀や畑の柵に囲まれた細い道、それも石ころだらけで轍が深くて勾配は急で、と最悪な条件がそろった道である。道端で遊んでいた子供たちが、闖入してきた車の後部座席でシェイクされている東洋人をいぶかしげに見守る。ドライバーは顔見知りらしい村人たちと声を交わしながら巧みにハンドルをさばいて、時折転がっているサッカーボール大のとがった石を避けて進んでいく。チャーター料30ドル也。
村を抜けると、道は牧草地を横切り、松林を抜け、斜面を登っていく。狭さ、勾配、カーブ、荒れぐあいともにどっかの離島の林道みたいなハードさである。最後の勾配をやけくそのようなエンジン音とともに駆け上がると、だしぬけに一面の草原が現れた。なだらかな原っぱの上に、歩いて上ってきたらしいバッグパッカーが数人寝転んでいる。ドライバー氏がなにやら呟く。ガイドによると、昨日雨が降ったばかりだから、あんなところに寝転んだらびしょぬれになっちまうよとのことらしい。そして、一段高くなった頂上に、小さな教会が建っている。ツミンダ・サメバ教会である。
この教会は無住だが、クリスマスだか復活祭だかイベント時には村から司祭か神父かがやってくるのだそうだ。それ以外のときにも村人が時折やってきて掃除や手入れをするとのことで、教会はきれいである。教会堂の中にはたくさんのイコンがあって、聖母子だの聖ゲオルギだの聖ニノだのヨハネとパウロだの父と子と精霊だの4聖人だのといろいろある。祭壇には十字架が刻まれているが、ここの十字架は横棒が左右とも斜め下を向いている。聖ニノの十字架ということで、聖ニノがぶどうの枝を自らの髪で結わえて作ったのがこの形状のルーツらしい。いかにもワインの産地のグルジアらしい。
教会堂を出て、村に面した崖の上に立った私は、そこに広がる景色に息を呑んだ。
教会から望むカズベギの村は、雄大なカールを描く谷底にちんまりとへばりついていた。村はたしかに小さいが、風景もまた大きすぎるのである。村の背後には壁のように山が連なり、ぎざぎざの稜線を青空に刻んでいる。大きな鷹が一羽、悠然と谷を渡っていく。それもまた、小さな羽虫くらいの大きさにしか見えない。教会をはさんで反対側にも山々が青い姿を映しているが、標高5,000m超というカズベギ峰だけは雲に包まれてその姿を拝むことはできなかった。
教会を囲む壁の上には十字架やキリストをかたどった、金属やガラスでできた小さな像がたくさん置かれている。この協会を訪れた人々が信仰の証に置いていったものなのだろう。それにしても、なぜこのような場所に教会があるのかとガイドに訊いてみる。一つは戦略上の理由で、谷間の街道を敵が攻めてきたときにいち早く発見するためであり、もう一つには、高い、誰の目にもつく場所に建てることにより、人々の信仰心をかきたてるためなのだという。

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  • カズベギの街から見たツミンダ・サメバ教会。

    カズベギの街から見たツミンダ・サメバ教会。

  • ツミンダ・サメバへの山道。本当はもっと激しい道ですが、車が揺れすぎてとてもシャッターがきれませんでした。

    ツミンダ・サメバへの山道。本当はもっと激しい道ですが、車が揺れすぎてとてもシャッターがきれませんでした。

  • 聖ニノの十字架。

    聖ニノの十字架。

  • 教会から望むカズベギ村。

    教会から望むカズベギ村。

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