2008/05/31 - 2008/05/31
2800位(同エリア3737件中)
UKらぶさん
2008年は『源氏物語』の名が初めて登場する『紫式部日記』が書かれた寛弘5(1008)年からちょうど1000年の年ということで、京都の各地ではさまざまな催しが開催されています。
後半は島原に日本で唯一現存する揚屋建築、角屋(すみや)を見学しました。
角屋もてなしの美術館が所蔵する鎌倉時代書写の『源氏物語』は、最近の研究によってとても重要な写本であることが確認されました。
また、西郷隆盛が使用した大桶や、初代新撰組局長芹沢鴨が暗殺される直前に使用した広間、新撰組の隊士たちが酒に酔って乱暴を働いた時の刀傷が残る柱なども見ることができました。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄
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島原(嶌原)大門
寛永18年(1641)に六条三筋町から移転する際の騒動が、あたかも島原の乱のようだと言われたことから「島原」と呼ばれるようになったそうです。 -
島原の由来を記した碑。
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大門脇の柳。
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大門の左脇の民家の壁にあった地図。
現代の地図ですが、こんなところにも情緒があります。 -
当時のまま残る建築 輪違屋(わちがいや)
置屋建築です。大夫さんを育てているところ。
ここは現在も営業中ということで、見学不可。 -
輪違屋のロゴマーク(?)
「輪」が「違」っているから「輪違屋」
交差してるって意味ですね。 -
民家の屋根の上に小さいオッサンを発見!
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東鴻臚館(ひがしこうろかん)址
平安時代、都の中央を南北に貫く朱雀大路を挟んで東西の鴻臚館(迎賓館)が作られていましたが、このあたりは東鴻臚館があったところです。 -
角屋の赤壁。
こちらは展示室になっています。
揚屋建築の見学は右手の入口から。 -
当時のまま残る建築 角屋(すみや)
こちらは揚屋(あげや)建築です。今でいう料亭です。
1階で料理を作り、お客さんは2階に「あがって」食べてもらうことから「揚屋」と呼ぶそうです。
角屋で料理を提供して、置屋から大夫を派遣してもらうシステムだったそうで、これは現在の祇園などの花街に受け継がれています。
現在は「角屋もてなしの美術館」として建物や収蔵品を公開しています。 -
台所。
手前で煮炊きをして、奥で作業をしていたそうです。
ここは板間と畳の段差がなく、今で言うところのバリアフリーになっています。これは段差につまづいて料理をこぼさないように、との配慮からだそうです。
※昔は板間の上に畳を置いていたのです。
奥には西郷隆盛が使用した大桶が展示されています。
角屋では1階とお庭のみ撮影が許されています。 -
中庭。
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大広間(1階)
芹沢鴨が最後に宴会をしたところです。
ここで酔っ払って帰った後、暗殺されました。
角屋では酔った客を決して泊めることはなく、
入口には酔客を送り届けるための駕籠が展示されていました。
芹沢鴨はこの1段高い座敷に座ったのではないか、というお話でした。 -
広いですねぇ。
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広間のガラス。
昔のガラスなので歪んでいます。 -
臥龍松(がりょうのまつ)
江戸時代の名木も今では枯れてしまい、現在は3本の松を藤棚のように支える形で往時の姿を再現させたそうです。 -
こちらは先っぽのほう。
全体を収められなかったのが残念。 -
本来の臥龍松。
幹だけでも立派です。
角屋では数々の部屋の装飾や揚屋建築について詳しい解説をしていただき、とても充実した時間になりました。
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