1989/01/08 - 1989/01/08
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みどりのくつしたさん
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1989年1月8日。
1989年1月8日から、日本の年号は「平成」となった。
ロサンジェルスは日本時間と17時間遅れで、つまりほとんど1日違うのだが、ロサンジェルスでも堂々と平成を口に出してもよくなった。
僕はホテル加宝に泊まりながら、中南米旅行の準備をしていた。
少なくともその建前は持っていた。
中南米旅行に出るためには、「心・技・体」が揃わなければダメだ。
「心」とは、中南米へ行く覚悟だね。
この時代、「中南米へ行く覚悟」とは、死んでもいいということだった。
僕はそれをわかっていて、受け止めていたよ。
世界一周するつもりもないのに、アジア、ヨーロッパ、アフリカと旅をして、自然と北米へきてしまった。
ここまで来たら、中南米を下らないわけにはいかない。
だから、たとえ中南米旅行の途中で、僕が死ぬことがあったとして、それは受け入れられる。
死まで覚悟しているのだから、中南米へ行く気持ちは問題ない。
「技」とは、旅に必要なものを揃えること。
これは、僕がすでに、1年3か月も旅を続けていることを考えれば問題ないだろう。
いままでも、ロサンジェルスで、中南米へ下るために必要なものは準備している。
例えば、いままでも、ジーンズ、水泳用ゴーグル、懐中電灯、などを用意している。
そして、「体」とはだね、健康な身体であることだ。
問題は、僕には身体的に問題があったってこと。
なにしろ、ずーっと旅を続けていたのだから。
日本にいるときより、身体の調子は変化している。
もともと日本にいたころ、僕は夫婦関係に問題があって、ウィスキーばかり飲んでいた。
そのころ、身体はぶくぶくに太っていたよ。
離婚したあとは、人生に失敗した後悔で、また酒ばかり飲んでいた。
だから、離婚したあとも、身体はぶくぶくに太っていた。
旅に出て、ロンドンの有名語学学校「インターナショナルハウス」で、ケンブリッジ英検特級(CPE)受験特別クラスに入る。
このときは、宿題がメチャ多くて、精神的につらかったね。
僕はもともと勉強は、あんまり好きじゃなかったからね。
それでも、僕は高校時代は確かに、ある程度は勉強していたんだろうと思うよ。
僕は家庭教師にもつかなかったし、予備校にも行かなかった。
特別な受験勉強をした覚えはない。
普通に、普通レベルの勉強をしていた。
ただ、東大に受かるつもりで勉強していたんだ。
だから、1969年に東大の試験がなかったときに、僕は人生を降りた。
僕の頭の中では、「東大にいけないような人間は、人間としてダメダメちゃん」という公式が出来ていた。
それもまた、東大に現役で合格するようでは、ミエミエにガリ勉だからダメだ。
「東大も一浪程度で、普通に軽く行くのが格好いい」というストーリーまで出来ていたからね。
すると東大の試験がなかったときに、僕の一流の格好いい人生は終わったんだよ(涙)。
一流というのは、格好よくないとダメなんだよなー(笑)。
1969年に東大の試験がなくて、仕方無しに京大に合格したが、僕の頭の中では、京大はしょせん二流大学。
僕が一番いやなのは、「二流の人間ががんばって、努力して人生で成功する」というストーリーだった。
僕が考えていたのは、「一流なのに三流の雰囲気で、しかも楽々一流の人生を歩く」という筋書きだったからね。
だから、僕は京大に合格したあと、全く勉強した記憶がない。
僕の人生の、基本的な失敗は、「東大に入らなくても、まともな人生が生きられる」と知らなかったことかな。
とにかく、僕の人生は誤算と失敗だらけだった。
だから、人生を振り返っていろいろ考えると、お酒を飲んで泣くしかない。
毎日毎日、お酒を飲み続けていて、常に体調は悪かったんだ。
英国で試験勉強をしていても、本気でやったわけではなかった。
が、一応まじめに宿題をやって、恥はかかないようにしていた。
日本人のおじさんとして、ヨーロッパ人の若者たちに馬鹿にされることだけは出来なかったからね。
ワインを飲みながら宿題をしていたので、身体はぶくぶくに太っていた。
僕が旅で本格的に痩せだしたのは、アフリカへ行ってからかなー。
とにかく海外個人旅行では、移動してさえいれば、やせるものなんだよ。
アフリカヨーロッパを連日移動していると、身体は痩せて、グータラ精神もだんだん研ぎ澄まされていく。
テレビはほとんど見ないで、読むものは英字新聞、英語雑誌、英語ペーパーバック。
これで、世界旅行者は、精神的にも、行動力も、鋭い人間に変化したわけだよ。
ただ一つ、肉体的な問題があった。
それは、ケニアの海岸地帯でかかった水虫だった。
とにかく痒くてたまらなくて、、ヨーロッパでも、ニューヨークでも気になっていたからね。
欧米の薬も、もちろんつけたが、欧米人の水虫は、日本人の水虫ときっと違うんだろう。
欧米の水虫薬は、僕に対しては、全く効果がなかった。
だからこの時期、僕は足の指が痒くて痒くてたまらなくなってしまったんだ。
中南米を旅しているときに、水虫で旅が続けられなくなったら、これは恥ずかしい。
それで、リトル東京の薬局へ行った。
佐藤製薬の「ハイベティック軟膏」を買って、足の指の間に塗る。
やはり日本人には日本の薬が効くのだろう。
僕がずーっと気に病んでいた水虫はスカッと治ってしまったよ。
体調がいいので、南米へ下るのに、何の障害もない。
いつでも、南米へ下れる。
身体は完全に健康で、中南米を旅する程度のお金は十分にあり、中南米旅行もたいして難しくなさそうだ。
そうすると、気持ちがゆったりとしているね。
この日も、ホテル加宝のロビーにいる。
とにかくホテル加宝のロビーにいれば、何か新しい、面白い、興味深い人間に出会えるはずだ。
今日もそうだった。
日本人が声をかけてきた。
彼は、もとロサンジェルスで庭師をやっていた。
確か日本へ戻って、久しぶりにロサンジェルスを見に来たそうだ。
彼はシボレーを借りている。
それで、僕がサンタモニカへも行ったたことがないとわかると、連れて行ってくれたよ。
サンタモニカピアから、マリナデルレイまで、ドライブした。
ただ僕は、どうなのかなー、たいして面白くなかった。
だって一緒にいるのが日本人の中年男性だしね。
それと、僕とは話が合わなかった。
正直言うと、僕がこの男性の車に乗ることで、僕はお金をもらいたいと思ったよ。
でも僕は、そんな真っ正直なことは言えなくて、へいこらしてしまったけどね。
「他人の車に乗せてもらって、気を使うよりは、時間がかかっても自分でバスで行った方が、気楽だったなー」と思う。
まあそれが、このあと僕が「ロサンジェルスのバス乗り回しの天才」と呼ばれるようになった理由なんだけどね。
http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/carver1989/0108.htm
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