2008/05/20 - 2008/05/27
11位(同エリア19件中)
ニーコさん
ヨルダンに6泊8日で行って来ました。
ヨルダンと言えば、ペトラ(それもインディ・ジョーンズの映画の舞台として)しか知らなかった私…。
事前にガイドブックを買ってはみたものの、結局ほとんど目を通す暇もないまま、ヨルダンに来てしまいました。
旅行会社の方にヨルダン観光のモデルルート通りにつくってもらった旅程は、さすがにヨルダンの見どころを押さえています(笑)
ヨルダン到着2日目は、「王の道」を通ってペトラに向かいつつ、その道中での観光。
「王の道」とはヨルダン高原を渓谷を越えながら進む、風光明媚な道です。その道沿いに、マダバ、カラク、ワディ・ムーサなどの町があります。
5/22 アンマン→「王の道」ネボ山、マダバ、カラク→ペトラ
ペトラ泊
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 航空会社
- エミレーツ航空
-
アンマンのホテルを8:30に出発してまずやって来たのは、
【ネボ山】
モーゼ終焉の地、なんだそうです。
『旧約聖書の中の「モーゼがエジプト王の迫害を逃れて、ヘブライ人を率い、出エジプトを敢行した」という記述は有名である。
モーゼとその一行は、シナイ山で十戒を授かった後、ヨルダン渓谷の東側を北上したと言われているが、ヨルダン内でのルートについては確かな記録はない。
唯一わかっているのは、モーゼ終焉の地がマダバの西にあるネボ山だということだけ。
ネボ山でモーゼは、率いてきた民に、あの有名な「あれが約束の地だ」という言葉でパレスチナに向かうよう促し、自身は山上からそれを見守ったとされている。』ネボ山 史跡・遺跡
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キリスト教聖地の碑。
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何という花なのかわかりませんが、このきれいなピンクの花、この後も各地で見かけました。
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"THE ABU BADD
Rolling stone used as fortfed door of a Byzantine monastery in the old village of Faisaliyah once known as KUFER ABU BADD."
と横の説明板に書いてありました。
修道院のドアだったの?
詳しくはよくわからず。 -
本当だったらネボ山の山頂にはフランシスコ修道会の教会があるはずなんですが(ガイドブックにはそう書いてある)、どうもそれらしきものは見当たりません。
どうも工事中だったみたい。
その代わりに仮設っぽいテントがあり、その中にモザイクがありました。 -
小さい博物館のような建物の中から外を見たところ。
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ネボ山は死海の北側にあり、死海の向こう側は現イスラエル。
ネボ山山頂からは天気が良ければ、エルサレムまで見えるらしい。 -
展望スペースには観光客がいっぱい。
欧米からと思われる観光客がこの旅行全体を通じて非常に多かったです。
特に年配の人。 -
向こうの方に青く見えているのが、死海。
死海の向こう側はいまいちもやっていてよくわかりません…。
ここで、モーゼが
「あれが約束の地だ!」
って、指差したんだろうなー。 -
蛇と十字架のモニュメント。
これも本当は正面から見られるはずなのですが、工事中のためか後ろからしか近くに行くことができませんでした。 -
ネボ山→マダバ市内に行く途中、立ち寄ったお土産屋さん。
お土産屋さんの横にあったモザイクの工房にて。
作成中のモザイク。
すごく緻密。 -
【聖ジョージ教会】
ギリシャ正教の教会で、床に描かれた6世紀のパレスチナの地図のモザイクで有名。 -
教会内部。
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有名なモザイク。
上の方に死海、その下の町がエルサレム、その横にベツレヘム。 -
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マダバから「王の道」を通って、カラクに向かいます。
砂漠というか、岩山というか、一面茶色単色の中をひたすら走っていきます。
車に乗るとなんだかすごく眠くなる私。
今回の旅でも、車で移動中の70%ぐらいは寝ていたと思う…。 -
【ワディ・ムジブ】
「キングス・ハイウェイ(王の道)の、マダバとカラクの中間にある大きな谷。渓谷はデザート・ハイウェイの辺りから始まり、死海へと流れ込む。キングス・ハイウェイは下り上り各7kmの急坂と、近年造られたダムの堰堤でこのワディ(沢、谷)を横断している。」 -
写真だとスケール感がなかなか伝わらないと思いますが、絶景です!
行ったことはないんですが、グランドキャニオンってこんな感じなんじゃないかな? -
中央に見える青いところは、ダム湖。
ここから、「王の道」はぐぐっと下って、ダムの上を通り、反対側の山の上へと続いていきます。 -
ビューポイントからダムまで下ってきました。
こんな砂漠っぽい岩山だらけのところに、突如ダムがあるのが不思議な感じ。 -
ダム湖。
ダムの上から見たところ。
一面の砂と岩の茶色の中に突然現れる青。 -
【カラク城】
ここではガイドが付いていなかったので、自分達で勝手に見学することになります。
パンフレットのようなものも特になく、「地球の歩き方」の案内図だけが頼り。なので、いまいちどこが何なのかよくわかりませんでした。
帰国して、インターネットで恐らく個人の方が作成されているカラク紹介のHPを見つけました。
「カラク城クイックツアー」もあって、わかりやすいです。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/4749/castle.htmlカラク城 城・宮殿
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かろうじてある案内板。
ガイドブックによれば、
「12世紀前半、ヨルダン側に進出した十字軍によって城塞都市の建設が始まり、1161年に完成した。
十字軍側にとって、カラクの戦略的重要性は明白であった。『王の道』を通ってシリアとエジプトを行き来するイスラム側の軍勢の動きを遮断することができ、キャラバンには通行税を課し、メッカ巡礼ルートでもあるので、宗教的な圧力もかけることができたからである。
歴代領主の中でも有名なのは『キリストの象』と呼ばれたルノー・ド・シャティヨン。1177年から城主となった彼は、休戦中にもかかわらずキャラバンを襲撃して虐殺し、サラディーンに協定を破棄する口実を与えて1187年のハッティンの戦いにおける十字軍の大敗と、その後のエルサレムの陥落を招いた。」
のだそうです…。
ふーーーん…。 -
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マムルーク朝時代に造られた、本丸。
エジプトのマムルーク朝は、1263年にカラクを征服した。 -
天気が良いので、暑いー。
19歳の大学生だと言う男の子が、なぜか一緒に付いて来る。カラクの大学で土木関係の勉強をしてるんだとか。
勝手にガイドをして、後からチップを要求されるのかなーとも思ったのですが、別に熱心に説明してくれる感じでもない。
そのうち、地下道の暗い部屋に入った辺りで私はATさんを見失ってしまい、しばらくして再会したら男の子がいなくなっていて、ATさん1人になっていた。
「あの男の子、どうしたんですか?」と聞いたところ、暗い部屋を見ているうちに、話題が「結婚してるの?」とか「彼氏いるの?」とかなんだかあやしくなってきて、「はは〜ん、これはセクハラ系だな…。」と思っているところに、どこからかツーリスト・ポリスが現れて、男の子を連れて行ってしまったそうです。
イスラム圏って、イスラム教徒同士では性に関して厳しいのか、そのはけ口が外国人に向かうから、セクハラがすごいって聞きますが…。
10歳以上年上のおばちゃんだって事にも気付かず、最終的には連行されちゃって、むしろかわいそうだったかも(笑) -
地下の部屋。
兵舎とかに使われていたらしいです。 -
半地下にある部屋。
外は暑くても、中はひんやり涼しく、なかなか快適かも。 -
アーチ型の屋根が残っているここは、教会跡。
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景色の良い日陰で、工事作業の人達が休憩中。
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この通路の左側に、オリーブオイルが作られていた作業部屋があったり、その奥の部屋はキッチンとして使われ、パンを焼くオーブンが残っていたりします。
(そうだということは、後からガイドブックを読み直して知ったんですが…)
オリーブオイルの歴史って古いんですね〜。 -
「ナバタイ人の胸像」
1回前を通ったのに見逃してしまったので、再び戻って、見つけました。
胸像、って本当に胸部分だけなんだ…。
顔が無かったので、最初は気付きませんでした。 -
ナバタイ人の胸像を左側に進むと、大きなホール状のスペースにつながっています。
このホールは、食堂とか兵隊の宿舎に使われていたそうです。 -
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カラク城内にある博物館。
遺跡をそのまま利用していて、その一角にあります。 -
カラク城博物館、内部。
13世紀に兵士のバロックとして利用されていた部屋を改築して、博物館として利用しているのだそうです。
ローマ、ビザンチン、十字軍、イスラム軍時代の発掘品が展示されていますが、そんなに大きくないので、すぐ見て回れます。
団体客はこの博物館を見学しないのか、それともちょうどいなかっただけなのか、私達だけの貸切状態でした。
1人だけいた博物館の係員は携帯電話でのおしゃべりに夢中。いいな〜、こんな楽な仕事。 -
出口(入口でもありますが)の横の城壁は、十字軍時代に作られたものだそうです。
かつては90フィート(約27m)の深さがあったという北堀。 -
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カラク城の入口のすぐ脇にあるビュッフェ・レストランにて昼食。
レストランの中は、欧米人観光客でいっぱい。
カラク城の見学に思ったよりも時間がかかったので、すでに午後2時過ぎていました。
お腹空いた〜! -
メニューは相変わらずな感じ。
アラブ風の料理って、意外と野菜も多くて良いです。
あとは、魚のフライ、肉の煮込んだもの、など。
でも私はこのパンとホンモスがあれば、80%満足☆ -
カラク〜ぺトラの道の途中で写真撮影休憩。
ドライバーのミシュアル(2歳〜20歳、6人の子供のお父さん)は、車の外に出るとすかさず煙草を吸い始める、ヘビースモーカー。
ヨルダンの男性って愛煙家が多いみたい。 -
ワディ・ムーサ、ペトラの遠景。
景色の良い所で再び写真撮影休憩。
っていうか、お父さんが煙草吸いたいだけなんじゃないの?って気もしましたが…。
◇・.。*†*。.・◇・.。*†*。.・◇・.。*†*。.・◇・.。*†*。.・◇
「2008 ヨルダンの旅(3)」に続きます…
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